prologue3
人事が発表されて初めて全員が揃った。
「は?」
役員名簿を見て思わず声をあげてしまった。樹杏の役職があまりにも低すぎる。
「昨日修正が入りまして、樹杏殿のご希望によりとの事です」
苦笑してもう一人の側近、八陽 元則が言う。
「希望?」
「はい。妹君のお身体が弱いので、少しでも責任の少ない役職へと希望なさったそうです」
青天の霹靂だった。この役職ではそうそう己と話が出来ないではないか。
「今日は挨拶の日ですのでお顔合わせは出来ますよ」
「してやられたな」
その言葉に疾風一人が苦笑していた。
「樹杏の調査票は出たのか?」
それから数日後疾風に尋ねた。
「それがまだでして、しかも今日は家族用事で休んでいますね」
「琴織は明日だろ?」
四条院八家の一、西宮で経営している幼稚舎から大学部まで付属で揃っている学校の名前を思わずあげた。もちろん、紅蓮も琴織の大学部に在籍中である。
「えぇ。ですのでおかしいなと思ってはいるんですが」
そして含み笑いをしてきた。
「おませさんだけじゃなかったんですね。咲枝様から聞きました。次期当主になるにあたり、一つ条件を出されたとか」
「うるさい」
いつかはばれると思っていたが、ここでからかわれると思わなかった。とっさに別の書類に目を通して逃げにはいる。
「保護者の樹杏殿よりそれに関して交換条件が」
書類から顔をあげて思わず疾風の顔を見た。
「ちい姫様がそのお約束を覚えておいでで、なおかつちい姫様が承諾した場合に限るそうです」
忘れているという選択肢は紅蓮の中に全くなかった。先手を打たれたのだ。
「疾風、これは他のやつらに言うなよ。ばれたらそれこそ……」
悪友どもにばれたらおちょくられるどころの話ではないだろう。
「かしこまりました」
含み笑いをしているあたり、油断が出来ない。
紅蓮の住むマンションに子連れで来ていながら、のんびりと構えるのが二人いるのはいつもの事だ。
「ってか、紅蓮誰?この女の子」
勝手に人の手帳を漁るなと言いたくなる。子連れで来る悪友の一人、日和 美恵が写真を紅蓮の目の前に差し出した。
「幼馴染」
間違いではない。これは確か約束をこぎつけたあと、疾風に撮ってもらったものだ。
「いや~ん、可愛い……ってか、あんたにもこんな可愛い時期があったのね」
「やっかましいわ!!」
思わず写真を取り上げた。溝延 啓治と田中 布人が少し離れたところで苦笑していた。
「美恵ちゃんって、旦那の手帳とかもあざく?」
「華弦さんの?それはまだしてない。今の状況だとなかなか会えないし」
「会えるようになったらするつもりか!?」
啓治の質問にあっけらかんとして美恵が答えるため、思わず突っ込みを入れた。
美恵は幼児教育を学ぶため短大へ、そして昨年三月に卒業し、めでたく一回り上の男と結婚したのだ。啓治は大学一年の時に出来ちゃった婚をしつつも今年、大学四年。伴侶は旧姓上野 好、紅蓮の側近でこちらも好が十歳上である。布人は現在料理人になるため修行の身というバリエーションにとんだ仲間たちである。
「何であんな可愛かった子供がこんな捻くれた女心の分からない、最悪な男に成長するわけ?出来ることならちっちゃい頃のまま時間が止まればよかったのに」
その言葉に啓治と布人が豪快に笑った。
「確かにさ、小学生のときの卒業アルバムとか見ると可愛いと思うよ?だけどさ、疾風さんはともかく育ての親があの人だ。無理無理、すっげー性格似てんもん」
「そうなのか。当主たちが預け先間違ったのか」
「おい」
「美恵、酷い言いようだね」
「あ、白銀の呪術師様、お久し振りです。でも事実ですよ?あんな可愛い男の子がこうなったら、誰だって言いたくなりますから」
その言葉に白銀の呪術師こと、紅蓮を途中から育ててくれた聖が苦笑していた。白銀の呪術師と呼ばれる所以は、腰まである銀色の髪に、中性的な顔立ちと白い肌。そしてそれを助長させる赤い瞳。アルビノのためとはいえ、周囲の注目を一瞬で持っていく。
「師父、どうした?」
紅蓮は聖を「師父」と呼ぶ癖がある。ちょいちょいと手招きをされた。つまりこの面子に聞かれたくない話をしに来たのだ。
「で?」
「馬鹿か、お前は」
二人きりになったら唐突に言う。
「婚約の話を聞いたよ。あの男の子供と婚約しようなどとは。それを何故……」
「子供の頃の約束。ずっとそれだけを想っていた」
でかいため息が聖の口から出てきた。
「お前は自分の婚約者の父親を殺める計画に加担するのか?」
「それと婚約は別の話だ。それに……流動的になったし」
「紅蓮?」
「保護者から条件が出た。ちい姫が約束を覚えていて、了承した時に限ると……」
どれ位それが悔しかったか。あの時、次の当主に紅蓮を指名すると言われたとき、紅蓮は真っ先にそれを条件にしたというのに。
「ちい姫?」
「俺の前ではずっと自分のことを『ちい姫』と言っていた。それだけだ」
それに何かあった場合、ちい姫を守りたかった。
「分かった。私は計画を変えるつもりはない。それだけ言っておく」
「俺も変えるつもりはない」
優しく頭に手を置いてくる。さすがに外見年齢が追いついてきたため、少し恥ずかしい。聖の外見年齢は十年前から変わることなく、二十後半である。紅蓮は今年二十二になる。聖はヒトでないため、年齢は不詳。
「そうそう、お前の呪術に合わせるためパートナーを雇うつもりだ」
「は?」
「あの欲深い男が相手だ。それに樹杏も帰ってきてしまった。少しでもこちらの層を厚くする」
「分かった」
それだけ言って聖は出て行った。
四条院の集まりだ。ちい姫も来るものだと思っていたが、樹杏のみの参加だった。
「自慢の妹君は?」
南原 知己が率先して聞いていた。
「妹は体調が悪いため、家で休んでいます」
それだけ言って一礼していた。そしてさっさと一人帰路についていたのだ。
「身体が弱いってのは本当の話さ。杏里にも確認した。だからだろ、あの人事は」
それだけでないはずだ。紅蓮にちい姫を会わせたくないのだ。
「身体が弱いが結構奔放なところがある娘っ子だとさ。意外にもお前とホントお似合いかもよ?」
どっからその情報を聞きつけたと言いたくなる。知っているのは紅蓮と当主夫婦、それから樹杏だけだと思っていた。
「さて、話を始めようか」
聖のその一言で周囲は真顔になっていく。
「まだ漁っているのか?あの色魔は」
「のようです。ちい姫様が戻られたので、少しはおさまるのではないかと楽観的意見があります」
「理由は?」
「これは南原殿の方が詳しいかと」
その言葉に一斉に知己へ視線が注がれた。
「一番下の娘っ子の前ではただの好々爺だったって話、杏里が言ってただけさ。ホントのところは樹杏さんにでも聞いてみないと分からんさ」
「樹杏に聞けるとでも?」
「俺から聞いとく?別に構わないさ」
「そうしてくれ。私も聞きたい」
ちい姫の前でだけは好々爺、それが引っかかる。それだったら同じように子供の樹杏も杏里も見ていないはずなのだ。
「そのあとだ。計画を変更するか否かは」
その一言で解散になった。
「昨日、さっさと帰ったのはまずいと思うさ」
翌日、知己が樹杏に声をかけていた。
「妹の体調が悪いのでと、確かどなたかに断って帰りましたが」
その相手は元則だった。あとでしれっと答えてくるあたり最悪かもしれない。
「そんなに悪いわけ?」
「いえ、昨日の夜で熱は下がったので今日から普通に学校に通っています」
「たまにで良いさ、俺も久し振りにちい姫見たい」
「だったら今日来るか?」
いきなり気安い口調へ変わった。
「こっちの事、聞けるのがいないからどうも引っ込み思案気味になってる」
「琴織にいんの?」
「琴織はちょっと……杏里も移動になると思ってなかったし」
「あぁ……ちい姫が気をつかったか」
「そういう事だ」
「それ以外に理由は?」
「なくもない」
つまり紅蓮のことだろう。聞いていて面白くない。
「お、紅蓮そんな仏頂面してんなや」
気楽そうに知己がこちらへ手をあげてきた。一応は知己の甥っ子になるわけだから、わざと話しかけてきたのだろう。だがその瞬間、樹杏は一礼をして別の場所へ向かっていく。
「おいおい、未来の義弟にもう少し愛想よくしろや」
その言葉に苦笑するしかない。
「まだ、流動的なんだ」
「そのあたりの話も聞いたさ。可愛い妹に苦労をかけさせたくないみたいさ」
「苦労かぁ……」
ただ傍にいたい、それだけだ。
「ちい姫に軽く聞いてくるか?約束の話」
「何で!?」
「そりゃ、餓鬼のころちい姫に直接聞いたに決まってんだろ?国外に俺だっていた事あるわけだし?ただ、あのあたり樹杏さんは微笑ましそうに笑ってた。逆に四条院側で反対意見があったみたいだぞ」
「……そうか」
「で、ちい姫はかなりショックだったみたいだ。だから無効な話として忘れている公算大」
四条院側の反対、それが重くのしかかった。
「尚更保護者として反対するわけだ」
「だろうなぁ……ましてや次の当主、どれ位妹が苦労するかなんて分からんだろ」
身体も弱いしと続けてくる。
「最後に会ったのいつだよ」
「……約束してから会ってない」
ませた子供だと言われようが、ちい姫と一緒にいたいと思った。それは今でもそうだ。
「忘れてたらしゃれにならんぞ。今日聞いてくるさ」
「あぁ」
次の日まで不安が頭をよぎる。