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HOMEWARD  作者: 佐倉蒼葉
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第6章

 私達はコンビニで肉まんの代わりにパンを買った。部屋に着くと諒介はカレーパンを取り出し、袋の口を開けながら言った。

「カレーパンは温めて食う。一個につき四十秒。それ以上だと熱くて持てない、それ以下だと温くて不味い」

 時々、よく判らない人だ。私は紅茶をいれる用意をしながら「よっぽどお腹空いてたのねぇ」と泣き真似をした。

 こんな普通の会話だけなら、私達は普通の友達なんだろう。

 何でも話し合える訳でもない。まして会社で皆が言うような仲でもない。自分の事は口にしたがらない諒介と、こんな私である。二人きりになろうとするのは、誰にも聞かれたくないからだ。ピピピ、とレンジが鳴って私は彼を振り返った。

「諒介」

「ん?」

「やっぱり、少し変わったよ」

 私がそう言うと、彼はカレーパンに伸ばした手を止めて私を見た。

「結局また『その』って言って黙っちゃうから変わってないと思ったけど、電話くれたりどう言おうか考えてあったり、少し変わった」

 お湯が沸いた。ポットとカップを温めながら、ミントグリーンの缶を開ける。ポットのお湯を捨てて、茶葉をスプーン三杯。熱湯を注いだ。彼はそれを黙って見ていたが、やがて「うん」と頷いてカレーパンを手にした。

「少しずつ」

と言いながら、せっかく温めたパンを掌に載せて弄んで、視線はふらふらとさまよう。

「考えたり、してる。…その、いろんな事をね」

「冷めるよ、カレーパン」

「うん」

 諒介は目の前の椅子を引いて腰掛けようとし、思い直して立ったままパンを食べ始めた。椅子は一脚しかない。並んで立ってお茶を入れる私と、立ち食いの諒介。

「面白かったって、諒介が葉書に書いてた映画」

「うん」

「今、ふっと思い出した」

「うん、いい映画だったね。教えてもらって良かった」

「あのお父さん、諒介に似てるね」

「いや、僕はあんなじゃないでしょう」

 ふふ、と二人で笑った。その映画は登校拒否の女の子と突然会社を辞めたエリートサラリーマンの義父が何でも屋を始め、やがて二人を取り巻く世間のつまらない眼差しを軽く飛び越えてゆく、あたたかな物語だった。

 その時、義父と娘の姿に私達が重なって見えたのだ。少なくとも私にとってはそうだと思った。世界から切り離されるような恐怖を背中に感じながら、目の前の諒介がとてつもない力持ちに見えたのに、彼は彼で何かを探して私を見ていたのを知った。私達はまだあの映画のラストシーンの日溜まりではなく、物語の途上の、二人乗りの自転車の親子のように、一緒にどこか途中に居るように思った。

 春の日に途切れた言葉の続きを、まだ探している。

「時間がない」

 不意に諒介は言った。

「明日の午後には帰らなきゃならない」

 と、新幹線の発車時刻を告げた。

「ついでに言うと」と紅茶を一口飲んで椅子に座り「すみません、胃に血が行って眠くなりました。二時間くらいで起こして。その間にさっきの話、考えて」と言って、眼鏡を外すとぱたりとテーブルに突っ伏してしまった。

 考えてみれば、月曜からこっち、名古屋、東京と五日間の出張だ。何をしているのか私は知らないが、仕事の後で築地の会社に顔を出して───遊びに来ただけだが───おまけにうちに寄って、それからまた宿泊先に戻ってと、かなりきついスケジュールだったろう。しかもそれは私の訳の判らない体質のせいだ。私はがっくりとして諒介の後頭部を見た。

 『それは僕だけではない』

 誰なのかと思うのは辛かった。

 私はキッチンの明かりを落とし、奧の部屋から毛布を引っ張って来て諒介の背中に掛けた。カップを持って奧へ戻り、床に膝を抱えて座り込む。明かりは点けずにじっとしていた。

 今ここに居ない人。

 今ここに諒介が居る。

 だけどそれはたまたまで、本当ならこの部屋には私一人きりだ。それなら誰かではなく、誰もがそうだ。知る限りの人の一人一人、その不在を感じていられる程の余裕はない。

 誰かの不在を感じるのは、自分の中にその存在を感じるからだ。

 諒介は会社でとても好かれていたし、私や澤田さんが居るせいもあって、未だに社内の皆の中に存在感を残している、とこの前も思ったばかりだった。だから彼の不在はいつも目の前にあって、春までの彼の居た日々を振り返り、そしてまた今は居ないと確かめている。どちらが先なのか判らないが、諒介の不在を思うたびに風が、

「あ、」

「判った?」

 諒介がむくりと頭を上げた。起きていたのか。

「澤田さんが言ってた。居ない人の話をすると風が吹き込むって」

「それだ」

 やっぱり澤田か、と彼はまたテーブルに顔を伏せた。黙って考えよう。澤田さんがそう言ったのは確か台風の日の昼休みだった。間違いないだろう。

 風の理由は判った。諒介を思い出すと風が吹くのもそれで説明がつく。

 でも、どうしてこんな事になっちゃったんだろう。諒介は今「やっぱり澤田か」と言った。訊いてみたいが寝かせておきたい。困ったな、と膝に額を当てた。

 澤田さんはいつも会社で顔を合わせるから居ない人じゃないし、すると澤田さんの言動───確かあの時、何て言ったのだったか。

「澤田は他に何て言ってた?」

 また起き上がると、今度は目をごしごしとこすって眼鏡をかけた。

「時々、人が、冷酷に…」

「え?」

「思えるって。居ない人の話をしている人か自分か、居ない人か」

「…うん。だいたい判った」

と、諒介は自信がある時の余裕の笑みを見せた。

「食べ合わせが悪かったんだな」

「山菜そばしか食べてないけど?」

 私がそう言うと、諒介はアハハと笑った。

「言い直そう。タイミングが悪かった」

と立ち上がり、電話貸して、とこちらへ来た。受話器を取って澤田さんの部屋に電話をかけ、ハンズフリーにする。プルルルル、とコール音が暗い部屋に響いた。

「はい、澤田です」

「和泉です」

 ハンズフリーとは名ばかりで、置き場がないので持っている。少し間抜けな感じだ。

「おう、お疲れさん」

「うん」

「由加と仲直りしたんか」

「今、由加と一緒」

「ほー」

「うらやましかろう」

「この時間に未発達の由加とおって何が楽しいんや」

 私は電話に向かって言った。「聞こえてるよ」

「うわ、」

「安心しろ。楽しくないから。…イテ」

 諒介は私に殴られた肩を押さえて苦笑した。澤田さんの「やっぱり」の声。

「今のはおまえの代わりに殴られたんだぞ」

「何?」

 私も澤田さんと同じ心境で諒介を見た。先刻から何の事だか判らないのだ。

「澤田、由加に何て言ったか覚えてるか。居ない人の話をすると風が吹き込んで」

「待て、今思い出す」

 しばらく沈黙。

「人が冷酷に思える」

「冷酷という言葉に彼女は怯えている。おまえが言った意味を説明してやってくれ。僕には判らない」

「…由加、そこにおるんやろ?」

「うん、居るよ」と、諒介の持つ電話に向かって答えた。顔が近づいて、私達は何となく笑みを交わした。

「冷酷言うたんはな、いろんな意味を含めてなんやけど」

 真面目な口調だ。

「自分の感情を無視できる、て意味やねん」

「自分の」と私。

「せやから『おらん奴か』とも言ったんやけど、離れとって」

「うん」

「おらん奴の話を笑ってできるんは、そいつが笑わせてくれるような要素があんねんな。コケにして笑うんは悪口やけど、懐かしんだり嬉しくなったりさせてくれる奴の話は幸せであると同時に、そいつと離れとる事実の再認識やってん」

 諒介は受話器をじっと見ている。

「ええ意味も悪い意味も含めて、感情を無視する必要のある時があんねんな。子供やないんやから。人の居る居ないは関係ない話でもそうやねん。それは置いといてな、由加が和泉の話をする時は、…いや、他の時もそうやけど」

と、澤田さんはフフと軽く笑った。

「子供っぽい言うたら悪いんやけど、まあ、素直やな、と」

 諒介は、今度は私を見た。

「残暑見舞いが一行多けりゃ、勝った、言うし、振り返る人なんて真顔で言うし。せやからな、由加を見とると自分が冷たいんやないか思うねん」

「そんな事ないよ」

 澤田さんは、諒介がいなくて寂しいだろう、と私に訊ねた時に、自分がそうなのだろうと問い返したら、まあな、と肯定した。澤田さんは冷たくない。

「つまり」と、諒介が口を挟んだ。

「澤田は僕が居ないとだめなのか」

 先刻言った時より芝居がかっている。私はアハハと笑い転げた。

「何や和泉、聞いとったんか!」

「さっき僕と話していた時も由加は聞いていただろう」

「うわあ、一生の不覚」

 ははは、と諒介も笑った。

「由加、あんな。感情は層になってんねん。こう、バームクーヘンみたいにな。由加はそれがミルフィーユやねん」

と美味しそうな表現に澤田さんは自分で笑った。諒介は「なるほど?」と小さく笑う。

「何それ」

「層の内っ側の方が本心に近い感情で、外側に違う感情を被せな、やっていけへんのやな。それは判るやろ、由加かてそうやろ」

「うん」

「せやけど由加の層は突っつくとパリパリー言うて下の方の層が見えんねんな。そんで、層と層がずれたり擦れたり、壊れやすいねん。それが子供や言うねんで」

「…うん」

「でも、俺はそれが時々うらやましい。以上」

 私は諒介の顔を見た。彼は頷きながら微笑んだ。

 それから二人は、明日何時の列車で帰るとか、私には判らない大阪の話を二、三して、電話を切った。諒介はまた、ふにゃ、とした困惑の笑みだ。

「まいったな」

 両手を後ろの方に突いて脚を投げ出し、まいったまいった、と首を振った。こっちこそ弱味を握られた感じた。それは始めからそうだったけれど、また別に、という意味で。

「それで、もう判った?」と彼は煙草に火を点けた。

「誰が居ないのか。感情を無視する事は、自分が居ないという事だ」

「え?」

「だからこそ澤田は冷酷という表現を選んだのだし、壊れやすいのは素直に自分を表現する事のリスクかもね。もっとも出会った頃の由加は壊れないように身を守っていたけれど」

「居ないのは、私なの?」

「いや、居なくなりそうだったんだろう。それは、」

 そこまで言って、諒介はまた眼鏡を外して目をこすった。煙いのか、眠いのか。

「里美さんが、由加を時々振り返っていた、と言ったのがどこかに残っていたのかもね」

「里美が?」

「うん。タイミングが悪かった、って言ったのはそれ。でも由加が漠然と恐れているような事はなくて、澤田の言ったのと同じ意味に取っていい。それは間違いないから、今は、それだけ考えなさい」

 眼鏡をかけて目を瞬く。私はその言葉の意味を掴みそこねて訊ねた。

「今は、って」

「ああ、本気で眠い」

「諒介」

「帰るよ」

 彼は立ち上がり目を開けようとぱちぱちさせて「絶対大丈夫、もう空調も直る。突風も吹かない。理由が判れば由加はそれを止められる」と言って微笑んだ。

「僕を信用して」

 そう言われたら頷くしかなかった。ベランダに出て、マンション前の道路をふらふらと歩いてゆく諒介を見送った。


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