『きみと雨夜の月見』
「残念だなー」
「残念だのう」
すぐ横から声が聞こえたので、ぎょっとして目を向ける。
独り暮らしをしている、古い日本家屋だ。
庭に面している建て付けの悪い硝子戸を開け、横着にも室内から縁側に半身だけ乗り出して、雨降る夜空を見上げ、気なしに独りごちたのだ。
まさか応えがあるとも思わずに。
さあさあと雨音。
夜の闇。
室内から洩れる、黄色い電燈の明かり。
縁側にしゃがみ込み、雨空を見上げている童が、ひとり。
こちらに小さな顔を振り向けて、にっと笑んだ。
ああ。
きみはいつも心臓に悪い。
濃密な湿気が、頬やら髪やらを浸してくる心地。
雨水をたっぷりと含んだ土や庭木や苔の、むっとする匂いが立ち篭めている。
心拍を落ちつけてから、たずねた。
「……いつ、お出でになったんです?」
「さあて。ついさっきやも知れんし、ずうっと前か、あるいは――たった今やも、のう」
はたして、トボけているのか、それとも素なのか。
つぶらな目を、たのしげに細められた。
自分にため息をつく。いつだって神出鬼没の相手に、問うだけ無駄だった、と。
今年は秋が早かった。
特に早晩は冷え込みやすい。
裾から覗く白いすねが、いかにも寒そうに見えて、視線をそらす。
「お上がりになってくださいよ」
「うむ」
童の着物が濡れた様子はなかった。
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まっ直ぐな黒髪を揺らし、なぜか室内をきょろきょろとしている。
郊外の一軒屋。
数年前のことだった。ここに長らく夫婦で住んでいた祖父母が、都会にいる伯母一家との同居に踏み切ったのは。
ならばと希望して、入れ替わりに土地家屋を譲り受けたのだ。
奇特なやつと笑われたっけ。
なにせ相当なオンボロ家だった。
住み良いよう当初にそこそこ手を入れたので、ささやかな貯金と初任給が瞬殺されたものだ。
けれど、その後は特にいじっていないはず。
なにか不満でもあるのだろうか。
「……別に変わりはしないでしょう」
「そうよなあ。ふむ」
今度は、ふんふんと仔犬のように匂いをかいで回っている。
ヘンなものは置いてなかったろうか。急に不安になる。
とりあえずお茶を淹れ、ちゃぶ台の上をすべらせて差し出した。
向かいで座蒲団に行儀よく座った童が、湯呑み茶碗を手もとに引き寄せつつ、ふしぎそうに首をかしげる。
「うむ。ちょいと変わりがなさすぎやせんか」
「いいことじゃないですかね?」
自分の分も湯呑みにそそぎ、口に含む。ぬるい。猫舌の相手に合わせたので仕方ない、とはいえ――沸かしなおすか。
「おぬし、まだつがいの女子が見つからんようだの」
「ぶふぅっ」
噴いた。
「な、な、なん……!?」
「今年こそは、と、息巻いておらなんだか。とうに一年の半分は過ぎておろうに」
「いいでしょうが! 別に! んなこたぁ!!」
「甲斐性がないのう」
「ほっといてくださいよー!!」
実態はどうあれ、見た目が童の相手にいわれると、ダメージ倍増だった。
逃げるように席を立つ。一時避難だ!
屈託ない笑い声が、飛び込んだ台所まで追ってきた。
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ややあって。
円いお盆に、どんぶりをふたつ乗っけて、台所から帰還した。
カツオ出汁の匂いが、ぷんと広がる。
「おお。儂の分もあるのかや」
目を輝かせて喜ばれると、すぐに誇らしくなるのだから、我ながら単純だ。
「まあ、インスタントですけどね」
「いんすたんと」
「即席めんですよ」
「ほうほう」
湯気の立つどんぶりを、いそいそ覗き込んだ目が、ぱちっと開かれた。
意趣返しでもないが、少しは意表を突けたようだ。
「おぬし、これは」
「ん、まあ、せっかく十五夜ですからね。これで代わりってことで」
「くふふ」
きれいに落とせた黄身を見て、笑いあって。
いったい誰のせいで彼女ができないのか――という言葉は呑み込んだ。
いくら初恋が成就しないもの、とはいっても。
相手が、自分より年上の化け狸だなんて、実らなさすぎるだろう。
おしまい。
タイトルは君と黄身をかけた!(堂々と自己説明)
月見そばも、月見うどんも、好きです。
とろろか大根おろしがあれば、尚よし。刻みネギ? 大前提です。
その上、茸や山菜があれば、いうことなし。
狸さんのステータス:
種族スキル:【鼓楽】【変化】【人化】【幻惑】
固有スキル:【鼓舞激励】【千変万化】【五里霧中】【神出鬼没】【不老長寿】