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霧崎舞の自由研究8

 教室のドアの前で恵美ちゃんがたたずむ。ひとつ深い深呼吸をして、私を見た。

「ねえ、止める気はないの」

「ないよ。私、学校に行きたいもの」

「学校に行きたいなんて変わり者よね、舞ちゃんって」

 恵美、そういう気持ちよくわかんないわ。友達とは遊びたいけど、別にそれは学校じゃなくてもいいもの。

 あっけからんとそう言うと、恵美ちゃんはドアを勢いよく開けた。みんなの視線が突き刺さる。恵美ちゃんは急におどおどし始めた。おどおどしながら教壇の前に立つ。

「え、恵美、言わないといけないことが、あります」

 おどおどしながらも、けれど通る声で言われたそれに、クラスのみんながざわめき始める。え、なあに? 恵美ちゃん、何か悪いことしたの? ばっか、恵美ちゃんが悪いことするはずないだろ。

 ざわめきの内容は大体恵美ちゃんに好意的なもので、恵美ちゃんの人気がよくわかる。もしも私が同じ立場だったら、きっとこうはならなかった。たぶんみんな、こんな好意的ではなかったはずだ。私は、友人が少ないから。恵美ちゃんは友達が多いから。恵美ちゃんが再び口を開く。

「恵美、舞ちゃんのを……ううん、やっぱり言えない、恵美、嘘つけないよ!」

「え」

 単音が口から漏れた。いったい、何を言っているのだろう。嘘とは何のことだろう。私が混乱している間にも、恵美ちゃんは口を動かす。

「恵美、舞ちゃんと先生に言われたの。恵美が舞ちゃんのを真似したって言いなさいって。でも、そんな嘘つけないよ。だって、真似したのは舞ちゃんで恵美じゃないもの!」

 そう言い切った恵美ちゃんの目には涙が光っていた。私は唖然とする。演技、なのだろうか。自分を正義にして、私と先生を悪者にするための。少しでも恵美ちゃんを信じた自分が馬鹿に思えて、小さく笑いが漏れた。ああ、恵美ちゃんは私の自由研究を何のためらいもなく盗むような人だったのだ。ここで嘘をつくことにどんなためらいを覚えるだろうか。いや、恵美ちゃんはためらいなんか覚えない。きっと、自分をよくするためなら何でもやる人なのだ。

「加藤さん、何を言って――」

「先生、どうして嘘付けって言うの。嘘をついちゃいけないっていつも言ってるのに!」

 恵美ちゃんの声に、クラスのみんなが口々に言う。嘘はだめなんだよ、ねー。先生、恵美ちゃんに嘘付けって言ったの? 恵美ちゃんかわいそー。霧崎と先生ひどいこと言うのな。

 逃げ出したく、なった。恵美ちゃんの影響力の大きさにくらくらとめまいがする。何が嘘をつけないだ。堂々と嘘をついてるくせに。下唇をかみながら、逃げ出しそうになる足を無理やりに押さえ込む。うそつき、うそつき、うそつき。そんな言葉を恵美ちゃんに吐きたくてしょうがないけれど、我慢する。そんなこと言ったって何にもならないと知っていた。私と恵美ちゃんの二人が罵り合ったって、みんなは恵美ちゃんの味方をするだけだ。よく、知っていた。代わりに、こんな言葉を吐く。

「恵美ちゃん、吸血鬼さんの生まれ育ちを言える?」

「え?」

 私は言える。何も見なくても、空で言える。

「人魚さんの生まれ育ちを言える?」

「……それが、何よ」

「言えないんだ」

 くすりと笑って見せると、恵美ちゃんが私をにらみつける。そんな顔していいのかな。みんな見てるのに。私は不思議と余裕だった。さっきまでの混乱はもうどこにもない。逃げ出しそうになる足の震えも、もう止まった。私が会心の一撃を恵美ちゃんに与えたからかもしれない。今だ、今たたみかけなければ私は明日学校へ行けなくなる。その結果、たとえ恵美ちゃんが学校に来れなくなったとしても、しょうがないことだ。しょうがないことだから、私はたたみかける。

「取材にはいつ行ったの? 時間はどのくらいかかった? 吸血鬼さんや人魚さんに聞いてみるから教えて?」

「う、あ、」

 答えられるはずない。だって、取材になんて行ってないんだから。私のものを写真に撮って丸写しにしただけの自由研究。答えられるものなら答えてみろ、だ。

 クラスのみんなが私の言葉にざわつく。え、恵美ちゃんなんで答えないの。どうして。まさか恵美ちゃん。そこまで来たところで、恵美ちゃんがヒステリックに叫んだ。

「舞ちゃんがみんなをバイシュウしたんでしょ!」

 だから吸血鬼も人魚も郵便屋も、私のことを知らないって言うに決まってる。そう叫んだ恵美ちゃんははあはあと肩を上下させた。そこでがらりと扉のあく音がした。反射的にそちらを見ると、ぐるぐるめがねが見えた。

「言っておきますが、私は買収なんざされてませんぜ、加藤恵美ちゃん」

 ドアにもたれかかりながら郵便屋さんが言う。クラスがさらにざわざわとざわめいた。郵便屋さんだ。郵便屋さん、嘘をつくような悪い人じゃないよね。郵便屋さんが言うってことは、まさか恵美ちゃん。

「違う! 違う違う違う! 私は舞ちゃんの自由研究を真似したりなんかしてない、真似したのは舞ちゃんのほうよ!」

 頭をがりがりとかきむしりながら恵美ちゃんが言う。そこにいつものかわいい恵美ちゃんはどこにもいなかった。クラスのみんながささやく。恵美ちゃん、本当に真似したのかな。一番恵美ちゃんに近いところでそんな言葉をささやいた子に恵美ちゃんがくってかかる。

「だから、違うって言ってるでしょ! 恵美、悪いこと何にもしてないもの! そんなこともわからないの?!」

「ひっ」

 叫ばれた子が息を呑む。その目元には涙がにじんでいた。周りのみんなから、その子を心配する声が上がる。逆に恵美ちゃんのことを心配する声が減っていく。そのことは恵美ちゃんも察したのだろう。深呼吸して自分を落ち着かせているけれど、もう遅い。クラスの空気は、もう恵美ちゃん擁護のほうへとは向いていなかった。あと少しで爆発する気配さえ感じさせる。

「で、加藤恵美ちゃんとやら、そろそろあきらめたらどうです?」

「あきらめるも何も、恵美は真似なんかしてないもの。何をあきらめるって言うの?」

 郵便屋さんがやれやれと首を振る。じゃあ、霧崎さんちのお嬢さんの質問にひとつぐらい答えたらどうです。生まれ育ちぐらい本当に調べてたのなら空で答えるぐらいなんでもないでしょうし、調べた日にちなんて大体なら覚えてるでしょう?

 郵便屋さんがにんまり笑いながらそう言うのを聞いて、恵美ちゃんは恐る恐るといった様子で口を開いた。

「……十三日よ、調べたの」

 え、とクラスの子の一人が声を上げた。その子に注目が集まる。その子は特に恵美ちゃんと仲がいい子だった。その子が、みんなの視線に促されるように口を開く。その日って、私と遊んだ日じゃないかな。みんながざっと音を立てて恵美ちゃんを見る。恵美ちゃんは狼狽した。クラスのみんなが騒ぎ出す。うそつきだ、うそつきだ。恵美ちゃん、こんなうそつくってことは本当に舞ちゃんの自由研究真似したのかな。

「あ、遊んでから取材に行ったのよ」

 恵美ちゃんが狼狽しながら言う。けれど、その子は言う。でも、結構夜遅くまで遊んだよ。恵美ちゃんがすごい形相でその子をにらみつける。もう外面を装うことはあきらめたらしい。クラスのみんなはそんな恵美ちゃんを見て、わーわーと騒ぐ。恵美ちゃんのうそつき。きっと自由研究も舞ちゃんのを真似したんだよ。謝れ、謝れ!

 クラス中から謝れというコールが起こる。恵美ちゃんは目を見開いた。自分が責められる状況になるなんて思ってもみなかったんだろう。謝れ、謝れ。コールは続く。

「っあんたの、せいで……!」

「きゃっ?!」

 恵美ちゃんが私に飛び掛ってきて、私と恵美ちゃんは床に倒れこんだ。恵美ちゃんのとがった爪先が私の目に近づいてきて、私は両手で恵美ちゃんの両手をつかんだ。けれど、恵美ちゃんのほうが力が強くてどんどん爪が目に近づいてくる。とっさに目を閉じると同時に、私の上から恵美ちゃんがどいた。違う、どいたんじゃない。どかされた。目を開けると、そこには子猫をつかむように恵美ちゃんの首根っこをつかんでいる郵便屋さんがいた。恵美ちゃんはめちゃくちゃに手を動かしているけれど、郵便屋さんの手は離れそうにない。「放して、放してよ!」

「残念だが、そういう風にはいかないんですな」

 今まで放心していた先生が言う。なんてことをするんです、加藤さん!

 郵便屋さんが恵美ちゃんを先生に押し付けるようにして渡す。恵美ちゃんはそのまま先生に連行されていった。最後まで、恵美が真似したんじゃない、と叫んでいて、ある意味で見事としか言いようがなかった。クラスのみんなが口々に言う。舞ちゃん、ぱくられるなんてかわいそうに。舞ちゃん、この前は疑ってごめんね。そして、郵便屋さんが言う。

「よく、がんばりましたな」

「……私、がんばれましたか」

「ええ、そりゃもちろん」

 なんだか、涙が出てきそうだった。



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