霧崎舞の自由研究3
翌日、私は電車に乗っていた。電車にして一駅先に海辺がある。その海辺に、人魚さんは住んでいた。
がたごとと揺られながら考える。郵便屋さんは何故年をとらないのか。実は吸血鬼とかどうだろう。けれど、吸血鬼になると流水が駄目になるらしい。私は以前、郵便屋さんが川をひょいと越えているところを見たことがある。流水は駄目になっていないらしい。じゃあ、吸血鬼じゃない。何だろう、吸血鬼以外で不老不死なもの。人魚もそうだけど、人魚は下半身が魚だ。郵便屋さんの下半身はちゃんとした人間のもので、魚じゃない。それじゃあ、何だろう。ほかに何があるだろう。
考えているうちに、電車が止まる。下りて切符を改札機に入れる。無人駅は私のほかには誰もいなくて、静かだった。潮風が私の髪を揺らす。一歩を踏み出すと、もうそこはコンクリートじゃなくて砂利だった。砂利を踏みしめながら歩く。海がきれいだ。エメラルドブルーとやらではないけれど、十分きれいな海だった。下が砂利から砂へと変わる。途中途中にある流木やゴミをよけながら進むと、そこに人魚の家があった。半分海と同化している家だ。
「ごめんください」
ドアらしき部分をノックして、様子を伺う。しばらくしてドアがゆっくりと開く。白い手がドアの隙間から差し出され、私を誘う。
「……失礼します」
ドアから中へ入ると、私は目を見開いた。人の骨があった。理科室においてある骨格標本そっくりだ。骨格標本のほうがそっくりなのかもしれない。
「おどろいた?」
ゆっくりとした声が、部屋の奥から聞こえてきた。目線をやると、そこには美しい人魚がいた。美人とはこういうものなのだと教えるような美人。真珠色の髪と珊瑚色の目。白い手首に美しく輝くうろこ。人魚さんが、そこにいた。
「この人、一体どうしたんですか」
「戦争で死んだのよ、残念だけど肉は腐ってしまったから骨だけおいてあるの」
気だるげな声が言う。戦争。おおよそ七十年前の戦争のことだろうか。私のおばあちゃんが生まれるちょっと前にあったという戦争。だから、わたしのおばあちゃんは戦争をよく知らない。戦争の後のことはよく知っているけれど。
「戦争って、七十年前の」
「そうよ、その戦争でできた死体」
こくりと人魚さんがうなずく。死体。その言葉が私の琴線に触れた。『恋人の死体』。これは人魚さんが持っている死体、つまりはこの骨格標本もどきなのではないだろうか。
あせって聞きそうになるのを自分で押しとどめて、まずは自由研究のことを持ち出すことにした。いきなりこの死体は恋人だったんですか、なんて聞いて機嫌を損ねたらとんだことである。
「あの、自由研究のインタビューをしたいんですけど、大丈夫ですか」
「大丈夫よ。何でも答えてあげる。こんなにもかわいくて小さい子からの質問に答えないやつなんているのかしら」
郵便屋さんとか、と頭の中で答えながら質問をする。質問は大体吸血鬼さんにしたものと同じだ。本当に年をとらないのか、生まれ育ちはどのようなものか。人魚さんは実は年をとるらしい。それでも人間に比べれば極端にゆっくりらしいが。しかも年をとるといってもそれは内臓的な部分だけで、表面的な部分では年をとらないらしい。不老不死に近いらしいが、それでも八百年ほどで寿命が尽きるという話だ。八百年過ぎても生きるものもいるかもしれないという話だったが、同じ人魚に出会ったことがないらしい。何でも母親は人魚さんが生まれてすぐに人間に捕まえられ、父親も姿を消してしまったという。
ある程度聞き終わったところで、郵便屋さんの話を持ち出すことにした。
「郵便屋さんについて何か知っていることってありますか?自由研究、郵便屋さんが年をとらないことについてもやるんです」
「郵便屋……ああ、郵便屋か。私が憎んだ男よ」
「憎んだ?」
思わず鸚鵡返しで聞き返す。憎んだとはどういうことだろう。人魚さんは自嘲するような笑みを浮かべながら言う。
「私の愚かさの象徴よ。見たくもないけど、たまに郵便物を運びにやってくる。職務に忠実なだけのつまらない男」
「……いったい、何があったんですか?」
「私が語ることじゃないわ。郵便屋に直接聞けばいい」
そう言うと、人魚さんは目を伏せた。これ以上語る気はないらしかった。けれど私はおそるおそる言葉を続ける。
「あの、この骨、もしかして人魚さんの恋人だった方ですか?」
「……何で分かったの?」
人魚さんは目をぱちくりさせた後、続けて言った。言っておくけど、恋人だったんじゃない、今も恋人よ。
そう言ってゆび指されたので、私はこくりとうなずいた。そして、ふと気づく。人魚さんには、右手の小指がない。何故だろう。そう思う間もなく、人魚さんが言った。
「ねえ、何で分かったのよ。この骨が、恋人だってこと」
「……郵便屋さんに言われたんです、『恋人の死体』にたどり着けたら、年をとらない理由、教えてあげてやらないこともない、って」
だから、人魚さんの骨が『恋人の死体』なのかなって思ったんです。郵便屋さん、私が人魚さんについて調べること、分かっていたみたいですし。
私がそう言うと、人魚さんは深いため息をついた。深いため息をついて、私を見据えた。
「言っておくけどね、私も若かったのよ。今より愚かだった。だからあんなことをした。今では悪く思ってるわ」
でも一度やってしまったものは取り返しがつかないものね、と人魚さんが言う。私はわけが分からなくて目にはてなが浮かんでいた。一体全体どういうことだろう。考えているうちにひとつの考えが浮かんできた。いや、けど、まさか、ねえ。浮かんできた考えが明確な形を持とうとするのを止める。そもそもその考えが、『恋人の死体』とどう結びつくのか分からないし。私がひとりでぶんぶん首を振っていると、人魚さんが不思議そうな顔をした後、きれいな笑みを浮かべてこう言った。
「それじゃあ、次は郵便屋のところね。がんばってお行きなさい」
背中を押されて、家から出された。あわてて後ろを振り向き、言う。
「郵便屋さんは、あなたの肉を食べたんですか?」
人魚さんは無言で微笑むだけだった。
帰る道すがら考える。『恋人の死体』。人魚さんの肉を食べると不老不死になる。欠けた人魚さんの右の小指。これはつまり、そういうことじゃないんだろうか。いや、でも、まさか。『恋人の死体』との関連性がいまいち分からないし。人魚さんも何も言わなかったし。この考えは没だ。没。
でも、『恋人の死体』にたどり着いたのは事実だ。これでようやく郵便屋さんが何で年をとらないのか理由を聞ける。本当に教えてもらえるかは、微妙だけれど。何せ郵便屋さんはこう言ったのだ。答えを教えて上げてやらんこともないですぜ、と。教えてあげる、と言われたわけではないのだ。
「教えてくれるといいな」
「何が、ですかい?」
びっくりして後ろを振り向く。そこには郵便屋さんがいた。郵便屋さんはにやにやとチェシャ猫のような笑みを浮かべている。私は下唇をかんだ。郵便屋さんと相対すると、いつも馬鹿にされているような気がした。
「郵便屋さん、『恋人の死体』っていうのは人魚さんの恋人の骨のことですね」
「おや、もうそこまでたどり着きましたな。えらいえらい」
てっきりもう少しかかるもんかと、なんて嘯く郵便屋さんを私はきっとにらみつけた。
「馬鹿にしないでください、人魚さんのところに行けば一発で分かるじゃないですか」
「せっかくほめてあげたってのに、ほめ甲斐がないお子様ですな」
また、子ども扱いされた。むっとする心を押し隠して、郵便屋さんを見る。郵便屋さんは相変わらず余裕綽々そうだ。おそらく自分の秘密だろう部分に触れられそうだというのに、いつもと変わらない。余裕ありげに微笑んでは、私の気持ちをかき乱していく。
「それで、調べた結果、どう思いましたかな。私が年をとらない理由」
「……」
私は思わず黙り込んだ。ひとつの考えはある。あるけれど、あっているかは分からない。そんな考えを本人相手に言うのは抵抗があたし、笑い飛ばされたらちょっとしばらく立ち直れない。そんな私を郵便屋さんは鼻で笑った。
「ちっとも分からなかったんですかい、そりゃちと期待はずれだ」
「っ人魚さんの肉を、郵便屋さんは食べたのじゃないですか?」
思わず口から出た言葉に後悔する。こんなの、あってるかも分からないのに言うべきじゃない。笑い飛ばされやしないだろうか、と恐る恐る郵便屋さんの様子を伺うと、郵便屋さんはますます笑みを深めていた。笑い飛ばされてしまうだろうか、しちゃうんだろうな。笑い飛ばされる覚悟を決める。
「正解、ですわ」
「へ」
間抜けな声が口から押し出される。こんな、あっさり。正解してしまっていいものだろうか。もっと、こう、複雑怪奇であるべきじゃないんだろうか。
目をぱちくりさせている私を気にもせずに、郵便屋さんは口を開く。
「何で私が人魚の肉を食べたのかは、分かりましたからな」
無言で首を横に振る。そんなこと、さっぱり分からなかった。『恋人の死体』が関係しているのだろうけれど、どこをどう絡めれば『恋人の死体』が絡んでくるのかが分からない。郵便屋さんがにんまりと微笑む。
「じゃあ、特別に教えてあげましょうかね、がんばって調べたご褒美に」
そして、郵便屋さんの話が始まった。