霧崎舞の自由研究2
バスに乗って吸血鬼さんの館に向かう。バス停を四つ乗り越えた先に、吸血鬼さんの館はある。交通費は自前だ。夢見町の中ならバス代は一律百九十円なのには助かった。お菓子を二個ぐらい我慢すればそれですむ。お母さんはけちだ。娘が自由研究のためにバスに乗ろうとしているのに、交通費も渡してくれないなんて。自分の自由研究なんだから、自分でお金出しなさい、あんた貯金だけは十分にあるんだから。お母さんの言である。
はあ、とひとつため息をつく。私のお菓子が飛んでいってしまった。友達と遊ぶときに一緒にお菓子を買えないみじめさをお母さんは知らないから、あんなこと言うのだ。しばらく友達と遊ぶのはやめておこう。やめておくか、駄菓子を買うようにしよう。
自分で自分を納得させて、もうひとつため息をつく。
「吸血鬼の館前、吸血鬼の館前」
アナウンスが流れて、反射的にぴんぽんと停車ボタンを押す。
「吸血鬼の館前、次止まります」
「おどろおどろしい……」
吸血鬼さんの館はおどろおどろしかった。見るからに吸血鬼の館、という感じだ。屋根のふちにはこうもりが張り付いているし、全体的に鉄っぽいにおいがする。これはまさか血のにおいだろうか。門をくぐることを思わず躊躇する。躊躇して、一歩踏み出した。インターホンに指を押し当てる。ぴんぽーんと、場違いで間抜けな音が鳴った。
少し待ったが返答がない。留守なのだろうか。もう一度インターホンを押す。ぴんぽーんと間抜けな音がもう一回鳴って、ばたばたと誰かが走る音がした。バンと、ドアが開く。誰かが勢いよく飛び出してきた。
「きゃ、きゃ、客人、客人だとぉ?!」
勢いよく飛び出してきた誰かは、私を見ると固まった。固まって、固まって、泣いた。
「え」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼす誰かは、きっと吸血鬼さんなのだろう。吸血鬼のイメージとは、ちょっと違うけれど。ゆらゆらとゆれるわかめみたいな黒髪、今は涙で濡れているがそれでもきらきらと宝石のように輝く青い瞳、ひょろ長い身長。吸血鬼は瞳が赤いものだと勝手に思い込んでいた。反省しなければ。子供みたいに泣きじゃくる吸血鬼さんを前に、現実逃避的にそんなことを考えた。
「わが、我輩は、」
「ん?」
「嫌われてるのに、どうして来てくれたんだ?」
ちらちらとこちらを伺う目線。これ、自由研究だと素直に答えていいのだろうか。嘘をついたほうがいいのではないだろうか。一体どうしようか。悩んでいると、吸血鬼さんの顔色がどんどん青くなっていく。
「ああ、分かった、家を間違えたとか、そういう理由なのだ、ああ、我輩はそんな理由でしか尋ねられない嫌われ者なのだ、死のう」
「自由研究で来させていただきました、霧崎舞です!」
死なないでください、間違いじゃないです。そう私が叫ぶと、吸血鬼さんはうれしそうに顔を紅潮させた。自由研究、我輩を、と聞いてくる吸血鬼さんにうなずく。吸血鬼さんはぱあっと顔を輝かせた。わかりやすい。吸血鬼さんは閉じてしまっていたドアをぎいと開け、私に入るように促してきた。
「入ってくれ、歓迎しよう」
「入っていいんですか?」
「もちろん、客人はいつでも歓迎だ!」
促されて、中に入る。中は意外と鉄くさくなくて、普通の家のにおいがした。落ち着くにおいだ。辺りを見回すと、家の調度品がとても豪華で、貧乏人の私にとっては目もくらむものだった。間違って割ったら、とかは考えたくない。考えただけで背筋に悪寒が走り、視界がくらくらと揺れた。
「ここがリビングだ、思う存分くつろいでくれたまえ」
「はあ、ありがとうございます」
とりあえずお礼を言っておく。お礼を聞いた吸血鬼さんは、何か感極まったかのように天井に顔を向けた。そして何かをぶつぶつとつぶやく。完璧に不審者だ。どうしよう、私、自由研究の対象を間違えたのかもしれなかった。おとなしく七不思議でもやっていればよかったのだ。七不思議に吸血鬼さんは入っていない。だって、吸血鬼さんは吸血鬼ということがはっきりしているのでなにも不思議がないのだ。
「そ、それで、自由研究とは我輩の何を研究したいのだ?」
「あ、えっと、年をとらないことを中心にまとめようと思ってます」
「そうかそうか、年をとらないことを中心に」
何でも聞いてくれていいぞ、と微笑む吸血鬼さんに甘えつつ、途中吸血鬼さんにトマトせんべいをもらって食べながら、いくつか質問をする。吸血鬼は本当に年をとらないのか、とか吸血鬼さんの生まれ育ちとか、いろいろなことを。吸血鬼さんはもう二百年以上生きていて、吸血鬼というのは本当に年をとらないらしい。内臓的にも表面的にも。だから病気になることもないし、死ぬこともないらしい。食事の血液は血色のよさを守るために必要なんだとか。詳しい仕組みも解説してもらったのだがよく分からなかった。大体時間にして三十分から一時間ほどだろうか。時計を見ていないので正確な時間は分からないが。ノートには十分な資料がたまったように思えた。さて、ここで本題だ。いや、今までのも本題なのだから、何と言うべきだろうか。そんなことを思いながら、口を開く。
「吸血鬼さんは、郵便屋さんのことを知っていますか?」
「ああ、知っているぞ。時たま郵便物を運びにやってくる。こんな嫌われ者の我輩でも平然として物を運んでくれるからありがたいと思っている」
「じゃあ、郵便屋さんがどうして年をとらないのか知ってますか?」
「年をとらない……?」
吸血鬼さんが首を傾げたので、私は少しあせる。まずそこの説明からなのだろうか。せっかく話が聞けると思ったのに、無駄足だったのだろうか。いや、吸血鬼さんに取材できたのだから決して無駄足ではないのだけれど。
「ああ、そういえばあやつも年をとっていないな」
「ええ、そうなんです。何で年をとらないのかとか……」
「いや、申し訳ないが分からんな。そういうことなら人魚のほうに聞いたほうがいい」
私は首をかしげた。人魚さんにですか、と問いかけると、吸血鬼さんは重々しくうなずいた。どうして人魚さんに聞けというのだろう。丁度次に行こうと思っていたところだったから都合はいいけれど。
「人魚はその肉を与えることで相手を不老不死にすることができるからな。そういうことには詳しいのではないか?」
「そうなんですか?」
私の問いに、吸血鬼さんは、たぶんな、と答えた。たぶん。それでも道しるべができただけでありがたい。
「自由研究の取材に答えてくださって、ありがとうございました、吸血鬼さん」
「いや、こちらこそ久しぶりに人と話せて楽しかった。ぜひまた来てくれ」
トマトせんべいをまたご馳走しよう、と吸血鬼さんが笑うので、私も笑い返す。郵便屋さんが年をとらないなぞはまだ解明できないけれど、少しは近づいたはずだ。
「……あ、そういえば、『恋人の死体』って聞いて何か思い当たることはありますか?郵便屋さんからのヒントなんですけど」
「『恋人の死体』?」
吸血鬼さんが考え込む。少し考えて、何も思いつかない、と首を振った。そうですか、と私はうなずき吸血鬼さんの館を後にしたのだった。
「あ、舞ちゃん。今帰るところ?」
「恵美ちゃん」
加藤恵美ちゃん。私の出席番号のひとつ前。とてもかわいい子で、クラスのアイドル的存在だ。普段の様子が男子に媚を売っているみたいで、私はあまり好きじゃない。かわいい子に妬いてるんだろと言われれば、それまでなんだけど。男子に媚を売るのもひとつの生き方なんだと思うし。
「舞ちゃん、自由研究なんにするかもう決めた?」
「うん、年をとらない人を調べようかと思ってるの」
「年をとらない人?」
恵美ちゃんが首を傾げたので、私は指折り数えて教える。吸血鬼さんに、人魚さん、それに郵便屋さん。
「みんなに取材するの?」
「うん、今のところ郵便屋さんと吸血鬼さんに取材したんだ」
郵便屋さんはちょっとうまくいかなかったけど、と言葉を濁す。恵美ちゃんがにっこりかわいい笑みを浮かべて言った。
「ねえ、できあがったら恵美に見せて」
「え?」
「恵美、まだできてないから参考にしたいんだ。だめ、かな」
こちらをかわいらしくのぞきこんできた恵美ちゃんに、いいよ、とうなずく。そうすれば、恵美ちゃんは楽しげに微笑んだ。こういう人付き合いも大切だって、お母さん言ってたし。
「じゃあ、これ恵美の電話番号ね。完成したら教えて」
恵美ちゃんがバッグからかわいらしいメモ帳を取り出し、さらさらと十一桁の数字を書いていく。連絡網があるから大丈夫だとは思ったけど、言わなかった。せっかく書いてくれるんだし、言わないほうがいいだろう。恵美ちゃんから切り離されたメモ用紙を受け取り、ポケットの中にしまいこむ。
「じゃあ、またね、舞ちゃん」
「うん、またね、恵美ちゃん」
片手を振ってさようならをする。夕暮れに包まれていく恵美ちゃんを見ながら、思う。
「かわいい子は何をやってもかわいいんだなあ」
いちいちの仕草がかわいい。もしも私がかわいかったら、郵便屋さんを怒らせないですんだだろうか。かわいいは正義、ってお兄ちゃんも言っていたし。恵美ちゃんはかわいい子。私はかわいくない子。久しぶりにそんな現実に触れた日だった。