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革命前夜  作者: 卯月 朔
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Ⅰ. 私の主人は困ったお方

「つまらん。くだらん。退屈だ。――シエリカ」

「……ハイハイ……」

「なんだその面倒そうな返事は殺すぞ。貴様、ちょっと行って、いますぐあそこの主役を消してこい。やり方は任せるが面白くやれ。わかったな?」


 ほんの先日こけら落としをすませたばかりの王立歌劇場。

 最上級の貴賓席。

 猫足の豪奢な椅子にふんぞり返ったまま繰りだされる暴言に、そのかたわらに控えるシエリカはげっそり肩を落とした。面倒そうにするな、と叱責をもらったばかりではあるものの、ふっくらしたビロード張りの椅子に大義げに座っている相手の発言は、シエリカにとってつねに面倒そのものでしかないのである。


「起きぬけにオレに紅茶をひっかぶせて、観劇に連れて行けっつったのはどこのどいつだよ……しかも、お忍びでこっそり、だけど舞台が正面に見える個室でなきゃイヤだとかなんだとか、でたらめな注文つけやがって……まだはじまったばかりだろうが、黙って観てろ」

「下僕風情がこの私に指図するのか? 主人のささやかな願いを叶える程度、そもそも私みずから口にするまでもなく察して配慮しておくことが犬畜生のつとめだというのに、それをいちいち恩に着せるとはいい度胸じゃないか。偉くなったものだ。よろしい、次からは今日の十倍熱い茶を淹れておくように」

「――ふざけんなてめぇ!? 見ろよこれ今朝のやけどをっ!」

「なんだ、その程度ではもの足りないのなら、満足いくまで充分にいたぶってやらないでもないぞ? ここで。貴様は愚かにもこの劣悪な三文芝居をおとなしく観ていろと抜かすし、暇つぶしくらいしていなければ身がもたん」

「身がもたねえのはこっちだっつってんだよ! 落ちつきのねえガキかてめぇはっ」


 楽隊が喧騒をあらわす賑やかな曲を奏でるなか、シエリカは噛みつくように怒鳴り散らすと、目のまえにある椅子の背を全力で蹴りつけた。むだに広い貴賓席のこと、物音などたいして響きもしない。それでも相当の衝撃が椅子から伝わったはずである。

 けれど、シエリカの横暴な主人は頬杖をついて気だるげなまま、何食わぬ顔で舞台を観るでもなく眺めている。劇場を訪れた時の機嫌の良さがうそのようだ。

 あまりの無反応ぶりにしばらくふて腐れたあと、シエリカはしぶしぶ訊ねる。


「なにがそんなに気に入らねえよ?」

「なにもかもすべてだ」


 いまにもあくびを噛みそうな様子とは裏腹に、不機嫌な声音で即答だった。

 シエリカはうんざりしつつ、ちらりと舞台に目を向ける。

 演目は昨今流行りの戯曲家が書いたとかいう悲喜劇だ。歌劇の良し悪しなどわかりもしないシエリカでさえ、本筋がどれほどの不幸つづきでも、最後には明るく幕を閉じる――悲喜劇と呼ばれるそれが、頭の悪くなるような話だということは知っていた。すくなくともシエリカの好みではない。先刻とは打って変わった物悲しい曲を背景に、名の売れた主役は照明を一身に浴びて舞台の真ん中にくずおれながら、運命を呪う長口上をせつせつと歌っている。

 まるでありがたくもない恨み節だが、それでも高い見料を払っているのだから聞いておくべきかと思うシエリカは、おそらく貧乏性なのだ。

 とはいえ――。


「ありふれた挫折ひとつにばかばかしい。己が低能さをひけらかして何になる、滑稽すぎて吐き気がしそうだ」


 ふん、と子供っぽく鼻息を荒げて言い募られる悪態に、よくもまあ、とのんきに呆れていられるほどシエリカの気も長くはないのだった。むちゃな要求を叶えるべく段取りに駆けずり回った後であればなおさらである。


「――あーもうわかったっ、わかったよ! 帰るぞ!」


 それらしく束ねていた髪を乱暴に掻き乱してシエリカはきびすを返す。

 そのまま貴賓席を出ていこうと足を踏み出すより早く、下方から伸びてきた手に後ろ襟をつかまえられた。そのまま強引に引き戻され、襟が締まり、シエリカはうめく。


「ぐえっ」

「うるさい黙れ。騒がしい犬め」


 力任せに引き寄せられたかと思えば、今度は悪態とともに突き飛ばすように襟首をはなされる。

 さすがのシエリカもこの乱暴さには態勢を保ちきれずに膝をついた。咳き込みながら顔を上げれば、芝居がはじまってからは絵に描いたように不機嫌極まっていた主人と視線がかちあう。道端に転がる珍しいかたちの石くれでも眺めているような、笑い含みのいやな目だ。

 冷えた手で背筋を撫であげられるような不愉快さにシエリカが顔をしかめれば、それだけで愉しげに笑ってくれるのだから性質が悪い。


「いいざまじゃないかシエリカ……貴様のごとき劣等種は、そうして私の足元に這いつくばっていればいいものを。主人をおいて帰ろうなど気が触れたとしか思えんな。下僕が」

「気に入らねえ芝居の席になんざ、長居しなくていいだろうが」

「なんだ? 一人前に口ごたえか? おとなしく観ていろと言ったのは貴様だろう? ものも覚えていられないとは憐れなことだ。この私が、幕が下りるまでおとなしく居てやろうというのだから、ありがたく思うがいい」

「――呪われろ! おとなしくってのはてめぇの口だっ!」


 顎を掬いあげようとする革靴のつま先をぞんざいにはらい落し、シエリカは立ちあがる。

 くつくつと喉の奥を鳴らす不愉快な笑い声に眉間をけわしくしながら、服によったしわを整え、ふたたび椅子のわきに控えるよう立ち位置をかえた。面白いのか面白くないのかもわからない芝居を見せられ、えんえんと悪口に付き合わされるなど拷問というほかない。けれど、主人がこう言い出したら梃子でも動かないのは骨身にしみてわかっている。

 かくなる上は、なにかの手違いでもいい、一刻も早く幕が下りるのを祈るばかりだとシエリカが腹をくくったその時。


「なにをぼさっと突っ立っている、シエリカ? 使えん犬など虫けらにも劣るぞ」


 我知らず鼻筋に皺がよる。

 振り向きもしない相手の横顔をきつく睨めつけながら、聞く者が聞けば恐れおののいて息の根までとまりそうな低い声音でシエリカは言う。


「……オレが出ていこうとしたら、てめぇが、ここにいろとか言って、引きとめたろうが」

「貴様の頭蓋には藁かへどろでも詰まっているのか? 記憶ちがいもはなはだしい」


 ふん、と鼻先で一蹴され、シエリカはますます形相を険しくして。


「あァ?」

「たしかに貴様を留め置きはした。したが、ここにいろとは言っていない。私をおいて帰るつもりか気の触れた馬鹿めがと言ったのだ」

「馬鹿めがは初耳だぜ」

「自分のもの忘れを棚上げするなよ? 私はたしかに言ったはずだ――あの主役を消してこい、と」


 その言葉の意味を。

 とりちがえるシエリカではない。

 一瞬で表情を消し去ると、シエリカはわずかに目を細くした。衝撃にも似た唐突さで楽隊が華やかな旋律を響き渡らせる。一体どれほどの幸福に巡り当たったのか、いまこの瞬間に世界が滅びようとて悔いはないと主役が歌う。

 視線の先に捉えたままの横顔に、もはや笑みなど浮かんでいない。

 大仰な椅子に座る主人はいつもとおなじ、機嫌の悪いこどものような仏頂面で、淡々と舞台を見下ろすばかりだ。


「やり方は任せる。しかし、面白くだ」

「……ハイハイ……」


 ぞんざいな言い草に嘆息しつつシエリカは背を向ける。

 音もなく歩き出したところで追いかけてきた声音も、ひどく素っ気なかった。


「つまらなければ殺すぞ?」


 そう言いながら振り向きもせず、視線もくれず、いまにも寝入りそうにして椅子に腰かけているだろう主人の姿を思い描きながら、シエリカは貴賓席の扉の前に垂れた重厚なカーテンに手を伸ばす。おめでたい音楽がやかましく聞こえていた。上等なのだと言わんばかりにどっしりと垂れさがる、食えもしない布切れを払いのけるのが面倒だ。

 面倒で面倒でしかたない。

 それでもシエリカはため息ひとつでそれに応じた。

 振り向きもせず、視線もくれず。




「おおせのままに――暴君」




 その、一言がすべて。




     ***




 国庫から巨額の費用を投じて造られた王立歌劇場は、新年の祝いどころか節句の祭りすら迎えることなく、上演中の舞台で主役が変死を遂げるという凄惨な幕引きでもって、こけら落としからひと月足らずで取り壊されることになった。

 劇場の支配人はこの責を問われてただちに処刑。劇団は舞台を汚した罪ですべての興行権を剥奪され、団員は路頭に迷い、主役の死にざまを目の当たりにした彼らや観客のなかには、数日のうちに発狂する者もいたという。

 その半年後――王命により、新たな劇場の建設がはじまった。

 先だっての悲劇の厄落としを名目に、侵略と搾取によって蓄えられた莫大な富を惜しげもなくつぎ込んで、先に打ち壊されたものよりもさらに大きく壮麗な劇場に仕上げるそうだ。古今東西類を見ない、素晴らしい建築になるだろうと、だれもが口々に賛美している。




 ――力なき民衆は見るがいい! あれこそ偉大なる暴君の夢!

  我らが果てなき嘆きの姿である!






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