さいのうとはなんだったのか?
ジンが国王と戦ってリサに医務室送りにされた後、白い大理石で覆われた王女の部屋では、はしゃぎ回っていた王女と護衛がわがままな子供と一緒に戻ってお茶を飲んでいた。
三人で談話しているその後ろでは、王女の専属のメイドが窓からの風に長い茶髪を優雅にたなびかせながら、午後のティータイムの準備をしている。
「ねえ、にーさま。昔、この国が魔物に乗っ取られたことがあるの知ってる~?」
そんな中、エルフィーナが話題の転換にそんな質問をレオに持ちかけた。
それを聞いて、レオはその話を思い出そうとするかのように、銀髪の頭に手をやった。
「あ~、そういや親父からそんな話を聞いたことがあるな。たしか国民全員が国外退去する中、顔も名前も知られていない英雄が一人で国を取り戻して、そのまま居なくなったんだったか?」
「そーそー。でね、その英雄さんはね、『轟覇龍』って呼ばれてたんだって」
「また大層な名前が付いてたもんだな。んな名前が付くぐらいなら、よっぽど強いんだろうよ」
「それでね、私調べたんだ。その『轟覇龍』さん、エル・バルカ・アウストリアって人だったみたいなんだー。何処から来て何処に行ったのかは全然分からなかったけど、しばらくこの国の王様になって急に居なくなっちゃったみたいなんだって」
琥珀色の眼をキラキラと輝かせながら、エルフィーナは楽しそうに口にする。
どうやら彼女にとってお気に入りの英雄らしく、そのことを話せるのが嬉しいようであった。
それに対して、レオも何か思い出すような仕草で口を開いた。
「『轟覇龍』エル・バルカ・アウストリアか……ああ、そうだ。俺も似たような英雄の話知ってるぞ」
「え~? ジェニファーのことじゃないの~?」
レオの言葉に、エルフィーナはコクリと首をかしげた。
それを受けて、レオは苦笑いを浮かべて話を続けた。
「ジンのことじゃねえよ。俺が知っているのはその親父、ジル・マクラーレンの話だ」
「どんな人だったの?」
エルフィーナの表情が、一気に明るくなる。
レオが今から話そうとしているのは、自分が名前だけしか知らない英雄の生の姿であるからだ。
「うちの親父の喧嘩仲間だったんだけどな。元々は『国呑み』退治で名を上げた、名うてのドラゴンハンターだったんだ。俺も宿をやっててよくその話を聞いたもんだ。ま、普段はうちの親父と仲良く殴り合ってダブルK.O.だったんだけどな」
「……それ、むしろレオにーさまのおとーさんの方が気になるなー」
ケラケラと笑いながら話をするレオに、エルフィーナは少し唖然とした表情でそう口にした。
『国呑み』と名前が付くような強大な竜を倒した英雄の話をしているのに、その英雄と互角に喧嘩していたと言うレオの父親のインパクトの方が強かったようであった。当然である。
その横で、今まで話を聞いていた銀髪の幼い少女が得意げな様子で口を開いた。
「我も知っているぞ。例えばだな……」
「テメエが知ってるのは昔過ぎてわからねえよ」
「ふふ~ん、ところがそうでもないぞ? 最近なら、山崩しの鬼ロウ・アッカム、神に最も近い男アルド・ニーノ・フレンツェン、女郎蜘蛛クローゼ・アルヌー、修羅と互角の夜叉ヴェラード・シュターゼン、選定のメイド・クレイン姉妹とかな!」
アーリアルはどうだとばかりに胸を張りながら英雄の名前を挙げていく。
すると、その中の一つに心当たりがあったのか、エルフィーナの眼がキラリと光った。
「あ~、クレイン姉妹って知ってる~」
「お、どんな奴なんだ?」
意外そうな表情で、レオはエルフィーナのほうを見やる。
アーリアルが本当につい最近の英雄の話が出来ると言うのが心底意外だったのだ。
そんなレオに、エルフィーナはとても嬉しそうな表情で答えを返した。
「後ろにいるメイドさんだよ~。ね、ソーラ?」
「はい。姫様」
エルフィーナの言葉に、紅茶の用意をしていたメイドがそう言って答える。
それを聞いて、レオは少し呆然とした様子で眼を瞬かせた。
「……マジで?」
「申し遅れました、ソレイユ・エリーザベト・クレインと申します。私達クレイン一族には相手の本質を感じ取る力があり、認めた相手に仕えることを至上とするのです。私達は仕えるべき主人を探し、世界を放浪していたのです。私はこのモントバン国王グレゴリオ・ライオット・モントバン様とそのご息女であられるエルフィーナ・フラン・モントバン様に仕えることを誓ったのです」
深く澄んだ瑠璃色の瞳でレオを見つめながら、ソレイユは柔らかな物腰でそう口にした。
その動作はとても優雅なものであり、自らが仕える主人が何処に出しても恥ずかしくないと言えるほど洗練されたものであった。
「ソーラは槍の名手なんだよ~。ここの親衛隊長さんの誰よりも強いんだよ~」
「こんな綺麗な姉ちゃんがねぇ。人は見かけによらねえもんだな。姉妹揃って槍の名手か?」
自慢げに話すエルフィーナに、レオはそう言いながらソレイユを眺める。
ソレイユは美しい外見をしており、それは人形のような冷たい美しさではなく、人間味を帯びた温かく親しみやすさを感じられるようなもの。例えるのであれば、近所に住む美人のお姉さんと言った感覚を、レオは彼女から感じ取った。
そんな彼の質問に、ソレイユは小さく首を横に振った。
「いいえ。次女のセレーネは鞭を、三女のエストレラは拳法の使い手です。二人とも、仕える主人をまだ探しているようです」
「そっか。早く見つかると良いな」
「はい。本当なら、今すぐにでもどちらか呼び出したいものですわ」
ソレイユはそう言って笑みを浮かべる。
その柔らかい笑みに、レオも思わず笑みを浮かべながら頷いた。
「あー、国王陛下にフィーナちゃんだしな。二人までなら何とかなるか」
「いえいえ、貴方に仕えさせるんですよ、レオ様」
「……あい?」
突然打ち込まれた核弾頭に、紅茶を飲もうとしていたレオの手が思わず止まる。
その発言の意味をレオが整理する前に、エルフィーナが驚いたように声をあげた。
「おお~っ! てことは、レオにーさまは王様になれるんだ?」
「その通りです。むしろ、元は王族だった、と言われてもすぐに信じられるくらいの資質はありますよ」
エルフィーナの言葉に、ソレイユは上品に笑いながらレオを見やった。
その的外れとも思える一言を聞いて、レオは手にしたカップの紅茶が波立つほどに震えだした。
「おいおいおい、いくらなんでもそりゃ言い過ぎだっつーの。高々安宿の主が、いきなり王になる素質があるって言われてもな」
「仮に貴方が手を振れば、貴方の安宿の常連客は団結して貴方の指示に従うでしょう。国も文化も身分も、種族すら違うかも知れない面々を一致団結させる。これを資質と言わずして何と言うでしょう?」
「ほう、確かに納得のいく話だ。どんな暴れん坊も、確かにレオの話にはよく従っていた。もっとも、レオがそ奴を力でねじ伏せることも出来たと言うのもあるが」
ソレイユの言葉に、横で聞いていたアーリアルも納得した様子で頷いた。
何故なら、レオの宿の客は決して真っ当な冒険者だけではなく、少しのことで狼藉を働くようなごろつきまで、様々なものが居たのだ。
しかし、その者達もレオの安宿の中では盗難事件等何一つなく、それどころか緊急事態には本当に一致団結して物事に当たることが出来ていたのだ。
それは、アーリアルを持ってしても、才覚と呼んで差し支えないものであった。
「待て待て、俺は政治のことなんてさっぱりだぜ?」
それを聞いて、レオは自分の気持ちを抑えるべく大時化の海のようになっている紅茶を飲んだ。
自分が認めた相手にしか仕えようとしないソレイユ一族の一人が、自分に姉妹を仕えさせたいと言っている。その余りに突拍子もなく、洒落にならないほど重大な事態は、レオの頭を混乱させるには十分すぎたのだ。
しかしそんなレオに対して、ソレイユは更に言葉を重ねた。
「それならば、分かる人を連れてくれば良いだけの話です。そうですね、以前の話の中に出てきたゼフィールさんとかどうでしょう?」
「いや、奴はダメだ。あいつよく奢りまくって財布を空にして身包みはがされてる。ついこの間も二十年は遊んで暮らせるほどの金を、どこかの村で全住民と大宴会をして一週間で使い果たしたそうだ。奴が宿をやったら、評判は良いだろうがあっという間に赤字で破産だな」
「……よく家出して無事でしたね……」
ゼフィールと呼ばれた貴族の話を聞いて、ソレイユは唖然とした表情を浮かべた。
全くの善意で行われる、破産を招きかねない彼がしたと言う行為は、常識では考えられないものであった。
「いや、あいつ喧嘩は強いんだよ。剣も魔法も俺が知ってる中じゃ上等だ。現に、ゼフィールが有名なのは貴族としてよりも冒険者としての方だからな」
しかし、そんな彼女の言葉にレオは困ったような、それで居て誇らしげな表情を浮かべた。
その表情は、人助けのために馬鹿をやる子供を見守る親のようなものであった。
「でもでも、にーさまの方が強いんでしょ~?」
「当然だ。レオがあれくらいの相手に負けることなどまず無いわ!」
そんな彼に、エルフィーナは少し焦った様子で更に質問を重ね、アーリアルは即座にその言葉に同意した。
その言葉の裏にあるのは、ちょっとした対抗心。二人は自分の大好きな相手であるレオが、何処ぞの誰かとも知れない相手に負けているかもしれないと言うのを、認めたくないようであった。
そんな二人の様子を見て、レオは笑いをかみ殺しながらそれに答えた。
「そりゃそうだがな、俺はあいつほど頭は良くねえんだよ。流石に貴族なだけあって、学は深いからな。あいつは一見常にすってんてんの馬鹿に見えるけど、その内側では色んなことを考えているんだろうよ。じゃねえと、そもそもあんな大豪遊するほどの金を何度でも稼げねえ。あいつは浪費癖も凄いが、それ以上に稼ぎの天才だと思うぜ。もっとも、商売には致命的に向かねえけどな」
「……そうですか」
レオはゼフィールに関して自分の思うところを述べる。
それを聞いて、ソレイユはスッと眼を細めた。彼女はレオに感心していたのだ。
レオのしたこと自体は、自分の周囲の人物の話をしただけである。しかし、その人物は自分の宿の常連客である。
宿の常連客といっても、近所から遊びに来ているもので無い限りは数ヶ月単位でしか会わないものであるはずなのだ。レオの年齢を考えるならば、ゼフィールは多くても精々十数回程度しかあっていない相手、しかも冒険者である彼は数ヶ月単位で間が空く客である。他に大勢客が来たであろう宿の主ならば、精々金払いの良い客で止まってしまいそうなものであるのだ。
ところが、レオはそのゼフィールのことを良く見て、良く調べていた。そして、完璧にその心を掴んでいた。
ソレイユには、それこそがレオの才能の一つに思えたのであった。
「やっぱり、そのゼフィール様に色々させてみては如何でしょうか? もし彼の浪費癖が出てきたとしても、貴方にはまず間違いなくそのお方を律することが出来るはずです」
「だから、そもそも王様になんてなる気はねえっての」
「むぅ、勿体無いですね。その才能、そうそう誰にでもあるものではありませんのに……」
取りつく島もない様子のレオに、ソレイユは心底残念そうに頬を膨らませた。
ソレイユからしてみれば、レオの才能は領主ならば喉から手が出るほど欲しいものである。その才能を持つ彼が、その気が無いと言うのが非常にもったいないと思っているのだった。
その話題から逃げるように、レオは新しい話題をソレイユに振ることにした。
「それにしても、ソレイユちゃん結構しゃべる子だったんだな? 今までずっと黙って立っているだけだったけど」
「ええ。おしゃべりは大好きですけど、それが使用人のルールですから。話しかけられれば、それにお答えするだけです。それとも、おしゃべりな女は嫌いですか?」
「んなことはねえよ。こっちとしても大歓迎だ。どうだい、今夜ちっと遊びに行くか?」
おどけてみせるソレイユに、レオは軽い気持ちでそう声を掛ける。
この城に入ってメイド達に片っ端から声を掛けていたレオであったが、流石に王女専属のメイドにまで手を出すことは考えていなかったようである。
「あら、宜しいんですか? 言っておきますけど、貴方がその気なら私は絶対に逃がしませんよ?」
しかしその瞬間、ソレイユはにやりと笑ってレオを見つめだした。
彼女は明らかに目の色が変わっており、優雅で柔らかなものから目の前に極上の餌を置かれた肉食動物のようなギラギラしたものになっていた。
そのあまりにも予想外な相手の切り返しに、レオの動きがピタリと止まった。
「あ、あら?」
「いえ、むしろ私に興味があるのなら頂いてしまいましょうか……こんな相手、滅多に見つかりませんし……」
「あの~、ソレイユちゃん?」
熱のこもった視線は困惑するレオに狙いを定めたまま、ソレイユはゆっくりとレオに近づいていく。
その歩みは音もなく静かににじり寄るもの。それはまるで、獲物に狙いを定めるネコ科の肉食動物を連想させるものであった。
「こらぁ! 貴様レオに対して何をむぐぅ!?」
「あーたん、ちょっと黙っててね」
そのソレイユに一言物申そうとするアーリアルの口を、エルフィーナはふさぎに掛かる。
エルフィーナとしては、そのまま話を進めたほうが面白いと思っているようである。
一方そのその元凶となっているメイドは、レオの隣に立ってその顔を彼の目の前に近づけた。
「レオ様、今恋人はいらっしゃいますか?」
「い、いないけど……」
「イエス! 第一関門クリアです! 時にレオ様、今お幾つですか?」
「え……二十五だけど?」
「その若さにしてその才覚……前途は輝いてます! ちなみに私は二十一歳です! 彼氏居ません!」
レオが質問に答えるたびにガッツポーズなどをして次の質問をするソレイユ。
どうにも何か妙なスイッチが入っているようで、先程までの優雅さがどこかへと飛んでいってしまっている。
「……どうなってるの……」
「ごめんな~、にーさま。ソーラ、時々良く分かんなくなるんだ~」
その場でくるくると踊りだしたゴーイングマイウェイなソレイユにレオが愕然としていると、エルフィーナが隣からそう言いながら彼の頭を撫でた。
どうやらこのような状態になったのは初めてではないらしく、普段からテンションが上がるとこのように舞い上がってしまうようであった。
それを聞いて、レオは乾いた笑みを浮かべながら頬をかいた。
「あ~、ちょっと残念な子なのね」
「残念にも程があるだろう……」
「お前が言うな」
「な、どういうことだレオ!?」
ノータイムでばっさりと切り捨てられ、アーリアルはレオに食って掛かる。
そりゃあそうである。何しろ、世界で広く信仰されている宗教の主神が、まるでそこいらの幼児とまるで変わらない言動をしているのだから。
「レオ様! 一つお手合わせ願えますか!」
突如として、踊っていたソレイユがそう言いながらビシッとレオを指差した。
その姿は、残念すぎるほどに最高にハイな状態で決まっていた。
「……いきなり何なのよ、ホント」
レオの首が、かっくんと下に落ちる。
話がそのまま星になりそうなほど自分の想像の斜め上にかっ飛んでいるため、考えることを諦めかけているのだ。
そんなレオに、ソレイユは一気に突撃を仕掛けた。
「貴方の強さ、この身で確かめさせてください!」
「いや、顔近けーって!」
若干息の荒いソレイユにレオは思わず身を引くが、彼女は引いた分だけ距離を詰め、更に逃げられないように相手の肩をがっしりと両手で掴んだ。その距離たるや、吐息が掛かるどころか鼻が触れ合うような距離にまで詰まっていた。
なお、レオはとうの昔にドン引きしている。
そんなレオの袖を、エルフィーナがくいくいと引っ張った。
「レオにーさま、私もにーさまがどれくらい強いのか見たいぞ~?」
「ふん、見るまでもないわ! レオの勝ちに決まっておる!」
エルフィーナの言葉に、アーリアルは詰まらなさそうにそっぽを向く。
そんな彼女の様子を見て、エルフィーナはこてんと首を傾げた。
「んじゃ~見ないの~?」
「それとこれとは話が違うわ、戯け!」
銀の髪を振り乱し、ものすごい勢いで振り返ってエルフィーナを見やるアーリアル。
どうやら勝敗の行方がどうこうではなく、単純に戦っているレオが見たいだけのようであった。
その一方で、レオは大きくため息を吐きながらソレイユに向き直った。
「あーっと、ソレイユちゃん? 俺がどれくらいの強さかは聞いたことある?」
「はい! SSSクラスを一発クリアでしたね! 私はSランクです!」
近すぎる彼女の顔を軽く押しのけながらレオが喋ると、ソレイユはその手を払って再び顔を近づけながら笑顔でそう言い放つ。
レオの口から次に出てきたのは、超ブルーなため息であった。
「知ってて来るのかよ……しゃあない。んじゃ、闘技場に行くぜ」
「やった♪ それじゃあ、準備してきますね♪」
「……はぁ……」
パタパタと小走りで部屋から出て行く優雅だったメイドを見て、レオは数年分のため息を吐くのであった。
* * *
場所は変わって、石造りの闘技場へとレオ達はやってきていた。
いつもの普段着に黒鉄色の上半身だけのプレートメイルであるブリガンダインに身を包んだレオは、その中心で愛用のハルバードを地面に突き刺して杖代わりにして立っている。
「レオにーさま、あんな格好で大丈夫なのかなぁ?」
そんなレオを見て、エルフィーナは不思議そうにそう口にした。
ブリガンダイン自体は、騎馬に乗らない一般歩兵や軽装備を好む騎士などに使われている一般的なものである。
しかし、それは鎖帷子を下に着込んだ上での補助的な意味合いでつける事のほうが多いのだ。
一撃で死ぬことはないであろうが、戦闘に必要な両手足の保護がほぼ無い状態。それが、今のレオの状態であった。
「こらぁ! 貴様、何で我を抱っこしてるのだぁ!」
そんなレオのことよりも、お姫様に何故か抱っこされている事のほうがアーリアルは気に掛かるようである。
腕の中でジタバタと暴れる彼女を、エルフィーナは逃げられないようにぎゅっと抱きしめた。
「だって、にーさまいつもあーたんを抱っこしてるもん。だから、私も真似しようかなぁって」
「そんな理由で我にこんなことするでない! 放さんかぁ!」
ぬいぐるみを抱きしめているようなエルフィーナと、捕まって腕の中で暴れまわる野良猫のようなアーリアル。
観客席は、たった二人の観客のために随分と騒がしくなっていた。
そんな中、レオの対戦相手が軽やかに駆け足で城内へとやってきた。
「お待たせしました!」
走ってきたソレイユの格好は、いつもの黒いメイド服のエプロンを外し、代わりに胸当てをつけたもの。
しかし、そのメイド服の揺れは重々しい。その様子から、メイド服の中には身を守るための鎖が縫いこまれているであろうことが見て取れた。
そして手にしているのはパルチザンと言う二メートルほどのショートスピア。突くことに特化していながら斬撃も放てる機能性のあるものであり、その穂先には幾度かの修羅場をくぐってきた形跡が見受けられた。
レオがぼんやりとそれを眺めていると、対するソレイユは余りに軽装な彼に驚いた表情を見せた。
「あ、あの、レオ様? 本気でその格好でやるんですか?」
「おう。ま、この格好でやるのも訳ありよ」
「その方が動きやすいからですか?」
「誰がそんなことペラペラ喋るかい。それを考えるのも、戦いだろ?」
ソレイユの質問に、レオは裏を臭わせるようにそう答えた。
それを聞いて、ソレイユは意外そうに眼を瞬かせた。
「冒険は初心者と聞きましたが……心理戦もするんですね」
「当たり前よ。龍退治の英雄とタイマン張って相打ちになる奴が親父なんだぜ? その親父が、喧嘩が下手な訳がねえだろ」
ソレイユの一言にも、レオは素っ気なくそう答える。
実際にレオに戦いを教えていたのは、英雄であるジンの父親と互角に戦える父親だったのだ。
それ故に、レオからはその父親から教わっていたことに絶対の自信を持っているのだ。
そんな構えることすらしようとしないレオに、ソレイユは楽しそうに笑った。
「では、始めさせていただきます!」
「おうよ。さあ、掛かって来い!」
ソレイユが号令をかけると同時に駆け出し、レオはそれを待ち受ける。
ソレイユの速度はその華奢な見た目からは想像できないほどに早く、ジャラリと重々しい音を立てるスカートが風にはためくほどであった。
一方レオはと言えば身構えることもなくだらりと腕を下げ、ハルバードの斧の刃が地に着いた状態で待ち受けている。
「はぁっ!」
ソレイユは手にした槍を勢い良く正面に突き出した。狙いどころは、レオの喉元。
風を裂く音を立てるその一撃は無構えになっているレオにとっては左右に避けるしかないものであり、パルチザンを使っているソレイユにとっては横に薙ぐことで首狙いの一撃を追い撃てるものであった。
「……っ!?」
しかし攻撃を仕掛けたソレイユの槍の穂先が、固い感触と共にピタリと止まる。
その先には、レオの持つハルバードの先端部分があった。先端同士は真っ直ぐ直線上で触れ合う位置にあり、このまま攻め込んでも有効打になりそうもない。
しかし、彼女を困惑させたのはそれだけではなかった。重量のあるハルバードで自らの槍を正確に止めるような精密動作を、レオが左手一本で容易く行っていたからなのであった。
「……何という、怪力……ミノタウロスか何かですか、貴方は」
「こん位で驚いてどうするんだ? 仮にも、世界最強の英雄の仲間だぜ? 多少の常識はずれは当たり前だろ?」
「異常という自覚はあるんですね?」
「おうよ。卒業試験のときに、散々それを叩き込まれたぜ」
息を呑むソレイユに、レオは苦笑いを浮かべてそう答えた。
レオからしてみればジンの他にもリサやユウナと言う規格外が身近に居るので実感は薄いのだが、やはり周りと比べるとどうしても認めざるを得ないのだ。
その様子を見て、ソレイユは小さく息を吐いた。
「なら、それなりの戦いをするまでです!」
「おっ!?」
ソレイユの柔らかで鋭い手さばきによって槍はまるで蛇のようにレオのハルバードに巻きつき、それを跳ね上げた。
鉄の塊であるはずのハルバードはくるくると宙に舞い、手から得物がなくなったレオの体勢が跳ね上げられた衝撃で大きく後ろに崩れる。
そんな彼に向かって、ソレイユは素早く槍を引き戻して突きを放った。
「よっと!」
「えっ!?」
しかし、レオは決して焦らない。
体勢こそ崩れているものの、レオは右手を思い切り振りぬく形で身体をねじることで刺突を躱すと同時に、その槍を素早く掴み取った。
レオはソレイユの槍を体の支えにし、倒れる身体を持ちこたえさせた。
「やるねえ、ソレイユちゃん。無手になったのは久々だぜ」
「速いですね……あんなに体勢が崩れてたのに」
余裕の笑みを浮かべるレオの行動に、ソレイユは苦い表情を浮かべる。
ソレイユとてSランク越えであり、若くして世界に名の知れた英雄なのである。彼女には、ミノタウロスでもオーガでも一捻りに出来る自信があった。
ところが、目の前の男は駆け出しの冒険者にありがちな武器を落とした時の混乱が全くなく、おまけに却って自分に有利な状況すら作り出したのだ。
彼女は、やはりそう甘くはなかったかなどとこぼしながら、油断なく相手を見つめる。
「崩れてたっていっても、精々片手が持っていかれただけだろ? 利き腕が空いてんなら、うちの客でもこんぐらい出来らあ」
「なっ……」
不敵に笑うレオの言葉に、ソレイユは思わず眼を見開いた。
レオは今まで利き腕と逆の手でハルバードを持っていた。つまりハルバードそのものは最初から囮であり、無手になっていた右手こそが本命で、ソレイユの槍を掴むことを最初から狙っていたのだ。
自らが冒険の素人であることを利用した、宿屋の荒くれ仕込の喧嘩の玄人。それが今のレオであった。
ソレイユはレオの強さを身をもって知って槍を握り締める。
「流石はSSS……化け物じみてますね」
ソレイユの口から、感嘆のため息と共に言葉が紡がれる。
彼女が聞いていたレオの前評判は、全てを吹き飛ばすパワーファイターであるが、冒険を始めてまだ三ヶ月程しか経っていないと言うことである。
それ故に、幾ら相手がSSSだからと言っても世に出て数ヶ月しか経っておらず実戦経験もない相手なのだから、隙さえつければ勝機はあると考えていて、実際にそう出来る自信もあった。
しかし、実際のレオはそうではなく、もっと強かな相手だったのだ。
ソレイユは自分の考えの甘さを悔いると共に、目の前の男があの修羅の仲間であったことを思い出した。
「そっちだって間合いの内側に飛び込ませないんだから結構強いと思うぜ? それに、まだまだ気も使っていないしな」
そんな彼女に、レオはそう言って笑う。
彼もまた、自分の異常性は十分に理解しているつもりであった。パワー・スピード共に、自分が英雄の一人に勝てるほどの実力があることも自覚している。
実際、レオが教導で親衛隊長と勝負したときも、相手が最初から全力で掛かってきたのをカウンターの一撃で沈められたのだ。
だからこそ、自分の身体能力だけで挑みかかり、まだ立っているソレイユと戦うのが楽しみなのだ。
何故なら、彼女が立っていると言うことは、レオが攻撃できなかったと言うことなのだから。
その言葉を聞いて、ソレイユは小さく息を吐いた。
「使ってないのは、気だけじゃないんですよ? “足枷沼”!」
「うっ!?」
ソレイユが魔法を発動させると、レオの足元が突然柔らかくなり、膝上まで一気に沈み込んだ。
レオはバランスを崩し、大きく体が後ろに傾く。
「やああああああ!」
そこを狙い、ソレイユはスカートの中に隠していたナイフを抜き放ち、一息で間を詰めて襲い掛かる。
狙いは鎧の隙間、防ぎきれていない左わき腹。彼女はそこから心臓を突いて勝負を決めるつもりなのだ。
「甘ぇ!」
レオはそう言うと槍から手を離し、素早く右手に気を込めて自分の足を絡め取っている泥沼に拳を叩き込んだ。
紅い拳が沼に浸かった瞬間、地震のような強烈な衝撃波と轟音と共に泥沼が下の地面ごと砕け、そこに爆弾があったかのように爆発した。
「きゃっ!?」
そのあまりに力任せなレオの脱出による衝撃を受け、ソレイユは後ろに吹き飛ばされる。
一方、レオはその爆風を背中に受けることで後ろに倒れていた体勢を立て直し、更にその勢いのままソレイユに接近していく。
「ま、まだです!」
「うおっと!?」
ソレイユは後ろに倒れそうになる勢いをそのまま利用し、瞬時に気を込めて突進してくるレオにバック転をするように蹴りつけて間合いを取る。
レオは白い光輪を描くその蹴りを上体を反らす事で躱して追撃をしようとするが、足元に鋭く飛んできたナイフにそれを諦める。
素手の間合いに入れないと見るや、勢いのついていたレオは床に突き刺さったナイフを蹴って即座に後退し、落ちていたハルバードを手に取った。
「隠し札は魔法か。たしか、魔法使いながら得物振るうのって大変なんだったな」
「ええ。私も慣れるまで随分苦労しました。そんなことより、貴方のその気の籠め方はもう圧巻ですね」
「親父は武器の扱いは丁寧に教えたが、こういった事はほとんど力任せだったんでね。がむしゃらに修行してたらこうなったのよ」
体勢を立て直すソレイユを油断なく見据えながら、レオは飄々とした様子で言葉を返す。
余裕の態度で話を続けるレオに、ソレイユは笑みを浮かべた。
「ふふっ……誰もが嫉妬する才能ですね、それは」
ソレイユは心底嬉しそうにそう言って笑う。
それは自分が認めた才覚を持つ相手が、それ以上の能力を持っていることに対する喜びから来るものであった。
それを噛み締めながら、彼女は手にした槍をレオに向ける。
「でも、私だって負けないんですから」
ソレイユがそういった瞬間、彼女の体をぼんやりと白い光が覆い始めた。
全身に気を籠め、自分の身体能力を極限まで高めていく。
「はああああああ!」
引き絞られた弓から放たれる矢のように、ソレイユはレオに突撃を仕掛けた。
眩い白色に輝く槍の穂先は、レオの左胸を真っ直ぐに捉えている。その一撃は、強固な鎧の上から心臓を貫かんとしているのだ。
その上にソレイユの纏った白い光が彼女を守るように広がり、左右に避けたところで少なくない傷を負わされることが予想できる。
「ふっ!」
その一撃をレオは後ろに大きく跳んで間合いを取ることで躱す。
しかしその瞬間、ソレイユの眼が鋭く光った。
「逃がしません! “喰らう大地”!」
ソレイユの言葉と共に、レオの体がふわりと宙に浮かんだ。
しかし、それはレオ本人が跳ねたわけではなかった。実際には、まるで絞首刑の処刑台のように足場が綺麗になくなっていたのだ。
そして、その処刑台は巨大な二枚の岩盤からなる、闘技場ごと飲み込むような大顎となってレオに喰らいついた。
「うおわっ!?」
足場が無い事によってその場から動くことも出来ず、大質量の物体が必殺の威力を持って一瞬で哀れな獲物を噛み潰す。
レオに逃れる術など、あるはずがなかった。
* * *
「あ~あ、レオにーさまも凄かったけど、ああなっちゃったらもう駄目かなぁ? ソーラの魔法、エレンほどじゃないけど強いし」
観客席で、エルフィーナが少し残念そうにそう口にする。
大地の大顎は完全にレオを捕らえており、また、動き出す気配もない。
その様子を見て、膝の上のアーリアルは退屈そうにため息をついた。
「……つまらんのう。もっと上手くやればよかっただろうに」
「でも、仕方ないんじゃなぁい? レオにーさま、冒険初心者なんでしょ~? ソーラはあれでもずっと旅してきた英雄さんなんだしさ」
アーリアルの言葉に、エルフィーナはそう言ってレオを弁護する。
ソレイユはアーリアルが名前を口にするほどに知られている英雄の一人なのだ。いくらSSSの力があっても、状況しだいでは負けても仕方がないと言うのだ。
しかし、それを聞いたアーリアルは更に大きなため息を吐いた。
「だから、もっと上手く出来るはずなのだと言っている。今に見ておれ」
「でもでも……え?」
エルフィーナが異変に気づくのは、その直後であった。
* * *
魔法が炸裂し、しばらく無音になった闘技場。
無事に立っているのは、槍をもったメイドだけのように見える。
「え……ええっ?」
しかし、直後に聞こえてきたのは勝利宣言ではなく、ソレイユの困惑した声であった。
目の前の岩盤は垂直に立ち並んでいる。魔法は確かに発動し、相手を飲み込んだ。
だがその顎は閉じられていなかったのだ。
「へっ……へへっ……ジンみたいな戦い方しやがって……成程、こりゃ強くなるわけだ……槍から逃げても、すぐに魔法が飛んでくるんだもんな」
レオは額から汗を流しながら、そう口にする。
彼の両手足は横に広げられており、閉じようとする岩盤を押しとどめていた。
その瞳にはうっすらと紅い光が燈っており、口角はつりあがっている。仲間以外に久々に自分を追い詰めた相手に、闘志が燃え上がっているのだ。
人間が相手の魔法を力ずくで抑え込んだその光景は、百戦錬磨の英雄の眼にも異様な光景であった。
「じょ、冗談でしょう!?」
「ハッ、俺の師匠を誰だと思ってんだ? おおおおおおおおお!」
驚愕に眼を見開くソレイユにレオはそう言って気合を入れると、自らを挟んでいた岩盤を床から引っこ抜き、高々と持ち上げた。
巨大な二つの岩壁をそれぞれ片手で持ち上げるたびに、重々しい衝撃と共にレオの足が地面に付く。
そして相手を見据えると、彼は熱く燃える獰猛な瞳でにやりと笑った。
「今度はこっちの番だ。行くぜ!」
レオはそう言うと手にした岩盤をソレイユに向けて投げつけた。
巨大で重厚なはずのそれはまるでトランプを投げるかのように軽々と宙を舞い、ソレイユに向けて飛んでくる。
縦にも横にも大きなそれには、避ける余地など何処にも残されていなかった。
「っ、甘いです!」
それを見て、ソレイユは気を引き締めなおして自らの槍に気を込めて振りかぶった。
すると彼女の身体を覆っていた白い光が槍に集まり、触れたものを切り裂く刃となって先端から柄までを覆う。
「やあああああああ!」
ソレイユは気合と共に、その光の刃を飛んでくる障害物に振り下ろした。
目の前に太陽が現れたかのような、強烈な光を放つ巨大な白い刃。
それは飛んでくる岩塊を容易く両断し、その先に居るレオすらも切り裂こうと伸びていく。
その間に、ソレイユは素早く横に薙ぎ払う二発目の構えに入る。
「う……らぁ!」
突如として、空気を切り裂く音と共に五筋の赤い雷光のようなものが白い光の中を駆けた。
その瞬間に巨大な刃は無残に千切れ、風に溶けるように消えていく。
そして、その中から銀髪の男が飛び出し、槍を振りぬいた直後の彼女に素早く迫った。
「っ!?」
ソレイユの表情が、一気に凍りついた。
彼女は決して気を抜いておらず、相手の行動を予測して追撃の構えを取っていた。しかしその予測は外れ、想像を超えた行動を見せられたせいで、一瞬思考に空白が出来てしまったのだ。
その致命的な一瞬を、レオが見逃すはずがなかった。
「へっ、俺の勝ちだな」
「あっ……」
レオはまるでダンスをするようにソレイユの腰に手を回して押し倒し、胸元に赤い光を放つ右手を添えた。
彼はソレイユの放った光の刃に真っ向から突っ込み、気を込めた右手でそれを切り裂き、道を開いて見せたのだ。
もう彼女になす術はなく、全てが彼の意のままになる状況であった。
それを理解した瞬間、ソレイユの手から槍が滑り落ち、金属質な音が聞こえてきた。
「ああ……素晴らしい力……こんなに心がときめくのは初めてです……」
まるで夢を見ているかのようなうっとりとした表情で頬を染めながら、ソレイユはそう口にした。
もう完全に意識が舞い上がってしまっており、目の前の者に心を奪われてしまっているようである。
その言葉を聞いた瞬間、レオの頭ががくんと下に落ちた。
「……妙なスイッチ入ってない、ソレイユちゃん?」
「ええ……今すぐにでも、貴方に全てを捧げてしまいたい……」
ソレイユは慈しむようにレオの頬を撫でながら、さらりとそう口にする。
その瞬間、レオが反応するよりも早く観客席から二発の弾丸がかっ飛んできた。
「いきなり何を口走っておるか、貴様ぁ!」
「わ~、ソーラってば、レオにーさまにメロメロだ~」
ソレイユの爆弾発言に、アーリアルはポカポカとソレイユの頭に駄々っ子パンチをかまし、エルフィーナは眼をキラキラと輝かせながら二人の様子を眺めていた。
なお、アーリアルの身体能力は見た目相応のようで、レオに夢中になっているソレイユは叩かれていることなど気にならない様子であった。
そんな中、レオは自分の腕の中で自分の世界に陶酔しているメイドにガックリと肩を落とした。
「……いや、だから何でこうなるのよ……」
「ねーねーにーさま、嬉しくないの~?」
レオの反応を見て、エルフィーナはこてんと首をかしげた。
そんな彼女に、レオは困った顔で眼を宙に泳がせた。
「嬉しくねえわけじゃねえけどよ……何と言うか、なあ?」
「むむむ~? にーさま、確かメイドさん達をいっぱいナンパしてたと思うんだけどなぁ?」
エルフィーナはそう言いながら、レオの顔を下から覗き込んだ。
レオの休み時間の行動と言えば、メイドに片っ端から声を掛けて、振られまくると言うもの。客観的に見れば、ソレイユのような美女に言い寄られて悪い事はないように見えるのだ。
しかしそれを聞いて、レオは罰が悪そうに頬をかいた。
「あ~、それには理由がありましてですね?」
「では……私はそのナンパに引っかかったってことで良いですね?」
「それがその……これは失敗することに意味がありまして……はい」
さりげなく首に手を回して正面から熱のこもった表情で見つめてくるソレイユに、レオはとても言いづらそうにそう口にした。
その言葉に、エルフィーナが再び首をかしげる。
「それ、ど~ゆ~こと~?」
「ん~、詳しいことは言えねえけどよ……」
レオはそう言いながら、大きなため息をついた。
その表情はとても苦々しく、彼にとって根深い問題があることが何となくであるが見て取れた。
そんな彼に、エルフィーナは追求を諦めると同時に、名案を思いついたような無邪気な笑みを浮かべた。
「それじゃ~、ナンパが失敗すれば良いんだから~……えいっ♪」
エルフィーナはそう言うと、突然レオの後ろから覆いかぶさるように抱きついた。
それはレオの頭を真っ白にすることに、覿面な効果を発揮することが出来た。
「ふぃ、ふぃーなさん?」
「駄目だよ~、レオにーさま。にーさまは私のにーさまなんだから」
エルフィーナは抱きついているにーさまの首に頬ずりをしながらそう言った。
なお、レオは完全に硬直している。顔から血の気が失せ、まるで目の前に死神が居るかのような青白い顔である。
そんな彼に、背中のいたずらっ子は更なる追撃を掛ける事にした。
「ねーねー、にーさま最初に私のこと口説いたでしょ~? あの時のお返事、今してもいーい?」
「いやいや、兄妹ってそう言う関係じゃないからな?」
「でもでも~、私とにーさまは家族じゃないでしょ~? 私がおーけーしちゃえば、にーさまは王様になれるんだよ~?」
大慌てで反論してくるレオに、エルフィーナはそう言って畳み掛ける。
その内容はどう贔屓目に見ても洒落にならないものになっているが、彼女にとっては瑣末な事のようである。
レオは滝のように冷や汗を流しながらしばらく考えていたが、とある矛盾を見つけて小さく息を吐いた。
「つーかよ、フィーナちゃんが引っかかったら失敗にならねえって」
レオは極度の疲労と脱力感、そしてこの状況から逃れられる安心感を滲ませながらそう口にした。
その疲労感たるや、戦闘をしているときよりも王族関係者からのアタックを躱している今の方がずっと大きいという有様であった。
エルフィーナは反論しようとして唸り声を上げるが、結局思いつかずにふくれっ面を浮かべた。
「むぅ~……ねーねーソーラ。にーさまへのアプローチ、ちょっと待っててもらってい~い? その前に作戦会議しよ~?」
「ええ、構いませんよ。私は姫様にお仕えしているのですから。それに、姫様のものになっても、私には妾になるチャンスが……」
エルフィーナがふくれっ面のままソレイユに提案すると、ソレイユはそれを快諾した。
もっとも、彼女の中ではどう転んでも自分がレオのものになる仕掛けになっているようで、その後のことを妄想して盛大にとろけた表情を見せていた。まさにヘヴン状態である。
「……だ~めだこりゃ」
レオは背中と首に抱きつく二人の様子に、全てを諦めてさじを投げた。
何せ、彼はジンと二人で「モテないブラザーズ」等と言うものを結成していたくらいである。振られた経験は数多かれど、モテて困った事は今まで一度もなかったので対処の仕方が分からないのだ。
そんな中、彼に思わぬ助け舟がやってきた。
「ぐずっ……いつまでそうしているつもりだぁ……貴様らっ、レオから離れろぉ……!」
レオの隣から悲しげな涙声が聞こえ、服の袖がぎゅっと固く握られる。
そこに眼をやると、金の瞳の眼から涙をぽろぽろとこぼしながら、アーリアルがレオの袖を引っ張っていた。
その姿は完全に親に構ってもらえない幼子のものであった。
それを見て、レオは再び疲労とも安堵とも取れるため息をついた。
「ちょっと二人とも、これ以上はうちんとこの姫が泣き出すから後にしてくれ」
「は~い」
「はい♪ 後にします♪」
レオの一言で、二人はそれぞれ彼から離れる。
しかし二人とも反省した様子はなく、ソレイユにいたってはどう見ても後でもう一度レオに仕掛ける気満々の様子であった。
レオがそんな二人二頭を痛めながらぐずるアーリアルを抱き上げると、その横でエルフィーナはソレイユに質問を投げかけた。
「でもでも~、まさかソーラがこんなに簡単に負けちゃうなんて思わなかったな~? ソーラ、調子悪かったの~?」
「そういう訳ではないのですが……言い訳になりますけど、これはレオ様が異常だったのです」
「にーさまが異常? どーゆーこと?」
「レオ様は身体に気を込めて、人間離れした凄まじい破壊力を出すことが出来ます」
「それは見れば分かるぞ~? でも、ソーラはそれだけじゃ負けないでしょ~?」
「はい、もちろんです。レオ様の本当に異常なところは、その気を込める速さです。例えば、私が溜めるのに三秒掛かる量の気を、レオ様は一秒も掛からずに溜めてしまうのです。つまり、私が三秒気を込めて攻撃したとすると、レオ様は一秒分の気の攻撃で相殺して、次の一秒で私が防げない力の攻撃が繰り出せるということです」
首をかしげるエルフィーナに、ソレイユは清々しい表情で解説をする。
気を一定の場所に溜める事は、貯水タンクに水を溜めることに良く似ている。このタンクが大きければその分だけ威力や用途が増え、注ぐ水の量が多ければ、使用可能になる時間が短くなる。
そして、レオはこの注がれる水の量が段違いに多いのだ。例えるのならば、普通の兵士がバケツを使って水を汲んでいるところを、ソレイユならば滝の水をそのままタンクに入れるようなもの。それがレオに至っては、満水にしたダムを決壊させたくらいの量の水が一気に、それも持続的に流れ込んでくるようなものなのだ。
その英雄を持ってしても異常と言わしめる内容を聞いて、エルフィーナの眼は丸く見開かれた。
「ほえ~……レオにーさま、そんなに凄いんだ~」
「そりゃうちのクソ親父の訓練の賜物だな。散々に鍛えられたもんだ」
驚くエルフィーナに、レオは飄々とした態度でそう口にする。
しかしその顔面にはアーリアルがぴったりと張り付いており、声はかなりくぐもっている。
レオは一呼吸おくと、顔に抱きついている困った幼子を肩車するように移動させた。
そんな彼の目の前に現れたのはジッと自分を見つめる琥珀色の瞳であった。
「ところでレオにーさま。にーさま、あれの他にも剣とか弓とか持ってたよね~? 何で使わなかったの~?」
「そりゃ剣を使ってもあんまり意味が無さそうだったからだ。それをやる位なら、片手を空けて相手の武器を掴めるほうが良いと思ったんだよ。トマホークや投げナイフは使っても良かったが、正直ソレイユちゃんに通用するとは思えなかったしな」
「それじゃあにーさま。私、にーさまの弓を見てみたいぞ~?」
「弓か? ああ、いいぜ。何を隠そう、俺は弓が一番得意だからな」
眼をキラキラと輝かせるエルフィーナに、レオは得意げにそう答える。どうやら本当に自信があるらしく、気分が高揚している様に見える。
「そうなのですか?」
そんなレオを見て、ソレイユが不思議そうに首をかしげた。
何故なら、レオはほとんど使っていなかったとはいえ、自分との勝負に持ってきたあのハルバードが得意な武器だと思っていたのだ。
しかし彼女の考えは、即座にレオによって否定されることになった。
「あったりまえよ。だって、普段宿で出してた飯の肉は自分で獲ってたんだからよ。空を飛ぶ鳥の眼、川を泳ぐ魚の心臓、何でも射抜いてやるぜ」
レオはそう言うと、アーリアルを肩車したまま弓を取りに石造りの闘技場のゲートへと入って行った。
そしてしばらくすると、レオは弓矢と一緒に的を三枚持って闘技場へとやってきた。
なお、アーリアルは闘技場へと戻ってくると、レオの邪魔にならないようにその横へと降りた。
「んじゃ、見てろよ!」
レオはそう言うと三枚の的を空中に放り投げ、素早く弓を三回引いた。
矢は鋭く精確に飛んでいき、三回の命中音がした後、遅れて三つの乾いた落下音が鳴り響いた。
地面に落ちた的は、そのほぼど真ん中にそれぞれ矢が刺さっていた。
「おお~♪ すごい早撃ちだね~」
「驚くのはまだ早いぜ」
名人芸を見せられたはしゃぐエルフィーナを他所に、レオは再び弓を二回引く。
その矢の飛ぶ先は、自らの頭上。曲射によって打ち上げられた矢は、唸りをあげて空高く上っていく。
そしてその頂点を迎えると、二本の矢は上空から獲物を狙う隼のように急降下を始めた。
「……わー……」
「……え……?」
「……ほう……」
その結果は、見るものを絶句させるものであった。
二羽の隼が向かった先には、もちろん的が落ちていた。その的の端にまず一本目が斜めに命中する。
すると矢の勢いに押されて、的が立ち上がった。そして、その立った的の側面に、二本目の矢が突き刺さったのだ。
その正確さは、レオが豪語した以上のことをしてのけるような、卓越したものであった。
「……わお。久々に成功したな、こいつ」
一方、神業を成功させたレオはというと、本人も意外そうに的の側面に刺さった矢を眺めていた。
どうやらレオ本人にも難しい技だったらしく、成功するとは思っていなかったようである。
そんなレオに、感服した様子でソレイユが話しかけた。
「お見事です……レオ様、これほど様々な武器を使いこなしていますけど、普段どのような訓練を?」
「店の客や親父と喧嘩して、近くの森の魔獣共を狩る。これが俺の訓練だ」
「……ジン様が頭を抱える理由が、何となく分かった気がします……」
「ふん、レオがそんな常識で測れるようなもののはずが無かろう」
レオの返答を聞いて、ソレイユは理解できないといった様子で頭を抱え、アーリアルはまるで自分の事のように得意げに胸を張る。
常識では、ただの喧嘩や狩りでそんな力や技が身に付くはずがない……というより、身に付いたら大惨事になっているはずだ。何故なら、身に付いていたらちょっとイラッとして壁を殴っただけで壁が砕け散るような事態になってしまうからである。
しかしレオの言葉が事実であるならば、実際に日常生活の中でその恐るべき力を手に入れたことになるのだ。
その事実は、一般的な常識を持っているものならば誰でも認めたくないものであった。
ソレイユがジンの苦悩の片鱗を感じ取っていると、エルフィーナがレオの袖を引っ張った。
「ね~、そろそろ談話室に行こ~? ジェニファーもそろそろ目を覚ますと思うし」
「だな。んじゃ、行くとすっか」
エルフィーナに手を引かれながら、レオは談話室に向かって歩いていく。
その歩みはゆっくりであり、出来るだけ長く一緒に居ようとしているようにも見える。
「隣失礼します、レオ様♪」
「……そこはフィーナちゃんに付くところじゃね?」
するとすかさずソレイユがレオの隣へとやってきて、肩が触れ合う程度の距離で歩き出す。
それに対するレオの意見は決して間違っていないが、彼女はそれが許されることを確信してやっているようである。
「ええい、さっさと行くぞ! 我はレオの膝の上に座りたい!」
「わーったから、耳元で叫ぶな。ったく……」
そして何か面白くないといった表情を浮かべるアーリアルの声を聞きながら、一行は談話室に向かうのであった。
唐突ですが、こっちの更新でした。
今回は、今までの改定ではなく、完全新作の挿話です。
話の内容としては、レオに驚きの才能が見つかったというもの……
と思ったら、気がつけば無駄にハイスペックなとんでもないダメイドが爆誕していました。どうしてこうなった。
もちろん、レオの才能に関しては今後の伏線として大いに仕込ませてもらいます。
それにしても、レオのウェポンマスターの能力が大概チートになりましたなあ。
ソレイユは負けてしまいましたが、そもそもレオは単純な殴り合いならジンと互角である十分すぎる猛者であることをお忘れなく。
……しかし、それでもレオがユウナに勝つ構図が未だに見つからないと言う。どんだけチートなのよ……
そんなこんなで、ご意見ご感想お待ちしております。