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2 留学と二人の「侍女」

「背筋を伸ばして。リン、歩く時にゴールドのチェーンをチャラチャラ鳴らさない。……耳障りですわよ?」


「ガイ、そのクッキーは誰のためのもの? 殿下より先に毒味と称して半分も食べるなんて、……はしたないとは思いませんこと?」


 隣国ゼノス帝国へ向かう豪華な馬車の中。


 そこには、伝説の古代遺跡を黙らせた『双子座(ジェミニ)』の威厳など微塵もなかった。


 ソフィアの「静かなる叱責」と、ナディアの「慈愛に満ちた修正」により、リンとガイは馬車の隅で、かつてないほど「お行儀よく」座らされている。


「……なぁ、リン。俺、もう帰りたい」


「バカ言え。ここで馬車を飛び出してみろ、ナディアさんに『定着(ホールド)』されて、一生そのポーズで固められるぞ」


 ひそひそと囁き合う二人の前で、同じく犠牲者となっている男がもう一人。


 アルテミス王国の至宝、クロヴィス王太子である。


「殿下。隣国の学園は、我が国の王立学園とは作法が異なります。……まずはその、眉間にシワを寄せる癖をご注意くださいませ」


 ナディアが、クロヴィスの眉間に「温度を一定に保つ魔法」を付与した冷たい指先を当てる。


「 あ、ああ。分かっている、ナディア。すまない」


 王族であるはずのクロヴィスまでもが、なぜか『天球の灯(スフィア・ランタン)』の侍女たちに謝っている。


 本来、王太子の移動する馬車に、侍女や、平民の護衛が同乗するなど、礼法上あり得ないことだ。


 だが、今回は例外だった。


「――エレオノーラ様からの直命です。『道中の殿下の安全、および精神の平穏を保つため、馬車は聖域(シェルター)とせよ』と」


 ソフィアが涼やかに告げたその言葉が、すべてを決定づけていた。


 表向きは、隣国との外交に備えて移動時間すら惜しんで「所作の最終確認」を行うため。


 そして実態は、手紙によってもたらされた隣国の、恐らく精神異常関係の魔法による状態異常への警戒である。


 いつどこから飛んでくるか分からない以上、精神防衛のスペシャリストであるソフィアと、結界構築の補助ができるナディアを殿下の直近に配置する必要があったのだ。


 もっとも、その「聖域(シェルター)」の中にいるリンとガイにとっては、ここが一番の「針のむしろ」だったのだが。


「……ナディア。またお茶を淹れるのか? 先程からもう三杯目なんだが」


 クロヴィスが少し困惑気味に、ナディアが差し出したカップを見つめた。


「殿下。お伝えした通り、現時点では学園での混乱は状態異常魔法による興奮状態の可能性が高いです。ソフィアの魔法による鎮静効果が付与されてございますので、何杯でもお召し上がりくださいませ」


 ナディアがふわりと微笑み、指先をカップの縁に添わせる。


 ナディアの魔法は安定・定着魔法『常春の小瓶(ステイ・テンプ)』。


 その指先が触れた液体は、どれほど時間が経とうとも、淹れたての「最も美味しく、喉に優しい温度」のまま一分一秒の狂いもなく固定される。


  アンティークの劣化を防ぎ、魔力回路の揺らぎを止める彼女の魔法は、ある種、攻撃魔法よりも緻密で、そして抗う隙を与えない。


「……リン。背筋。十五度、曲がっていますわよ」


 ソフィアの声が飛ぶ。


 ソフィアの精神干渉魔法『鎮静の香(サイレント・アロマ)』。


 彼女が放つのは、焦燥や怒りといった感情の棘を優しく削ぎ落とし、強制的に「穏やかな淑女・紳士」の精神状態へと導く魔力だ。先程、クロヴィスが口にしたお茶にはその魔法が付与されている。


「……十五度くらい、いいだろ。腰が痛ぇんだよ」


「あら。……まだ、補助が必要なのね?ナディアに『固定』してもらう?」


「ひっ……! すみません、ソフィアさん。……ガイ、お前もシャキッとしろ」


「巻き込まないでよ! 俺は今、ナディアさんの『正しい毒味のためのマナー講習』受講中!」


 ガイはナディアの監視の下、クッキーを食べる際の一口の大きさから、一切の食べこぼしを出さないようにするための所作にいたるまで、細部にわたって綺麗に振る舞うという、もはや精密機器のような訓練を強いられていた。


「……隣国の危機より先に、俺の精神が崩壊しそうだ」


「そんなときのための、ソフィアさんのお茶だよ!」


「まだ、序の口だぜ。……見てろよ殿下。俺たちのこの一週間の地獄を、そのままあんたにも味わわせてやるからな」


 馬車の中には、贅沢な茶の香りと、一切の乱れを許さない静寂、そして護衛たちの小さな悲鳴が充満していた。


 それが『天球の灯(スフィア・ランタン)』流の、もっとも安全で、もっとも息の詰まる移動風景であった。


 さて、いよいよ馬車が帝国学園の正門を潜り抜けると、そこは異様な熱気に包まれていた。


「サクラ様! 今日のリボンも素敵です!」


「ああ、聖女様。どうか僕を見てください!」


 窓の外に広がるのは、帝国の若きエリートたちが一人の少女を取り囲み、盲目的に賞賛を贈る異様な光景。


 中には、セレスティーナの手紙にあった「理知的だったはずの婚約者」が、地面に膝をついて少女の靴を磨こうとしている姿まであった。


「……うわぁ。……リン、あれ」


「ああ。バグってるな。……最高に『はしたない』」


 リンのダークブラウンの瞳が、一瞬で「仕事モード」の冷徹な光を宿し、真新しい金属光沢を放つ不格好な「眼鏡」を取り出した。


「……リン、それ何?」


ガイが不思議そうに覗き込む。


「新入りのカイルが作った試作品だ。他人が展開している魔方陣や魔力回路を、無理やり視覚情報として可視化する眼鏡だ。構造が複雑すぎて一回きりの使い捨てだがな」


「新入り? そんな人いたっけ?」


「最近、地下のさらに奥に作業場が増えてただろ。あれ、そいつの。43歳のルーキー、カイルだ」


「43歳のルーキー!?斬新すぎる!! 知らなかった!」


 驚くガイをよそに、リンは眼鏡をかける。

 学園の中庭、男たちに囲まれる聖女に視線を向けた瞬間――。リンの顔が、見たこともないほど不快げに歪んだ。


「……何だ、あの構造。反吐が出る。本来あるべき型が無茶苦茶だ。……聖女本来の力が対象を失って、逆流してやがる。……これじゃあ、ただの精神汚染の魔陣(ノイズ)だ」


 リンが忌々し気に口にした言葉に、再度ソフィアがカップを差し出す。


「殿下。あの中に入る前に、今一度ソフィア特製のハーブティーを召し上がってください。申し上げている通り、精神干渉を弾く鎮静魔法が付与されております。……少しの間、余計な『雑音(ノイズ)』が聞こえなくなりますわ」


 先程から提供され続けている、一杯。


 クロヴィスがそれを飲み干し、背筋を正して馬車を降りる。


 その背後に従うのは、完璧にマナーを叩き込まれた、死ぬほど態度の良い――しかし目は一切笑っていない二人の護衛魔導士。


「……さぁ、お掃除の時間だ。ガイ。まずは『挨拶』からだろ?」


「分かってるって。……お姉さんたちに怒られない程度に、『お行儀よく』ね」


天球の灯(スフィア・ランタン)』による隣国の大掃除が、ついに幕を開けた。




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