魔力最低値
目を開けた瞬間、
そこはもう、あの男のいる場所ではなかった。
白い石造りの大広間。
高い天井。
段状に並ぶ観覧席。
床の中央には、
巨大な魔法陣が刻まれている。
――講堂。
体を起こす。
無意識に、
右手を見る。
薄い紙の感触。
受験票。
そこに記された名前は、
エイル・クラウス。
読める。
意味も分かる。
だが、
それを「自分の名前だ」と、
すんなり受け取れなかった。
胸の奥が、
わずかに拒んでいる。
少なくとも、
この世界では、
それが俺として扱われる名前らしい。
周囲を見渡す。
同じくらいの年齢の人間が、
何百人も集められていた。
誰も喋らない。
静かというより、
空気が張りつめている。
理由は、すぐに分かった。
人の輪郭の内側を、
何かが、走っている。
太さも速さも向きも違う流れが、
絡まり、
分かれ、
また合流している。
……さっきの場所で見えていたものと同じだ。
身体の内側を通っていた“流れ”。
ここでも、
同じものが見えている。
しかも――
ここにいる全員の内側を流れてる。
前方に立つ人物が、
淡々と口を開く。
「これより、
国立魔術高等学園・入学試験を開始する」
感情のない声。
「まずは、魔力測定だ。
番号順に、前へ出ろ」
受験者が、
一人ずつ魔法陣の上に立つ。
数値が表示されるたび、
小さなどよめきが起きた。
高い。
どれも、平均を明らかに上回っている。
測定の最中、
輪郭の内側を走る流れが、
はっきりと濃くなるのが見えた。
……一致している。
ようやく、
一つの考えが、
形になり始める。
俺に見えているこの“流れ”が、
この世界で「魔力」と呼ばれているものらしい。
そして、
俺は気づいてしまった。
俺の内側を流れるそれは、
他の誰よりも――
明らかに、薄い。
順番が回ってくる。
魔法陣の上に立つ。
淡く光り、
数値が表示された。
最低値。
表示枠の最下段に、
切り捨てられたような数値。
一瞬、
空気が止まった。
「……は?」
誰かが、短く声を漏らす。
「冗談だろ……」
どこかで、
小さな失笑が起きた。
試験官の一人が、
眉をひそめる。
「計測ミスだ。再測定」
結果は、変わらない。
最低値。
明確な、不適格。
視線が、
露骨に逸らされる。
興味を失った顔。
最初から、
いなかったかのような扱い。
胸の奥が、
ひやりと冷えた。
だが――
妙だった。
間違いなく、怖かった。
それなのに、
「終わった」という感覚が、
どこにもない。
そのとき。
思考の奥に、
感情を削ぎ落とした声が、
静かに割り込んできた。
――役割を通達する。
周囲の音が、
一気に遠のく。
――お前は、
人類側に配置された
観測者だ。
――お前の役割は、
人類の魔術運用と戦闘判断を観測し、
その内容を記録し提出すること。
――評価は不要。
――感想も不要。
――事実のみを記録しろ。
――虚偽を書くな。
――事実を歪めるな。
――意図的に省略するな。
――お前が提出した記録と、
現実に残った結果は、
管理側で照合される。
――一致しないと判断した場合、
お前は観測者として不適格となる。
――不適格となった個体は、
生存を維持できない。
――以上は警告ではない。
役割と仕様の通知だ。
声は、
それだけを残して消えた。
世界の音が戻る。
理解した瞬間、
胸の奥が、遅れてきしんだ。
俺に許されているのは、
人類に肩入れしないこと。
そして、
見たままを書き続けることだけだ。
試験官が告げる。
「次は、実技試験だ」
「個人試験と、
グループ試験の二段階で行う」
ざわめきが、
一気に広がった。
「まずは個人試験。
これを突破した者のみ、次へ進める」
一人ずつ。
逃げ場はない。
試験官が、
受験票に記された名前を読み上げる。
「エイル・クラウス」
それが、
今の俺の名前だった。
最初の実技試験。
ここで落ちれば、
すべてが終わる。
卒業できない。
天国に行けない。
そして――次に回される。
だから。
俺は、
逸脱しない。




