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【短編小説】しあわせになりたい

掲載日:2025/12/21

 しあわせになりたいな、と思った。

 でもしあわせって何なのか分からないし、どうやってそこに向かうのかも分からなかった。


 差し当たり、体育館の大きな照明器具が落ちてきて野本とか横川あたりに直撃するのが手近なしあわせだ。

 しかし勿論そんなことが起こるはずもなく、平和な始業式が終わると野球部の野本が近寄ってきた。

 野本はニヤニヤ笑いながら

「マイクタイソンが東京ドームで試合をする前に飲んだバファリンを一万円で売るから買えよ」

 と言ってきた。手の中には真新しいバファリンの箱があった。



 どうせラグビー部の横川あたりに五千円で売りつけられた盗品だろう。それをヒエラルキー下位の人間に押し付ける、分かりやすい資本構造だ。

 それに乗る気も無いので曖昧に笑っていると担任教師が通りかかった。

 小心者の野本は舌打ちをしながらどこかに行った。先生も心底面倒くさそうな態度だったし、興味も義務感も無さそうだった。

 野本が粘れば先生はどこかに行ってしまっただろうし、先生も学内資本主義システムを止めなかっただろう。


 結局、野本はそのバファリンを誰かに売りつけられたのだろうか。

 どうせ中身は砕いてパケットに詰めた後で、通りかかりの知らない中学生に売りつけてるのだ。

 誰かの親が稼いで渡した小遣いがカツアゲされたりバファリンになったりして、それが消費されてまた誰かの親に渡る。

 


 ああ、しあわせってなんだろう。


 将来の夢は鯖の味噌煮かおっぱいだったけれど、恥ずかしいので進路相談の時は先生に「ウルトラ警備隊になりたいです」と言ったら殴られた。

 面倒くさそうな顔で面倒くさそうに殴るもんだから面白かった。面白かっただけでまったくしあわせでは無かった。

 殴られて椅子から転げ落ちた。

 寝転がった教室の窓からは雑木林が見えて、その向こうでサッカー部とか野球部が校庭を走っている掛け声が聞こえた。

 面倒くさそうな顔の先生は艶消しのビー玉みたいな目で僕を見ていた。


 そう言えば、子どもの頃はあのザラザラした艶消しのビー玉が好きだった。

 サイダーやラムネを連想させる薄い緑色は、そっとポケットに忍ばせておくだけで不思議と勇気が出た。

 勇気と言ってもいじめっ子に立ち向かうとかでは無く、単に日々をやり過ごす為の些細な支えでしか無いのだけれど。


 奥行きの無い雑木林は、鍋の中で転がる小豆に似た音で葉を振るって細かく変化する影を落としている。

 僕は教室の床で冷たいタイルを感じながらその細かい木陰に包まれていた。

 先生に殴られた頬がじんわりと熱を持つ。

 面倒くさそうな顔をした先生の艶消しビー玉はぢっと僕を見ている。


 いまなら天井の蛍光灯が先生に落ちるよりも、スプリンクラーから出る水が灯油とかガソリンになるのがいいかな。

 どうせなら授業中がいい。野本も横川も先生も、全員が燃えてくれたらいい。

 その時、僕は授業をサボって屋上にいる。背中に熱を感じながら、紫色の煙を吹いて空を眺めるんだ。

 それは、しあわせかも知れない。


 そうやって天獄で遊んでいると、僕にはやらなきゃいけない事ができる。

 そして都庁より巨大なミジンコだとかコンクリートミキサーみたいなサイズの便所コオロギと戦ったりして、疲れ始めた頃にいつか何かの女神さまが「もういい、休め」と言って抱きしめてくれる。


 その女神は社沢さんとかに似ているのかな。

 それじゃあ僕はちっとも休めない。

 そうだ。社沢さんは横川とセックスしたんだろ、中学2年生の夏に。

 そんなバカ丸出しの女神さまは厭だよ。

 僕は起き上がって椅子に座ると、面倒くさそうな顔をした先生の艶消しビー玉みたいな眼を見て

「将来なしあわせになりたいです」

 と言った。

 面倒くさそうな顔をした先生が「もう帰っていい」と言うので、窓を開けて飛び降りた。

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