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吟遊詩人と断剣の亡霊

深夜、森の外れの空き地に小さな火炉が焚かれている。

堇は鉄鍋の蓋を覆い、保温状態にした。炎は最低出力で熱を維持している。

彼女は眠っていない。

彼女は待っている。

ノアも眠っていなかった。彼は車の後ろに寄りかかり、灰青色の古びたマントを肩にかけ、片手で持っている竪琴を時折弾いていたが、曲にはならない。

堇は彼を観察している。

ノアはまるで落ちぶれた吟遊詩人のように見える。戦闘用の装備は一切ない。しかし、堇は覚えている。彼が逃亡中に車の屋根で斬り落とした雷光の矢、それを素手で断ち切ったことを。

あれは吟遊詩人の反応速度ではない。

夜の色は重く、気温は冷え込んでいる。火炉の炎が時折周りの草地を照らす。車の後ろには浅い丘があり、その背後は森の内部へと続いている。

堇が先に口を開く。「なぜ残った?」

ノアは彼女の質問には答えず、胸元に手を入れ、内側の衣服から何かを取り出した。

それは聖剣の破片だった。

堇は神経を張り詰めたが、直接手を出すことはなかった。

ノアはその聖剣の破片を火炉の端に置き、火光でその表面を照らした。

金属の表面は微かな震動を伴い、何かの封印がゆっくりと運転しているようだった。

ノアは低い声で言った。「これは武器ではない。」

堇は冷静に答えた。「でも、人を殺せる。」

ノアは続けて言った。「それは、システムによって‘敵対ターゲット’として認定された個体にしか効かない。もし、標的としてマークされていない者を無理に斬ると、それは自動的に無効になる。」

堇は数秒間黙っていた。「試したことは?」

ノアは言った。「失敗した記録をたくさん見た。自分のも含めて。」

堇は彼を見つめた。

ノアは平静を保ったまま左手を差し出した。火光で照らされた彼の掌には異常な構造が現れていた—皮膚の輪郭の端に、不規則な破片のようなひび割れがあり、それはデータ崩壊の痕跡のようだった。

堇は冷静に反応した。「あなたは完全な存在ではない。」

ノアは頷いた。「今の私は、臨時に保存された映像の一部だ。」

堇は確認した。「死者?」

ノアは否定しなかった。

「私は一度死んだ。今の私は、システムのキャッシュ内に残った行動記録に過ぎない。」

堇は彼を見つめた。「それなら、動けるのは、誰か生者に接続しているから?」

ノアは言った。「もっと正確に言うと、私は王国が放棄した‘聖剣の器’に登録された。あの瞬間、私は‘予備封印因子’としてマークされた。」

堇は理解した。「あなたはこの聖剣の一部。」

ノアは言った。「それは自分の意志ではない。私が死んだ後、残された意識がシステムにスキャンされ、子モジュールの一つに転写された。私はかつて騎士だったから。」

堇は黙って聞いていた。

ノアは続けた。「あなたが持っている聖剣は、実際には高密度の封印容器で、‘形式の残骸’を保存するためのものだ。王国はそれを使って、戦闘人格を保存、置き換え、分配している。」

彼は少し間を置いて、堇を見た。

「それは聖剣ではない。それは‘人格倉庫’だ。」

堇は静かに確認した。「…だから、私が声を聞いたのか?」

「そうだ。それは形式の残片からの反響だ。幻覚ではない。あなたは‘自律的意味モジュール’の一部を引き出した。」

「残像が言った:‘王国を信じてはいけない’。」

ノアは言った。「その残片は‘自由意志異常人格’で、初期の実験の失敗作だ。あんなものが残っているとは思わなかった。」

堇は尋ねた。「それはあなた?」

ノアは首を振った。「違う。私が残したのは戦闘実行層で、主観的な発言能力はない。それは私ではない。」

堇は数秒間黙った。「私の中の残像は、消去されるのか?」

「もし王国に再回収されるなら、そうだ。」

堇は低い声で言った。「私は戻らない。」

ノアは炎を見つめた。

「あなたが今歩んでいる一歩一歩、システムは観察している。」

堇は言った。「分かっている。」

ノアは彼女を見上げて言った。「あなたはまだ料理を続けるつもりか?」

堇は迷わず言った。「続ける。」

ノアは頷いた。

炎は弱く揺れ、鉄鍋の縁から軽い音が聞こえた。それは卵炒飯が鍋底に達する直前の音だった。

堇は振り返らなかった。

ただ、ノアを見つめていた—温もりのないこの影像は、かつて騎士だったが、今は吟遊詩人の空虚な殻となっている。

彼は聖剣、王国、封印について語った。

しかし、自分自身のことは語らなかった。

堇は知っていた。本当の答えは今夜には見つからないことを。

だが、彼女は重要な情報を聞いた。

聖剣は神から授けられたものではない。

それはシステムが「異常を抑制する」ために使う監獄だ。

そして彼女は、その監獄内の異常に導かれている。

火鉢の前で、堇は鍋の蓋を開けた。

鉄の鍋の中の炒飯は、底火の余熱を十分に吸収し、米粒と卵液が安定した形態に融合して、色も均一で、蒸気が安定して上昇していた。

彼女は飾り付けも、調味料も加えていなかった。

ただ魔鶏卵、龍髄塩、少量の草根香料が使われており、それらはすべて野外や在庫から調達されたものだった。

堇は二つの古い金属製の弁当箱を取り出し、炒飯を分けて入れた。余計な説明はせず、そのうちの一つをノアに渡した。

ノアは顔を下げ、数秒間見つめていた。

すぐには受け取らなかった。

堇:「食べないのか?」

ノアの声は低く、穏やかだった:「食べられない。」

堇:「死者もエネルギーが必要だ。」

ノア:「私は本当の死者ではない。私はシステムのフォーマット内にある亡霊のキャッシュだ。もし君の体内に残骸の共振がなければ、今ここには存在しない。」

堇は冷静に言った:「炒飯は熱を共有する。試してみて。」

ノアは再び何も言わなかった。

彼は座り直し、弁当箱を受け取り、食指で一口取って口に入れた。

数秒の沈黙。

そして、動きが止まった。

彼は下を向き、動かず、目は焦点を失い、手は空中で固まった。

堇は彼の表情を観察した。

ノアには表情がなかった。

だが、彼の目は赤くなっていた。

不自然な赤さで、システムの干渉でも魔力の逆流でもない。

ただ目の奥に液体が浮かんでいた。

堇は何も言わなかった。

彼が口を開いた。声は不安定で、微かな破裂音を含んでいた。

「この味…子供の頃食べたことがある。」

「南方防線、アルシ辺境の前哨基地に、炊事兵がいた。」

「彼は野鶏の卵、粗塩、麦粟米で温かい飯を作っていた。」

「私はその時、初めてご飯を食べた。彼は廃油鍋で作った炒飯をくれた、それがこれに似ている。」

彼は少し間をおいて、呑み込んだ。

「その時、私はまだ騎士ではなく、補欠兵だった。寒くて、風邪をひいていた。彼は飯をくれて、『これを食べて生きろ』と言った。」

ノアは弁当箱を見つめていた。

彼は震えていた。

肉体ではなく、映像だった。

残像の構造に不規則な波動が現れ、データが過去の記憶を巻き戻そうとしているようだった。

堇:「今でも食べられないと思うか?」

ノアは答えなかった。

彼はただ第二口、第三口と食べ続け、弁当箱の中身が少しだけ残るまで食べた。

彼は手で蓋を閉めた。

食物を保存するためではなく、感情の流れを終わらせるためだった。

それから彼は言った:

「ありがとう。」

堇:「気にするな。」

彼女は自分の分の飯に手を付けなかった。

ただ再び火鉢に目を向け、火を消した。

すべてが静寂に戻った。

ノアは再び車の後ろに寄りかかり、目を閉じ、声は冷静を取り戻していった。

「もし機会があれば、もう一度この飯を食べたい。」

堇:「いいよ。」

ノアは低く確認した:「僕が生きていなくても?」

堇は彼を見つめて言った:「君はさっき、噛む反応があった。飲み込む動作があった。感情の波動もあった。私にとって、これらは『生きている』証拠だ。」

ノアは再び何も言わなかった。

堇も尋ねなかった。

だが心の中で、ひとつの変数が残された。

炒飯はフォーマットの残骸の隔離層を突破し、原始的な感情を呼び覚ました。

これは普通の食べ物の反応ではない。

構造的干渉を持つ**「精神的覚醒因子」**だった。

彼女は下を向き、再び食材と配合を記録した。火の魔力温度の安定値、鍋の熱伝導率、草根香料の使用比率。

彼女はこの結果を再現しなければならなかった。

これは料理ではない。

これは武器だ。

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