勇者引退後、初めての卵チャーハン
ジンは辺境の小さな町で屋台を開き、魔法の鍋で光を放つ「黄金チャーハン」を炒め、町中の人々の注目を集めていた。
聖剣「エクスカレーカレー棒」が初めて登場し、炒め用のヘラに改造されていた。
開店の喜びを味わっていたその時、突如として王国騎士団が現れる——「聖剣の窃盗および反逆罪」により、彼女は指名手配されていたのだった。
辺境の町ビータ、風のない日
埃さえ動く気のない市場。昼下がり、まばらな露店。日陰で眠る犬さえも、奇妙な香りが突如として淀んだ空気を破り、人々の鼻腔を襲うまで、ただうたた寝をしていた。
「……卵チャーハンの匂い?」
誰かが呟くも、気にかける者はいない。
二つ目の香り──炎と卵と米が高温で炸裂し、厨房でしか知り得ない焦げ香が漂う。今度は皆が一斉に顔を上げた。
三つ目は光だった。
金色の光。
市場の端にあるボロボロの魔法屋台から。
竜巻に引きずられたような凹みと焦げ痕。垂れ下がる布切れには手書きの文字──「スミレの移動厨房」。
誰も見たことのない屋台。
誰も見たことのない、炒飯時に光る鍋。
「魔法の罠か?」「お前がまず食ってみろ」「……しかし腹減った」
灰エプロンの女が立ち、銀髪を適当に束ね、日焼けした肌は遍歴の痕。左手に鍋、右手にヘラ。
ヘラが沈むたび、流星のような金色の微光。米粒は透き通り、卵が妖しい輝きを纏う。
観客が増える中、最初の客が唾を飲む:「……いくら?」
「仮に銅貨2枚」
「……分割払いは?」
「食ってからでいい」
金色に盛られた一皿。香りは周囲の露店を圧倒。焼き魚屋じいさんも刷毛を置いた。
一口。五秒後、男は皿を頭に被せた。
「……跪きたくなるうまさ」
笑いが広がり、列ができる。30分もせず十数人が押し寄せ、仮設の縄が張られる。町の老兵も列の最後に立つ。
厨房でスミレは食材を確認:「米あと二鍋……明日仕入れか」
ヘラが踊る。儀式的な動作。
少年が銀のヘラを凝視:「おばさん、そのヘラ……どこで買った?」
スミレは振り返り、陽に照らされた刻印を示す。
「エクスカリバー」
「調味料みたいな名前」
「元は聖剣」
「嘘だろ」
「本当よ」
剣がヘラに?
「逃げ続ければ、何でもできる」
少年はヘラを見詰める。冒険譚から抜け出したような造形。
スミレは炒め続ける。この町に来て三日。逃亡は三年。
エクスカリバーは魔王の脊髄を断ち、彼女と王国の絆も断った。
魔王討伐の夜、祝宴を抜け出し宝庫から聖剣を持ち去った。
「──返さない」
十三の国境哨所を越え、ビータ町へ。
「いい炒め具合」彼女は自分を褒めるように呟く。
ヘラが微震え。
「静かに。お行儀よく」
エクスカリバーは大人しくなる。地味な生き方を学んでいるようだ。
列を見渡すスミレ。平静を願うも、飯の香りが凶悪すぎた。
自ら一口食べて呟く:「……確かに反則級の味」
次の瞬間、甲冑の騎士が吼える:
「天宮スミレ! 王国法第七十二条により、反逆罪及び聖剣窃盗の重犯として逮捕する!」
静寂。
ヘラが止まり、米粒が床に落ちる。
「……一鍋も売れないのか」
銀青の鎧に獅子の紋章。四人の騎士が四方から包囲。
群衆は距離を取り、卵チャーハンを抱きしめる者も。
スミレは若い騎士たちを見る:「……お前たちだけ?」
「聖剣を盗み、逃亡中に屋台まで! 勇者としての誇りは!」
「勇者とは言ってない」
「聖剣を使っている!」
「今はヘラ」
騎士カシューが槍を構える:「投降しなければ強制執行!」
「いいわ」スミレは火を弱め、ヘラを地面に突き立てる。石に溶け込むように沈む。
「これを抜けたら付いていく」
カシューが必死に引くも微動だにせず。
第三騎士の剣が突く。スミレは左手で刃を払い──剣が真っ二つ。
「引退したから家事専念」
ヘラが光り始める。
「剣を振るう気はないが……」
米粒を空中に撒き、ヘラで弧を斬る。地上に十メートルの切れ目。
「帰れ。明日は仕入れで忙しい」
スミレは少年に鍋を渡し、屋台を担ぐ:
「明日はいるかどうか」
騎士たちは追わず。
副団長が降臨し、地面の痕跡を見つめる:
「あの鍋が抜けるまで鍛え直せ」