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嵐が来る

作者: 秋暁秋季

注意事項1

起承転結はありません。

短編詐欺に思われたら申し訳御座いません。


注意事項2

今日も暑いですね。

真夜中に、激しい雨音で目が覚める。嵐が来た。全てを奪う、嵐が来た。

そうして世が明けて、窓の外を眺めると、鈍色の雲が空を覆っていた。昨夜の嵐が嘘のように、雨粒一つ降っていない。これからまた始まるのだと思い知った。

「とある偉大な漫画家が、小説家が、研究家が、哲学者が言っていた。『自然というのは脅威なのだ。御前達人間が慈悲をかけるのではない。自然の側が気紛れに慈悲を掛け、御前達を生かしているのだ』と。そしてこの言葉で締めくくられた。『奢るなよ、人間』と」

共に窓の外を眺めていた隣人が、そんな事を言った。手に持っているのは宮沢賢治著、注文の多い料理店である。

この童話の解釈は様々に展開がなされているが、そのうちの一つ。『自然を弄びながらも、結局はその自然に脅かされ、生かされている』この言葉を掛けたいのだと思った。

「全くもってその通り。星を壊すのは人間達ではほぼ不可能。近年騒がれているのは、“私達が暮らしていけないぐらい”に傷付くだけ。壊すなんて傲慢なのだと。とある教授が言っていた」

植物も、水も、光も、全て、人を殺すには十分過ぎる程の脅威である。ただ現代人というのは、科学技術の進歩を過信して、支配したと思っている。だから『自然保護』なんて言葉が出来てしまうのだろう。

「嵐が来るね……。此処は大丈夫だろうか」

「どうだろうね。牙を少しでも向けられたら、私達は生きていけない。 人間というのは、脆い生き物でしかない」

「少し眠ろう。不安がっても仕方がない。死ぬ時は死んでしまうのだから」

そうして、部屋の片隅で、嵐が過ぎ去るのを待った。何も出来なかった。

もしも本当に、自然の全てを支配出来たと豪語出来るのなら、嵐の一つでも操って見なよ。


~神様と似てる~

どうにも昔の人は、全ての物に神が宿ると言われていたそうな。その辺の石にも、木にも、万物に宿ると考えていたそうな。だから自然にへつらうのも、おかしな話ではないのかも知れない。

「奢るなよ、人間。意図も容易く滅びるお前達が、自然現象、災害に勝てる訳がないだろう」

そう、何処かで言われている気がした。そう仰ったのは、とある神様な気がした。

最近、コメントを見まして、それで芋ずる式で思い出したんですよ。


自然は保護するものでも、操るものでもない。

ただ私達が牙を向かれない様に、被害に遭わない様に暮らすしかない。


これ、沢山の方々が言葉を変えて残したものです。


大雨が来ても、日照りが来ても、それで被害を受けている時点で、操る事は不可能なのだと知らされます。


保護も破壊も烏滸がましい。

ただ恐れて過ごすしかないのだと知らされます。

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