第61話 「彷徨う森」
ハーフエルフのキャステラ妃は、今日もまた、<魔術の塔>でチェスに興じていた。
最早、<黒>以上でなければ敵う相手もなく、指導対局が多い。
それでも、既に魔術の塔でアイドル化している彼女の許には、今日も対局希望が殺到する。
一通り遊んで、少々疲れてお茶を飲む。
此処は、魔術の塔最上階。アークマスターの間。
アリエスと妃たち以外に入れるものは居ない。
窓の外を見ていた。
窓と言っても、本物ではない。内側からだけ見える、マジックミラーのようなものだ。
鉄壁の防御を誇るこの魔術の塔9階。外部から入れる場所は何処にもない。
まったりと、お茶を飲んでいた。
今は、アリエスが居ない。実は、夜には遭うことになっている。
9階の景色は壮観で、ちょっぴり特権的だ。そう思ってしまうこと自体、下世話なことと思いつつ。
南東を見るのが好きだった。
ツァルトの南東側はまだまだ未開地が多く、彼女の好きな森が至る所に広がっている。
この時代、国に大陸が分けられているとは言っても。現代の様に川一本で仕切られてなどいない。むしろ、未開地の所々に国と町が点在し、点線のような道で繋がっている。街道沿いは人間の領域になっているが、その外側は、人では無いものの世界。その程度だ。
西ではアテンドル皇国、東では盟主ファルトラント王国近辺が最も開発され、農地が広がるが、その他の国においては、未開の地は山ほどある。そんなものだ。
ただ。この時、キャステラ妃は少々、いつもと違うモノを見つけた。
あんな所に、森はあっただろうか。奇妙なほどに黄緑色で、輝くよう。
いや。
ある筈がない。
自分が見間違えるはずは無い。森の守護者たる、エルフの血を引く自分が。
自然魔法の使い手である自分が。
キャステラは、夫を呼ぶことにした。
“親愛の指輪”を使って。妃達が持つ、強力無比なこの指輪で。
私用で呼ぶことは妃達の取り決めで禁止されている。アリエスにとっては、チャットが絶えず10本入る様なものだから。
夫は、あっという間に来た。
背中から抱きしめて来た。
いや、今はそんなことしてる場合ではない。
キャステラは、森を指さした。
…そこには、いつもの風景しかなかった。
「あれ…ついさっきまで…。」
キャステラは詳しく説明したが、実際にないものは無い。
アリエスは馬鹿にはしなかった。これは、彼の良いところだと言える。信じてくれた。
…が、無いものは無い。
「んっとね…ありえす。んっとね…ん~、チェスでもする?」
アリエスは微笑んで彼女を抱きしめた。
―――1週間後。
キャステラは、意識的に外を見ていた。
あれからずっと、探していた。黄緑の美しい森を。
それは、かなりの低確率であったし、キャステラも毎日長時間眺めていたわけでは無い。
でも、見つけた。前の場所とは明らかに違う、南の方だった。
急ぎ、アリエスを呼ぶ。
駆けつけたアリエスと共に、間違いなく光る黄緑の森へ、2人は向かった。
急ぎ、空を飛ぶ。
脅威ならば排除するし、良きものならば、それはそれで知る価値があるだろう。
勿論、知的好奇心も否定できない。特に、キャステラにとっては。
さて、2人は黄緑の森に降り立った。
足を踏み入れた途端、圧倒される。
鳥の声。虫の声。水の音。泉。そよぐ風の音。木漏れ日。全て、新緑のような美しい草木。
その全てが、生命力に溢れる。溢れ出している。
…美しい…。アリエスはガラにもなく呟いた。
森の守護者たるエルフは言葉を失っていた。
2人は、静かに森の中央へ向かう。
中央に近づくにつれ、少しずつ、草木は低くなり、草原の様に開ける。
此処が森の中心に違いない。そう思える場所へやって来た。
そこには、無数の石像が、倒れていた。
100体。いや、2、300体の石像が、砕けて倒れていた。
見事な彫刻だった。表情まで、服装まで。
「スゴイ彫刻だね…勿体ない。」
キャステラの言葉に、アリエスは首を振り、目を閉じる。
「キャステラ、彫刻じゃない。」
知性的な妃は、すぐにその意味を理解した。
「…なんて…こと…。」
アリエスは、石像を見て回った。
もし、その表情を表現するなら、何て言えば良いんだろう。
逃げ惑った表情ではない。つまり、石化を受け入れた人々だ。
だが、悲しげな表情。不安げな表情。子供も多い。抱き合う家族の石像も。
そして、大半は大きく欠けている。不思議なことに、欠けた欠片は近く落ちていない。
「どういう事…?」
「理由は判らないけど、石化して、時を待ったんじゃないかな…でも…。」
「誰かが、壊してしまった…?」
「未来で蘇る夢をね。」
遠くから、獣の荒い息遣いが聞こえて来た。
“敵意”が伝わってくる。
「キャステラ、気付いてるね?」
「うん。判ってる。」
「バリアを。」
「うん。」
どす、どす、重たい音。象のように、象より重たい音。
巨大なサイのような姿が見えて来た。大きな3本の角。違うのは、分厚い皮の鎧ではなく、石の様な鎧をまとっていることだ。
知らない、魔物。
ソイツは、出し惜しみはしなかった。
口を大きく開き、竜のようにブレスを吐いて来た。
「“フィールド”!」
ブレスを弾く。左右に分かれたブレスは、美しい木々を、瞬く間に石に変えた。
「石化ブレス!?」
強大なサイのような魔物は、突進してきた。
容赦なく、石像を踏み荒らしながら。
「こ、コイツが人を石に変えたの!?」
「さぁ。何であれ、倒す。」
「“テレキネシス”」
その強大な体躯を、アリエスは魔法で受け止めた。
重戦車を押し戻すように、押し止めた。
「…違う気がする。あの人たちは、石像に“なった”人たちだ。“された”じゃない。」
押し止められたことに怒る魔物は、再び口を開いてブレスを吐こうとする。
「“タイム・フリーズ”」
アリエスは時を止めた。キャステラを守る意味でも、出し惜しみは出来ない。
「“アイスジャベリン”!」
凍った時間の間に、アリエスの3本の氷の槍が、深々と魔獣を貫く。その固い、巌を貫く。
…時が、動き出す。
魔獣は、一歩二歩歩き、倒れた。
「…倒した?凶悪な魔獣だね…。」
「ああ。こんなヤツ初めて見たけど…。」
荒い息が、再び聞こえて来た。
魔獣は立ち上がり、その槍は肉の回復に押し戻される。
「不死身か!?魔獣!」
「キャステラ!僕が動きを止める!風を起こして、ブレスを封じて!」
「“自然魔法:コール・ウィンド”!」
「“テレキネシス”…さて、どうしたもんかな?」
魔獣は、風に逆らってブレスを吐いていたが、やがて息が切れると、手当たり次第に、石化した樹木を、足元の草を貪り始める。
「…石を…食べてる!?」
「どうやら、見えて来た。コイツの正体が…でも、何故死なない?」
「コイツの力だけじゃないと思う。アリエス、この森は異常に生命力に溢れているんだ。元々、コイツにはトロールみたいな治癒力があったんじゃないかな?それが、増幅されてるんだと思う!」
「根拠は!?」
「“生命力”に対する、私の感覚。」
「なら信じる!“テレポート”!」
アリエスは、魔獣の真上にテレポートすると、その背に触れ、もう一度同じ呪文を唱える。
接触テレポートだ。
「来い!連れて行ってやろう!広々とした所へ!」
アリエスと魔獣は同時に消えた。
一瞬の移動。
そこは、空。
上空高く、空。いつか、ダッカーヴァで豚を倒した時のように。
魔獣が吠えながら落下する。
アリエスは、同じく落下しながら、呪文を唱える。
「“タイム・フリーズ”!もう、周りの森を気にする必要は無いんでね!」
「メルト・ファイアボール!!」
最高位魔法の1つ。全て、溶かす。余りに凶悪な灼熱の呪文。
「消えろ!お前に喰われた石の人々の恨み、晴らす!」
時が動き出す。
巌の赤い塊は、地上に就く前に、どろどろに溶けて、海に降り注いだ。
―――黄緑の、森。石の墓場。
「キャステラ。戻ったよ。」
「…良かった。」
キャステラはアリエスに抱き付いた。
「多分だけど…」
「うん…。」
「どんな理由かは知らないけど、この彷徨う森を創り出して、復活を待った人たちが居たんだろうね…。」
「森から森に?永遠に?」
「森の空白に、又は森の近くに飛ぶように、かな。森は平和の象徴だよ。実質的に、例えば魔族に支配された土地に森など無い。戦乱で燃え尽きた荒野にも。だから、森から森と言うのは、安全な場所を求めて、とも思えるんだ。」
「凄まじい魔法だね。自然魔法と物理魔法の使い手だとして、マスタークラス。」
「でも、いつか、何処かで。不幸にも石を食う魔獣に出くわしてしまった。無限にあるような石。おまけに、生命力も与えられる。天獄だっただろうね。この生命力、僕には一種の再生魔法に思えるけど。石は劣化するからね。損失分を回復させ形を保つために…かな。」
「それだけ強力な人たちが、なぜ逃げたの?」
「それは…判らない。」
アリエスには、1つだけ心当たりがあった。
2000年の昔に君臨したという、魔法王国。“黒炎の魔神”に滅ぼされたという、古の帝国。こんな大掛かりな魔術で人々を逃がせるとしたら。
でも、可能性でしかないし、余りに根拠もない。だから、キャステラにも言いあぐねた。
「ね、アリエス。じゃぁ、他にも、彷徨える森はあるのかもね…?」
アリエスはハッとする。
「キミのそう言う前向きな所、大好きだ。キャステラ。」
この森が1つとは限らない。世界に、あるいは復活を待つ人々が?
…2人は、石の墓場を出て、森の端の方、泉のほとりにまで歩いた。
泉。新緑。鳥の声。そよぐ風。
キャステラは、ふと、アリエスの服をつまんで立ち止まった。
うつむいて、立ち止まった。
「この森に、人間はもう私たちしか居ないけど。昔の人が残した理想の森は残ってる。」
「うん。こんな綺麗な森、初めて見た。」
キャステラは、恥じらいながら、小声で言う。
「ハーフエルフと人間の間に子供が出来にくいのは、ハーフエルフの、種としての生命力が不安定だから、って言われてるんだ。」
「その…ここなら…もしかして…。」
アリエスは森を見る。
古代の魔力により、異様なまでに生命力に溢れた、楽園のような森。
考えてみれば、あれだけ魔法を使っても、まるで疲れていない。
キャステラは、足元だけ見ながら、囁く。
「んっとね…ありえす。んっとね……チェス…する?」
アリエスは微笑んで、いつもに増して愛らしい妃を抱きしめた。




