第60話 「アネモネの帰還」
アネモネという、一言で言えばゴージャスな妃が居る。
当初は、アリエスがバルスタッド国王を殺すのを辞める代わりに差し出された、生贄の姫だった。
だが彼女は、逃げる事もせず、暗殺も狙わなかった。
代わりに、骨抜きにすると。自分に溺れさせてみせると宣言したという。
それから、1年半ほど経つ。紆余曲折あれど、アリエスの指輪を受け取り、妃となった。
嘘から出た真であった訳だが、戯れに訪れたことがきっかけで、今は、魔道国ツアルトの首都ディム、そこに在る大きな演劇団の花形となっている。
彼女が出て来るだけで会場は沸き立つのだ。それでいて、その演技は、始めたばかりの素人とは思えぬ輝きを放っていた。
ダンスも僅かな練習で決めてしまう。その体感の強さは、若き日バルスタッド最強の狂戦士であった国王の娘だけのことはある。
興行的に、唯一の難点は、アリエス王の妃であるが故、ラブシーンが無いことだ。
団長は不満だったが、多分逆らうと劇団の建物ごと消える事になりかねないので、我慢している。
そんなアネモネにも、来るべきときは来てしまい、いや、望んでいたのかもしれないが、現在懐妊し、劇団トップスターは育休中である。
劇団の動員数は3割減ったらしい。
―――バルスタッド王城、パントハイム。
アネモネは、その細いウエストに無理の掛かる臨月近い体で、この城を訪れていた。
産む前に、どうしても聞いておきたいことがあったからだ。
1人で帰る。その理由はアリエスにも言わなかった。
出産近いこともあり、アリエスは反対“しかけた”が。
一度2人で訪れてから、1年以上。一度も帰りたいと言わなかった彼女の気持ちを量りかねて、了承した。
その時のアリエスの顔を、アネモネは覚えている。
「お母さま…お久しゅうございます。」
「アス・ヤ。良く帰って来たわね。まずは腰掛けなさい。立っていては辛いでしょう。」
「…はい、すみませんお母さま。」
アネモネは、久しぶりの母娘の会話を心から喜んだ。何度か、泣きそうになった。
「…アス・ヤ。アリエス王とはどんな人物であろうか?母に、本当の事を教えておくれ。お願いだから、本当の事を。」
母の必死さが嬉しかったが、そう悪人な訳ではない。いや、大悪党なのだろうが。
「アリエス様は…戦いにおいては鬼神。とは言え、戦いなど無い方が良いものです。普段は、ただの…エッチと言うか…だらしないというか…怠惰と言うか…。何もしないと言うか。」
「…英雄色を好むは何処も同じですね。」
「?」
「いえ…。それで?」
「だから、いつも怒られているのよ。私達お妃だけじゃなく、街では市民にまで。そして、一緒になって笑って、踊って、歌うの。」
「でも、お子のオムツも替えてくれるらしいわ。デザートも手作りしてくれる。常に魔法を使って楽しようとするけど。」
「この前なんか、ノエル妃のお子を竜の所へ連れてって…珍しいものを見せたかったとかで…で、めっちゃ怒られてね、バカみたいでしょ?」
母は、黙って聞いていた。
「ねえ、母さま…」
「私は、この子を産んでいいの?」
母は、黙って娘を抱きしめた。
―――城内を、少しだけ歩く。旧知の侍女が介助してくれる。
自分の部屋は、もう、なかった。そこは、父王の新しい妃の部屋になっていた。
兄たちにも会った。
「良くもまぁ、父を殺そうとした男の子をはらんできたものだ。」
「なぜ殺してしまわんのだ。この誇り高い戦士の国に、魔道の血など不要であろう?」
母とは逆に、兄たちからは辛辣な言葉が飛んできた。
最期に、アネモネは、母と共に、父王のもとを訪れた。
「アネモネよ…アリエス王の子を宿したのか。良くやった…。」
アネモネは、はっと顔を上げた。
「…などと、ワシが言うはずも無かろう!殺されかけ、おまけに奴隷を開放しろだと!?あの男の言うなりになった自分を何度殺そうと思ったか!!」
…その男に私を差し出したのは、あなたではないですか…父さま…。
「何故殺さん!?何度も抱かれているのだろう?お前が上の時に刺し殺せば良い話だ!」
…この子を、祝ってはくれないのね、父さま…。
アネモネの目には涙がにじんできた。
「それとも、情が移ったか!?これだから女は!!」
「それは、年甲斐もなく新しい妃を連れて来た王の言葉ですか?」
母が言った。
ああ、そういうこと…。アネモネは思う。
「ミラルダ。口が過ぎようぞ。王のすることに口出しするな。」
「いいえ。黙りません。あなたは、アス・ヤを兄ヨル・ジの妃にしようと言っていたわね。反対して良かった!アス・ヤはそれよりずっと素敵な恋を見つけてきたみたいよ!?先程、わたくしに話してくれたわ!微笑みながらね!笑いながらね!!」
ああ、わたし、笑っていたのか。
「娘の幸福を願わない親がどこに居るのです!女は政争の道具ではありません!」
「衛兵!妃を連れていけ!独房で暫く頭を冷やさせろ!」
衛兵が、妃に非礼を詫びつつ、奥へ連れて行こうとする。
「自分で行く!良い!」
そして、アス・ヤ姫に叫んだ。
「アス・ヤ!この国の未来は忘れて良い!在りし日の思い出さえ大切にしてくれれば良い!良い子を産みなさい!愛した男の子供ならば産みなさい!!」
「母さま!!」
ああ、一番聞きたかったことは、母が言ってくれた。
母さま。ありがとう。
アス・ヤ姫は、父を振り返り言った。
「父さま。それでも、私は娘として父さまを愛しています。でも、もうお会いすることは無いでしょう。私、この子を産みます。」
「アス・ヤ!ならば、産んだ後に帰ってくるがいい!その子を人質にする方法も考えるのだ。様々な“価値”を考えようではないか。おお、その子を次のアークマスターに据え、<魔術の塔>を奪い取る方法もある!」
「私はもう、アス・ヤ姫ではありません。あの人に新しい名を貰いました。わたしは、アネモネ!そして、この子は、ツァルトの王子!この国になんて渡すもんか!!」
そして、指輪を掲げる。
「“親愛の指輪”よ!私をツァルトへ!“戻して”!」
姿が消える瞬間、アネモネは泣きながら呪詛を呟いてしまった。
滅んでしまえ…こんな王家など…。野蛮な戦いに明け暮れ、女を褒賞程度にしか見られない、こんな王家など!
…泣き顔で帰って来た身重なアネモネを、アリエスはオロオロしながら抱きしめ、部屋に連れ添った。
アネモネは少し微笑んだ。
心配そうな顔してたクセに。私がバルスタッドに帰らないか、心配してたクセに。
…要らない心配を。
翌日―――独房。
アス・ヤの母、第3王妃ミラルダの牢獄に、フード付きローブを纏った、1人の若者が近づいて行った。
牢の番兵は6名ほど居たが、音もなくバタバタと倒れて泡を吹く。
青年は、牢の扉を、手も触れず、音もなく、開ける。
「そなたは…何者か?」
「アネモネの母君ですね…。」
「そうか…“戦いにおいて鬼神”…か…。」
「お連れしましょう。我が城へ。侍女や給仕、執事も。ご家族も。貴女が必要とする、愛する者と共に。如何ですか?」
「…私はバルスタッド王妃の誇りと共に生きてきたのです。王の愛をとうに失っていようと、国を捨てるはずもない。」
「いいえ。貴女は、新しいバルスタッド王家の血筋を守るため、暫し出向するのです。僕は、子を産んだ妃には、家族を呼べるように離宮を建てています。アネモネの子が、家族が住む離宮です。」
「故郷を離れるのは、勇気のいること…。」
「アネモネは今でも時々…妃達とも仲良くなったのに、時々寂しそうにするんです。でも、貴女をお連れできたら、これほど嬉しいことは無い。」
「嬉しい?」
「だって、今よりもっと、アネモネは可愛らしく笑ってくれるでしょ?」
敵対行為とも挑発行為ともなりかねない提案を平気でしてくる、遠い、東の国の、王。
恐れを知らない若き魔術王の提案を、王妃は含み笑いしながら了承した。
孫を抱きながら過ごせる場所は、何処であっても、天獄かも知れない。
―――バルスタッド南方。未だ、国なき地方。多くの小さな集落が点在し、それぞれに権力者たる族長がいる。
かつて奴隷であった者達は、大きな勢力となって、南で新たな国創りを夢見て動き出していた。
バラバラだった集落は、連合を組み、情報網を作って、組織を作って、一つの力になりつつあった。
その行動力の源泉は、復讐。怒り。
1人の族長が、地下で祈りを捧げる。
古き言語を使い、古き呪術を使い、何かに祈りを捧げる。
眼前の大きな岩に描かれているのは、人間の様な形をした何かだ。
彼は向き直り、人々に向かって言った。
「天神の恩恵など、この世界には、とうにないのだ。」
「我らを守るのは、古よりこの地に眠る神の他に無い。」
何処からか連れて来られた、バルスタッドの狂戦士たちが、地下深くにある、幅広い大地の亀裂の前に立たされた。
男たちは、屈強で勇敢である筈の狂戦士たちは、その下に蠢くモノを見た。
甲高い、喉の奥から搾り出すような悲鳴を上げながら、男たちは突き落とされる。
悲鳴は、すぐに、祈りの声にかき消されていった…。




