第59話 「虎」
20mはあろうかと言う、尖った岩が突き出している。
何本も、突き出している。
何故、この様な地形が生まれたのかは分からないし、魔族が関わっていれば無用な深読みもしたくなる。
敢えて東の海岸沿いから“奈落”の調査に来たアリエスは、その突端に立って、遠くの奈落を眺めていた。
隣の尖った岩山の突端に、光に包まれた白い虎が現れた。
当然の様に、現れた。
神々しかった。うっすらと白い光を放ち、頭部に一対の白い羽。背中に、2対の白い羽。
右の前足には金色の文字が組み合わさったような足輪をしている。
…まるで神のようだ。ここが魔族の領域でなければ、素直に感動したかもしれない。
ここが世界常識の外側にあることを思えば、魔族の偵察隊が此処に居ても、襲う隙を伺っても、何の不思議もない。勿論、魔族の様々な変身、変化にも。虚ろな姿にも仮初の体にも。
アリエスはこの時“本体”で、だから常に気を張り、念入りに防御を張り、逃げる準備をしている。
だから、その白い虎を見ても、当然、冷静に見つめていた。
虎は吠えるのではなく、言葉でアリエスに問うた。
「何故、我を見て一言も発せぬのか。」
男性とも女性ともつかぬ中性的な声。
「思ったよ?強いて言えば、虎は格好いいな、と。」
「ふざけたヤツだ。」
「襲っても来ない。フレンドリーに話すでもない。だから、見ていたのさ。」
「…それほど畏き奴が、何故、己の愚に気づかぬのか。」
「さぁ…賢かった時の方が少ないんで。」
「我は、見て居よう。お前の、愚の行く末。」
虎は消えた。テレポートだろう。
アリエスの目の前に、黒雲のように、いつか蹴散らした黒雲のように、飛行魔たちが迫ってくる。
想定範囲内だ。むしろ、何処まで近づいたら来るのか試していた。
「“ライトニングフェザー”!」
恐るべき一翼100mもの雷の翼。8枚。
アリエスは飛び立つ。そして、「“バリア”」
強烈な物理防御と、ある程度の魔法防御も忘れない。
一気に飛行して距離を詰める。
この時、アリエスは“ディテクト”を使っており、消えていようが、隠れていようが、悪意を持っていればすべて見えている。
しかし。
突如、アリエスの背後に、20程の悪意がテレポートしてくる。
雷の範囲内。しかし、アリエスは次々に炎魔法の衝撃を受けた。
「ぐっ…」かすかに呻く。
振り返る。そこに居るのは、炎の塊のような、精霊のような、悪魔。
炎の魔族。
雷の雨をものともせず、アリエスに迫ってくる。
「“アイスストーム”!」
一気に散会し逃げる悪魔の10体ほどは巻き込んだ。消滅だ。
しかし、残り10体はバラけて追って来る。
アリエスは、距離を取る為、猛スピードで飛行する。
急旋回し、範囲化した個別の“アイスジャベリン”で5体を貫く。
背後に、再び気配が増した。
ガス状の魔族、煙の塊のような不定形の魔族が、湧き出す。その数、30程。
雷が効くはずもない。
アシッド系の呪文が飛んで来る。酸の呪文だ。「“フィールド”!」
防御し、上空へ。「“ファイア・ストーム”!」
ガスの魔物を消し去ると、その陰から炎の悪魔たちが一気に距離を詰めてくる。
「“タイム・フリーズ”!」
使わずに居られない究極呪文。
時が動き出した時、最期の炎魔族は消滅していた。
そして、黒雲のように沸き出していた飛行魔を向き直る。
…飛行魔は、既に後方へ撤退していた。
背後に、再びテレポートしてくる、炎魔族。
その数、40程。
増えている…一体何体!?
炎が次々にアリエスを焼く。
圧倒的な魔力のバリアが防いではいるが、如何にその理不尽な魔力があろうと、アンチマジックをしていない以上は、少しずつダメージが伝わる。
衝撃や、熱が。ほんの少しずつ、アリエスをそぎ取っていく。
まして、こうも高度な呪文を使い続ければ、その精神疲労は計り知れない。
「…誰だ…何処に居る!この群れを操っている奴が、居る!」
次々と、部下をテレポートして僕の周りに飛ばしている計算高い奴が、居る!!
それが何者であろうとも、会ったことがない壮烈な力なのだろう。
もう意味のない雷の羽は仕舞った。あるだけで、精神力を削ることになる。
さっきの虎が?
いや、違う!ヤツは“見ている”と言った。信じるのではないが、魔力の源が違う気がする。
「“エクスプロージョン”!」
誰かが、アリエスでは無い誰かが、呪文で近くの、岩の尖塔を破壊した。
「ぬう?」
宙に浮く、白い虎。
魔族たちは一斉に虎を見た。
隠れ、魔力を抑え、気配を消し去っていた白い虎を。
その瞬時の異変に、白い虎も慌てたのだろう。隠していた魔力は一気にあふれ出し、その存在を周囲に知らしめてしまった。
目標が分断され、動きの統制が消える。
今だ。操ってる大物を…!
しかし、その攻撃の意思は、先程魔法を使った彼女の抱擁により、かき消された。
「逃げるぞ。意識を…合わせろ。」
「どうやってだ!」
その女は、アリエスに口付けする。抱きしめる。一瞬、気が遠くなる。
その女…魔族の女、ミルキシュと名付けた女の手によって、アリエスはその場から消えた。
「おのれ。我に戦いを押し付けて逃げ去るか?これだから魔族は!実に、見習いたいくらいに狡猾なことだ!」
白い虎は、宙を舞いながら、白い光で次々と魔族を葬って行く。
暫し、轟音や雄たけびが響いた後。
やがて、魔族は、引き上げて行った。
―――草原。
草原の中の、一軒の家。小さいが、周りに畑を持ち、小奇麗な家。
数頭のヤギが居る。ミルクを此処から頂くのだろう。
そんな、柔らかな、温かい家庭の象徴のような、小さな家。
アリエスは、ベッドで目が覚めた。どの位、眠っていたのか。
目の前の椅子に、角が無く、羽もなく、村の娘の服を着たミルキシュが居る。
横には、あまり似ていないが少女が立っている。12、3歳か。
「変なの。さっき見た夢の中で、この男のひと、お姉ちゃんと一緒に空を飛んでたんだよ?しかも。キスしてた。」
「あはは、へんな夢。このヒトとは初めて会ったんだよ?家の近くで衰弱して倒れてたの。」
「へえ。お姉ちゃん、こういうヒト好きなの?」
「うん。ちょっと好み。」
「あははは。」
「ははは。」
仲のよさそうな姉妹。「おーい、エリダ!」妹は、下から父に呼ばれ降りて行く。
アリエスは、ポツリと言った。
「僕を助けたのか?魔族が。ミルキシュ。」
「助けた?人間的にはそうか。アタシにとっては、まだ食べてないエサを殺されるのが嫌だっただけ。」
「まぁ、逃げようと思えば逃げられたけどね。テレポートで。時を止めている間に飛べば、余裕だけどね。」
「じゃぁ、何で逃げなかったのかな?」
理由は、思いつく限りでは2つあった。ただ、どちらも明確な理由ではないような気がした。
「さっき、キスしたときエナジーを吸ったな?」
「正解。美味しかった。寝てる間も何杯か頂いた。ご馳走様。」
「女性のキスは起きている時が良かった…。」
アリエスは正直に言ってしまった。
「一応、助けてくれたんだ。文句は言わないけど、そのお蔭で回復しきれていない様な…。」
「キスの続き、する?」
「遊びはしないと言っただろう。」
「そのうち、気が変わるよ。そのうちね。」
「大体、家族の居る前で…って、何故妹が居る?」
「ちょっと心を操っているだけ。お前を寝かせるベッドが欲しかったんで。明日には、忘れるさ。良い子のようだけどね。」
「良い子、ね。」
魔族とは思えないような言葉。特別な吸血鬼は知っているけど。
「キミは何故、他の魔族と違うんだ?他の悪魔達と。」
「チガウ?さぁ。強いて言えば、最初に食べたのがお前の魔力と知識だったからな。姉妹たちは別なのを食ったようだし。」
「そうか。なるほど。」
最初、成長するために知識も吸収したと仮に仮定すると、一応辻褄が合う。その中に、人の価値観も在ったのだとすると…。
いや。それだけで、そうなるものだろうか。本当に、彼女はサキュバスなのか?
「大体、お前は愚かすぎる。強大な魔力を前面に出して領内に入れば、だれでも気付く。」
「まぁ、そうだろうね。」
「お前は有名人だからな?」
「そうなの?それは意外。」
「竜に乗って大暴れし、流星を降らせ骨の軍を壊滅させた人間。悪魔のようなニンゲン。なんだろ?」
「そりゃー名誉なことで。」
「ああ。気を付けろ。有名人はスカウトされるからな。」
「魔族が僕を?」
「そうだ。サイコーに魅惑的な魔族がお前を骨抜きにしてエナジーを吸いつくそうと…。」
アリエスはちょっと笑ってしまった。
比較するわけでは無いが、キャステラの愛らしさと、シャルロナの不思議ちゃんと、アネモネのゴージャスさを足して割ったような子だなぁ。そう思った。
「じゃあ、お暇しよう。妹さんに宜しく。」
アリエスはこの館の主へと、メモを添えて金貨を100枚程置いた。
「命の恩人だろ。もう一回ぐらいエナジーを貰っておこうか。」
「ベッドで回復した意味が無いと思わないか?」
「ケチケチするな。減るもんじゃないし。」
「減るでしょ!」
―――がちゃ。
「あ!!お姉ちゃん…き、キスしてるぅー!!」
下から声が聞こえてくる。父親だろう。
「エリーザ!今パパが助けに行く!」
「イイ所で…はぁ。」
ミルキシュはため息をつき、魔法を掛けて妹を眠らせた。
「“ドリーム・ダイブ”」霧のようになって、“妹”の瞳の中に入り込んでいく。
ああ、なるほど。流石、夢魔と言うだけある。きっと、夢に逃げたんだな。
僕もそこから運ばれたのか。面白い力だ。知らない魔法だ。
…などど感心している余裕はない。
アリエスは、父親に殺される前に、消える事にした。
「本物の、アナタの娘さんではないんですヨー。」
勿論、判ってもらえるはずはなし。




