第56話 「神と魔女の終焉」
蜘蛛の魔神と、聖なる者は、共に燃えて消えた。
その様子を、うっすらと目を開けて、見ていた者がいる。
神と言われた老人だった。
老人は随分前から認知に支障をきたし、精神は幼児のそれに帰っていた。
彼の大好きなことは、本を、気を許した者から、読み聞かせされること。
ああ、彼が、神の力に目覚めたのは何時からだろう。それこそ、自分でもまともに思考が出来なくなってきたことを。記憶が続かないことを自覚して、悲しくて涙を流したころだっただろうか。
何か、楽しい本を何冊も読み聞かせてもらった後。
何時だろうか、神だ神だと騒ぐ声が聞こえた。へええ、神さまが居るんだぁ、素敵だなぁ。
何時だろうか、とても美しい魔術師が、「この者の力は危険すぎる。可愛そうだが殺す。」そう言っているのを聞いた。
でも、お姉ちゃんが、泣きながら、その魔法使いの前に立ちはだかったんだ。「やめて!お爺ちゃんは何も悪いことをしていない!」って。
誰を殺そうとしてたのかな、可哀そうだよね、殺すなんて。
魔法使いは、しぜんし?を待ってやるとか、そのかわりに、この村からでることをきんしする、だれもはいらせないとか、言ってたよ?
なんねんも まえの はなしさ
老人が、意思の光を持ってハッキリと目を開けているのは、随分久しぶりの事だった。
老人は、もう、力ない声で言った。
老人を介護していた2人の美女、ハッターとドミニクに聞こえるように言った。
「わしは、随分と、酷いことをしてきたみたいだなぁ…。可哀そうになぁ、この力のせいなんだろう?自分の意志で使いたくても、使えもしない皮肉な力。」
ドミニクは驚き、老人に声を掛ける。
「おじい様!?」
「なぁ、もう死んでも、良いだろう?もう。随分と、長く生きたみたいじゃないか。魔法や薬で、死んでも生かされてきたんだろう?」
「でも、それでも、ありがとよ。頃合いだ。2人に、感謝を…村のみんなに、感謝を…さようなら。」
「ダメだ!死ぬな!ふざけるな!」
ハッターが叫んだ。
周囲も、異変に気付いた。
ハッターは、老人を揺さぶる。
「私が誰か判らないのか!?お前が創った命だぞ!お前が消えたら!私まで消えるだろう!凍らせてでも生き残らせてやる!!凍れ!!」
老人は、最期に、呟いた。
「ごめんなぁ、一緒に…消えておくれ…。」
「ふざけるなああああ!!“フリーズ・コフィン!”」
老人の体が、氷に包まれる。
アテンドル皇女、アルティオラも老人の許に駆け寄って来た!
「そうよ!死なせちゃ駄目!絶対にダメ!お願い、生きて!生きてえー!!」
アリエスも、ガーレルも、イリアも、ドミニクも、呪文を掛けたハッターも。
何故、アルティオラまでもが、懸命に老人を生かそうとするのか疑問を抱いた。しかし、すぐに。その理由は判った。
「…ハッター様、バルザヤガ。残念ですが、もう死んでいます。蘇る筈もない。神が望んだ寿命なのだから…。逝かせてあげましょう。」
「そんなこ……!」
ハッターが叫ぼうとした時。
ハッターと、ガーレルの体に異変が起きた。
2人は、少しづつ、透き通って行く。まるで、この世に存在しなかったかのように。
ガーレルは、自分の両手を震えながら、見つめた。
「いや…消えたくない…あ…ああ、思い出した…お姉ちゃん、私、私、12の頃に、死んだ」
「いや!ガーレル!しっかりして!あなたは作られた命の訳じゃない!確かに居たの!作られたんじゃない!!」
アルティオラは、泣き叫んだ。
アリエスの中で、謎の糸は繋がる。何故、年齢にズレがあるのか。何故、ガーレルは氷に閉じ込められていたのか。何故、神が消えるとガーレルも消えるのか。
アルティオラは、王家は、禁断の術を使ったのだ。ガーレルを甦らせるために、神の力を。
通常の病死や事故ではない、何らかの、取り返しのつかない死を、覆したのだ。
「いや、消えたくない…おねえちゃん!ありえす!たすけて!」
「行かせない!ガーレル!」
アリエスは、ガーレルを抱きしめて、口付けした。
「思い出して!僕と来年、手をつなぐ約束を!」
「うん、叶えたい…叶えて…ありえす…」
だが、ガーレルはまだ薄くなっていく。
もっと、もっと心を一瞬でも動かす方法を…!
あ。そうだ。
このあと、アリエスがとった行動は、非常に間抜けなものだ。バカにしてるのか、というものだ。
ただ、本人は、至って真面目な決断だったのだが。
ガーレルは自分を好いてくれている。でも、その歴史はまだ浅い。姉への愛情は、きっと深く根を張っている。ならば!!ガーレルの心をつなぎとめる方法!!
…アリエスは、涙するアルティオラを抱き寄せ、半ば強引にキスした。
「な!ふ、ふざけないで!!」
「ちがう、アルティオラ!演技をしてくれ!ガーレルに、見せるためなんだよ!」
「え?あ?」聡明なダリアは、理解した。納得は行かないが、理解した。
ガーレルの眼前。アリエスと、アルティオラは抱き合って、唇を重ねる。
アルティオラの手はアリエスの背を強く抱いていた。
アリエスの手は、こともあろうに、背中から、腰へと徐々に降りて行く。
しかし、アルティオラは嫌がるでもなく、むしろ情熱的に口づけを交わす…。
「お、おおお!お姉さまに何してんのよおおおお!!!」
ガーレルはアリエスを突き飛ばす。思いっきり。
実体の手で。
「ガーレル!ガーレル!!私の妹…!!」
アルティオラは、ガーレルを抱きしめた。薔薇の様に美しい妹を。
実体を取り戻し、元気よくプンプンしている妹を。
ガーレルは、自分の両手を見て、再び、姉と強く抱き合った。
転がりながら、アリエスは親指を立てた。かなり格好悪かった。
――――――――――
消えゆく、もう一人。
ハッターは、ヤレヤレ、と言うと、指をぱちんと鳴らした。
「最後くらい、本体で話そうか。バルザ・ヤガ。」
老人を囲っていた氷が消える。
ハッターを気遣っていたイリアの表情が、別人に変わる。ローブの色までも変わる。
「帽子、オマエは消えるのか。」
「そうみたいねえ。道半ば。邪悪を振りまく使命もここまで。さて、何故。あなたは消えないのかしらね。イア。」
「お前が、過去を作るのに協力してくれたからだろうな…あのとき。」
「ああ、くだらない事を実績にしてしまったわ。くだらない。過去の記憶とやらが、貴方を存在に変えたワケか。記憶を、神が<現実>にしたから、貴女は存在している訳か。」
「多分な。」
「それと引き換えに、貴女にも愛は残ってしまって。邪悪に抵抗を感じ始め…悪魔の山にも興味も示さず…。まったく、呪いをかけた本人が一番呪われている。お笑いだ。」
「…その通りだな。面目ない。帽子。」
ハッターは、イアの目から流れる涙を指で掬い取る。
「くだらない…恐怖の魔女が涙とは…落ちぶれたものだ…イア。だが。だけど。」
ハッターが消える。消滅する。
「だけど、嬉しいかもね…。」
――――――――――
イアの背後に、銀のユタチェルティが立つ。
「随分長く、騙し通してくれたものだ…。邪悪が、老人の世話をしていたとはな。」
イアは、後ろ向きのまま立ち上がる。
「騙してはいないさ。この村に入る時は、魂の邪悪部分を封じていた。だから、本当に世話をしていたよ。私も、ハッターも、ドミニクも。」
「では何故、お前は生まれた!?悪魔の山は生まれた!?」
「悪魔の山については、確かに帽子の仕込み。だが、我々が生まれたのは、ただの偶然。」
イアは、アリエスを指さして、言う。
「バルザ・ヤガの本を偶然読んだ、老人の心が生み出しただけ。本物の、偶然!」
「イア。キミも、本の住人なんだな。だから、炎を怖れた…。」
「だからどうした?アリエス?」
「魔神が言っていたよ。記憶もない。あるのは設定だけ。ニセモノの命、と。」
イアは、冷たい目でアリエスを見た。いや、悲しい目か。
「蜘蛛の魔神はきっと、死を求めていた。意味のない生だと、感じていたんだろう。」
「アリエス。湖のほとりで、勝負を付けようか。」
そして、ユタチェルティに、指さして言った。「手出し無用。」
歩き出す、2人。
ガーレルとアルティオラも、アリエスに心配の声を掛ける。
「行ってきます。最後の戦いに。」
アリエスは手を振った。
2人は、飛ぶのではなく、歩いて湖畔へ進んだ。
まるで、別れを惜しむ恋人の様に。
人が見えなくなると、寄り添って歩いた。何時の間にか、手をつなぐ。
「オマエ、随分と色々な女にキスしてたな。生意気になったものだ。」
アリエスは、魔女のあごを少し上に持ち上げ、口付けする。
長くキスをして。
2人は、湖のほとりで、手を放して、対峙した。
「アリエス。最後に言っておこう。良く私の謎に追いついた。最後の謎解きをしておくよ。」
「お前と私の思い出は、神がねじ込んだ、偽りだが本物の、<事実>。帽子が<読み聞かせた>、バルザヤガの幼い恋物語。嬉しかったか?私の“初めて”?」
「魔神と同じさ。呪いを振りまいても、魂を喰らっても、何も満たされない。過去が、欲しかった。人の様に。お前の様に。」
「命のやり取りを重ねた、ちょっとお気に入りのオトコをネタに過去を作ってみた。タダの、気まぐれ。暇つぶし。その程度。」
「お前への思いは作り物。私と同じ、ニセモノ!愛してるだぁ!?はは、この色情魔が!種明かしは終わりだ!ざあんねん!焦がれて、死ね!」
アリエスは、触媒の指輪を口元に構え。一言だけ、言った。
「…愛している。イア。」
「お笑いだな!あの時、私を連れて逃げようとか言ったオマエ!はは、良い道化だった!」
「バルザ・ヤガ!お前を倒し、食われた魂の数々!開放する!!」
「来い!アークマスター!!」
イアが、フラウレの剣と盾を呼び出す。判っている。対魔法の盾だろう!
「“タイム・フリーズ!”」
「“タイム。フリーズ!”」
2人は同時に時を止める。
「覚えたのか。究極魔法。さすがイア。」
「どうする?前程に、お前の優位は無いぞ?」
魔法の効かない相手。しかし。戦う方法を、アリエスは知っていた。
ついさっき、教えてくれた。ピューリが、その死を持って。
「“サモン・オブジェクト・マス!”」
時が動き出す。
アリエスの周りには、無数の木片が浮かんでいた。木片は、火を灯していた。
村の焼けはてた家々の欠片。自分がメテオで燃やした家屋の破片。
アリエスの指の動きで、一斉に飛んでいく。
「ふん!だが、飛ばす力は魔法!跳ね返す!」
イアが、向かって来た炎の木片を全て、向きを変えて、アリエスの方へ…。
居ない!
背後から、抱きしめる姿があった。
自分に、自分のローブに火を放っていたアリエスが、抱きしめていた。
本物の、炎だった。
イアは肩越しに振り返る。
「流石、アークマスター。今回は、一瞬だったな。お前の勝ちだよ。離れて、自分の火を消すがいい。一緒に燃えて死ぬぞ。」
アリエスは、離れなかった。
燃え広がるイアを、抱きしめたまま、ボロボロと涙を流していた。
「イア…僕のイア…。」
「アリエス…。離れて…。生きて。」
イアは、一瞬だけその手を悪魔の手に変化させ、アリエスを突き飛ばす。
湖に転げた彼の炎は…消えた。
燃えながら、イアは美しく、火の粉をまき散らしながら、舞う。
湖に浸かろうともしなかった。
湖のほとりで舞う炎は、それはそれは美しく、湖面をオレンジに染める。
「幸せだ。私は、幸せ。好きな人に愛されて、惜しまれながら死ねる。」
イアは最後に、アリエスを振り返って、言葉を捻り出す。
「…愛してる…アリエス。」
アリエスが駆け寄る。
黒い灰を、そのほんのひとかけらを、アリエスは両手に掬った。
ああああああああ!
アリエスは叫ぶ。子供の様に、泣き叫ぶ。
殺してしまった。殺してしまった。殺さなきゃいけない魔女を!殺してしまった!!
イア――――――!!
――――――――――
村は、静かに終焉を迎え、それぞれの1つのエピソードも、終焉を迎える。
そんな中、只1人、1人の女だけは、最期のエピソードを語り出す。
老人を世話していたドミニクは、彼の亡骸を。子供を寝かしつけるように膝枕し、最期の物語を読み聞かせる。
<これは、夜の魔女、バルザ・ヤガの最後の物語>
<邪悪な魔女は、愛する魔術師の手で、燃え尽きて滅びました。>
<でも、魔女の思いを哀れに思った神は、最期に>
陽光の下。呪われた森にある、小さな湖のほとり。
美しい少女イアは、裸だった。膝まで湖に浸かりながら、泣いていた。
今朝、記憶を消して森の外れに逃がした少年の顔が、焼き付いて、離れない。
昨夜初めて会って、運命の様に恋をして、全て捧げて愛し合った。
彼は、自分を連れて逃げようとした。でも、この世で最も邪悪で力持つと言われる魔女バルザヤガから、逃げられる筈もないのだ。だから、諦めた。
バルザ・ヤガが明日の朝帰ってきたら、私に魔女の洗礼をするらしい。処女を悪魔に捧げろと言われていた。もう、乙女では無いけど。
でも、私はこの後、穢れて行くんだろう。人の心を、失っていくんだろう。それでも、昨夜の恋の記憶がある限り、何処かに<人>を残せるかもしれない。そんな風に思っていた。
なのに。彼が去った後、苦しさだけが大きく広がっていく。深くなっていく。
そんな時。その時。
湖のほとりに、彼女のすぐ近くに、光るゲートが現れた。
初めは、バルザ・ヤガが帰って来たのかと思った。でも違う。その光は、余りに綺麗で、神聖だった。
光の中から歩みだして来たのは、見知った男だった。
今朝別れた、恋人だった。
「アリエス!?い、いや、違う…少し…変わった?」
イアは裸のまま、駆け寄ろうとして、立ち止まる。
アリエスは自分と同じ15歳だった。このアリエスは、20歳くらいに見える。
…変わらぬ、美しさと、柔らかな笑顔。
<男は、自分に何が起きたのかを、すぐに悟りました。>
<未来から、迎えに来たよ。イア。僕のイア。そう言って、少女を抱きしめました。>
本物なの!?アリエス!アリエス!
<20歳のアリエスは、15歳だった昨日より、遥かに、遥かに雄々しくて凶暴な魔力をその身に宿していました。>
<イアは、その魔力がバルザ・ヤガにも劣らない事を感じ取りました。>
裸のイアを、アリエスは抱きしめ、言った。「もう、キミを1人にしない。連れて行くよ、イア。」
2人は、昨日の続きの様に、湖のほとりで、愛し合った。
そんな、妖精のお話の様に美しい愛の時間に、黒いゲートが現れた。
そこから、醜い老婆が、バルザ・ヤガが出て来たのだ。
<悪魔に捧げるはずのイアが、あられもない姿で若者と抱き合っているのを見て、魔女は激怒しました。>
<でも、青年は、裸のまま平然と魔女に向き合いました。>
「バルザ・ヤガ…イアを返してもらう。イアを邪悪に染めることを…僕が許さない!」
魔女が呪文を唱えた。
アリエスが対抗呪文でかき消した。
自分にゆっくりと歩み寄ってくる若者の魔力は、一歩ごとに巨大になる様に見えた。
虎の様に。竜の様に。魔神の様に。
強大な2つの魔力がぶつかり、片方を一方的に弾き飛ばした。
光の魔法は、魔女を、後悔させながら消し去った。
<魔女は消え去りましたが、魔女の帽子は残っていました。青年は、寂し気に帽子を見つめましたが、やがて。同じように光の魔法で、帽子をも消し去りました。>
<青年は、イアを横抱きに抱え、光の輪に戻っていきます。>
<自分の世界へ、時代へ、彼女を連れて行くために。微笑みながら。>
<めでたし、めでたし。>
死んでから暫くの間、耳だけは聞こえてるんだってよ?
いつか、誰かが、そんなことを言っていた。
読み聞かせる本に形は無かった。勧進帳のように、ドミニクは老人の耳もとで語ったのだ。
可哀そうな魔女の為に。ただ、願いを込めて。
「どうか…叶えてください。最後の物語。神よ!どうか!」
エピローグへ続く―




