第52話 「魔神」
巨大で余りに長い螺旋階段。
既に、聖なる少年ピューリはザドヴォックの背に負われているが、それでも、歩みは遅い。
絶えず、松明の灯りを持たねばならないし、空中で、または背後から、切れ間なく、魔族は隙を伺っている。階段の少し内側で、アリエスのカラスが飛び回り、睨みを利かせているが。
その精神的な重圧は、必要以上に体力を奪う。
もう、止まるわけには行かないし、休憩など取れる訳もなく。
登り切るしかない。ゴメンと言いながら、ガーレルの使い魔もカラスに変化した。飛んでいた方が、楽だ。
何時登り切れるのか。もはや判らないが、行くしかない。ピューリに魔法は効かないのだから。
ロック鳥に変化して、ピューリを掴み飛び上がることも考えた。きっと。ガーレルも考えた。
…魔族はきっと、嬉々として中央近辺で襲い来るだろう。
もし、足から離せば、真っ逆さま。そんな賭けは出来はしない。
ジメジメした不快な空気の中、やがて、誰も無口になって行った。
アリエスは、先程、何かを確かめると言って消えて、戻って来てから随分と無口だった。
哀しい顔にすら、見えた。
――――――――――
大型の落とし扉の様になった鉄板を魔法で開く。
ここが、3階層目。頂上ブロック。
上がった瞬間に、蜘蛛の糸が宙を舞っているのが判る。
先頭を登ったQTが、思わずうわっと声をあげ、松明を振り回す。
何か、沢山のモノが、松明を見て距離を取ったのが判る。
当然の事ながら、蜘蛛だ。タダの蜘蛛ではない。大きさは、50cmはある。
ザドヴォック、アリエス、ガーレル、QT。松明を持つ人数が増えると、より距離を取って離れていく。
「うげえ…。」
「皇女がうげえとか…」
「それ、皇女バイアスだから。フツーに嫌だから。この風景!」
まだ、上空を見ていないから、ガーレルはそんなことを言えたのだ。
一行は、蜘蛛が襲ってこないと見ると、付近を確認した。上を見る。
上空に、星明りが見えている。カルデラ状の山頂なのだろう。
遂に、山頂ブロックにたどり着いたのだ。
だが…。
星明りを邪魔する、怖ろしいものを、彼らは見た。
体長20mはあろうかと言う、巨大な蜘蛛のシルエットを。
その蜘蛛が作り上げたであろう、このカルデラ空間中に張り巡らされた、怖ろしく太い糸を。
その糸から、幾つも幾つも、幾つも幾つもぶら下った、恐らくは人間が吊り下げられた繭の様な塊を!
その繭には、何百もの蜘蛛が群がって牙を突き刺していた。
ガーレルは、吐き気をこらえてうずくまった。
アリエスは彼女の傍らに寄り、背をさすりながら。「見るな…。」と言った。
彼らが、真に幸福であったのは、今、まさに今だけは、その巨大な蜘蛛が目を覚ましていない事だった。
月明かりは、まさに頂上近辺に、崖の様に切り立ったカルデラの内側に、岬の様に突き出した岩のシルエットを映す…。
「あれが、聖なる者を連れて行くべき、岩だろうな…。どう行く?」
QTが、珍しく意見を求めて来た。
「オレが思うには、エロ魔術師があの化け物ごと、火の魔法をぶち込んじまえば良いのさ。アレが、他のと同じように火を怖れるなら、だが。」
それがザドヴォックの意見。
まだ、ガーレルは喋れない。ピューリは相変わらず意思を示さない。
「恐らく、火は通じるだろうね。ただ、本当に魔神なら、火を防いでくる可能性が高い。となると、倒す方法が判らない。」
アリエスは真面目に判断する。遠目にも、巨大な蜘蛛には魔力を感じる。
「正直言えば。莫大な魔力を感じる…。魔神と言う触れ込みは嘘じゃない。」
「じゃあ、どうすれば良い?」
「魔法で、階段を作る。あの岩まで、ピューリを連れて行こう。糸には決して触れないように。」
「ああ、判った。念のため聞くが、蜘蛛が起きたら?」
「炎を撃ち込む。」
「判った。」
――――――――――
うねうねと、蜘蛛の糸を掻い潜りながら階段を登る。
アリエスの魔法で造った階段だ。“フィールド”の変形。
QTとザドヴォックが松明で蜘蛛を追い払う。
アリエスが続く。ガーレルがピューリの手を引いて登る。
段々、近づくにつれ、巨大な蜘蛛の容貌が明らかに、いや、判ってしまう。
蜘蛛。顔は、人だ。老婆の顔だ。
脚は全て、細長くうねった、人の手の様だ。
腹も、上向きの、老婆の顔だ。
人体を捩じり、くっつけ遊んだような、醜悪な魔神だった。ガーレルは必死に目を背けたが、アリエスはじっと見ていた。
QTがふと、漏らす。
「ふん、何にせよ、ここまで来たんだから行くしかない。バカでっかいが、言ってしまえばわかりやすい3層構造。ダンジョンの様に。」
アリエスは、その言葉に対する答えを知っていた。しかし、飲み込んだ。
<知らないからこそ、救える魂もあるのです>
そうだ、真に魔族が造った山なら、もともっと複雑に、カオスな構造であって然るべき。
この山は、人間の作者が造った、人間の発想の上にある山でしかない。
その、醜悪な魔神も、人の発想する醜悪さでしかない。そう思う。
「アリエス、ちょっと…。」
「あ、ああ、何?ガーレル?」
ガーレルは、蒼い顔で、指さした。
蜘蛛が、動き始めた。
「ああ、夜行性が多いもんなぁ。」
間抜けなアリエスのセリフに、QTが小さく、厳しく諭す。
「ふざけるな。急げ!ザドヴォック、ピューリを抱えろ!ガーレル姫が松明を持て!」
「いや!違う。ガーレル、“呪文の盾”を展開してくれ。僕が戦う!」
「行け!」
巨大な蜘蛛は、一向に声を掛けながら、ゆっくり近づいて来た。
「おやおや、本当に来たのか。それが、聖なる者か。可愛らしい子供じゃないか。もっと近くで顔を見せておくれよ。」
巨大な蜘蛛が糸の上をすべるように近づいて来る。
アリエスは、「“バーニング!”」と炎の呪文を唱え、宙に舞う。
体を、炎が包んだ。まとわりつく糸を焼き切りながら、蜘蛛に迫る。
「行儀の悪いヤツがいるねえ。しかも、人間でありながら大層な魔力。ほほ、喰い甲斐がある!」
「“ファイア・ボール!”」
通常の呪文と思うなかれ。通常の火炎球が半径10mだとして、アリエスの火炎は、半径100mに及ぶ。仲間をギリギリ巻き込まぬように、打つ。ついでに、周り中の蜘蛛を殲滅するつもりだった。
「消えろ!炎で!」
蜘蛛が、二つの手を前に出し、念じる。
炎がかき消される。
折り返し。蜘蛛からアリエスに、毒液が飛んできた。
「“フィールド!”」
壁は毒液を完全に止める。
「…魔術師。人では無かろう。」
「いやいや、さすが魔神。簡単にはいかないか。」
「だが、オマエでは儂に勝てまいよ。」
「そうだね。魔力は同じようだけど、そちらの精神力の方が強大みたいだ。じり貧だね。」
「では、どうするね?」
「判っているだろう。ピューリに賭けるさ。」
「聖なる者に?」
「そう。」
蜘蛛の魔神は、笑い出した。
顔と、腹の顔両方で、笑い出した。笑いのズレと、微妙な高さのズレは、非常に不快な不協和音だった。
「あはははあははははは!そのニセモノに?聖なる者?あはははは!魔術師、自分で戦い続けた方が、まだ儂に迫れるだろうよ!!」
ガーレル達は、ようやく、崖の先端へ、聖なる者のゴールへたどり着こうとしていた。
勿論、アリエスと魔神のやり取りを全て聞きながらだ。
「ピューリが、ニセモノ…?」
そんなはずは無い。ガーレルは、ピューリの手を強く握った。




