第75話 「1000の答えを」後編
皇太子は、何か、目的地がある様に、南へ飛んで行く。
「メルヴァ様。何処へ向かっておられるのです!神官の元へ!手当てを!」
「…フランジ。何故、我をかばった?」
「あなたは、私の夫です…。」
「………馬鹿な、女。」
「…馬鹿であろうとも!」
「…オレはディムに恋をしていた。」
フランジは、一瞬、止まる。だが、再び、着いて行く。
「だが、健気に妻たらんとするお前を見ているうち、我の中のディムは消えて行った。お前が心を占領していった。笑い話だ。お前は逆に、我からディムへの思いを感じ取り、心離れて行ったというのに。」
<硬質化>している皇太子の表情は見えない。
「…俺たちは随分すれ違ったものだな…。」
「なら!なら、やり直せます!私は今、初めて、初めて、アナタの気持ちが私にも向いていたと…知れたもの!知ったもの!」
「はは、きっと、遅い。今、お前の心には誰か住み着いたじゃないか。誰かが。」
皇太子は、もう一つの言葉を…飲み込んだ。
お前は、オレについて来た理由を、”夫だから”と言ったじゃないか。”愛しているから”、じゃなく。夫だからと…。
「…我は、まだ終わらん!気付かなかったか!?父よりも壮大な何かの、揺らぎ!まだ、我はアリエスに勝てるのだ!勝つのは我!エレジエド皇太子メルヴァ!」
―――それ、が蜃気楼のように立ち上がったのは、撤退していく飛行揚陸艇の群れの中。
奇妙な光景だった。
砂の中から、バラバラの巨大な、生物のような骨が宙に浮き。
ぐにゃぐにゃと肉を纏いながら、人の形になって行った。
空気をきしませる、苦しいような音に、誰もがそちらを見た。
誰に言ったでもない。
だが、アリエスは確信を込めて叫ぶ。
「今、動いた!今、“誰か”が!時を捻じ曲げた!」
信じられないことに、この時、虎が冷静さを失い叫ぶ。
「に、逃げろ…アリエス!逃げよう!」
「な、何を…ディヴァ?」
あっという間に、巨大な人の姿が蘇る。
3体の。巨神。
男性の、人のような輪郭ではあるが、全身は水棲哺乳類の様に黒々と光り、顔は、唇の無い大きな口が1つ、目は無い。頭頂には、神である事を誇示するように、光る、二重の三角形が回転している。
どれも50m前後の体長である。
もしかしたら、先日アリエスが見た骨の1つであるかもしれない。
虎は、人の姿になって、アリエスに後ろから抱き着いた。
…震えている。勇猛な戦士、ディヴァが恐怖に負けている。勇猛な神族が。
彼らの足は宙を浮いており、何かで見えない糸で操られた人形のように、軽やかに宙をはねる。
宙を跳ね、飛行揚陸艇を拳で叩き落す…。
落下する数名を量の手で包み、その巨大な口に運んだ。
―――喰っている?
いや、遠目にはそう見えただろうが、近くでその惨劇を見たものは、口の中で、粉になった瞬間を見たに違いない。
3体の神のうち、1柱が、バルスタッド連合に向かって来た。
悲鳴を上げながら。パニックに陥りながらも、狂戦士は50m近いその黒い生命に向かい弓を放つ。
超遠距離から、フラウレと魔術の塔の連合軍が魔法を放つ。
銀のユタチェルティが巨神の全身を凍らせる。
薔薇のカリファが衝撃の魔法で砕く。
巨大とは言え50m、呪文で包み切れない大きさではない。魔法は効くように見える。
巨神が崩れ落ちた。
巨神の近くに居たバルスタッドの狂戦士たちは、バラバラに砕け崩れ落ちた巨神の亡骸を前に、今一度雄たけびを上げた。
その時だ。再び、その躯の周りで空気が悲鳴を上げたように思う。
巨神の肉塊はあっという間に骨になった。
周囲に居た、狂戦士たちもあっという間に骨になった。
そして、巨大な巨神の骨だけが、宙に舞い、再び肉を纏い始める。
まるで、一気に時間が進み、全てを滅ぼし。何故か巨神だけが、時間を遡り蘇るような現象。
蘇った巨神は、腕から青白い炎を放つ。
不幸にもそれに包まれた魔術師、狂戦士は、あっという間に黒い粉へ姿を変える。
粉は、巨神の口に吸い込まれていった。
アリエスは、大遠距離に範囲テレパシーを送った。
<逃げろ!無策で勝てる相手とは思えない!いや、人間が相手に出来るものと思えない!撤退せよ!撤退せよ!エレジエド軍!お前達もだ!撤退せよ!>
フラウレと魔術の塔はすぐに距離を取る。
しかし、バルスタッドの狂戦士は8千の軍勢。
その中に、糸で不自然に操られる様なジャンプで、狂戦士の中に飛び込む巨神。
近くの者は焼かれ、喰われ。
「バルスタッド!僕が逃がす!魔法を受け入れろ!“タイム・フリーズ”!」
だが、アリエスは、恐怖した。
時を止め、魔法が効くらしい巨神を遥か遠くへ飛ばす。その間に軍をマス・テレポートで逃がす…はずだった。
3体の巨神は、動いていた。凍った時の中を、動いていた。
「“テレポート・シンボル・マス”!この魔方陣に逃げ込め!バルスタッド城近くに飛ぶ!」
アリエスは、銀のユタチェルティに倣い、氷で巨神を包む。
逆に、壊さない。多分、この方が…!
「今だ!走れ!!」
アリエスが同時に作った3ヶ所の撤退ゲートに、恐れを知らぬはずの狂戦士たちは、悲鳴を上げながら逃げ込んだ。
…巨神を覆った氷は、その青い炎ですでに溶け始めている。
反対側の交戦地域では、約半数を失いながら、エレジエドの船はマステレポートで消えて行った。
―――――――――
エレジエド皇太子メルヴァは、速度を上げ、南の一ヶ所に飛んでいく。
フランジの追っていける速度では無かった。
バルスタッド南方は、北とほぼ同等の面積を持つ荒野の地域。
メルヴァは目指す場所へ一気に飛んでいく。
現代の航空機のような、速度。
硬質化した体に、酸素もGもどうでも良いのだが…。
やがて、はるか後方に、フランジとネリオを置き去りに、皇太子メルヴァはある場所へたどり着いた。
「“我が目に全てをさらけ出す”」
透過の呪文で、荒野の地下にある遺跡を見渡す。
そうだ、魔術の王であるこの我に、隠せるわけもないのだ。
皇太子は霧になった。
遺跡の隙間から、最下層へ向かう。
それでも、しっかりと守られ続けた遺跡であるようだ。皇太子は、最早、狂人の様に“あるもの”だけを狙っていたが、それでもその遺跡のありようは目に入る。
何千年前からある遺跡なのだろう。わが国より、遥かに古い。
アリエス王なら尻尾を振って喜びそうだ…。
石板。オベリスク。壁画。古代文字。
…やはりな。
我の期待した通りだ。凄まじい力を感じる。
先程の、アリエス王の叫びを聞く限り、あの者でも手に負えぬ程の、力。
「だが、出て来ぬという事は、何らかの理由で未完成、未成熟。又は、一部だのだろう!」
「“時は止まる。”」
メルヴァの目の前に、巨大な洞窟のホール。そこには地下クレバスが走り、血の池の底に、巨大な女の首がある。
メルヴァを見て、微笑む。だがそれは柔らかな微笑みでも神々しい微笑みでもなく、出来の悪いオートマタの目線定まらぬ微笑みのようだった。
メルヴァは、実体化する。
血まみれの、失われた、手足。
突如現れた侵入者に、長老たちが慌てふためく。
しかも、見た事が無い位に禍々しく。見た覚えがありすぎる位に、見覚えのある国の儀礼服で。
メルヴァは、長老たちをテレキネシスで、次々に女の口元へ落下させてみた。
女は口を開け、エサを待つヒナの様に無表情に飲み込んでいく。
…やはり、意識を持っていない。
これは、神の、抜け殻に過ぎない。降りていない。神の、肉の器。
それでも、この長老たちの願いに応え、何かを呼び寄せたか?
「はは!はははは!神!これが運命だとしたなら!僥倖!天命!我こそが、定めの子!!」
―――飛び急ぐフランジ前に、蜃気楼のビジョンが浮かんだ。
「お前だけは、見ているがいい。愛しき我が妻よ。我の、最期の賭けを。」
その目の前に、血の底にある崖を浮かび上がってくる、巨大な顔。
美しく、人形のようで、生気の無い見表情な、クビ。
フランジは小さく悲鳴を上げた。
首から下は、千切れたように存在せず。
細い小川と言える程度の勢いで、血が滴り続ける。
髪だけは、そのもっと下まである様だった。
額には、美しいサークレットがあり、中央には、その髪と同じく、螺鈿の様に七色に変化する宝石の輪がはめられている。
「フランジ!これが、太古に隠された秘宝中の秘宝、神話に出て来る、巨神の女王!その首だ!」
メルヴァは、恍惚とした表情で、血を吹きだしながら、左手を伸ばした。
「我は、新しき力手に入れる!神の肉体を!その力を、“吸う”のだ!!そうか。我が一族にこの力があったのは、神になるための必然!父王ですら出来なかった人知を超える力を、今、我が成し遂げる!アリエス王が何ほどの者か!」
フランジは、伝わる筈もないビジョンに向かって叫んだ。
「やめて―!!」
「“汝は生ける粉となり、生ける光の粒となり、我が前に佇む”」
“女王”のクビは、抵抗もなく、光の粉となった。額のサークレットだけが、血の底に再び落ちた。
「デカくとも、光の粉となればこの程度か?」
両手で抱えられる程度の、蒼き、光の粉。
―――メルヴァは、口の中にそれを流し込んだ。
メルヴァの体は、瞬く間に全身を取り戻した。
「あああああ、見える、過去が…見え…る。時間が…見え…。」
皇太子の顔が突如、苦痛に歪む。
「これが、神の力ぁ あははは、理解した。神の力ぁア」
「フランジー!り、り、離縁申し付ける!!」
「我から自由にな…れ。それが奴の所でも…許す!」
「……あ、ああ、奴に、アリエスに伝えよ!この、女神、この女ぁ!」
「わ、我を喰らっているー!喰らって、元に、元に戻ろうとーー!!」
そして、醜く肥大化し、風船のように、膨れ上がった。
それが弾けると、そこには、最初に見たような、巨大な、顔。いや、首。
髪の毛をタコの足の様に器用に使うと、血の底にあったサークレットを拾い上げる。
遺跡を破壊しながら。30mのクビは上空へ舞い上がる。
その時すれ違った全ては、長い年月を風化したように、黒い砂と化し崩れ去った。
地上に出ると、首の下が、生えて来た。
先程の巨神たちと同じように、黒々としたビニールのような体。
その体は、肩甲骨辺り、肩の骨を作った辺りまで、成長する。
やはり、未完成な体から血をダラダラ流しながら、女神はゆっくりと北上し始めた…。
侍女ネリオとマリッサは、涙を流し、吐き、気を失った哀れな妃を抱きかかえた。
そして、エレジエドへ飛ぶ。
「フランジ様は、もう、目が醒めぬ方が良い。」
そう呟き…消え去って行く。




