90 忘れ去られた同級生②
千尋は噂大好きな同級生、相馬智花に大神哲也の家族について尋ねた。
「え? 大神君のお母さん? えーと確か、お父さんとは離婚して実家に帰ったって話を聞いたよ。東北の方だったと思う」
「大神の住んでた家ってどうなったんだっけ?」
「売りに出されてるみたい。お父さんがやらかしたもんねー」
大神哲也の父は萌の誘拐未遂、千尋への暴行により実刑判決を受け服役中である。それ以外にもダンジョン産の感情石・黒を悪用していた事が発覚し、多額の賠償責任を負っていた。
「智花ちゃん、ありがとう」
その後、念のため探索者協会の黒沢にも確認したが、黒沢が知っているのは大神の父が多額の賠償責任を負ってダンジョンを全て手放した事だけだった。
「ということだったのだよ、萌」
「え? 何が?」
説明の「せ」の字もなく、突然萌に話しかける千尋。萌の反応は至極真っ当なものだ。姉妹は新たな自宅のリビングで話をしている。
「大神の事なんだけど、お父さんは刑務所、お母さんは離婚して東北の実家、ダンジョンは全部手放して住んでた家も売りに出されてる。まあ全部智花ちゃんの受け売りだけど」
「な、なるほど?」
「裏を取る必要があると思う?」
「そこまでしなくていいんじゃない?」
「だよね」
智花の話ではあるがほぼ全て事実であろう。これらの事実を知らせた上で、大神には異世界に残るかこちらに戻るか選ばせようと思っている。
「あれから半年以上経ってるし、向こうを気に入ったかも知れないよね」
「うん。それと、いつでも異世界と行き来出来るのは教えないから萌もそのつもりでお願い。私達はタクシーじゃないからね」
「うん、分かった!」
翌日、姉妹はまたリムネアへと向かう。別荘には当たり前のようにリアナとプリシアが待っていた。
「そう言えば、ブランドンとケネスは?」
「近くの街で宿に泊まってるわよ?」
女性二人は優雅に別荘で過ごし、男性二人はそこそこの宿。これが格差というものか。千尋は慄いた。
「テツヤに会いに行くんでしょ? 場所を知ってるから、私達も行くわ」
「それは助かるよ」
グレイブル神教国の東部、アルダイン帝国との国境近く。そこに大神哲也がいると言う街「アパテナス」があった。
「リアナちゃん達はここに来た事があるんだね」
「そうね」
「テツヤと出会って、首都に行く道中に寄った街なんですよ」
「へー、そうなんだ」
アパテナスの南部にある街道沿いの林に転移した千尋達。街の防壁を見ながらテクテクと歩いていく。リアナは勇者として有名なので、冒険者証を門番に見せると随伴者はノーチェックで通してくれた。
これまで見た街と比べるとやや小さいが、道を行く人は明るい顔をしているし、露天からは客を呼ぶ声が聞こえて活気を感じられた。
「何だか明るい街だね、お姉ちゃん!」
「ほんとに! 良さそうな所だ」
千尋達が街に入った南門から、北に向かって一直線に大通りが走っている。門に近いこの辺りには様々な露天が軒を連ねていた。
珍しい石を使った装飾品の店。カラフルな布の店。他国から取り寄せた食器類の店。そのまま北に進むと食べ物や飲み物の露店が多くなった。
「すっごくいい匂い……」
「リアナちゃん、プリシアちゃん。何か食べない?」
「食べる!」「食べます!」
醤油を焦がしたような香ばしい匂いや、甘い生地を焼いている匂いなどが漂って来て我慢が出来なくなった。
大きなお肉の塊と野菜を交互に串に差し、醤油のような色と香りのソースがかかっている串焼きを1本ずつ。それに冷えた果実水を買って歩きながら食べる。
「お祭りみたいだね!」
萌が楽し気な声を上げた。忘れがちだがまだ小6なのだ。
「萌、美味しい?」
「うん!」
姉妹はご機嫌で歩いていた。もう大神の事なんて忘れるくらい。
(あれ? 何しに来たんだっけ?)
ふとここへ来た目的を思い出した千尋はリアナに尋ねる。
「リアナちゃん、大神がどこに居るか知ってる?」
「私も詳しくは知らないの。この街に居るのは確かなんだけど」
それなら誰かに聞いてみるか。そう思って周りをキョロキョロしていると――。
「そして使徒様はおっしゃったのだ! この世界をより良くしていくには、皆が力を合わせなければならないと!」
街の中心部に近い広場で、何やら演説している声が聞こえた。
「神々の使徒様お二人の銅像を作り、それを崇めれば必ずご利益がある! それまで、この木彫りの像に祈りを捧げるのだ! 姉妹のセット、2万セニカのところ、今なら1万5千セニカで譲ろう!」
ん? 今聞き捨てならない単語を聞いた気がするけど?
先ほど買った串焼きは1本40セニカ。以前リアナちゃんに聞いたけど、この国で4人家族が暮らすのに必要なお金は、だいたい2万5千セニカ前後だと言う。
ざっくりと、1セニカ=10円くらいだろう。
千尋は萌と目を合わせて一つ頷いた。萌にも聞こえたようだ。二人で演説の方にズンズン近付いていく。
「この木彫りの使徒様像に毎日祈りを捧げれば、必ずや幸せが訪れる! 大切な者も必ず守られる! さあ、1万5千セニカで幸せを――」
「あんた、何やってんの?」
全然似てない木彫りの像を両手に握り、あからさまに怪しい演説をぶち上げていたのは、誰あろう大神哲也その人だった。
「大神、あんたこの世界の言葉がすっごく上手くなったね」
「あ、ああ」
詐欺っぽい商売をしていた大神の首根っこを掴み、人目の少ない路地裏に連れ込んだ。正座している彼の周りには、姉妹とリアナ、プリシアが腕組みして立っている。
「それで、木彫りの像は売れてるの?」
「ま、まあ、月に5セットくらいは」
7万5千セニカか。原価がどれくらいか分からないが、結構な売上に思える。
「あれ、あんたが作ってるの?」
「いや、その…………彼女が」
「「「「彼女!?」」」」
4人が素っ頓狂な声を上げた。異世界に一人で放り出され、言葉もままならず途方に暮れているのではないかと少し、ほんの少しだけ心配したのだが(千尋は存在自体忘れていたが)――。
彼女、だと?
「お姉ちゃん……どうしよう、私心が狭いのかも。なんかムカつくんだけど」
「大丈夫、私もなんかムカついてるから」
一方、リアナとプリシアは平気なようだ。
「そうかそうか……テツヤもこの世界で大事な人を見つけたんだね」
「うん、良かった」
平気な二人が大神に彼女について尋ねている。
「どんな人なの? いくつ?」
「えーと、優しい人だよ。俺の3つ上」
年上か。
「どんな仕事してるの?」
「家具職人の見習い」
ほうほう。それで木彫りの使徒様像も作れる、と。似てないけど。
「一緒に住んでるの?」
「……ああ」
は? 元同級生の癖に、大人の階段を上っているだと?
望んでいないのに余計な情報が増えて、自分でもよく分からないがだんだん怒りのボルテージが上がっていく姉妹。と、そこへ――。
「テツヤ! テツヤ、大丈夫!?」
明るい茶色の髪を後ろで一つに結び、緑色の瞳に心配そうな色を滲ませた若い女性が路地に走り込んで来た。
「カイラ……?」
カイラと呼ばれた女性は正座している大神を庇うように、4人との間に立ち塞がった。
「あのっ! 彼が何をしたんでしょうか! …………って、あれ? もしや貴女は勇者様では!?」
「ええ、リアナよ」
「プリシア」
リアナとプリシアがカイラに右手を差し出す。カイラは「え? え!?」と言いながら握手している。
「テツヤに危害を加える気はないのよ? 何故か知らないけどテツヤが勝手に地面に座ったの」
「いや、本庄がこえぇから」
「ホンジョウ? テツヤ、もしかしてこの方達が……使徒様?」
「ああ、そうだ」
カイラがキラキラした目を姉妹に向けた。上がっていた怒りのボルテージは瞬時に下がり、千尋と萌はテレテレした。
「はじめまして、チヒロです」
「モエです」
「ふわぁーーー!! 本物の使徒様だ!」
カイラから手を握られ、ブンブンと上下に振られる。
「今まで、テツヤから聞いたお姿を像にしてたんですけど、これからは自分で見たお姿を彫れます!!」
「あ、カイラさん、それなんだけど。あの像って原価いくらくらいなの?」
「材料はお店の端材や拾ってきたものなのでかかりません。かかるのは手間だけですね」
「1体作るのにどれくらい時間がかかるの?」
「私は風魔法を使って彫るので、イメージさえしっかりしていれば30分ほどでしょうか?」
なるほど。2体で1時間、原価はタダ。それで日本円にして15万円はぼったくりであろう。
「ねえ大神」
「はい」
「売るなとは言わない。けど、もっと買いやすい値段にしなさいよ」
「…………分かった」
その後、カイラが作った「使徒様像・バージョン2」は1体500セニカで売られ、国中で大人気になった。カイラは家具職人見習いを辞めてそれに専念する事になったが、作れる数に限りがあり、それがまた人気を高める要因にもなった。
大神哲也はカイラの使徒様像製作を手伝い、街頭で売るのは辞めた。二人で生活するのに十分過ぎるくらいのお金を稼げるようになった。
千尋と萌は、大神に彼女が出来ていたというショックで当初の目的をすっかり忘れていた。後日再訪問したが、カイラと仲良く過ごしている大神を見て、何も告げることなく帰ったのであった。
彼は異世界で生活していくことでしょう。彼女も出来たことだし。うん。




