74 帝国の女帝
SIDE:エメラダルグ帝国
ルビーフェルド王国の王都から東に約1000キロ。そこからやや南に降った辺りに、エメラダルグ帝国の帝都「ブランサンドル」がある。ブランサンドルは、約100年前にもっと北にあった帝都を当時の皇帝が遷都したものだ。そして、この遷都と前後して近隣諸国への侵攻が始まった。
ブランサンドルは真っ白な街だ。建物、道路、街を囲む防壁に至るまで全て新雪のような白。そこに、街路樹や庭園の緑と色彩豊かな花々が彩を添えている。
帝城は街のやや北側、少し小高くなった場所に聳えている。ブランサンドルを象徴するかのような、穢れなく磨き上げられた白亜の城。その美しい外観とは裏腹に、城の内部では帝国上層部による謀略が渦巻いていた。
「『隷従金縛』の回収は失敗したのだな?」
10人程が座る楕円形の円卓。その上座には、長く伸ばした白髪と、鋭い光を放つ目を囲む睫毛まで真っ白な、30代半ばに見える女性が座っている。瞳は氷のように薄い青。
この女性こそ、エメラダルグ帝国の頂点に立つ女性皇帝。ビアンカ=フォン=ブランサンドル。
「はっ! た、大変申し訳ございません!」
黒い軍服に身を包んだ50代の男性が声を震わせながら答え、深く腰を折った。恐怖のあまり、顔は青を通り越して白くなっている。
「……風竜帝がその場に居合わせたのなら仕方ない、か」
ビアンカ皇帝は隣に座る濃い金髪の男に目を遣りながら呟く。ビアンカと同じ年代に見えるその男は艶のある黒い毛皮をマントのように纏っている。
「ああ。あのまま交戦していれば、恐らく炎竜帝も出て来ただろう」
「ヘイロン……」
この場にいる者達が何よりも恐れる皇帝に対し、男は不遜な言葉遣いを咎められることもない。何故なら、この男も皇帝と同じくらい恐ろしいからだ。
「ルビーフェルドが動く前にパールグランを落とそうと思ったが、思い通りに行かぬものだな」
「ビアンカ、ヘイロンがここへ来る可能性もあるぞ?」
ビアンカはドレスのスリットから覗く細くて真っ白な脚を組み直す。
「フフッ。その時は、炎竜帝がどのくらい力を付けたのか見てやろう」
目を細め、面白そうに口角を上げたビアンカの微笑みはその場を凍り付かせるようだった。
「皇帝陛下、ルビーフェルドのバルサージャ王は、炎竜帝を倒せる者を間もなく召喚出来ると申しておりました」
金糸の刺繍が縁に入った真っ黒なローブを身に着けた男が口を開く。長く伸ばした銀髪を後ろで一つに結んでいる40代後半のこの男は、帝国魔術師団の団長である。
「それで倒されるならヘイロンもその程度ということだ。しかしそれで炎竜帝を排除出来るならそれに越したことはないな……召喚はいつ叶うのだ?」
「一週間以内には」
「ならば一旦様子見とするか。どちらにせよ、ルビーフェルドとパールグランは1年以内に帝国の領土になる。皆の者、そのつもりで準備を怠るな」
「「「「「はっ!」」」」」
ビアンカと毛皮の男が退室すると、残された者達は安堵の吐息を漏らした。
100年前にここブランサンドルに遷都してから、ビアンカはずっと皇帝の地位に就いている。100年間、変わらない姿で。遷都前に先代の皇帝一族を皆殺しにして、力で皇帝の座に就いたのだ。
そして、毛皮の男も同じだ。100年前からずっとビアンカを補佐している。
帝国の上位貴族や、帝城で政務に就く上位の文官達は、ビアンカと毛皮の男の正体に薄々気付いている。だが、誰も指摘しようとはしない。いや、正確には違う。指摘するような者は誰も生き残っていないのだ。
帝国内部は恐怖に支配されていた。
SIDE:炎竜の新たな棲み処
この世界の建築は、驚くほど早い。チヒロは真新しい竜舎を見ながら感心していた。
ここはパールグラン王国王都パールイスタの南西5キロ地点。森を開拓して生まれた炎竜の新たな棲み処と定められた場所である。
体の大きな竜が快適に過ごせるよう作られた竜舎は、当然ながら一つ一つが巨大だ。だが、魔法があるこの世界では、地球よりも建築技術が発達していた。土魔法で地面を均して基礎を作る。同じく土魔法で壁を作り、そこに風魔法で伐採し、火魔法で乾燥させた木材を貼り付けていく。同じ木材で屋根を作る。
内装はシンプルだ。基本的に竜舎は単なる寝床なので、干し草を大量に敷き詰め、その上に魔獣の毛皮が敷かれているだけである。
驚いたのは、共同浴場が設けられたことだろう。炎竜達は「風呂」というものを知らなかった。サイズ的には市民プールくらい。温かい湯に浸かると気持ちが良いという事実は、炎竜達の間に瞬く間に広がった。
ヘイロンの住まいは神殿にすると言う。最初ヘイロンは他の炎竜と同じでいいと断ったのだが、フェルナンド王が譲らなかった。さすがに神殿ともなると建てるのに時間がかかるので、予定地の近くにちょっと豪華な竜舎を建ててくれた。そこがヘイロンの仮住まいである。
その仮住まいに、ルーロンと『碧空の鷲獅子』の5人、アイラ、さらにバルジ宰相とザッカート騎士団長まで集まっている。
幸いなことに、ここで働きたいという人族が6人来てくれている。マリーは彼ら・彼女らのリーダー的立ち位置となり、今も全員で来客をもてなしてくれていた。
「それでヘイロン様。ベヒモスは帝国の差し金で間違いないのでしょうか?」
バルジ宰相が早速口を開いた。
「うむ。それについては聞き出したのはアイラの功績である。アイラから説明した方が良いだろう」
「それではこのアイラ、不肖の身ながらご説明するっす」
ローブ男にヘイロンが隷従の魔法を掛け、アイラの尋問によって引き出した情報。それはパールグラン王国にとって聞き捨てならないものだった。
まず前提として、アイラがルビーフェルドの王城に危険を顧みず潜入して得た情報がある。バルサージャ王が我が身可愛さに帝国と密約を交わしている件だ。
バルサージャはパールグラン王国を手土産にする代わりに、ルビーフェルド王国が帝国の属国になっても王族の身分の保証を求めている。
一方で帝国の魔術師であるローブ男は、ベヒモスの群れを操る際に使用した魔法具『隷従金縛』を回収する任を担った隊の一員であった。一隊員であるため重要な情報は持っていなかったが、ベヒモスの群れでオスタリア砦を落とし、そのまま西進して王都パールイスタを陥落させる計画だったことは掴めた。その後、帝国軍の侵攻が予定されていたらしい。
つまり、エメラダルグ帝国はルビーフェルド王国がパールグランを攻め落とすのを待ちきれなかったのか。それともルビーフェルドではパールグランを落とせないと考えているのか。
いずれにせよ、帝国はバルサージャ王の申し出をあまり本気にしていないのだろう。密約も破られる可能性の方が高い気がする。
「以上が判明した現状になるっす。ご質問があればどうぞっす」
アイラの説明は端的で分かりやすかった。バルジ宰相とザッカート騎士団長はこの情報を王に報告し、その後対策を練るのだろう。
「あ“っ!! あたし、ヘイロン様に大切なことをお伝えするのを忘れてたっす!!」
「お、おぅ?」
踏まれたカエルのような声を出したアイラに、ヘイロンも思わず上擦った声で返事をする。
「ルビーフェルドで『モエ』という名前の『神々の使徒』っていうのが召喚されるらしいっす! それはヘイロン様を倒せるくらい強いらしいんっす!」
アイラが手をわちゃわちゃ振りながら教えてくれる。
これがヘイロンの策略であると知っている面々はお互い顔を見合わせていた。
「ほう。召喚はいつぐらいになるか分かるか?」
「はい、ここ一週間以内には召喚される筈っす!」
その言葉を聞いて、思わずヘイロンは目を閉じた。
萌が来る。来てくれる。萌に会える。
萌は私のことを思い出してくれるだろうか?
私は……萌をまた抱きしめることが出来るだろうか。
「『碧空の鷲獅子』の冒険者達よ。我の依頼を受けてくれぬか」
目を開いたヘイロンがデューク達に目を遣る。
「どのような依頼でしょうか?」
「ルビーフェルドの王都で使徒の案内役を買って欲しい。使徒を……萌を、我の下に連れてきて欲しい」




