72 碧空の鷲獅子もやる時はやりますよ
「うっひゃー。これは想像以上だな……」
幌馬車の荷台から降りたランスが索敵を兼ねて周囲を一回りした。何にもいねえぞ、というランスの言葉を受けて、『碧空の鷲獅子』メンバーとアイラが武器を携えて荷台から出て来る。
オスタリア砦から2キロ離れた地点。ここからだと、まだ砦の防壁も見えない。南北を崖に挟まれた幅500メートルほどの道、ここはパールグラン王国とルビーフェルド王国を東西に結ぶ唯一の街道、だった筈である。
高さ300メートル以上ある崖は、見える範囲が真っ黒に焦げている。もちろん道も黒くなり、あちこちで細かいガラスの粒が出来、日光を反射して煌めいていた。植物は、まだかなり東の方に行かないと残っていないようだ。
「ヘイロンも大人げないわねぇ」
人化したルーロンも少々呆れ顔だ。
「土が綺麗に均されてる……これ、もしかして一度沸点を超えたんじゃないか……?」
手で掬った土を指の間からサラサラとこぼしながら、デュークが呟いた。
「……ほんと、大人げないわぁ」
デュークの考察を聞いたルーロンは頭が痛そうに額を押さえた。
「こんな高温で焼き尽くされたら、骨も残らないっすね」
「ベヒモスの素材は貴重なのにね」
「せめて角か牙でも残ってりゃあ――ん?」
文句を言っていたカルダンが崖の一部に目を凝らす。
「なあランス。あそこに何かないか? 光ってるものが」
「んんー?」
「マリアなら見えるか? ほら、あそこ」
カルダンはすぐ隣にいたマリアの横で膝を曲げ、目線を合わせて指さした。
「あっ、ほんと! なんか、金色っぽいものがあるね」
「えーえー、どこっすか?」
アイラも近くに寄って来る。
「なんか、でっかい輪っか? みたいに見えるっすね」
それは崖に殆ど埋まっているように見える。身軽なランスが器用に崖を登り、金色の輪っかに手を掛けようとした瞬間、ルーロンが叫んだ。
「避けて!」
ランスは反射的に跳んだ。さっきまで立っていた場所が大きく爆ぜる。
「チィッ! どこから攻撃して来やがった?」
『碧空の鷲獅子』が迎撃態勢を取る。アイラはいつの間にか両手に短剣を握っていた。ルーロンが一瞬で竜の姿に戻る。
「上よ! 気を付けて!」
ルーロンの声に、皆一斉に上を見上げた。豆粒くらいの大きさの何かが上空に浮かんでいる。
「おいおい! あんな所から撃ってきたのかよ!?」
「あれは雷竜よ! 雷魔法を使ってくるわ」
「カルダン! マリア! 障壁を張れ! メイベル、魔法が届くか?」
「おう!」「はい!」「遠すぎるわ!」
雷竜はあっという間に降下して、デューク達の頭上20メートルに迫った。
「これなら当たる! アイスランス!」
長さ1メートルほどの氷の槍が、メイベルの周りに10本浮かんだ。それが雷竜に向かって次々に射出される。雷竜はそれをひらひらと躱すが、それはメイベルの想定内。自分から離れた場所に魔法陣を出現させ、雷竜が予想しない角度でアイスランスを放つ。それが狙い通りに雷竜の翼を穿った。
バランスを崩した雷竜が地面に落ちてくる。
「よくやったメイベル!」
デュークとランスが地面に降り立った雷竜に迫る。体長は10メートルほどか。炎竜帝を間近で見た後だから、妙に小さく見える。
「『八連斬』!」
雷竜は尾を横薙ぎにするが、それを搔い潜ってランスが湾曲した2本のショートソードを連続して叩き込む。
――グガァアアアアア!
咆哮を上げ、後ろに仰け反る雷竜。口元に魔力が集まり、金色の光を放ち始めた。
「させん! 『断鉄斬』!」
デュークのロングソードが魔力を纏い、スキルによる斬撃が雷竜の首を捉える。それは竜鱗の防御力を突破し、半ばまで首を切断した。竜息の光は消え、赤黒い血をまき散らしながら雷竜が横倒しになる。
「やった!」
「いや、まだだ……」
メイベルが喜びの声を上げるが、デュークの目は油断なく空を見つめていた。全員が釣られて空を見る。上空には、雷竜の影が30近く浮いていた。
『殲滅せよ』
「なんだ、この声は!?」
地の底から響くような声の後、雷竜が一斉に降下し始める。
(くそっ、ここまでか)
デュークは仲間達のことを想った。なんとかあいつらだけでも逃がせないか?
次の瞬間、雷竜の群れを超高速で何かが横切った。と同時に何体もの雷竜の体が爆散する。
「風竜帝を舐めるんじゃないわよっ!」
空に、明るい緑色の軌跡が何本も走る。その度に雷竜の体が爆ぜ、大きな肉片が地面に降ってきた。
『雷竜達よ。退け』
先程の声が再び聞こえた。残った雷竜10体程が東に向かって飛び去って行く。
『ルーロン。この借りは必ず返す』
デューク達は飛び去る雷竜達を呆然と見送った。
(またルーロンに助けられた)
避けられない死を覚悟した直後の安堵。膝から力が抜け、その場に全員が座り込む。
「デュークさーん! みなさーん! 怪しい奴を捕まえたっすー!」
その声がする方を見ると、アイラがニコニコしながら右手を振っている。左手で真っ黒なローブを着た怪しげな男をズルズルと引きずっていた。さらに、右肩には崖で見付けた金色の輪っかも携えていた。さすがは超一流の諜報員である。
デューク達がアイラのことを見直していた頃、騒ぎに気付いた兵士達がようやくオスタリア砦から駆け付けたのだった。
ルーロンから念話を受けたヘイロンがオスタリア砦に来た。
一度訪れているから転移出来る。ヘイロンにとっては移動の労力は僅かな魔力だけ。それすらもすぐに回復する。このままでは太っちゃうんじゃない? でぶごんにならない? チヒロは心配していた。
ちなみにマリーも一緒だ。ヘイロンは自分が人族を怖がらせることを十分理解している。マリーが一緒にいると相手の恐怖を和らげてくれる。マスコット的役割である。
砦の内側に兵が訓練する空き地があるので、そこにヘイロン、マリー、ルーロン、『碧空の鷲獅子』、そしてアイラが集まった。砦の計らいでヘイロン以外には椅子が用意されている。
「それでルーロン。用向きは何だ?」
ルーロンの念話は『ヘイロン来て! なるはやで!』という非常にざっくりしたものだった。これでちゃんと来るヘイロンも律儀である。
「えっとね、まずこれを見て欲しいの」
ヘイロンは差し出された金の輪っかを見つめる。完全に閉じられていないバングルのような形状、ただし直径が60センチくらいあった。
「ふむ……表裏に精緻な魔法陣が刻まれているな。この窪みは……恐らく魔石を嵌め込む所か」
巨大な爪の先で謎の輪っかを器用に摘み、矯めつ眇めつ眺める。
「ふむ、なるほど」
「これが何か分かったの!?」
ルーロンが興奮気味に叫ぶ。デューク達とアイラも期待の眼差しを向けた。
「うーむ…………分からんな」
椅子に座っている全員が転げ落ちそうになった。
「分からんのかい!!」
ルーロンが手の甲でヘイロンの前足をビシッ! と叩いて突っ込んだ。
「ふむ。なぜこんなものが今の時代にあるのか。これはベヒモスを倒した場所にあったのであろう?」
「えっ? ええ、そうよ……あの、ヘイロン? それが何か知ってるの?」
「ん? あー、我が知っている物とは少々違うが、魔法陣の形から恐らく魔獣を操る魔法具の類であろう。我が分からんのは、なぜこのような非効率的な物を使ってまで魔獣を操ろうとしているのか、だ」
おお! とヘイロン以外の全員が感嘆の声を上げた。マリーは嬉しそうに手を叩きながら「さすがヘイロン様です! さすへいです!」と無邪気に喜んでいる。
「我が知っているのは、300年以上前に人族の奴隷に使われていた隷従の首輪と、その元になった魔法具だ。それらに使われている魔法はかなり危険だったため禁術になったと記憶しているのだがな」
古代遺跡から発掘された魔法具には、あらゆる生物を隷従させる魔法の効果が封じられていた。それを元に「人族」を服従させる効果だけを抽出したのが隷従の首輪である。
「あー、そう言えばそういうのあったわね……なんとなく覚えてるわ」
「ヘイロン様、それで、なぜその隷従の首輪? は禁術になったっすか?」
ルーロンは少し目を泳がせながら言う。絶対こいつ覚えちゃいねえ。一方でアイラは大きな目をクリクリと好奇心に輝かせながら尋ねる。アイラはヘイロンが怖くないようだ。
「うむ。隷従の首輪は、使い続けると奴隷の精神が崩壊するのだ。短いと3年、長くても10年も経てば例外なく精神が崩壊して使い物にならなくなる。人道的な意味ではなく、経済的な損失として禁術になった」
ヘイロンの答えを聞き、アイラとマリー、デューク達の顔がどんよりとした。
「ま、まあ、とにかくその首輪が危険な物だったっていうのは分かったっす。それと、このでっかい輪っかが似てるってことっすか?」
「似ているのではない。恐らくこちらがオリジナルだ。正確にはオリジナルを復元したものであろう。隷従の首輪より、より強力な魔法陣が刻まれている」
ヘイロンから金の輪っかを返されたルーロンが、凄く嫌そうにそれを受け取った。両手の指先で摘まむように持っている。
「魔石がないから効果は消えているぞ?」
「し、知ってるわよ!」
そう言いながらも、ルーロンは輪っかを地面に置いた。
「それで、さっき『非効率的』って言ってたじゃない? それはどういうこと?」
「これを使用するには、まずかなり大きな魔石が必要だ。その上、別の場所に設置した魔法陣に魔力を供給し続ける必要がある。そもそもの話だが、ベヒモスのような魔獣にこの輪っかを付けられる戦力があるなら、何故そのようなまどろっこしい事をするのだ?」
このヘイロンの問いには、誰も答える事が出来なかった。




