71 偉い人はだいたい悪だくみする(偏見)
SIDE:ルビーフェルド王国
ルビーフェルド王国の王都メイクァート。その中心部に近い場所に王城がある。
36歳の若き王、バルサージャ=ルビーフェルドは、居室に客を迎えていた。王の居室で来客に対応するなど、親族やよほど信頼のおける友人以外あり得ない話だが、この客はそのどちらでもなかった。
「バルサージャ王よ、パールグランを陥落させるのはいつになりますかな?」
金糸の刺繍で縁取りがされた真っ黒なローブ。フードを目深に被った男が王に尋ねる。それは咎めるような口調であった。
「あの忌々しい黒トカゲが! 奴さえいなければ、今頃はベヒモスに蹂躙されていた筈なのだ!」
豪華な椅子にふんぞり返り、ワインを飲んでいたバルサージャ王。男の口調に苛立ちを隠せず、思わずワインのグラスを壁に投げつけた。庶民なら半年分の生活費が賄える高級グラスが粉々になる。
「たらればの話を聞きたいのではない。いつ、と聞いているのだ」
ローブ男の口調が変わる。
「あなたは自分の立場が分かっている筈だ。パールグランを併合した上で、我がエメラダルグ帝国の属国になる事を選んだのは、他ならぬあなた自身なのだから」
バルサージャ=ルビーフェルドは裏切り者だった。
自身を含めたルビーフェルド王族の命と引き換えに、国を帝国に売る約束をしたのだ。
近隣の国々を次々と併吞したエメラダルグ帝国は、今やこのポルドリア大陸一の大国となった。兵士の数を比較しても、ルビーフェルドの50倍以上いる。その上、どんな手を使ったか知らないが、帝国はあの雷竜帝・黄竜を手駒にしているのだ。
ルビーフェルドにも風竜帝がいるが、これは国ではなく一介の冒険者に与しているし、風竜帝では雷竜帝に太刀打ち出来るとは思えなかった。
炎竜帝が我が国に力を貸してくれさえすれば。それが叶うなら、50倍の戦力差も引っ繰り返せるだろう。だが現実には、炎竜帝はパールグラン王国についた。
こうなっては、炎竜帝を討ってパールグランを攻め落とし、帝国に降るしか生き残る道がない。
「分かっている。もう少しで炎竜帝を討つ者を召喚できる。奴さえ消えればひと月以内にパールグランを落とす」
「……分かりました。我らが皇帝はあまり気が長い方ではない。努々お忘れなく」
元の丁重な口調でローブの男は告げ、音もなく王の居室から消えた。
(くそっ、くそっ、くそっ! 何もかも思い通りにならん!)
バルサージャ王は一頻り家具に八つ当たりをする。
「神官長を呼べ!」
扉の外に向かって大声で命令する。「御意」とくぐもった返事が聞こえ、足音が遠ざかって行った。
天井裏に潜み、王とローブ男の会話を一部始終耳にしている者がいることは、誰にも気付かれていなかった。
SIDE:碧空の鷲獅子
2頭立ての馬車は既に王都メイクァートから離れ、一路西に向かっていた。
「もう王都から十分離れたな。この辺で良いだろう。ルーロン、面倒掛けて済まないが、よろしく頼む」
「任されたわ!」
馬車が速度を落とし、やがて止まった。
「ここまでありがとう。約束の金だ」
デュークが荷台から降り、御者の男に革袋を渡した。御者は礼を言って、馬を馬車に繋いでいる綱を解く。1頭の馬の背に直接乗り、もう1頭は綱を引いて王都方面へ戻って行った。デュークが荷台に戻る。
「じゃあ行くわよ!」
竜の姿に戻ったルーロンが、前足で幌付きの荷台を器用に抱え、そのまま飛び立った。
ヘイロンの一言。「ルビーフェルドはなくなっちゃうかも」をルーロンは『碧空の鷲獅子』にそのまま伝えた。即ち「ルビーフェルド王国は地図から消える可能性がある」と。
デューク達は、ルーロンの警告を真摯に受け止めた。仲の良い冒険者パーティやギルド職員、世話になった武具・防具屋の職人、馴染みの店の看板娘に至るまで、ルビーフェルド王国から離れることを勧めて回った。
ルビーフェルド王国に隣接するのは、東のエメラダルグ帝国か西のパールグラン王国しかない。帝国とは開戦が危ぶまれているし、行くなら炎竜帝が庇護するパールグラン王国一択だった。『碧空の鷲獅子』は大急ぎで引っ越しの準備を行い、今日ようやく出立できたという訳である。
各国にある冒険者ギルドは国の枠組みを超えた組織である。パールグランに行ってもランクはそのままで冒険者として活動できる。
隣国とは言えパールグラン王国の王都まで馬車だと1ヵ月近くかかるので、ルーロンが抱えて飛んでくれることになった。
荷物もなかなか多い。これでもかなり絞ったが、5人分の武器・防具、身の回り品だけで馬車1台分になった。荷台に『碧空の鷲獅子』5人が乗り込んでいるので、もうギュウギュウである。
そしてそこに、もう一人の客が乗っていた。そのせいでギュウギュウ度が一段上がっている。
「いやあ、マジで助かったっす。まさか空を飛んでパールグランに帰れるなんて夢にも思ってなかったっすよ!」
それは、少女と言っても通用する小柄な女性だった。名はアイラ。明るい茶色の髪をボブカットにして、全身をぴったりとした黒い装束に包んでいる。その喋り方と相まって、少女、と言うより少年と言った方がしっくりくるほど、体に凹凸がない。
「それで、アイラの話は本当なのか? 国王自身が国を帝国に売るつもりだって」
空を飛んでいるとは思えないくらい、幌馬車の荷台は静かで揺れもない。その中をデュークがアイラに尋ねる。
「もちろんっす! あたしが3ヵ月かけてやっと掴んだ情報っすよ! いやー、誰にも気付かれないように王の居室の天井裏にスペース作るの、めちゃくちゃ大変だったんすから!」
パールグラン王国のような小国がこれまで他国の侵攻を退けてきた理由。それは「情報」である。優秀な諜報員を育成し、各国に放つ。彼ら彼女らが集めた情報は玉石混交だが、今でもパールグランが存続していることが、諜報活動の重要性を証明している。
アイラは、潜入と工作に優れたパールグランの超一流諜報員だった。ただ、彼女には致命的な欠陥がある。今の会話から分かる通り、諜報員なのにおしゃべりなのだ。
「いやもう、3日間隠れてましたから。その間のおトイレ事情はお察しっすよ? あ、出発前にちゃんとお風呂入ったんで安心してくださいっす!」
この明け透けな物言いに(やっぱ本当は男の子なんじゃ?)とデューク達は思った。
魔術師のメイベルが、少し居たたまれなくなり、それとなくアイラに注意を促す。
「あ、あの、アイラさん……機密情報なのでは?」
「……皆さん、内緒でお願いするっす。嫁入り前の娘の恥部を言い触らしたらダメっすよ」
そっちじゃない、と5人は思った。彼女は諜報員としての自覚に乏しいようだ。
「ルビーフェルド王城の噂では、炎竜帝を唯一倒せる『神々の使徒』の召喚があと10日くらいで出来るって話っす。まあ、これはあくまで噂なので信憑性はイマイチっすけどね」
『碧空の鷲獅子』メンバーは全員、「モエ」という名の「神々の使徒」だけが炎竜帝を倒せると炎竜帝の口から直接聞いた。
「ねえ、それってマズいんじゃない?」
「パールグランを本当に守ってるようだし」
「この前のベヒモス襲来も退けたって話だもんな」
『碧空の鷲獅子』の面々はチヒロの企みを知らない。そのため、炎竜帝が討たれたらマズいと思っている。
ランスが口にした「ベヒモス」という単語にアイラが食いついた。
「そうそう! ベヒモスのことはあたしも気になってたんす。あの王の言い方……」
薄い胸の前で腕を組み、眉を顰めて目を閉じ、考えるアイラ。
「これは完全にあたしの勘っすけど、ベヒモスの襲来は人為的なものじゃないっすかね?」
そう考えると辻褄が合うんすよねー、とアイラが呟く。これには、デューク達も顔を見合わせた。
強大な魔獣を操る「使役術者」がいる。冒険者界隈ではかなり昔からまことしやかに囁かれている噂である。
実際、『碧空の鷲獅子』は使役術者の仕業ではないかと思える事件の調査依頼を受けたこともあった。
「ギガコカトリス」という鳥の魔物が、帝国との国境に近い村をいくつか襲ったのだ。森から滅多に出ない魔獣、しかも通常は群れを成さないギガコカトリスが、30体の群れで村を襲った。数少ない生き残りの証言だった。
しかし、その時は使役術者が居たという証拠や痕跡は何も見つからなかった。
「使役術っていうのは昔っから存在すると言われているが、実際にそれを使えるヤツには会った事がないんだよなぁ」
「帝国の雷竜帝も、何らかの方法で使役されてるって噂もあるっす」
「確かに、それ聞いたことある」
気になるなあ、とデュークが呟く。
「だったら、ベヒモスが襲撃した所を調べてみないっすか? どうせ通り道だし」
以前の調査では、ギガコカトリスの襲撃から時間が経ち過ぎて何も見つけられなかったという口惜しさもある。今なら、もしかしたら何か痕跡が見つかるかも知れない。
「そうだな。みんなはどうだ?」
パーティメンバーは全員乗り気のようだ。ただ空を飛んでいるだけでは退屈である。暇つぶしがてら、少し調べても面白いだろう。
デュークは幌から顔を出し、ルーロンにオスタリア砦の近くで一度降ろしてくれるよう頼んだ。
アイラはちみっ子設定です。




