69 竜巫女
SIDE:本庄萌
少し前に、異世界間ゲートを起動するためのマグリスタルは貯まった。
これでリアナ達やアセナ達にいつでも会いに行ける。それはとても嬉しい事の筈なのに、萌の心は何故か晴れなかった。
ゲートが起動したら直ぐにでも会いに行こう。そう思っていた筈が、逆にダンジョンから足が遠のいた。日課のようにダンジョンに潜っていたのに、週に5日になり、一日おきになり、今では週に2回潜れば多い方だ。
萌には理由が分からない。ただ、ダンジョンに潜ると息苦しくなる気がするのだ。胸が引き絞られて、訳もなく涙が出てくる時もある。
ダンジョンの外では、そんな気持ちになるのは比較的少ない。それでも完全に気分が良いと感じる事がない気がする。自分は何かの病気なのだろうか。そう考えて母に相談しようかとも思うが、まだ話していない。
そんな苦しい思いをしながらも、萌はダンジョンに潜る事を完全に辞める気はなかった。ダンジョンに潜る事がとても重要な気がしていたからだ。
様々な思いを抱えながらダンジョンに潜り、出て来た萌を氏神が迎えた。
「萌ちゃん、こんにちは」
「うーちゃん様。こんにちは」
少しだけとりとめのない話をする。学校はどう? お母さんは元気? 萌ちゃんは大丈夫?
自分の事を聞かれた瞬間、萌の両目に涙が溢れ、大粒の雫になって零れ落ちる。
「あ、あれ? 私どうしたんだろう」
ウルスラは、どこからともなく取り出したティッシュペーパーを渡す。直接慰める事が出来ないウルスラは、歯痒さに拳を握り締めた。
「萌ちゃん、きっと大丈夫だから」
頭を優しく撫でると、萌はウルスラの胸に顔を埋めて泣いた。
「大丈夫、大丈夫。もう少し待ってね」
秋になりかけた夕方の風が、一人と一柱を優しく撫でていった。
SIDE:本庄千尋
(んん……萌……)
覇王印の保護障壁の中で、千尋は夢を見ていた。刀を抱き枕のように胸に抱え丸くなっている。
3歳になった萌が家を抜け出して、神社で男の子達に苛められていた。3人の体の大きな男の子に囲まれ、蹲って泣いている。
『萌を、妹をいじめるなっ!!』
千尋は萌と男の子達の間に割り込み、両手を広げて立ち塞がった。
『なんだお前!』
『私はこの子のお姉ちゃんだっ!』
『だからなんだって――』
最後まで言わせず、千尋は拳を男の子の顔に叩きつけた。
『てめぇー! なにすんだ!』
最初に殴った子は鼻血を出して蹲ったが、残った2人が千尋に殴りかかった。男の子達は力が強かった。振り上げた千尋の手首を握り、もう一人が顔を平手で殴ってくる。痛い。怖い。でも千尋は怯まなかった。自分が逃げたら萌はどうなる? 萌だけは、例え自分の命に代えても守らなくては。6歳の千尋は決死の覚悟で男の子達に挑んだ。
千尋は夢中で手を振り回した。萌から離れるように誘導しながら。刺し違えてやる、という覚悟で。千尋は何発も殴られた。お返しに何十発もお見舞いしてやった。その気迫に、男の子達はたじろいだ。3人とも鼻血を出して半泣きになっていた。
『くっそー! 暴力女め! 覚えてろよ!』
お前達のことなんか覚えてるか、バーカ! 仁王立ちになって男の子達の走る背中を見送ると、すぐに萌の所に駆け寄る。
『萌、怪我してない?』
萌は泣き腫らした目を向け、コクコクと可愛く頷いた。
『おねえちゃん、はなぢでてる』
『大丈夫、大丈夫! ほら、家に帰ろ?』
千尋は萌の小さな手を握り、並んで家に帰った。あの夜、お母さんにこっぴどく叱られたなあ……。
千尋は夢を見続ける。夢にはいつも萌が出て来た。夢の中で萌に会えば、千尋は幸せな気持ちになれた。
握り締めた刀の柄。そこに埋め込まれた3つの白い石。眠り続ける千尋は、その石が眩く光っていることに気付かなかった。
SIDE:ヘイロン
神殿で目覚めると、いつものように身支度を整えたマリーの笑顔に出迎えられた。
「おはようございます、ヘイロン様」
マリーは中身がチヒロである事を知っているが、ヘイロン様、と呼ぶ。内緒にしてという言い付けを守り、誰が聞いているか分からないので常に「ヘイロン様」と呼ぶようにしている。感情が昂った時などは思わず「チヒロ様」と言っちゃうのだが。
炎竜帝と言っても、今のところは特に仕事がある訳ではない。暇つぶしに近くの山でも散策しようかなーと思っていると、「ピロリンピロリン」と音がした。
「な、なになに!?」
「な、なんでしょうこれ!?」
聞き慣れない音に、ヘイロンとマリーが慌てる。敵襲か!? と警戒していると、マリーが翡翠色の玉を持って走って来た。
「ヘイロン様、これから音がしています!」
「ピロリンピロリンピロリン」
本当だ……。これなんだっけ? つい最近見た気がするんだけど……。
「「あ」」
ヘイロンとマリーが同時に声を上げる。これ、アレだ。マリーを生贄として連れて来た2人の兵士に持たせた宝玉の片割れだ。これがピロリン鳴っているということは――。
「マリー、パールグラン王国に向かうか」
「はい!」
ヘイロンはマリーを前足で抱きかかえ、パールグランの王都から南に100キロの街、ムアルに転移で移動。その先はマリーも行った事がないので飛んで行く。毎度の事ながら、「気配遮断」「認識阻害」を使う。
20分ほど飛んでいると、宝玉の正確な位置が掴めた。
「んー。あの大きな街の中心……あれは城ではないか? あそこから呼んでいるようだが、直接城に行って良いのだろうか」
まさかのお城から呼び出しである。騒ぎになること必至。大丈夫、これ? いきなり囲まれて一斉攻撃とかされない?
城の上空まで来ると、どうやら広い中庭に宝玉の片割れがあるようだ。いや、これは中庭ではなく、城に隣接する訓練場か演習場だな。壁で囲まれただだっ広い土地である。大きな天幕が張ってあり、全身鎧と金属の兜で防御を固めた30人ほどの兵士が天幕の傍に並んでいる。
ヘイロンは「気配遮断」「認識阻害」を解きながら、ゆっくりと垂直に降下した。兵士達が俄かに動き出し、緊張した様子が見て取れる。天幕から更に数名の兵士が出て来て、その後ろに制服姿の男性が2人続いた。
ヘイロンは音もなく着地するが、風魔法の余波で砂埃が舞った。マリーは、その姿を隠すように腕でしっかり抱えている。
「炎竜帝陛下! 遠い所までご足労いただき感謝に堪えません」
白地に赤い刺繍が入った制服を着込んだ30歳半ばくらいの男性がヘイロンの前に跪いた。もう一人は50代後半で、よく見ると制服ではなく、儀式などの際に着用する礼服のようだ。
年上の男性が口を開いた。
「お初にお目にかかります、炎竜帝陛下。バルジ=カークス、このパールグラン王国の宰相を務めております」
「お目通り感謝いたします。ザッカート=マルケス、王国第一騎士団団長でございます」
おおう。宰相と騎士団長とは。いきなり偉い人が出て来たな。
「炎竜帝ヘイロンと申す。陛下などと呼ばれる柄ではない。ヘイロンと呼んで欲しい」
とりあえず敵意はないと判断し、マリーをそっと地面に降ろした。
「マリーと申します。ヘイロン様にお仕えしております」
マリーがぺこりと頭を下げると、兵士達から「おお……」「あの子が……」「本当に……」と呟きが漏れた。
「我は見ての通り体が大きい故、見下ろすような形になって済まぬ。どうぞ立ち上がってくれ」
会談、と言うには奇妙な形式。巨大な竜と、隣にちょこんと控える少女。その前に宰相と騎士団長が並んで立っている。
「それで、我の申し出は検討してもらえただろうか」
「その点について、えんりゅ……ヘイロン様にいくつかお尋ねしたいのですが」
バルジ宰相は少し青ざめた顔ながら、しっかりした口調だった。
「無論。何でも聞いてくれ」
「ヘイロン様はパールグラン王国と友好的な関係を結んで下さる、そういう認識で間違いないでしょうか?」
「うむ。我は貴国だけではなく、全ての国と友好的な関係でいたいと考えている」
ヘイロンの言葉に兵士達がざわつくが、ザッカート騎士団長が目で諫める。
「我が国に庇護を与えて下さるというお話は真でしょうか?」
「知っての通り、炎竜の領域から最も近いのが貴国だ。近所のよしみでもあるし、炎竜が貴国を守護すれば、竜と人が手を取り合う時代をまた作っていけるのではと考えている」
バルジ宰相はヘイロンの言葉を咀嚼する。
「誠に畏れながら、ヘイロン様のお言葉は綺麗過ぎる気がいたします」
バルジ宰相とザッカート騎士団長の2人、いやこのパールグラン王国にとって、ここが分水嶺だった。この言葉でヘイロンが機嫌を損なえば、国が地図から消える事も有り得る。それでも確かめなければならない事だった。
「ふむ。バルジ殿のお気持ちも分かる。災厄の黒竜と呼ばれる炎竜帝が平和を望んでいると言っても、俄かには信じられんだろう」
この言葉に、宰相と騎士団長は目を剝いた。
「むしろ、庇護を与える代わりに毎年100人の生贄を捧げよ、と言われた方が納得もいくだろうな」
まあ生贄など全く要らんのだがな、どうせ追い返すだけだし。ヘイロンの言葉には、マリーを除く全員が耳を疑った。
「庇護は不要、という事であれば別に構わぬ。マリーもいつでも帰って良い」
「ヘイロン様! 私は自分の意志でヘイロン様にお仕えしているんです!」
「おおぅ……そうか。それは済まぬ」
「もう! 私は帰りませんからね!」
「うむ、分かった」
大人しそうに見える少女がぷくっと頬を膨らませ、強い口調でヘイロンに訴えた。それを目の当たりにした全員が(この竜、少女の尻に敷かれているのでは?)と思った。
「ぷっ」
くくくっ、ぶはっ! それまで成り行きを見守り黙っていたザッカート騎士団長が堪えきれずに噴き出した。
「ヘ、ヘイロン様……ふっく、も、申し訳、ふぐっ、ございません……!」
兵士達の顔が一斉に青ざめる。しかし、バルジ宰相だけは違った。ザッカートと一緒になって腹を抱えて笑ったのだ。
「はぁはぁ……ヘイロン様、ご無礼をお許し下さい。私は、是非ともヘイロン様の庇護を授かりたく存じます。王にそう進言いたします」
「そ、そうであるか? うむ、それならば我から一つ提案があるのだが――」
マリーという一人の少女のおかげで、この後の会談は非常に和やかに進んだ。後にマリーは「竜巫女」と呼ばれ、竜と人の梯になった女傑として長らく語り継がれることになるのだが、それはまた別の話である。
マリーちゃんは癒し枠です。




