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64 人族が勝手に生贄を捧げるので困ってます

SIDE:チヒロ(ヘイロン)


 時は3日ほど遡り――。


「ヘイロン様。生贄が到着しました」


 神殿最奥にある帝王の間。ヘイロン(チヒロ)は肘をついた右手に顔を乗せて横になりすっかり寛いでいた。竜にあるまじき威厳のない姿である。


「…………カイゼリングくん。今なんと?」

「……人族の生贄が到着しました。10年の一度の恒例行事でございます」


 チヒロは急いでヘイロンの意識を呼び出す。ヘイロンは精神世界に作り出した神社ダンジョン最下層で+300%のミノタウロスと楽しそうに遊んでいた。


『ヘイロン、ヘイロン。なんか生贄が来たらしいんだけど。人族の』

『ああ、もうそんな時期か』

『えーと……食べるの?』

『食わんわ! 魔力は少ない、肉も少ない。好き好んであんな不味そうなもの食うか!』


 そもそも竜種は食物を摂取する必要がない。大気中に無限に存在する「魔素」を吸収するだけで事足りるのだ。それでも神殿に多くの食物が献上されるのは、味覚を楽しむことが上位の竜のみに許された一種の贅沢と見做されているからである。


『そ、そうだよね。じゃあ今までどうしてたの?』

『適当に追い返していた』

『適当に』

『うむ』


 えーっと、一番近い人族の集落まで、確か1000kmくらいあるよね?

 ここは標高の高い山岳地帯で、麓は広大な森林が広がっている。危険な野獣や魔獣も多く生息する超危険地帯だ。


 そんな所を通って、ここまで辿り着くだけでも命がけであろう。それを適当に追い返せば、元々住んでいた集落へと帰り着く前に命を落とすのは火を見るよりも明らかである。


『ちょっと! ヘイロン!』

『む?』

『適当に追い返すって何よ!? それは殺すのと変わらないじゃない!』

『い、いや、そうは言ってもだな。我等が生贄を要求した訳でもなし、人族が勝手に――』

『言い訳よくないっ!』

『はい』


 チヒロの剣幕に、ぬいぐるみっぽいヘイロンが思わず正座する。


『ちゃんと送り返してあげよう。それで、生贄は要らないって言おう』

『う、うーむ……』

『なに!?』


 ヘイロンがビクッとして背筋を伸ばす。


『いやな、人族は生贄を捧げることで炎竜から襲われんと信じてるのだ』

『なるほど?』

『生贄を断れば、炎竜を益々恐れるのじゃないか?』


 ふむー、と言って三頭身チヒロが短い腕を組んでしばらく考え込んだ。そして左手の掌を右拳の横でポン、と叩く。


『いいこと思い付いた! 試してみよう』


 チヒロは自分の思い付きをヘイロンに説明する。その話を聞いたヘイロンは「良いと思うぞ」と賛成を表明。


 ここまで脳内で繰り広げられた時間、僅か2秒。


「……カイゼリングよ。その者をここに通せ。()()()()

「かしこまりました」


 帝王の間で竜っぽい姿勢に座りなおして待っていると、想像していたのとは違って3人の人族が通された。


 2人は全身鎧に兜まで被った兵士風の男性。その2人に挟まれるように立つのは、薄青の髪を顎くらいで切り揃え、やせ細りながらも力強い眼差しの少女だった。


(見た目も雰囲気も全然違うけど……萌に似てる気がする)


 チヒロがそんなことを一瞬考えると、ヘイロンの心臓付近で固い殻に閉じ籠って眠り続ける千尋(本体)が僅かに身動ぎするのを感じた。覚醒を期待して暫し待つ。だがやはり本体は眠ったままだった。


 気持ちを切り替え、目の前の少女に意識を集中する。両側の兵士は今すぐこの場を去りたいと言わんばかりで落ち着きがない。一方で少女は気丈にもヘイロンから目を逸らさなかった。


 ヘイロンから20メートルほど離れた場所で3人が跪く。


「お、畏れながら、炎竜帝陛下に生贄を献上するため(まか)りこしました!」


 兵士の一人が掠れた声を上げた。チヒロは最大限に放出魔力を抑え、可能な限り優し気な声で尋ねる。


「うむ。貴殿らはここより北のパールグラン王国の兵と見受けられるが相違ないであろうか?」


 驚くほど流暢に語り掛けられ、2人の兵士は驚きのあまり顔を跳ね上げ、慌てて床に目を伏せた。


「さ、左様でございます!」

「そう固くならずともよい。取って食う訳ではないのだから」


 「食う」という言葉に、3人の顔は見る見る青褪めた。真ん中の少女など、プルプルと肩を震わせている。冗談で言ったのに。ドラゴン・ジョークは通じなかった。


「あー、配慮が足りず済まん。本当に食ったりしないから安心せよ。そもそも竜は人族を食わんのだ」

「なっ!? それは本当?」

「こら、娘! 口を慎まんか!」


 青髪の少女が驚きの声を上げ、兵士がそれを窘める。


「よいよい。少女よ、本当だ」

「じゃ、じゃあ、私は何の為に……」

「それについて、少しお主らと話したい」


 炎竜帝に生贄を捧げるという風習が始まったのは、偏に竜を怖れてのこと。気持ちは分かるが、ヘイロンは人族と敵対する気はない。むしろ護っても良いと考えている。だが、何の見返りもなく竜が人族を護ると言っても、これまでの事を考えるとなかなか受け入れ難いのではないか。


 そこでチヒロは考えた。この神殿で人族に働いてもらおう、と。


 掃除、料理と洗濯(自分のため)、来客時のお茶出し。あとはヘイロン(チヒロ)の話し相手、という仕事である。これは、炎竜と人族が友好関係を結ぶ足掛かりにしたいというチヒロの思惑であった。


 神殿で働く期間は3ヵ月程度で希望者による交代制。もちろん働いた分の対価を支払う。炎竜帝の神殿は恐らく世界一安全ではあるが、竜に対する恐怖はそう簡単に拭えないだろう。危険手当ならぬ恐怖手当としてかなりの額を渡すつもりだ。


 対価の出所は、帝王の間の右奥に隠された部屋。そこに、ヘイロンが長年に渡って貯め込んだと思われる金銀財宝の山があった。物語でも、竜がお宝を貯め込んでいるのを見たりするが、本人(竜)に聞いてみるとキラキラしたものが好きらしい。カラスかよ、と突っ込んでおいた。


「ということで、メイドという程堅苦しいものではないが、ここで働いてもらう代わりにパールグラン王国に庇護を与えようと思うのだが」


 ヘイロンの申し出に、2人の兵士は腰を抜かさんばかりに驚いた。そんな簡単な事で、炎竜帝の庇護を受けられるのか、と。


「もちろん条件はある。例えば人族同士の争いには介入しない。王国が我等に敵対したり、我等を利用しようとすればこの話は終わりだ」

 ヘイロンの申し出は、人族にとっては願ってもないものだが、一介の兵士達が「じゃあそれでお願いします」などと言える話ではなかった。


「し、至急国に持ち帰り、然るべき方に話を通します」

「うむ。ではお主らの国まで送ろう」

「「「え」」」

「え?」

「い、いえ、このようなお話を頂いた上、炎竜帝陛下のお手を煩わせるなど」

「別に構わん。背に乗せても良いが転移の方が簡単だろう」


 転移まで出来るのですか……いや、炎竜帝陛下ならそれくらい……などと兵士が呟く中、青髪の少女が口を開いた。


「あの、炎竜帝さま」

「ん? なんであるか?」

「私が、ここで働いてはいけませんか?」


 少女の事情を聞けば、親兄弟といった身寄りがなく、数年前から生贄になることを定められ、村の人々と涙の別れを果たして来たと言う。今更帰る場所もない、と。


「名は何と言う?」

「マリーです」

「我が恐ろしくはないのか」

「最初は怖かったけど、今は全然怖くありません」


 マリーは屈託のない笑顔を見せながらそう言った。


「そうか。お主さえ良ければここで働いてくれると嬉しい。よろしくな、マリー」

「はい!」


 神殿で働く第1人族はマリーに決定した。


「それでは、兵士殿たちを街まで送ろう。マリーも来るが良い。必要なものを街で買うように」


 そう言いながら、ヘイロンは隠し部屋に入って行く。最早隠す気がない。そこからパールグラン王国の金貨を10枚ほど、それと翡翠色に輝く宝玉を手に戻る。金貨をマリーに、宝玉を兵士の一人に渡した。


「こ、こんなにたくさんの金貨、初めて見ました……」

「炎竜帝陛下、この宝玉は?」

「うむ、それを手にして念じれば我に通じる。話がまとまった暁にはそれで我を呼ぶがいい。宝玉の場所まで出向こう」

「ははっ!」


 その後、兵士達の記憶を頼りに街の近くに転移した。そこはパールグランの王都から南に100kmほど離れたムアルという大きな街だった。ちなみにさらに南へ20kmほど下るとマリーが住んでいた村があるそうだ。


 ヘイロンは「気配遮断」「認識阻害」「擬態」のスキルを使い、街から少し離れた森の近くに潜み、マリーが買い物から帰るのを待った。兵士達は兵団本部に全速力で走って行った。


 その後、身の回り品を買い終えたマリーと共に、転移で炎竜帝の神殿に戻ったヘイロン。その2日後、兵士から齎された炎竜帝の申し出が王城へ届き、城が大騒ぎになったことなど知る由もなかった。

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