63 碧空の鷲獅子
SIDE:本庄萌
アセナの世界、バルケムから戻って2週間。夏休みも終わり、今日も萌は学校終わりに神社ダンジョンに直行した。
ダンジョン1層の入り口付近で小一時間宿題をやる。それが済んだら一度ダンジョンを出て、大岩の横に並んだ石に腰掛ける。そこで偶に氏神と話したり、ただぼーっとして過ごす。
宿題を終えたら、なぜわざわざ一度ダンジョンを出るのだろう、と思う萌だが、今までずっとそうしていたからとしか言えない。
外で20分程過ごしたら、またダンジョンに潜る。最下層に行ってボスを倒し、リポップ待ちの間は28~29層、偶に上層に行って食材を集め、ダンジョン内で1時間経ったらボスを倒す。それを5回繰り返すと外では丁度1時間くらい経過していて、家に帰る頃合いである。
そして母と一緒に夕食を作って食べる。新しい家の完成までは、あと3~4ヵ月くらいかかるらしい。
萌は毎日学校に行き、ダンジョンに潜り、母と二人で過ごす。もうすぐゲート起動に必要なマグリスタルが貯まるから、そしたらリアナさん達に会いに行こうかな。それが今から楽しみだ。
ただ、この2週間なんだか気持ちが晴れない。何か物凄く大切なことを忘れているような、まるで自分の半身が引き千切られて知らないうちに入れ替えられたような、胸の詰まりと違和感が拭えないのだ。
今日も大岩の隣に腰掛けている間、知らず知らずのうちにずっと神社の入り口を見つめていた。見つめていれば、そこに誰かが駆け込んでくるかのように。それを思うと、訳もなく胸が締め付けられる。
萌は、理由も分からないのに酷く寂しく感じるのだった。
SIDE:ルビーフェルド王国
「北の氷竜帝パイロンが討伐されたのは120年前のことだ」
床から1メートル近く高くなった玉座にはこの国の若き王が座り、跪く者達を睥睨している。
「それ以来、どの竜帝も健在。人族は常に竜に怯えて暮らしているのが現状である」
自分の言葉が皆に浸透するのを待つ。36歳で王位に就いたバルサージャ=ルビーフェルド王は、そういう話し方が気に入っていた。
「そろそろ我らの憂慮を取り払う時だと余は思うのだ。そうではないか、『碧空の鷲獅子』達よ」
バルサージュ王から『碧空の鷲獅子』と呼ばれたのは、王の御前に跪いて首を垂れている5人の冒険者である。ルビーフェルド王国で現在最も実力の高いSランク冒険者パーティだ。
「我が国の最大憂慮である『炎竜帝』を倒した暁には、其方達に『勇者』の称号を授ける。余に力を示してみよ」
「「「「「御意っ!」」」」」
「何が『御意っ!』だよ! 断る選択肢なんてねぇじゃねえか!」
ここは王都の城下町、王城から離れた平民区画にある「熊の手亭」。冒険者に人気のある料理と酒を提供する店である。
『碧空の鷲獅子』。半年前にSランクに昇格した新進気鋭の冒険者パーティである。今日、突然王城に呼び出され、国王から無理難題を押し付けられた。「災厄の黒竜」こと炎竜帝の討伐である。それは『碧空の鷲獅子』に「死ね」と言っているのとほとんど同義であった。
パーティの斥候役、ジョブ「盗賊」のランスが続けて愚痴を吐き捨てた。
「竜、しかも帝竜クラスの討伐なんて騎士団全軍で当たる事案だろうが!」
ダン! と麦酒の入った木製ジョッキをテーブルに叩きつける。酔いが回ったのか、その顔は赤みが差している。しかし、パーティメンバーは誰もランスを咎めなかった。他の4人も同じ気持ちだったからだ。
リーダーで剣士のデューク。盾役のカルダン、魔術師のメイベル、治癒士のマリア。18歳から23歳の男性3人、女性2人で構成されたバランスの良いパーティ。結成から僅か3年でSランクまで上り詰めた。
「これってたぶん……国の思惑ってヤツだよね?」
最年少の魔術師、メイベルが口を開く。
「メイベルの言う通り……帝国に対する牽制だろうな」
デュークが諦めたような口調で同意した。帝国とはルビーフェルド王国の北東に位置するエメラダルグ帝国を指す。ここ30年隣接した小国を次々に併合して勢力を拡大し続けている大国である。
「炎竜帝を倒せるくらいの冒険者がいることを示したいってことか」
溜め息交じりに零したのはカルダン。
「そんな事で帝国が手を引くとは思えないけどねー」
間延びした口調でマリアが返す。
「まともにやっても勝ち目はないよなあ」
「そもそも竜のこと甘く見過ぎ」
「人族が叶う相手じゃないもんな」
国から授けられる「勇者」の称号は非常に魅力的だ。一代限りだが領地を持たない貴族に叙爵され、国から毎年十分な報奨金が与えられる。それだけではない。全ての冒険者の頂点に立ち、称賛の的となるのだ。
とは言え、金も名誉も命あっての物種である。
それでも、この不可能と思える王命が彼らに下された理由。
「仕方ない。ルーロンに頼むか」
「……それしかないよね」
「それしかない、か」
「分かっちゃいるけど」
「「「「「はあぁぁぁ……」」」」」
風竜帝・緑竜。それは、彼らが尋常ではない早さでSランクに昇格した理由の一つ……いや、大きな部分を占める。
リーダーのデュークがまだ10歳だった13年前のこと。デュークはルーロンに気に入られた。理由を尋ねると一言、「可愛いから」だった。意味が分からなかった。だが、それ以来ルーロンはデュークに力を貸してくれている。
冒険者になって死にそうな目に遭った時も何度か救ってくれた。それで、『碧空の鷲獅子』は風竜帝を味方にしていると知れ渡った。Sランクに昇格したのは冒険者ギルドがルーロンに忖度したのだと揶揄する者もいたが、デューク達は「あながち間違いではない」と思っている。
ルーロンが気まぐれでデュークの手助けをしてくれているのは分かっている。
そして、とても癖の強い竜であることも。
だがルーロンの助けなしには、炎竜帝の所に辿り着くことすら難しいことも十分理解している。
「……ルーロンに頼もう」
デュークはげんなりした顔で呟くのだった。
「おかえりーでゅっくん!!」
『碧空の鷲獅子』が王都の拠点として借りている屋敷。玄関を開けた途端、明るい緑の髪を腰近くまで伸ばした女性が飛びついて来た。
「ああ、ただいまルーロン」
「「「「……ただいま」」」」
「もう、私を一人にして! 寂しかったんだからぁ!」
『碧空の鷲獅子』、知られざる6人目のパーティメンバー。それは人化したルーロンである。
見た目は20代半ばの超が付くグラマラス美人だ。今も豊かな胸の谷間にデュークの顔を埋めている。窒息する寸前まで埋めるのが日常である。
メイベルと20歳のマリアも十二分に可愛い。だが、ルーロンの顔とスタイルは次元が違った。言うなれば学校で一、二を争う美女と芸能人の違い。それが二人の女性には納得がいかない。だって竜が化けているのだから。
そしてルーロンは面倒臭い女(竜)だった。一番のお気に入りはデュークで間違いないのだが、カルダンとランスにも色目を使い、常に自分がチヤホヤされないと気が済まないという「かまってちゃん」、その上ちょっと優しくされると簡単に言う事を聞いてくれる「チョロゴン」なのである。
ルーロンのおかげでSランクという名声が手に入ったので、無碍にも出来ない。だが、ルーロンに頼むとあまりにも物事が簡単に解決してしまう。それはSランク冒険者としてどうなのだ、と思うメンバーとしては、可能な限りルーロンに頼み事をしたくないのが本音であった。
しかし今回ばかりは話が別だ。
「ルーロン。実は頼みがあるんだ」
「いいわよ!」
「まだ何も言ってないけど」
「でゅっくんがそんなこと言うのは本当に困ってる時でしょ?」
会話だけ聞いていると凄く良い女なのだが、既にルーロンはデュークを押し倒している。しかもまだ玄関である。
それから5人がかりで何とか宥めすかし、居間へと移動した。メイベルとマリアがお茶の用意をしてくれて、ようやくソファに落ち着く。
「実は――」
デュークは、国王から炎竜帝討伐の勅命を受けたことを告げる。
「炎竜帝を倒せるとは思ってないが、王国を襲わないよう交渉出来ないかと思ってる」
「なるほどねー。それは確かに私がいないと難しいわね」
「ルーロンを危ない目に遭わせたくないんだが……頼めるだろうか?」
デュークは10歳からこの面倒な女(竜)と付き合って来た。ルーロンが喜ぶポイントは知り尽くしている。誰よりも強い風竜帝だからこそ、気遣われることが何よりも嬉しいのだ。
「ふふん! 私を誰だと思ってるの? 任せておきなさい!」
ルーロンは豊かな胸を張って請け合った。チョロゴンの本領発揮であった。




