62 黒トカゲって言われたらブチ切れるよね
SIDE:炎竜種の棲息領域
「だーかーらー、なんで人族の国を滅ぼさなきゃなんないのさ?」
昨日辺りからヘイロン様の様子がおかしい。炎竜帝の側近、カイゼリングは思った。
まず、若い雌竜のような話し方になった。これまでは威圧的で有無を言わさぬ話し方だったのに。それはいい。話し掛ける度に寿命が縮まる思いをしなくて済むから。
だが、攻撃的な性格がすっかり丸くなってしまわれたような気がする。災厄の黒竜と呼ばれた炎竜帝が、だ。これまでより遥かに高い魔力を感じるのに、突然やる気を失ったらしい。
「し、しかしヘイロン様。矮小な人族は我ら竜種の仇敵なれば――」
「あのね、カイゼリング。人族が炎竜に何かしたの?」
「っ!? 人族はあのような矮小な分際で、この大陸の覇者のような顔をして――」
「別にいいじゃん、そのくらい」
カイゼリングは腰が抜けそうになった。人族がデカい顔をしているのを誰よりも許さなかったのはヘイロン様なのに。
「ヘイロン様! それでは人族が益々調子に乗ります!」
「まぁまぁカイゼリングくん。落ち着きたまえ」
カイゼリングくん? 驚きで口が開き過ぎて顎が外れそうである。
「そもそもの話、人族がいくら調子に乗った所で、我が負けるとでも?」
「そそそ、そのようなことは! 天地が引っ繰り返ってもございません!」
「でしょ? だったら、仲間に害がなければ無視でいいよ」
仲間? 今、ヘイロン様は仲間と仰ったのか? これまで炎竜帝の地位を脅かされないよう、力で押さえつけてきた他の炎竜を? 必要に応じて容赦なく殺して来たのに?
「こ、こほん! カイゼリングよ、我の態度が突然変わって戸惑いもあろう」
ヘイロンは性急過ぎたかな、と思って咳払いで誤魔化した。さっきからカイゼリングの様子がおかしい。竜なのに何度も目を丸くして口をぽかんと開けているし、訝しむようにジト目を送ってくる。
これはあれだ。ヘイロンの性格が180度変わってびっくりしてるんだ。
だが仕方がない。ヘイロンの意識は、ぬるま湯に浸かってすっかりだらけている。千尋本体はまだ目覚めていないものの、千尋の無意識が生み出したのが分体である。今はこのチヒロがヘイロンを動かしているのだ。
分体とは言え、チヒロは千尋。言動や考え方は千尋そのものである。
「我は炎竜の守護者としてこの力を使うことにしたのだ」
「……ヘイロン様!」
カイゼリングが胸の前で両手を組み合わせ、キラキラした目でヘイロンを見つめた。
「人族をこちらから攻撃することは許さん。攻撃された場合の反撃は許す。しかし手加減して殺さぬようにせよ。これはここにいる炎竜全てに守らせるのだ。文句があるものは我が直々に相手してやろう。約束を守る限り、我が庇護下にあると思え」
「御意! 早速全ての炎竜にお伝えいたします」
「うむ」
まぁこれで、むやみに人族を襲うことはないだろう。あとは何とか人族と交流を図りたいところだけど――。
そんな風に思ってた時期もありました。
翌朝、30体の若い炎竜が神殿の前に押し掛けた。
「ヘイロン! 貴様、日和ったな!」
「人族に情けを掛けるとは、炎竜の風上にも置けん!」
「炎竜帝の座を賭けて、いざ尋常に勝負!」
朝っぱらから元気の良いことで。炎竜種っていうのは、血気盛んな奴が多いのかな?
「さっさと出て来い、この黒トカゲ!」
カッチーン。「黒トカゲ」は竜の本能に刻まれた蔑称であった。チヒロは意思と関係なく頭に血が上った。
「誰が黒トカゲじゃいゴラァァァアアア!」
神殿の奥から雪崩のように押し寄せる圧倒的な魔力。それは物理的な圧力を伴って若い炎竜達を嬲った。まだ姿を見せてもいないのに、それだけで10体の炎竜が意識を刈り取られた。
――フシュウー、フシュウー
闇から突然生まれたかのように、ヘイロンが姿を現す。ぎろり、と一瞥しただけで、さらに5体の炎竜が気絶する。
「く、くそっ! 怯むな、一斉に竜息だ!」
「ほう。やってみろ」
15体が一斉に竜息を吐く。炎竜の竜息は、特大の火炎放射器である。単なる火炎ではなく、そこに魔力を大量に乗せることで超高温になり、更に貫通力まで持った凶悪な攻撃だ。
空気が焼ける。大地が溶ける。普通の生物なら骨さえ残らない火力。竜息はたっぷり30秒間続いた。土に含まれた水分が蒸発して濃い霧になる。
強風が吹き霧が晴れると、悠然と佇むヘイロンがいた。
「ば、馬鹿な!?」
「15体の竜息だぞ!?」
「障壁さえ張らずに無傷だと!?」
若い炎竜達の言葉通り、ヘイロンは障壁さえ使っていない。自身の竜鱗だけで受け止め、全くダメージを受けていなかった。
「ふむ。ちょっと熱めの風呂程度だな。ではこちらから行くぞ。炎槍!」
それは炎竜達が聞いたことのない魔法。ついでに言うと「フロ? フロってなんだ!?」とそっちに気を取られていた。
15個の魔法陣が空中に浮かび、そこから炎の槍が撃ち出される。1体に1本ずつ、炎の槍は正確に炎竜を捉え、その巨体を吹き飛ばした。殺すつもりはないのでかなり魔力を抑えた炎の槍。それでも竜鱗の上から物理的に衝撃を与え、100メートルくらい後ろに飛んで行った。
「まったく……面倒な奴らだ」
ヘイロンは気絶した炎竜達に治癒を掛けていく。この戦いに参加しなかった他の炎竜達がその様子を遠巻きに見ていた。
自分に逆らった若い竜の攻撃を正面から受け止め、力の差を示したヘイロン。さらに1体1体の傷を癒す心遣いが格の違いをまざまざと見せつけることになった。この日を境にヘイロンに逆らう炎竜はいなくなり、「黒トカゲ」という言葉は絶対の禁忌となった。
若い炎竜30体の相手をしてから2週間が過ぎた。
チヒロは、一度挑まれただけで炎竜達が納得したのが意外であった。
竜と言えば、だいたいどの物語でも「最強の生物」として描かれる。長く時を生きて知恵に長け、プライドが高く、傲慢であったり傍若無人であったり、そして人知を超えた強さを誇る。
物語の中では、人間にとって敵であることもあれば、頼りになる味方であることもある。そしてどうやらこの世界では、竜というのは人間の敵であるらしい。チヒロにとってそれは悲しいことだが、その価値観を変えるのは一筋縄ではいかないと思っていた。
それが、たった一度軽く相手をしただけで、あっさりと従ってくれるようになったのだ。自分でもびっくりである。下手すれば全面戦争みたいになるのかと思っていたので。
あれから連日、神殿には果物やら動物(魔物?)のお肉やらが届けられる。こんな事は今までなかったらしい。どうやらあの戦いでチヒロ=ヘイロンは炎竜達から尊敬を勝ち得たようだ。
『それにしても、お主の力は相当なものよのう。あのエイシアとかいう女神にレベルを上げられる前でも、良くて互角、下手したら負けていたかも知れん』
『そうかなぁ? ヘイロンだって相当強いじゃん』
『まあ、それほどでもあるがな!』
チヒロとヘイロンはお互いの記憶を共有している。そのおかげでチヒロは戸惑いながらもこの世界のことを理解出来ている。
チヒロとヘイロンの意識が混在するこの世界は「精神世界」とでも言うべきだろうか。意識によって自由に作り上げられた世界で、チヒロとヘイロンは本来とはかけ離れた姿を取っている。具体的に言うと、千尋は三頭身にデフォルメされ、小動物的な可愛さが際立つ見た目。ヘイロンはチヒロより少し小さく、刺々しさを一切排除したぬいぐるみのような愛くるしい姿である。
『それにしてもヘイロン、寛ぎ過ぎでは?』
『何を言う。我は5千年近く戦いに明け暮れていたのだ。少しくらい寛いでも罰は当たるまいよ』
涼やかな風が頬を擽る湖畔。パラソルの日陰に置かれたデッキチェアに寝そべり、冷たいドリンクを飲むヘイロン。これが「災厄の黒竜」と呼ばれた炎竜帝か。気を抜き過ぎであろう。
これは言わずもがな、千尋が萌と一緒に勇者リアナの別宅で寛いでいた時の記憶を元にしたものである。余談だが、昨日はザイオン砦で入った大浴場を堪能していた。
『お主の得意技、天牙雷命は我の爪に載せて使えそうだぞ?』
『あ、やっぱり? 魔法も使えてたしね』
「融合」と言うだけあって、千尋の能力はヘイロンも使えるようになった。チヒロが注目しているのは、ヘイロンの固有スキル「見取り」である。これは一度食らった魔法やスキルを再現出来るもの。ただし、魔力量を始めとしたステータスの制限で、格上相手のものは再現出来なかった。
今までは。
千尋と融合したことで魔力量は膨大になり、INTやDEXというステータスも尋常ではない数値に達している。それこそ、神をも凌駕する程に。
チヒロはこの2週間、エイシア神の「融合」の解析を試みていた。本体である「千尋」とヘイロンを分離しようと考えているのだ。分離出来れば、千尋には元の世界に帰る加護がある。
「融合」についてはおおよそ掴めた。恐らく使う事も可能である。だが、「融合」を反転させて危険を冒さずに「分離」出来るかというと全然ダメだ。まだ糸口さえ掴めていない。
だがチヒロは諦めるつもりはない。元の世界に帰って妹をこの手で抱きしめるまでは、絶対に諦める訳にはいかないのだ。




