59 通りすがりの悪魔
建物が崩れた瓦礫が転がる街中を領主城に向けて走る。近付くに連れ、千尋の「魔力視」には城の高さを超えて立ち上る黄色の魔力がはっきりと見えた。
それ以外にも城の中には無数の魔力が見える。これは恐らく雑兵だろう。気になるのは、地下にも小さく弱い魔力がかなりの数見える事だ。
城の近く、かろうじて形が残っている建物の陰で一度立ち止まる。
「萌。お城の中はモヤモヤがうじゃうじゃいるみたい。それに、魔力が段違いに高いのが2体。あと、たぶん地下に只人族が囚われてると思う」
さてどうしよう。と言っても、姉妹が豊富に戦略を持っている訳ではない。むしろ圧倒的な力でゴリ押し、が千尋と萌の戦い方である。
「地下に囚われている人達がいるなら、お城ごと吹っ飛ばすのはナシの方向で」
「…………はい、そうですよね」
妹に暴挙を窘められる姉であった。
「うーん……次元に関係する能力はゲートだけなんだろうか?」
「転移とか出来そうだよね」
「だよなあ……逃げられないように障壁とか張れないかな」
転移は今いる地点と他のどこかの地点を繋げる能力である。千尋と悪魔族三将が使える転移は厳密には異なるものであるが、転移を阻害する障壁などは思い当たらない。
「スピード勝負しかないんじゃない?」
「そうだねえ」
城の真正面から突っ込めば、結構な数いると思われる雑兵と戦闘になり、敵将に気付かれるだろう。転移が使えるならその時点で逃げられる可能性が高い。
「お姉ちゃん、魔力視で敵将の正確な位置は分からない?」
「もっと近付けばいけるかも」
作戦とも言えない、取り敢えずの「方針」が決まった。敵に悟られないよう出来るだけ城に近付き、敵将の位置を探る。それが判明したら一気に将を叩く。雑魚の殲滅はその後、最後に囚われていると思しき只人族の救出だ。
敵将の位置が分かったら城の壁をぶっ壊して中に侵入し、真っ直ぐ将の下へ行ってぶっ飛ばすという単純明快さ。本庄姉妹の本領発揮である。
「じゃあ行ってみよう」
「うん!」
千尋と萌はトップスピードで城壁を飛び越え、半分ほど樹木や花が枯れてしまった庭園を駆け抜ける。中層にある回廊に飛び乗り、さらに上の胸壁を超え、最も高さのある主塔の壁に取り付いた。10センチにも満たない石の出っ張りにつま先と手の指を掛け、壁にぴったりと身を寄せている。
建物の陰から城の主塔の壁に取り付くまで、僅か8秒。その間、千尋は左目の魔力視をずっと発動していた。
「お姉ちゃん、場所分かった?」
「うん。丁度この内側、距離は15メートルくらい」
「じゃあ私が穴開けるから、お姉ちゃんは神槍乱舞を思いっきりやっちゃって!」
「うっし! 任された!」
姉妹はそれぞれ片手と両足のつま先で体を支え、空いた手に魔力を集中させる。
「いくよ、ウインドバレット!」
――ドッゴォォオオオーン!
「神槍乱舞!」
萌が空けた大穴に右手を突っ込み、壁の内側に魔法陣を展開。300本の金色の槍が撃ち出され、眩い金色の光が穴から溢れる。すかさず姉妹は穴の内側に突入した。
元々そこは領主の居室であり、姉妹にとっては運がいいことに、また悪魔族の将にとっては運が悪いことに、居室の扉が開け放たれていた。千尋が放った神槍は6割強が壁や柱に当たって儚く消えたが、100本以上が居室の中まで届いた。
そこにいたのは、残された悪魔族三将の一人、バルトラスと悪魔族を率いる「王」。進軍のため防壁南側の天幕にいた彼らは、突然晒された攻撃から逃れるためバルトラスの能力でここに転移したのだった。敵への対策を講じていたところ、轟音と共に壁が壊れ、居室は金色の光で満たされた。
――オォォオオオオオ……
数十の光に貫かれたバルトラスは、成す術もなく金色の粒子となって虚空に消えた。
そして部屋に入って来たのは只人族の少女二人。一段高い場所に座っていた「王」は表情の窺えない目で少女達を見つめていた。
「…………」
「あれ? 神聖属性が効いてない?」
「お姉ちゃん、あれ悪魔族じゃないんじゃない?」
無言で座るのは、真っ黒な山羊のような顔をした人型の何かだった。横に大きく広がった巻角も黒々としている。組んだ足の先は靴を履いておらず、蹄がある。一方、腹の辺りで組んだ両手には5本の指があり、爪がナイフのように伸びていた。
黄色の眼球に赤い光彩。山羊の顔なのに、口から二股に分かれた細い舌がチロチロと出ている。
「……えーっと、悪魔族の王?」
「……俺の名はピルゲム。通りすがりの気のいい悪魔だ」
なあんだ。気のいい悪魔か。とはならない。
「その、ピルゲムさんの目的はなに?」
「あー、まあ契約の成就だな。たった今白紙になったが」
見た目とは裏腹に、ピルゲムと名乗る悪魔はぺらぺらと喋ってくれた。
千尋があっけなく倒してしまった相手、バルトラスによって召喚されたピルゲム。彼は悪魔族三将と契約を交わした。異世界と繋がる能力を授ける対価として、ピルゲムが満足するまで只人族の魂を喰わしてやる、と。
「だが契約した三将がみんな死んじまったからなあ。契約は破棄された」
「ピルゲムさんは直接只人族を襲わないの?」
「何故?」
ピルゲムが言う「魂を喰らう」とは、命を奪うという意味ではなく、苦しみや絶望で削られる魂の欠片を吸収する事らしい。
「殺したらそこで終わりだろ? そんな勿体ない事はしない」
「じゃあ、直接苦しめたりとかは?」
「それが出来ればこんなまだるっこしい事しねーよ」
何やら悪魔に課せられた制約があるらしい。
「三将を倒したのは私達なんだけど」
「あ? 弱いから負けるんだ。弱いのが悪い」
「じゃあピルゲムさんは敵じゃない?」
「ああ。味方でもないが敵でもないな」
自ら悪魔と言うだけあってその身から漏れ出す禍々しさは半端ないが、確かに敵意は感じない。
「なあ、俺と契約しねえか? 望みを叶えてやるぜ?」
これが本物の悪魔の囁きか。
「「お断りします」」
「チッ。お前ら強そうだから面白くなると思ったんだがなあ」
「それほどでもあるよ」
悪魔から褒められて満更でもない千尋である。
「久々にこっちに来れたからもっと楽しみたかったが……もう時間みてえだ」
ピルゲムの足元に魔法陣が現れる。それは淡い橙色に光っていた。
「気が変わったらいつでも呼べよ?」
「呼ばないから。お元気で」
「ハッ! 悪魔にお元気でって、そりゃ冗談キツ――」
言葉が途切れ、ピルゲムの姿が消えた。直後に魔法陣も消える。
「これで終わり……?」
「うん、そうみたい」
激しい戦いを覚悟していた二人は、肩透かしを食った気分だった。
「うーん……悪い悪魔じゃなかった?」
「いや、あれはずっと隙を窺ってたんだと思う。萌、良い悪魔なんていないよ」
「……そうだよね」
「よし! 気分転換に残った悪魔族をやっつけよう!」
「いや、その発言が悪魔みたいだよ!?」
姉妹は主塔に設えられた階段を仲良く並んで降りて行った。
城に残っていた悪魔族は、千尋と萌の初撃で4分の1が倒されたのを見て、這う這うの体で逃げて行った。アセナが「全滅させる必要はない」と言っていたので、戦う気のない悪魔族はそのまま見逃した。
「アセナちゃん達を連れて来よう」
「どうして?」
「神狼族が助けたことにした方が、後々良さそうじゃない?」
「なるほど! さすがお姉ちゃん!」
地下に囚われている只人族を救う前に、アセナ達と合流する。自分達の世界に帰る千尋と萌ではなく、神狼族や狼人族が悪魔族を退け、只人族を救ったと思ってもらった方が良い。
只人族が助けてもらった恩を忘れず、アセナ達と末永く仲良くして欲しいというのが千尋の願いである。
転移で山の中腹に戻り、アセナとアドナを連れて再び城に転移した。それから4人は警戒は怠らずに地下に行き、牢に閉じ込められていた只人族を発見するのだった。
次話(60話)、急展開!?
次のお話で第三章が終わりになります。
大変申し訳ありませんが、ストックが切れましたので60話を投稿したら第四章の開始までしばらくお時間をいただきます。
お待ちいただければ幸いです。




