58 神の裁き
ムムド村から徒歩で西に約10日の距離。そこに、悪魔族によって制圧された只人族の街「ホムスタッド」がある。
街の東、1キロほど離れた小高い山の中腹から、街の様子を窺う4人の人影があった。千尋と萌、アセナ、アドナである。アドナがホムスタッドの街を知っていたおかげで転移することが出来たのだ。
「あそこがホムスタッド?」
「そうだ」
「なんだか廃墟みたいだね……」
街の周囲は、高さ5メートル程の防壁に囲まれている。その内側は、かつては石造りの建物が高さを競うように建っていたのだろう。今は、まるで爆撃を受けたかのように建物の3分の2が崩れ落ちている。
「街の中は全然動きがなくない?」
「たしかに……萌、南側!」
こちらからは陰になって見えにくい、街の南側。そこに気持ち悪いくらい多数の悪魔族が集まっていた。
ガルキュリオやアインシュタッドの姿はしっかりと目にしたが、普通の悪魔族を明るい所で見るのは初めてだった。
「何あれ……なんかモヤモヤしてる」
「アセナちゃん、普通の悪魔族ってあんな感じなの?」
黒い靄が密集し、顔と思しき辺りに赤い光点が二つ。すーっと滑るように移動している。体の輪郭はぼけていて、いつ消えてもおかしくないように見えた。
「そうじゃ。実体がないから普通の攻撃が通じないのじゃ」
「なるほど」
あれは悪魔と言うより幽霊っぽい。ファンタジーもののアニメやゲームで言う所の、ゴーストやレイスではないだろうか。
(実体がないから、鎧や剣に取り憑く事が出来るし、再生も出来るのか)
「あいつらってどんな攻撃するの?」
「奴らが触れると生命力と魔力をごっそり吸い取られる。何度か触れられると死に至る」
「おぅ……」
そういうタイプか。めちゃくちゃ霊っぽい。
「お姉ちゃん、それにしても数が多くない?」
モヤモヤがうじゃうじゃしてるので数の把握が非常にしづらい。だが、街の南側、防壁の外はかなり広い範囲でモヤモヤしている。
「数が全然分からん」
千尋は匙を投げた。
「……兄者、これは……」
「うむ。2万どころではないな。その10倍はいる」
昨日聞いたアドナの話では、この街にいる悪魔族は2万ほどという事だった。
「えーと、それはつまり?」
「ここから南にある只人族の国、ウィンランド王国に侵攻する為の本隊だと思う」
「もしかして、三将の残り一人と、王もいる?」
「可能性はある……おい、チヒロ。何をニヤニヤしてるんだ?」
潰すべき敵がここに纏まっているかも知れない。そう考えて、千尋の口角は上がっていた。
「いやー、それなら探す手間が省けるな、と思ってさ」
「お前まさか、あれだけの数を相手にするつもりか!?」
「チ、チヒロ? さすがにそれは無茶なのじゃ」
アドナとアセナは無謀だと思っているようだ。千尋が萌と目を合わせると、萌が口を開いた。
「うーちゃん様は『チョイチョイ』って言ってたもんね?」
「うん。たぶん神聖属性が強過ぎるんだと思う」
あの心配性のうーちゃん様が、あんなに軽い感じで送り出したのは、きっとそういう事だ。姉妹はほぼ確信している。
姉妹の推測は当たっていた。実は、悪魔族を倒すには「聖属性」で十分なのである。その上位互換である「神聖属性」は過剰な力だった。それを「神々の使徒」である千尋と萌が使えばどうなるか――。
「物は試し。萌、ここから撃ってみよう」
「昨日言ってたやつ?」
「うん。MP半分くらいで」
「分かった!」
「ちょ、ちょっと待て!」
姉妹が何やらやろうとしているのを、アドナが止めた。
「ここから魔法を撃つのか? こんなに距離があるのに?」
「うん、たぶんいける。まぁお試しだから」
そう言って、千尋が落ちている木の枝を使って地面に何かを描く。
「私がここからこっちをやるから、萌はこっちでいい?」
「うん。何個くらい出せばいいのかな?」
「うーん……この範囲をカバーするとなると……こういう感じで、100個くらいかな」
「お姉ちゃんと合わせて200個ってことだね」
「そうそう。取り敢えず半分も削れれば上出来ってことで」
アドナは思った。こいつら何言ってんの? 半分って何?
「よし、いこう」
「「神の裁き!」」
悪魔族が集結しているのが冗談に思える程、雲一つなく澄んだ青空。
そんな青空の中、ホムスタッド南側、上空100メートルの地点に突如魔法陣が現れる。その数、実に200。魔法陣が放つ光に照らされ、地表付近がまるで夕暮れのように金色がかって見えた。
次の瞬間、魔法陣が一層輝きを増し、そこから金色の粒子が地表に向かって降り注ぐ。それはさながら優しい雨のようだ。「神の裁き」という名前から想像される激烈さとはかけ離れている。
だが、その威力は苛烈であった。
「「「「「ォォォオオオオオオオオ……」」」」」
金色の粒子に触れた黒い靄が、形を維持出来ずに解けていく。靄はさらに細かい金色の粒となり、空中に溶けていった。それが、金色の雨が降っている範囲全域で起こっている。
まるで神の恵みのような優しい雨が、集結していた20万もの悪魔族を蹂躙するという相反する光景に、アセナとアドナは開いた口が塞がらない。
「…………何という力じゃ……」
「あれだけの数を……」
「あっ、ほら! これはその、あれだ! うーちゃん様が! アレをコレして!」
アセナ達を怖がらせてしまったかと思い、全力で人のせいにする千尋。
取り敢えずお試しで、半分も倒せたらいいかなーと軽い気持ちで放った神の裁きは、半分どころか敵の9割近くを屠った。見た目に派手さはなかったが、その威力は以前使った極大魔法と変わらない。環境にやさしい分マシではあるが。
それでもまだ2万以上の敵が残っている。
しかし、悪魔族にしてみればまさに青天の霹靂。固まっていた黒いモヤモヤがてんでバラバラの方向に広がっており、事態は混乱しているように見える。
「アセナちゃん、ここにいる悪魔族って全滅させる必要ある?」
「いや、そこまでは不要じゃ。悪魔族も元々この世界にいる種族。頭を潰せば問題ないと思うのじゃ」
「ここからは見えにくいが、南側防壁の近くに天幕があるようだ。もし将や王がいるとしたらそこだろう」
アドナから言われて「むーん!」と言いながら背伸びをすると、確かに焦げ茶っぽい何かが壁際にありそうだ。知識のない千尋と萌にはそれが天幕かどうかは分からないが、アドナが言うなら間違いないのだろう。
「お姉ちゃん、神聖属性って障害物は貫通しないんだよね?」
「うん、そうみたい。ちょっくら行ってみますか」
もし貫通するなら、ここから神槍をぶっ放せば良かったのに。いや、いずれにせよ近くまで行って様子を確認する必要はあるか。
残された三将の一人と王。この二人を倒さないと悪魔族の他種族に対する支配と抑圧は終わらないだろう。
「じゃあアドナとアセナちゃんはここで待っててね」
「チヒロ、上位の悪魔族は意外な物が本体になっている場合があるからな」
「うん、手当たり次第にぶっ壊して来る」
「いやそういう事じゃなく――」
アドナの苦言を最後まで聞かず、千尋と萌は走り出した。山を駆け下りる姉妹は旋風のようだ。天幕がある場所に真っ直ぐ突き進む。途中、すれ違った数体の悪魔族はもれなく金色の粒子となって消えた。
(ん?)
天幕まであと300メートルといった所で、千尋はふと違和感を抱いた。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「萌、ちょっと待って。魔眼、魔力視」
天幕の中からは魔力を感じない。
「ここにはいないみたい」
「え!? じゃあどこだろう?」
「ちょっと上がってみる」
そこは街の南門というべき場所で、門の両側に物見櫓があった。高さは10メートルくらいだろうか。防壁の上に一度跳躍し、そこから櫓に跳んだ。すぐに萌もついて来る。
街の外には強い魔力を感じない。そこで街の内側を見てみた。
「萌、あそこ。真ん中に立派な建物があるでしょ? あそこに二つ、強い魔力が見える」
「あれは……領主のお城?」
千尋が指差す先には、小さいがれっきとした城が鎮座していた。




