50 真夜中の異変
時刻は夜中の12時。ホテル千鶴荘の灯りのない一室で、ベッドからむくっと起き上がる影があった。
(お腹空いた)
起き上がった影の傍では、3人がぐっすり眠っている
(ここどこ? あれ、アセナちゃんが寝てる。萌と……お母さんか)
影の正体はお腹が空き過ぎて変な時間に目が覚めてしまった千尋である。
戦闘でEXスキル「魔王の角(仮)」を使用した反動で、ダンジョンを出た途端に寝落ちしてしまった。知らないうちに知らない場所に連れて来られている。こわい。
気を取り直して萌とアセナの寝顔をじっくりと観察する。月明かりに照らされた二人の美少女。最愛の妹とケモ耳のじゃロリ少女のコラボレーション。尊過ぎて目が潰れそう。
(ん? アセナちゃんが綺麗になってる)
起こさないよう慎重に顔を寄せ、髪の匂いをすんすん嗅いでみるとシャンプーの香りがする。
(……私もお風呂入らなきゃ)
ベッドルームを静かに出るとリビングだった。テーブルの上におにぎりや卵焼き、ちょっとしたおかずなどが皿に盛られ、ラップをかけられている。横にメモが置いてあった。
『千尋ちゃん、お腹空いたら食べてね。 母より』
千尋はメモを片手に窓に近付いた。窓の下には間接照明に照らされた庭園らしきものが見える。
(どうやらホテルみたいだな……お母さん、ありがとう)
千尋はおにぎりを一つだけ頂いた。夜中にお腹いっぱいになるまで食べるのは抵抗がある。
部屋をぐるっと回り、トイレとお風呂を見付けた。トイレを済ませて脱衣所に入ると、そこに着替えが用意されていた。
お風呂はかけ流しのため、湯舟は常にお湯が張ってある。千尋は髪の毛と体を洗い、湯舟に浸かった。
「ふぃ~」
おっさんのような声を出して温泉の湯を堪能する。十分体が温まったので風呂から上がって着替えた。ダボっとしたスウェットの上下。上がネイビー、下がグレーである。いわゆる寝間着であった。
タオルで髪を乾かしながら考える。
(アセナちゃんを元の世界に戻すにはどうしたらいいんだろう?)
部屋に備え付けの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して飲む。
アセナの世界から「勇者」派遣の要請がされ、それを千尋達が受ければ良い。その時にアセナを連れて行けなかったとしても、神社ダンジョンに設置した異世界間ゲートがある。まだゲートを起動する為のマグリスタルは不足しているが、千尋達が一度でも訪れた異世界なら行き来が出来るという話だった。
問題は、都合よくアセナの世界が「勇者召喚」をするか、という事である。
神様は、どうも何らかの意図があって使徒を派遣している気がする。氏神は「魔王が現れた」と言っていたが、その魔王も元日本人だった疑いがある。もしかしたら、危機の演出と解決のマッチポンプではないだろうか。
神様の意図は分からない。千尋が考え過ぎているだけで、純粋にその世界を危機から救うのが目的の可能性だって大いにある。と言うか、出来ればそうであって欲しい。
今度うーちゃん様と会えたら、アセナちゃんの事をお願いしよう。千尋はそう心に決めたのだった。
あれこれ考えていたらすっかり目が冴えてしまった。少し散歩でもしよう。
コート掛けから愛用のコートを取って羽織る。さすがに部屋履きのスリッパで出る訳にいかないのでブーツも履く。念の為、コートの内ポケットに巻物を突っ込んだ。
誰かが目を覚まして騒ぎにならないよう、「散歩してきます 千尋」と書き置きを残す。スマホを手に取って部屋を出た。
部屋のドアがオートロックであることを、千尋は知らなかった。
ビジネスホテルの一室では、もう夜中だと言うのに黒沢あかねがノートPCと格闘していた。探索者達から聴取した話を報告書として纏める為である。支部長補佐とは言え雇われの身は辛い。
黒沢はアセナの事をどう書こうか頭を悩ませていた。
今回の事件は、異世界と繋がるゲートの出現が発端である。もうそこから話がぶっ飛んでいる。だからアセナの事をそのまま書いても良いのだが、アセナは異世界が実際に存在する事を示す生き証人だ。政府が黙っていないだろう。
何かの研究機関がアセナを欲しがるとか、最悪の場合は外国の諜報機関に狙われる事も考えられる。そうなると、確実に本庄姉妹を敵に回すだろう。なにせ千尋のアセナを見る目は尋常ではなかったので。
それは不味い。せっかく獲得した高レベル探索者、東羽台支部に今後齎す利益は計り知れない。そして、その二人を確保したのは自分である。功績が認められれば支部長、或いは協会本部の幹部に昇りつめるのも夢ではない。
黒沢は、わが身可愛さでアセナについて協会に報告しない方向に傾いていた。それは良いが、10人の探索者達がアセナを見ている。これをどうやって誤魔化すか……。
――ドォオオオン!
黒沢がウンウン唸っていると、ビジネスホテルの裏手で突然爆発音が響いた。
千尋は千鶴荘の庭園をぶらぶらと散歩していた。歩きながら考えていたのは、やはりアセナの事である。
もし元の世界に帰す事が出来なかったら、今後どうしていけばいいんだろう? もういっそウチの子に、二人目の妹になっちゃえばいいのに。その場合、戸籍とかどうなるのかな? あと明らかにケモ耳と尻尾があるしなぁ……。
――ドォオオオン!
そんな事を考えていると、少し離れた場所で爆発音がした。
「むっ!? 事件か?」
事件や事故は警察・消防の領分。千尋は勿論弁えている。弁えているが、野次馬根性は別である。千尋は特に急ぐでもなく、爆発音がした方に向かった。
(こんな夜中に迷惑だなあ)
さっきまで夜中の静謐な空気だったのに、あちこちからサイレンの音が響いている。恐らく消防車やパトカーが現場に向かっているのだろう。眠っていた人々にとってははた迷惑な話である。
そんな事を考えながらテクテク歩いていると、現場と思しき場所がオレンジ色に光って見えた。千尋が宿泊しているホテルは坂の上にあるので現場がなんとなく見える。前方500メートルくらいの所で炎と黒煙が立ち上っていた。
現場を挟んで更に遠方から、赤く明滅する光が近付いて来るのも見える。あれが緊急車両だとしたらかなりの数だ。10台以上居そうである。
あまりの物々しさに、野次馬しに行くのが躊躇われた。せっかくお風呂にも入ったのに、わざわざ焦げ臭い所に行くこともないだろう。この騒ぎで萌達も起きてしまったかも知れない。そんな時に千尋が居なければ心配をかける事になり兼ねない。千尋は踵を返してホテルに戻った。
黒沢が滞在するビジネスホテルは蜂の巣をつついたような騒ぎだった。宿泊客が続々と外に避難している。
「全員確認できた!?」
「はい、全員います!」
「じゃあ離れないように避難しましょう」
黒沢は協会職員に確認した。ダンジョンから救出された探索者達の顔には疲労が刻まれている。ゆっくり休ませてあげたいのはやまやまだが、ホテルの駐車場付近で爆発が起きたのだ。避難しない訳にもいかない。
――ドォオン! ドォオオオウン!
ホテルのロビーから出た瞬間、立て続けに爆発音が響いた。
「一体何なのよ、もう!」
ロビー前では、既に到着した警察官が規制線を引き、宿泊客達はその後ろに集められていた。事情を聴いている警察官の姿も見える。黒沢達の横を数名の消防士が太いホースを持ちながら通り過ぎる。
全く、ただでさえ忙しいのにこんな騒ぎに巻き込まれるなんて。本当、ついてない。
「うわぁあああ!」
「何だアレは!?」
「け、警察、いや自衛隊を呼べ!」
ホテルの裏手から叫び声が聞こえ、耐火服姿の消防士達が我先に逃げて来た。規制線の後ろに下がった黒沢がそちらに目を凝らすと、炎のオレンジをバックに大きくて黒い人影が現れた。
「そんな……まさか……」
それはダンジョンで見た真っ黒な鎧だった。




