43 緊急依頼
翌日は土曜日だった。この日、母に休みを取ってもらった姉妹は、3人で探索者協会を訪れた。氏神からもらった報酬の換金と、税理士を紹介してもらうためである。
実は、探索者登録した時に換金のために提出したマグリスタルの計数は1週間前に終わっており、専用アプリで金額は確認していた。
その額、千尋と萌を合わせて6866万4000円。(二人の登録時の経験値合計85,710,000+イレギュラー討伐時のマグリスタル120,000円、売却に伴う源泉徴収20%)
その時点の経験値から予測はしていたのだが、実際にお金として表示されると金額が大き過ぎて実感が湧かなかった。これに氏神からの報酬が加わるのでもっと大きな金額になりそうである。
そこで探索者協会が紹介してくれる税理士を雇って、お金をどこまで使っても大丈夫なのか把握したかったのだ。
事前に黒沢支部長補佐に連絡したのだが、黒沢はわざわざロビーまで出迎えに来てくれた。と言うより、到着のかなり前から待ち構えていたようである。
「千尋ちゃん、萌ちゃん! えーと、10日ぶり?」
「そのくらいですね。黒沢さん、こちら母です」
「本庄鈴音と申します。千尋と萌が大変お世話になっております」
母の鈴音が丁寧に腰を折って挨拶した。
「黒沢と申します。こちらこそよろしくお願いいたします」
黒沢にとっては、この東羽台支部で最高レベル探索者2人の母。他の支部に所属を変えられないためにも絶対に粗相は許されない相手であった。
「千尋ちゃん、何か凄いマグリスタルを見付けたって?」
「ええ、そうです。査定と換金をお願いします」
黒沢について2階の査定・買い取りフロアに上がり、そこの受付カウンターで氏神から貰った2個のマグリスタルを取り出した。
「これです」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って! 何この輝き!?」
「こ、こんなの見た事ないですね……」
カウンターに座る係員の女性も呆気に取られている。カウンターの中にいる職員全員がざわついた。
「これは……エネルギー含有量を調べる必要があるわ。ごめんなさい、査定に数日かかっても良いかしら?」
「ええ、急いでないので大丈夫です」
「私の責任で間違いのないよう調べるわ」
「お願いします」
マグリスタルの価値は含有するエネルギー量による。産出量の多いマグリスタルは色で価値が測れるが、未知のものは専門の機関に依頼する必要があった。
「じゃあ後は税理士だったわね」
「はい」
黒沢が手元のファイルを開き、次々とめくっていく。
「えーと……今紹介出来そうなのは二人ね。ちょっと待っててね、コピーを渡すから」
千尋は黒沢から2枚のA4用紙を受け取った。どちらも探索者協会のビルから徒歩5分くらいの場所で開業しているようだ。
娘二人と母は黒沢に礼を言って、税理士事務所を訪ねる事にした。
最初に訪れたのは「赤城税理士事務所」。細長い10階建てオフィスビルの7階にあった。
「綺麗な事務所だね」
事務の女性に案内されて応接室で待つこと15分。60代前半に見える銀髪で恰幅の良い男性が現れた。
「探索者なんて大人になってからでも出来るだろう。子供は子供らしく勉強やスポーツ、友達作りに打ち込みなさい。お母さんも、子供にこんな仕事をさせるべきではないと思いますが?」
挨拶も無しに、開口一番で否定の言葉。
「あらら、私達は人生相談をしに来たんじゃありませんの。こちらの税理士さんとは考えが合わないみたいねぇ」
赤城税理士に対して母・鈴音がピシャリ。まったりした喋り方だが千尋達が言いたい事をしっかり伝えてくれた。
人には人の意見があり、人によって価値観が異なるのは千尋も十分理解しているし、それで良いと思っている。ただ、中には自分の考えが誰にとっても正しいと信じている人がいて、それを押し付けられるのは非常に面倒臭い。
だいたい、事前に探索者協会の黒沢が連絡してくれているのに、15分も待たせたのだからまずは「お待たせして申し訳ございません」と謝るのがちゃんとした社会人ではないのだろうか、と千尋は思った。
「貴重なお時間を取っていただきありがとうございました。私達はこれで失礼いたします」
すっくと立ちあがり、千尋が代表してきちんと挨拶する。ペコリと頭を下げて赤城税理士事務所を去った。
次に訪れたのは5階建ての雑居ビル。その2階に目的の「諏訪野税理士事務所」はあった。事務所は赤城税理士の所より遥かに小さく猥雑だった。事務員と思しき女性は書類仕事に没頭しており、千尋達の訪問に気付かない。声を掛けようと思った時――。
「すみませんっす! 僕が諏訪野っす。狭いけどこちらへどうぞ」
奥の書類の山を迂回して、小柄な男性がやって来た。30歳くらいで痩せぎす、黒縁の分厚いメガネをかけて髪はボサボサである。案内されたソファに母娘3人が並んで座る。
「協会の黒沢さんから聞いてるっす。こんなにお若いのに高レベル探索者ってすごいっすね!」
風貌や話し方は独特だが、人の好い笑顔だ。どことなく親近感が湧いて、千尋は諏訪野を一発で気に入ってしまった。
「はじめまして、本庄千尋です。母と妹の萌です。私と萌のお金の面で相談したくて」
協会の口座に入ったお金のこと、今査定してもらっているマグリスタルのこと、今後の収入の予想などを明かす。
「なるほど。でしたら、お母さんを専属マネージャーとして雇う形にしたらどうっすか?」
千尋と萌の稼ぎの中から母に給料の形でお金を支払う。専属マネージャーの仕事は、ダンジョン探索のスケジュール管理、二人の体調管理、移動の補助、遠隔地での宿泊手配など、要するに雑用係である。母に支払う給料は丸々経費として落とせると言う。
諏訪野の提案は目から鱗で、千尋にとっては母に楽をしてもらえるなら願ったり叶ったりであった。
他にどんなものが経費で落とせるのか、区別がつかなければ片っ端から領収証を貰って取っておくように、と教えてもらった。
「追々会社にしても良いと思うっすけど、まずは様子見っすね」
諏訪野のフランクな話し方は人柄を表しているようだった。萌と母も気に入った事を確認し、姉妹は諏訪野と顧問契約を交わした。
少し雑談して諏訪野の事務所を辞去した千尋達であったが、そこへ黒沢から電話が掛かってきた。
「千尋ちゃん? まだ協会の近くにいる?」
「はい、居ますよ」
「申し訳ないんだけど、もう一回協会に来てもらえないかしら。二人に依頼したい緊急の仕事があるの。話だけでも聞いてくれると助かるわ」
「ちょっとお待ちください」
千尋は母と萌に黒沢の電話について話す。二人とも協会に行っても良いという返事だった。
「お待たせしました。萌と母と3人で伺っても大丈夫ですか?」
「ええ問題ないわ」
「5分くらいで行きます」
「待ってるわね」
千尋達は足早に探索者協会に戻った。
「複数の探索者がダンジョンから帰って来ないの」
東羽台市の西隣、鶴子川市北部にある攻略済みの中規模ダンジョン。
60代の男性投資家が所有し管理者権限を持つそのダンジョンに、東羽台支部から2人、他の支部から2人の探索者が派遣されていた。
仕事は探索者としての通常業務、いわゆる「マグリスタル狩り」。モンスターの強度は-80%に下げられており、派遣された探索者はそのダンジョンで何度も仕事をこなし、慣れている筈であった。普通、マグリスタル狩りに要する時間は8時間程度。協会に戻れなくても、最低1日に1回は連絡を入れる決まりになっている。
それが、「今からダンジョンに入る」という連絡を最後に48時間が経過した。
東羽台支部は、協会のマニュアルに則り救援チームを編成。レベル47を筆頭に召集をかけ、件のダンジョンで何か事故が起こった事を想定して6人の探索者を送り込んだ。それが24時間前。
「全部で10人の探索者と連絡が取れない状況なの」
「こういう事はよくあるんですか?」
尋ねたのは母・鈴音であった。娘達にも同じ事態が起こるのを危惧した発言である。
「ダンジョン内で怪我を負って動けなくなる事は稀にあります。しかし、これだけの人数と同時に連絡が取れないというのはこの支部始まって以来です」
ダンジョンで何らかの異変が起きている、黒沢はそう予想していた。
千尋と萌には少し心当たりがあった。以前、異世界の魔王軍幹部を名乗る者が神社ダンジョンに出現した。千尋は「イレギュラー」と戦った事もある。ダンジョンの中では通常考えられない事がいつ起きても不思議ではないのだ。
「千尋ちゃん、萌ちゃん。あなた達に探索者の救援をお願いしたいの」
「危険な所に娘達を行かせる訳には参りません」
鈴音が言う事は尤もである。自分の子供を危険と分かっている場所に行かせたい親が居るだろうか。
千尋にも母の気持ちは分かっている。だが、千尋と萌が行かないという事は、二人よりもレベルの低い探索者が代わりに行くという事。それはつまり、更なる犠牲者を増やすかも知れない愚策であった。
「お母さん、私達は大丈夫。怪我一つせずに帰って来ると約束する」
「お姉ちゃんと私、お母さんが思ってるよりずっと強いんだよ!」
「お母様、千尋さんと萌さん以上にレベルの高い探索者はこの支部には居ません。私が同行してお二人に万が一の事がないよう万全を尽くすつもりです」
黒沢が鈴音に向かって頭を下げる。しばらく逡巡した後、鈴音が口を開く。
「分かりました。娘達を信じます。黒沢さん、千尋と萌をお願いします」




