37 ジョンスティール王国(1)
「お母さーん! お父さーん! マレルー! 誰か、誰かいないのーっ!?」
プリシアの悲痛な叫びが響く。リアナがそっとプリシアの肩を抱いた。プリシアは手で顔を覆ってリアナの胸で泣き始めた。
ブランドンとケネスは周囲を探索し始めていた。千尋と萌はプリシアの悲しみに胸を痛めながら、望みを見出そうとしていた。
「魔眼、魔力視」
千尋は周囲を「魔力視」で探る。半径500メートルの範囲に魔力は見当たらない。恐らくその範囲に生きている人はいないだろう。その代わり、魔法の残滓を感じた。
「大規模魔法が行使された跡、のようだ」
「そっか……」
こんな時、何も出来ない事が悔しい。もっと早く来ていれば防げたのでは? たくさんの命を救えたのでは?
「これは恐らく、2日ほど前ではないかと思います。熱や臭いが散っていますので」
千尋と萌の心情を見抜いたかのように、オレイニー団長が解説した。それでも慰めにはならない。ここにあった街が、普通に暮らしていただけの善良な人々が、子供達が、プリシアの家族が、失われた事実は覆らない。
「死体がない。家畜の死骸はあるが、人族の死体が見当たらなかった」
探索から戻って来たブランドンが、プリシアに聞こえないように小声で話す。
「もしかしたら、襲撃の前に住民は避難したのかも知れません。死霊術士がいても、燃えた遺体はアンデッドに出来ませんし、魔獣が喰いつくしたとも考えにくい」
僅かに希望が見えた。だが半端な希望は絶望をより深くする。慎重に扱わなければならない。
「オレイニー殿、住民が避難するとしたらどこだろう?」
「申し訳ございません。王国の地理はそこまで詳細に把握しておりません」
「ブランドン?」
「うーむ……。この北には大きな街がいくつかある」
「王都まではどれくらい?」
「馬車で7日ってところか」
ここが襲われたのが本当に2日前なら、魔王軍は2日分進行している筈だ。避難が成功しているならそれより北だろう。どのみち、魔王軍を迎え撃つなら北に行かなくてはならない。
「王都か、それに近い大きな街に避難している可能性が最も高いでしょう」
オレイニーの言葉は経験に裏打ちされたものであった。
「お姉ちゃん、プリシアさんの家族は……」
「うむ、まだ分からん。だが望みはゼロではない」
「うん……うん、そうだね」
「とにかく北へ行こう。ブランドン、ケネス、心当たりの街が分かるか?」
「王都から半日ほど南に大きな街があった筈だよ。街の名前は確か……オルネス? いやオルケスだったか……」
「オルカスよ」
いつの間にか、リアナとプリシアが傍に来ていた。プリシアの目の周りは赤くなっているが、涙はもうない。
「プリシアちゃん、オルカスの街、分かる?」
「ん。オルカスなら詳しい」
「今は希望を持ってとは言えない……だけど、これ以上悲しい事が起こらないように、出来る事をやろう」
「ん」
プリシアが力強く頷いた。リアナ達も同じように頷く。
「じゃあオルカスに転移する」
全員が近くに寄り、千尋は神器を握らせたプリシアの手を上から包み込む。
「行くぞ!」
一瞬のうちに景色が変わった。そこはオルカスの街から南に500メートルほど離れた街道沿いの林の中だった。街道に出て防壁に設けられた門に向かって歩き出す。
「ここから見る限り、襲われてはいないようですな」
オレイニーの言葉通り、防壁はちゃんと機能しているように見える。ただ、壁の外にいる兵士の数が多い。門の所にも非常に長い列が出来ている。
「南から避難して来た人達でしょう」
列には並ばずに、オレイニーが兵士の一人に話し掛けている。プリシアは並んでいる人々の中に家族の姿を探していた。
「兵士から情報を得ましたぞ。まず、テレネスからの避難民およそ6千人が3日前にここオルカスに到着したようです」
「おお! ではプリシアちゃんの家族も」
「いる可能性がございます。また魔王軍はここから5日ほど南へ行ったベヘレスという街に迫っているそうです。今、オルカスの指揮官と話が出来るよう手配してもらっています」
「さすがオレイニー殿。あなたが居てくれなければ、これほど容易に情報が得られなかっただろう。心より感謝する」
千尋はそう言って、オレイニーに向かって恭しく頭を下げた。隣で萌も同じように礼をする。アルダイン帝国でもここでも、「宮廷魔術師団長」という肩書があるだけで話がズムーズに進む。
「いえいえ、少しでもお役に立てれば光栄に存じます」
オレイニーも、胸に手を当てて返礼する。そうしてしばらく待っていると2人の兵士を伴って指揮官らしき男性が来た。
指揮官に先導され、貴族用に設けられた別の門から壁の中に入る。並んでいる人々に申し訳ない気持ちだった。
門の内側は元々広場だったのだが、所狭しと天幕が張られている。
「避難民が多く、街の宿屋だけではとても収容出来ないのです。現在、領主の指示で簡易宿泊所を建設中ですが、それが出来るまでは我慢してもらう他ありません」
避難民の総数は4万人に達するらしい。オルカスだけでは収容出来ず、王都に向かった者も多いと言う。
「プリシアさんの家族、見つかるかな……」
「この混乱の中では難しい」
「だよね……」
千尋は俯いて少し考え、徐に顔を上げると張り裂けんばかりに声を上げた。
「勇者様だーっ! 勇者パーティがいらっしゃったぞーっ!!」
千尋の声が届いた人達が口々に言い始める。騒めきが波のように広がっていく。
「勇者様?」
「勇者様が来たの!?」
「勇者パーティが来てくれたぞ!」
「勇者様だー!」
「た、助かったのか!?」
「これでこの街も安心だ!」
勇者のネームバリュー、凄かった。暗かった表情の人々の顔が明るさを取り戻したように見える。
まず幼い子供達、それより少し年上の子供達がリアナの周りに集まり始める。次第に大人達も勇者パーティを一目見ようと集まり出す。
「チ、チヒロ、これは……」
「リアナちゃん、許して? プリシアちゃんの家族がここに居れば、向こうが見つけてくれると思って」
「なるほど!」
ブランドンの太い腕に4人の子供がぶら下がり、ケネスには小さい子5人が群がる。リアナの周りには女の子達がたくさん集まり、その様子を大人達が遠巻きに見ている。
「プリシア? ……プリシア! プリシアー!!」
「お姉ちゃーん!」
ひと際大きな女性の声と、幼い男の子の声がした。プリシアが声のした方を必死に探す。
「お母さん! マレル!」
群衆から女性と、男の子を肩車した男性が前に出た。
「お父さん……」
「プリシア、よく来てくれたな」
「わ、私達、テレネスに行ったの。そ、そしたら……ぐすっ、誰もいなくて、ぐすん、焼け野原で……」
「心配かけてごめんね、プリシア。私達は10日くらい前にテレネスから逃げたの」
「すっごく遠かったよ!」
プリシアを母が強く抱きしめた。その目には涙が光っている。父の肩から降りた弟のマレルがプリシアの腰あたりにしがみついた。父もプリシアを包み込むように抱いている。プリシアの目からは大粒の涙が溢れていた。悲しみの涙ではない。安堵の涙だ。
それを見るリアナの目にも光るものがあった。ブランドンとケネスも、子供の相手をしながら優しい目で見守っている。
「よかったね、お姉ちゃん」
「……ぐすん……うん」
この世界に来て薄々は分かっていたつもりだ。千尋達が暮らす世界より、ここでは遥かに人の命が失われやすい事を。だからと言って、友達の家族が失われて平気な訳がない。プリシアの家族が生きていてくれて、ここで再会出来て、千尋は心から良かったと思った。
萌は、プリシアの様子を見て自分のお母さんに会いたくなった。姉が涙もろいのは今に始まった事ではないので特別驚いたりしない。普段は魔王っぽく振る舞って強がっているけれど、姉が心優しい人間だと知っているのだ。あと、勇者の名声を利用して、この群衆の中からあっという間にプリシアの家族が見つかったのも、さすがお姉ちゃん、と鼻が高かった。
「ぐすっ……よし、気持ちを切り替えよう。魔王軍が迫っているというヘベレケの街に行かねば」
「お姉ちゃん、ベヘレスだよ。街ごと酔っぱらってるじゃん」
「ベヘレス。もちろん分かっている。ち、地球ジョークだ」
「それ私にしか通じないヤツ!」
「フフッ。それもそうだな」
あははは! と姉妹は笑い合った。異世界ジョークも全くウケなかったので、千尋にはそちら方面の才能がないのかも知れない。今後に期待したい。
気が付けば、姉妹の傍にリアナ、プリシア、ブランドン、ケネス、そしてオレイニーが集まっていた。代表してリアナが口を開く。
「ベヘレスに行くんでしょ?」
「うん……プリシアちゃんはここに残った方が良くないかな」
「んんっ! 私も行く!」
「そ、そう? 分かった。ベヘレスに詳しい人はいる?」
「私が詳しいわ。街の中心部近くに教会があるの。そこははっきり覚えてる」
「よし、じゃあリアナちゃんお願い。プリシアちゃん、家族に挨拶は?」
「大丈夫」
「オッケー。じゃあみんな体を寄せて……行くぞ!」
その場から7人の姿が消えた。プリシアの家族が、手を胸の前で握り締めて見送っていた。




