36 姉妹で模擬戦
SIDE:千尋(一人称)
私の世界は狭かった。妹と母、学校の友達と言えそうな数人。それが私の世界の全てだった。
それがダンジョンを見付けてから変わり始めた。氏神様と出会い、とうとう異世界にまで来てしまった。友達と言っていいのか分からないけど、大切な人達が増えた。
世界が一気に広がった。
ほんの1年前まで、私がこんな風に戦えるなんて、恐ろしい程の魔法を放てるなんて想像も出来なかった。まさか本当に異世界があって、そこに住む人々を助ける役目を担うなんて考えた事もなかった。
世界が広がって知り合いが増えたけど、やっぱり私の世界は狭い。こんな状況でも、萌とこの世界を天秤にかけたら、間違いなく萌を選ぶと断言出来る。この異世界を見捨てる事になっても、萌だけは守り抜く。
たぶん、私は心の狭い人間なのだろう。大切なものとそうでないものをはっきりと区別している。異世界に来たのは、この世界の人々を救いたいという思いよりも、自分の好奇心を満たす目的が大きかった。もしも萌に危険が及ぶようであれば、直ぐに元の世界に戻るつもりだった。
でも、この世界の人々と触れ合ううちに、私の大切なものが少しだけ増えた気がする。大切な人達が喜んでくれるなら、自分に出来る事はやっても良いかな、と思っている。
大切なものは少ない方が楽だ。だが、大切なものが増えると楽しみも増えるようだ。引き換えに気苦労が増えそうだけれど。もっと自分が楽しい、面白そうだと思う事に挑戦しても良いと思えて来た。
それでも、萌が一番大切なのは変わらない。そんな私が、今から萌と戦おうとしている。
萌は私よりステータスが高く、確実に強い。魔法やスキル、搦め手を使わなければ私に勝ち目はないだろう。
どれ、萌がどれくらい強くなったのか確かめさせてもらうとするか。私は自分がワクワクしているのに気付いて、ちょっと嬉しくなった。
SIDE:本庄千尋
「それでは、はじめっ!」
マルガ副団長が開始の合図を行ったが、二人とも動かない。千尋は木剣をだらりと下げ、萌は両手をだらりと下ろして脱力しているように見える。
萌が僅かに前傾姿勢になった時、いきなり二人が前に飛び出した。見学者の目でもギリギリ見えるように、速度は半分以下に抑えている。
萌が千尋に右ストレートを放つ。千尋は首を傾けてそれを躱し、空いた右脇腹に木剣を横薙ぎにする。萌が後ろ足を上げて脛当てでそれを防ぎ、そのまま前蹴りを放つ。千尋は半身になってそれを避けた。
「お姉ちゃん、さすが!」
「寸止めではなかったのか?」
「大丈夫、ギリギリで止めるつもりだから。当たったらゴメン!」
「うむ」
萌のパンチを顔で受けたら、顔の形が変わっちゃうかもな……。治癒で治せるだろうか? 一応これでも女の子だから顔は守ろう、顔だけは。
千尋が女子っぽい事を考えていると、萌が猛ラッシュを仕掛けてきた。パンチ、パンチ、膝蹴り、アッパー、肘打ち……千尋は木剣で弾き、受け流し、体を捩じって躱すが、何発かもらってしまった。
す、寸止めって一体……。
萌が上段右回し蹴りを放つ。千尋は左腕でガードするが、ガードごと体を持って行かれた。
(くうっ!)
懐に潜り込む萌に、苦し紛れで木剣の突きを繰り出す。首を倒して当然のように躱され、腹部に強烈なパンチを――。
「参った!」
千尋が宣言した。
「ええ!? お姉ちゃん、まだまだいけるでしょ?」
「いや、反射的に障壁魔法を使ってしまった。我の負けだ」
「むう。お姉ちゃん、全然本気出してなかった」
「いや。見てみろ」
千尋は木剣を差し出す。それは根元から折れていた。
「少なくとも木剣が折れる程度には力を惜しまなかったぞ?」
「そっか!」
「うむ!」
「「「「「うぉぉおおおおおー!!」」」」」
周囲で見ていた者達から歓声があがる。
「モエ様―!」
「すごかった!」
「かっこよかったー!」
「近接戦でもこれほどとは」
「チヒロ様―!」
「これが使徒様……」
騎士や魔術師達は興奮を隠せないようだった。
「チヒロ様、モエ様。これでアルダイン帝国とグレイブル神教国は救われました。あとは南のジョンスティール王国ですが……」
オレイニー宮廷魔術師団長が姉妹に話し掛ける。
「王国側は元々魔王軍の数が少なく、王国の戦力だけで持ち堪えておりました。お二人のおかげで帝国と神教国から援軍を出すことが出来ます。そうなれば、お二人のお手を煩わせずとも、我々だけで勝利出来るのではないかと愚考します」
マルガ騎士団副団長も傍に来て付け加えた。
「オレイニー殿、マルガ殿。それでも我等はジョンスティール王国の前線に行く」
「さ、左様でございますか」
「オレイニーさん、まだ魔王が残ってますよ?」
「萌の言う通りだ。東西に200万もの軍を差し向けたのに、南は2万程度。この配分は明らかにおかしい」
「つまり?」
「南は2万で十分と考えたのではないだろうか」
「っ!? そ、それではジョンスティール王国には魔王が……?」
「その可能性は高いと思う」
オレイニーとマルガの顔が引き締まった。
「チヒロ様、モエ様! ジョンスティール王国に向かうなら、私達も一緒に!」
「リアナちゃん」
リアナ、ブランドン、ケネス、プリシアが姉妹の前で跪く。
「ちょ、ちょっと! リアナちゃん、そういうのやめよ? ほかのみんなも、さ、立って立って」
千尋と萌は勇者パーティ4人を無理やり立たせた。
「俺はチヒロ様に救っていただいた。必ず役に立つぜ!」
「私も。リアナも大事だけど、チヒロ様とモエ様も大事」
「僕も微力ながらお供させてください!」
ブランドン、プリシア、ケネスが目をキラキラさせながらそんな事を言う。
「チヒロ様、私達は王国でも活動していましたから地理には明るいです。それにプリシアは王国南部の出身。ですから同行を断られても私達は勝手に行きます」
リアナが力強く宣言し、プリシアがこくこくと頷いた。
「お姉ちゃん。リアナさん達が来てくれたら心強いよね?」
「うむ。二つだけ約束してくれるなら、一緒に行こうと思います」
「二つ?」
「一つ。無茶はしないこと。二つ。私達を『チヒロ、モエ』と呼び捨てにすること」
「一つ目は良いとして二つ目はさすがに……」
千尋と萌がジト目でリアナを見つめる。
「そ、そんな目で見られても」
「リアナちゃん、私達友達でしょ?」
「俺はいいぜ! 改めてよろしくな、チヒロ、モエ!」
ブランドンがすかさず二人と握手した。
「僕も頑張ってそう呼びます、チ、チヒロ、モエ」
「ん、私も頑張る。チヒロさ……チヒロ、モエ」
ケネスとプリシアも姉妹と握手を交わした。
「もう、仕方ないわね……じゃあよろしく、チヒロ!」
リアナが千尋と握手する。千尋が手を離そうとしない……。
「チヒロさ……チヒロ? 手を離してくれる?」
「おっと失礼」
「モエ、よろしくね」
「はい、リアナさん!」
「リアナでいいよ」
萌とも握手する。こちらは普通だった。
「私も同行させて頂いて宜しいですかな?」
オレイニーおじいちゃんが割り込んできた。
「勇者殿ご一行と言えども、王国の軍部と話を付けるのは骨が折れる。私がご一緒すれば面倒事は回避できると思いますが」
オレイニー団長はこう言っているが、使徒の活躍を見届けたいだけであった。ミーハーである。
「オレイニー殿、ぜひよろしくお願いします。それでは準備が整ったら出発しましょう」
「それなら僕が馬車の手配をします」
「あ、それには及びません。王国出身のプリシアちゃんがいれば転移も楽に出来ますので」
「転移……もう今さら驚きません……」
ケネスが肩を竦め、半ば呆れた調子で呟いた。リアナ達も同じ気持ちだ。
「それでは1じか……半刻後、ここに集合ということで」
それから約1時間後。千尋と萌、リアナ、ブランドン、ケネス、プリシアの勇者パーティ、グレイブル神教国宮廷魔術師団長オレイニーの7人は、ジョンスティール王国の地に立っていた。
「こ、これは……」
「王国軍は持ち堪えていたのではなかったのか……?」
プリシアの記憶に頼って降り立った南部の街、テレネス。そこは農業と酪農が盛んな牧歌的な場所、のはずだった。
「お母さん……お父さん……マレル……」
プリシアが掠れた声を絞り出す。その目からは大粒の涙が零れている。
そこは、見渡す限り一面の焼け野原となっていた。




