29 バイロケース戦
「ふん、人族ごときに遅れをとるがふっ!」
バイロケースの視界から千尋が消え、気付いたら炎の刀を腹に受けていた。
「む? 意外と固いな。障壁を張っているのか」
千尋の言う通り、バイロケースは体に沿うように障壁を展開していた。断空波は操り人形の操作に集中していたため攻撃が通ったが、今は千尋の迎撃に力を割いている。魔力が膨大なバイロケースが本気の障壁を展開すれば、普通の攻撃は通さない。
(くそっ! こいつ本当に人族か? 障壁があるのに滅茶苦茶な攻撃力だぞ)
目の前にいるのはどう見ても人族の少女。腕など折れそうなほど細い。常に操り人形で戦っているとは言え、バイロケース自身の戦闘力が低い訳ではない。こんな少女など一瞬で殺せる筈なのだ。
「では少し本気で行くぞ」
千尋が刀を両手で持ち、低く構える。次の瞬間には、千尋はバイロケースの背後にいた。刀は既に振り抜いている。
「はっ?」
バイロケースの首が半分ほど切り裂かれ、そこから炎が噴き出した。
「おー。頭を斬り飛ばすつもりだったのに。やっぱり固いな」
バイロケースは慌てて自分に治癒を掛けた。炎が消え首の傷が塞がっていく。
(なんだコイツは! まだ手を抜いているのか!?)
バイロケースは、生まれて初めて恐怖を覚えた。
「これは萌に見せたくない魔法だから、今試させてもらうぞ。確滅炎」
千尋は昔から思っていた。魔法なんて物理法則を無視した不思議現象なのに、漫画やアニメでは、何故わざわざ手から出すのか、と。ファイヤボール、ファイヤランスといった火炎が出せるなら、自分の近くから出さずに直接敵の体内に出せば良いのに、と。
それは恐らく見栄えの問題、大人の事情というヤツだろう。派手な魔法は飛んで行った方が映えるというものだ。
だが今は千尋とバイロケースしかいない。誰かに見せる必要はない。だから、千尋はバイロケースの体内に直接炎を発生させた。相手を確実に滅する炎を。
「う……うごっ!」
バイロケースの目、口、鼻、耳から炎が噴き出す。すぐに全身が炎に包まれ、高さ3メートルほどの火柱となった。
障壁があっても関係ない。障壁は外からの攻撃に備えたものだ。体内に直接攻撃されるなど、誰が思い付くと言うのだろう。
まあ、千尋が思い付いちゃったのだが。
(む……やはりこの魔法は悪逆非道に見えかねない。萌に見られたら絶対怒られるヤツだ……萌の前では自重しよう)
妹大好きな千尋は、萌から嫌われることを極端に恐れている。確滅炎は強力な魔法だが封印された。
炎が消え、炭化したバイロケースだったものを一瞥し、千尋は防壁の方へ戻ることにした。
「お姉ちゃん!」
「萌、怪我はないか?」
「大丈夫。それよりも、あの黒いヤツがぶわぁーって煙みたいになって消えちゃったんだけど」
「うむ、本体を倒してきた」
「本体? 本体がいたの!?」
「確信はなかったが、糸のようなものが見えてな。それを追ったら変なヤツがいた」
「そ、そうなんだ……お姉ちゃんは怪我してない?」
「うむ、問題ない。萌が無事で何よりだ」
そう言いながら、千尋は萌の頭を撫でくり回す。
「チヒロ殿! モエ殿! 敵は……魔王軍はどうなったのですか!?」
防壁の上から降り、外に出て来たオレイニー宮廷魔術師団長が大きな声を上げながら走り寄って来た。その後を追うようにマーカスサス将軍も走って来る。
「あ、全部終わりました。で、いいんだよね、お姉ちゃん?」
萌が千尋に確認を取る。
「うむ。こちらの魔王軍は壊滅した」
「壊滅……『不滅』の二つ名を持つ魔王軍幹部、バイロケースも討ち取ったと?」
「うむ、少し固かったが」
「これまで誰も敵わなかった幹部を、『少し固かった』で打ち倒すとは……」
オレイニーとマーカスサスは千尋の言葉に絶句する。
防壁の外に、退避していた兵達がチラホラと出て来た。地形が変わってしまった周囲の様子を見て驚いたり、何かを呟いたりしている。
「魔王軍壊滅……我々は、いや、使徒様が勝利を齎された……」
将軍は噛み締めるように呟き、大きく息を吸って勝鬨をあげた。
「魔王軍は壊滅した! 使徒様が倒してくださった!」
「「「「うぉおおおおおー!」」」」
勝利宣言が周囲の兵に伝わり、それがどんどんと広がって歓声が怒号のように響いた。
「使徒様! ぜひ城へ。皇帝に報告して、この功績を称えさせてください!」
マーカスサス将軍が目に涙を浮かべながら跪いた。
「いや、せっかくのお申し出だが、魔王軍との戦いは終わりではない。これからザイオン砦に向かう」
「しかし、少しお休みになられた方が」
「お気遣い感謝する。だが我等が早く到着すれば、それだけ救える命が増える」
「なんと気高い……今日の事は、このマーカスサス自身が必ず皇帝にお伝えいたします。戦いが終わった暁には、ぜひ城に足をお運びください」
「……皇帝陛下には、地形を変えてしまって申し訳ないとお伝えください」
最後に萌がフォローを入れた。ごめんなさいで済む問題ではない気がするが、謝罪の気持ちは伝えた方が良いだろう。
「萌、調子は問題ないな?」
「うん、大丈夫!」
「オレイニー殿、またザイオン砦まで案内を頼みたい」
「仰せのままに」
「では行こう」
オレイニーに神器を握らせ、その上から自分の手を被せ、反対の手で萌と手を繋いだ千尋。
瞬きを一つする間に、マーカスサス将軍の前から千尋達3人の姿が消えていた。
SIDE:大神哲也
この異世界に来て約10か月。俺は簡単な言葉ならなんとか理解できるようになり、カタコトながら少しは会話できるまでになった。
その結果分かったのは、俺を助けて一緒に行動しているのが「勇者」と呼ばれる若い女性とその仲間であるということ。そして、こいつらと一緒に居ると危険な目にばかり遭うということだった。
勇者が具体的に何を目的としているのかは理解できなかったが、彼女達はとにかく色んな所に行ってモンスターと戦っていた。その度に「今度こそ死ぬ」と思った。俺は今まで武器なんて持ったことすらないし、命がけで何かと戦ったことなんて勿論ないからだ。
「グレイブル」という国に到着した時は、勇者リアナ達と別れ、何かの研究者や司祭のような恰好の人達としばらく過ごした。そこで言葉を教えてもらい、少しずつ理解出来るようになった頃、またリアナに連れ出された。
リアナが言うには、俺は異世界から来た「稀人」の可能性があり、もしそうならリアナより遥かに強いのだそうだ。だから戦いの場に連れ出し、その能力が開花するのを待っているのだと言う。
俺はリアナに何度も「そんな力はない」と言ったのだが、その度にリアナは悲しそうな顔をしながら、自分には魔王を倒す力がないから力を貸して欲しいと頼んでくる。
綺麗な顔の女性から頼まれ事をされるのは悪い気分じゃなかった。しかしリアナでも敵わない「魔王」とやらに、何の力もない俺が勝てる筈がない。魔王を倒さなければこの世界が危ないらしいが、その前に俺が死んだら意味がないじゃないか。
そして、数日前に連れて来られたのがこの砦だ。西側から魔王軍が押し寄せて来ているが劣勢で、リアナ達はその応援を頼まれたらしい。ここは本当に危険だと言うことで、俺は砦の一室に押し込められ、リアナ達は戦いに行った。
あまりにも退屈だった俺は外が見える場所まで上り、そこでとんでもない光景を見てしまった。
気分が悪くなるほど物凄い数のモンスターと、それから逃げるように砦の方に撤退する鎧姿の兵士達。その一番後ろでモンスターを倒しているのがリアナとその仲間達だった。リアナは勇者の名に相応しい一騎当千の戦いぶりだったし、ブランドン、ケネス、プリシアの3人も次々にモンスターを倒していた。だが、いくら倒しても敵の数は減らないように見えた。それどころか、大軍がどんどん砦の方に近付いていた。
そして遂に、リアナ達も砦に逃げ込んだ。4人とも無事だったが顔色はとても悪かった。それが昨日のことだ。
今後は砦に籠城して救援を待つらしい。しかし、あれだけの大軍を相手にいつまで持つだろう? 今度こそ本当に、俺は死ぬかも知れない。
バイロケースが弱いんじゃない、千尋が強過ぎるんだ。




