28 アルダイン帝国(2)
「萌、よくやった。次は我の番だ。万火繚乱!」
千尋が香ばしいポーズと共に右手を空に掲げる。上空の岩塊は既に自由落下を始めていた。その一つ一つが炎に包まれる。炎は次第に大きくなって、空一面がオレンジ色に染まった。
千尋の額から汗が滲み、炎の色が変化する。オレンジから黄色、そして直視できない程眩い白。まるで空そのものが光となって落ちて来るようだ。
「くっ」
MP枯渇寸前になった千尋も立っていられなくなり、その場に膝を突く。
「おいおいおい! これはっ!!」
「なんか暑くないか……いや、熱いぞ!?」
「ヤバくない?」
「いや熱っ! 大丈夫かコレ!?」
上空3000メートルからの自由落下。地表まで約24秒で届く。地表と接触する時の速度、実に毎秒約242メートル。時速にすると約873キロ。音速に迫るスピードで、重さ150トンを超える温度6000度以上の溶岩が降ってくる。
24秒で全MPの5%が回復した千尋が、最後の力を振り絞って魔法を使う。
「う、風障壁」
石壁を覆うように風の障壁が出現する。そして次の瞬間、地表に無数の溶岩が激突した。
熱、炎、大質量の激突。防壁から500メートルほど離れた場所から彼方まで赤一色に染まる。防壁が大きく揺れ、所々亀裂が走った。壁の上にいる人々は、壁の端から立ち上がる腰壁に縋りつき、なんとか落下を防いでいる。
防壁の外、魔王軍が埋め尽くしていた大地は、「火の海」としか表現できない有り様だった。地面は深く抉れ、南北の丘だった場所が綺麗さっぱりなくなっている。土はマグマのようにオレンジ色に光り、そこで生物が生き延びる可能性など考えられなかった。
揺れが収まっても、防壁の上の人々は一言も発することが出来ない。ただただ眼前の光景を見つめ、呆然とするのみであった。
「ふぅ。萌、大丈夫か?」
「うん、だいぶ回復してきたみたい。お姉ちゃんは?」
「うむ、3分の1は回復したようだ」
MPが回復してきたので余裕が出て来た二人。千尋は風の障壁を掛け直した。
「チ、チヒロ殿、モエ殿! これは一体……」
オレイニーおじいちゃんがアワアワしていた。マーカスサス将軍は腰が抜けたように座り込んでいる。
「極大魔法、地獄の業火。我と萌の合わせ技だ」
千尋がニヤリと笑って答えた。もちろん、千尋がたった今考えた魔法名である。
「「インフェルノ……」」
オレイニー団長は噛み締めるように、そして初めて聞かされた萌は半ば呆れるように呟いた。
「使徒様!」
気が付くと、姉妹の傍でマーカスサス将軍が片膝を突いて首を垂れている。
「先ほどのご無礼、どうかお許しを! あなた方は我が国を救って下さった。あなた方こそアルダインの英雄、まさしく女神様が遣わした使徒様です!」
「将軍、頭をお上げください。私達は自分の仕事をしただけです」
驚くなかれ。これは萌ではなく千尋の言葉である。
自分の仕事をしただけ。千尋の「人生で一度は言ってみたい台詞リスト」に入っていたのだ。今が使うチャンス! と勢い込んで使ったので魔王キャラは失念していた。しかし悔いはない。
「なんと謙虚な……これが使徒様……」
マーカスサスが涙を浮かべて感動している最中――
「むっ!?」
「お姉ちゃん!」
火の海の向こう側から、物凄いスピードで防壁に近付く気配を感じた。
「萌、大きめのアクアボールを放て。100メートル先の地面に」
「了解、アクアボール!」
空中に直径10メートルの水球が出現し、矢のように放たれる。それが半ば溶岩の地面に接触すると、盛大な水蒸気爆発が起きた。
「むっ、これでも止まらんか」
「お姉ちゃん?」
「迎撃する」
「はい!」
姉妹は高さ30メートルの防壁から飛び降りた。地面すれすれに風を発生させ落下速度を殺す。水蒸気爆発の影響で、細かな水滴と土塊が雨のように降り注いでいる。
水蒸気の白い靄を割って、黒い塊が飛び出して来た。それは千尋と萌から20メートルほど離れた場所で止まる。全身真っ黒の人型、腕は肘から先がカマキリの鎌のようになっている。頭部は黒いゆで卵のようで、目・鼻・口・耳はない。
『コレハ、オマエタチノ、シワザカ?』
機械的な声が頭に直接響く。
「これ、というのが魔王軍殲滅ならその通りだが、何か問題でも?」
萌は思った。お姉ちゃん、あんまり煽らないで、と。
千尋が名付けた「地獄の業火」、意図した訳ではないが目を覆うような惨状を引き起こした。地形も変わり、周辺の生物は死滅しただろう。あとで偉い人に怒られないかヒヤヒヤものである。
そんな中を目の前の黒いヤツは生き延びたのだ。ヤツが敵なら、間違いなく厄介な相手。それをわざわざ怒らせなくても良いじゃない、と強く思う萌であった。
『デハ、オマエタチヲコロス。マオウグンカンブ、バイロケース、ダ』
「チヒロ。使徒だ」
「モエ、同じく」
『シト? マアイイ。シネ』
バイロケースの体がブレた。次の瞬間には萌の後ろ側に回り首に鎌を振り下ろしていた。萌は籠手でそれを受け流し、バイロケースの脇腹に拳を叩き込む。
「あ、あれっ!?」
萌の突きはダンジョン・モンスターを爆散させる程の威力がある。普通なら多少なりともダメージを与えられる筈。それなのに、萌の拳は何の抵抗もなくバイロケースの体を素通りした。
「むん!」
突きを放った萌の背後から千尋が飛び上がり、真上から刀を振るう。それはバイロケースの頭のてっぺんから股までは切り裂いた――いや、切り裂いた筈だった。だがまるで煙を斬ったかのように、刀はバイロケースの体をすり抜けてしまう。
姉妹は後ろに飛び退き、敵と距離を取った。
「雷撃」
すかさず千尋が魔法を放つ。青白い電撃の光が確かにバイロケースに着弾するが、貫通して向こう側の地面に当たる。
『ムダダ。コウゲキハ、ツウジナイ』
「そんな、ズルいっ!」
相手の攻撃は当たるのに、こちらの攻撃は当たらない。物理攻撃無効、魔法無効という出鱈目な性能。これぞ異世界ファンタジー。千尋の口角が上がる。
「魔眼、魔力視!」
千尋は左目に意識を集中する。「魔力視」という能力は地球のダンジョンで何度か使った事がある。「魔力」が何かよく分からないが、色の付いたオーラのように見えるのだ。
そして今。千尋の左目は、はっきりと魔力を見ていた。バイロケースから立ち上がる、濁った黄色いオーラ。隣の萌は明るい黄色のオーラ、自分の体からも同じ色のオーラが出ている。
「アイスウォール!」
萌がバイロケースの足元に氷の壁を展開した。だが、そこに壁などないかのようにバイロケースは突っ込んでくる。
「ギン!」
萌に振られた鎌を、前に割り込んだ千尋が刀で弾く。
(ん?)
その時、バイロケースの後頭部から、黄色くて細い糸のようなものが伸びているのに気付いた。
「お姉ちゃん、これどうしよう!?」
「うむ。萌、少しこの場を任せても良いか?」
「うん、それは大丈夫だけど」
「確かめたいことがある。防御に専念してくれ」
「分かった!」
黄色い糸を辿って、千尋は全速力で疾走した。
地獄の業火(命名:千尋)の影響で地面のあちこちから灰色の煙が立ち上っている。まだ仄かにオレンジ色に光っている部分もあった。魔物と魔族の骸は灰になり風に散っている。
防壁から5キロ以上離れただろうか。この辺りまで来ると、地面は正常な土になり木々も疎らに残っていた。
そして、木が何本か密集して生えている所に黄色の糸が繋がっている。少し離れた場所から「魔力視」を使うと、そこに魔力を持つ生き物が隠れているのが分かった。
「断空波」
風魔法「エアカッター」を刀に纏わせ、音速を超える速さで振り抜く。そこには一筋の真空が生まれ、約10メートル先まで届く飛ぶ斬撃となる。それが「断空波」。腰辺りまで伸びた草と密集した木々を断ち切った。
「うぎゃあっ!?」
甲高い悲鳴が上がる。隠れるものがなくなったその場に、ゴブリンをしわくちゃにしてもっと醜悪にしたような小鬼がいた。胸の辺りがざっくりと切れて血が流れている。小鬼が怒りの目を千尋に向けながら叫んだ。
「いきなり何すんだ、きさまっ!」
「これは悪かったな、バイロケース」
「むっ、謝るぐらいなら最初から…………なぜその名を?」
「やはりそうか。魔力の糸も切れたようだな、魔王軍幹部。ここで引導を渡してやろう」
「くっ、引っ掛けやがったな!」
魔王軍幹部、バイロケース。その能力は、魔力で操り人形を生み出すこと。それを遠隔操作していたのだが、驚くべきは操り人形の強さと操作できる距離であった。
「炎纏」
千尋が小声で呟いた。鍔から切っ先に向け、刀の峰に掌を滑らせる。それを追うように炎が立ち上がり、刀身全体が炎に包まれた。
炎魔法のスキルを得た時、千尋が思った「刀に炎を纏わせたらカッコイイ」を具現化したものだ。ここまで実現するのに1週間練習に費やした。萌が呆れていたのは言うまでもないだろう。余談だが、攻撃力は先ほど使った断空波の方が高い。
「さあ、心の準備はいいか?」
千尋の両目が仄かに赤く光った。
千尋の攻撃は見た目重視です。




