26 グレイブル神教国
「ふわっはっはっはー! 我こそは異世界の『魔王』! お前たちに力を貸してやろう!」
突然の魔王宣言に、広間にいた人々が硬直する。
――スパーーーン!
小気味よい音が響いた。萌が千尋の頭を叩いた音である。
「お姉ちゃん! いきなり何てこと言うの!?」
「むぅ、異世界ジョークではないか」
「そんなジョーク聞いたことないからっ! みなさん、姉がすみません……私達は勇者、いえ『神々の使徒』です」
広間の人々に安堵が広がり、萌の「神々の使徒」という言葉に「おおぅ……」とどよめきが上がった。
「使徒様。私はグレイブル神教国宮廷魔術師団長、オレイニーと申します」
賢者おじいちゃん、やっぱり偉い人だった。
「私はモエ、姉はチヒロです」
萌と千尋はオレイニー団長にペコリと頭を下げた。
「おおぅ!」
「なんと謙虚な!」
「さすが勇者、いや使徒様!」
「可愛らしい!」
頭を下げただけなのに周囲が騒めく。
「モエ様、チヒロ様。早速ではございますが、別室にて我が国と周辺国の状況についてご説明させていただけますかな?」
「承知しました」
オレイニー団長とお供っぽい数名の後をついて行くと、最初の広間が地下だった事が分かる。階段を上ると通路が広く、太陽の光も差すようになった。床は大理石のように磨かれた白い石、壁は光沢のない白い石。石柱は継ぎ目のない円柱、所々に絵画や彫像が飾ってある。
初めての異世界だが意外と驚きはないな、と姉妹は思った。
しばらくすると、大きな木製扉の前でオレイニーが立ち止まる。両脇に全身鎧の兵が立っており、そのうちの一人に声を掛けるとその兵が扉を僅かに開けてすぐ傍にいる内側の誰かに用件を伝えた。1分ほど待っていると扉が内側に大きく開けられた。
「召喚にお応えいただいた使徒様お二人をお連れしました」
オレイニーが朗々とした声を上げ、中の人々の視線が千尋と萌に集まる。
「なんと……」
「子供ではないか」
「大丈夫なのか?」
「強くは見えんが……」
小さいがはっきりと聞こえる呟き。
ここまでに見た異世界の人々はほとんど男性、地球で言う欧米系の白色人種に似ていて、みな大柄。千尋と萌は平均より少し背が低く、体型も華奢だ。強そうに見えない事は本人達も納得である。
「使徒殿とやら。私はシャマル・フォン・グレイブル。このグレイブル神教国で教皇を務めている。此度は我らの召喚に応じて下さり感謝する」
「チヒロ・ホンジョウです」
「モエ・ホンジョウといいます」
姉妹は教皇にペコリと頭を下げた。貴族や王族、教皇に対する礼など知らないので精一杯丁寧に頭を下げる。
「この者達の無礼を許して欲しい」
「いえ、構いません。強くは見えないと分かっていますので」
教皇と千尋の会話に、周囲の者達はバツの悪そうな顔をする。
「教皇、お待ちください! 人族の命運を左右する戦場に、いくら使徒と言えども幼気な子供を送り込むなど、神教騎士団長として認める訳には参りませぬ!」
「あ、そういうのはいいんで。取り敢えず、今一番危ない場所を教えてもらえますか?」
千尋の無遠慮な言葉にこの場が殺気立った。
「なんと! そのような物言いは無礼ではないか!」
「自ら使徒と名乗っているだけで、何ら証拠もないのであろう?」
「何が目当てだ? 金か、地位か!?」
「いくら子供でも許さんぞ!」
ズバンッ!
常人の目で捉えられない速さで千尋が刀を振り、重鎮達が囲んでいた分厚い石のテーブルが真っ二つになった。チン、と刀を鞘に戻す音がやけに響く。
「我等は貴方達を喜ばせたり、気に入られたくて世界を渡って来たのではない。今この瞬間にも、魔王軍に苦しめられている多くの人々がいる。ここで無駄話をしている間に、救えたかも知れない命があるのだ。もう一度問う。今最も危険な場所を我に示せ」
千尋の両目から赤く妖しい光が立ち昇っていた。以前は感情の昂ぶりで光っていたが、今では自由に赤く光らせることが出来るようになった。この光には相手を威圧する効果がある。あと、本人はこれがかっこいいと思っている。
国の重鎮達は、千尋の迫力に言葉を失っていた。テーブルを刀で斬ったのも、萌以外の誰一人として見えていなかった。ほんの僅かだけ力を示すこと。そして反論を許さない正論。教皇が目で合図し、立っていた文官の一人が地図を持って来た。それを広げるためのテーブルが真っ二つになっているせいで、文官がオロオロしている。
「使徒様の前に広げなさい」
いち早く衝撃から立ち直ったオレイニー団長が、別の文官に指示を出す。二人がかりで大きな地図が千尋と萌の前に広げられた。
そこにシャマル教皇と騎士団長、さらに数人が集まって来る。
「使徒殿、無礼をお許しください」
すっかり大人しくなった騎士団長。教皇と他の人達も、千尋に畏敬の眼差しを向けている。
ただ萌だけは分かっていた。お姉ちゃん、さっきは良いこと言った感じになってるけど、あれは絶対に早く広範囲殲滅魔法をぶっ放したいだけだ。さすがは妹である。だが、今は何となく話が良い方に向いているので指摘するような野暮はしない。
「うむ、構わない。現在地と敵の位置、おおよその数を教えて欲しい」
「中心のやや北側、ここが現在地です。戦況は――」
騎士団長が積極的に説明してくれる。南のジョンスティール王国側は、敵軍が少ないために持ち堪えている。東のアルダイン帝国は国の中枢近くまで攻め込まれており、このままでは帝都が落とされる可能性が高い。西の戦場はここから最も近く、前線はザイオン砦という所まで下がっている。
「ここはやはりザイオン砦に向かって――」
「いや、それよりもアルダイン帝国だ。使徒殿、アルダインの帝都に向かって頂けないだろうか?」
「教皇様! それはザイオン砦をお見捨てになるということですか!?」
「ザイオン砦には勇者リアナが居る。それに騎士団も8割残っている。籠城戦ならしばらくは持ち堪えられる筈だ」
勇者……勇者と呼ばれる者がいるのか。いや、それは後回しだ。これは想像以上に切羽詰まってないか?
「教えて欲しいのだが、アルダインの帝都まではどれくらいかかるのだろうか?」
「そうですね……馬車でおよそ20日といったところです。急いだとして、ですが」
「ザイオン砦は?」
「そちらは馬車で10日ほどです」
ダメだ。時間が掛かり過ぎる。帝都に行って魔王軍を殲滅してからザイオン砦に向かうと最短でも50日もかかる。
「少し妹と話をさせて欲しい」
「どうぞ」
千尋は萌と部屋の隅に移動した。
「お姉ちゃん、どうする?」
「予想はしていたが、この世界の移動手段がアナログ過ぎる」
「だよね……馬車にも興味はあるけど、今はそんな時じゃないもんね」
「うむ……一度戻ってうーちゃん様に頼めないだろうか」
「うーちゃん様なら、別の場所に転移してもらえる?」
「聞いてみないと分からないが――」
話をしていると、首から提げたペンダントが突然光り出し、「ヒィィィイイン」と甲高い音を発し始めた。
「なんだ!?」
「敵か!」
周囲が俄かに騒々しくなる。千尋と萌にも、これが何か分からない。戸惑っていると音が鳴り止み、ペンダントから溢れた光が1か所に集まり出した。それがぼんやりと人型になっていく。
『ウルスラの使徒達、それに可愛い子供達よ。私はハムノネシア。この世界を司る神の一柱です』
優しい女性の声が頭に響く。部屋にいる全員が光の人型に向かって跪いた。千尋と萌もよく分からないまま跪く。ウルスラの使徒? ウルスラって誰?
『使徒達、あなた方を望みの場所に導きましょう。私の子供達を救うために来てくれたのだから、それくらいはさせてください』
「ハムノネシア様、ありがとうございます。ぜひお力をお貸しください」
『その神器に念じれば瞬きの間に移動が叶うでしょう』
その言葉だけを残し、光は消えて行った。
「おお……! 女神ハムノネシア様が顕現されるとは!」
「やはり使徒様は本物だった……」
「女神様! 使徒様!」
見事な手の平返し……だが、今はどうでも良い。
「お姉ちゃん、つまりどういうこと?」
「フフッ。萌、我等は異世界チートを手に入れた」
「ちーと?」
「異世界と言えば転移。転移と言えば異世界だ」
「ちょっと何言ってるか分からない」
「移動の問題は解決したということだ!」
「ほんと!?」
「うむ!」
千尋はチラチラと近くにいる人を見回す。
「オレイニー殿。あなたはアルダインの帝都に行った事がお有りか?」
「え? ええ、まあ」
「ザイオン砦も?」
「それはもちろん」
「では我等と共に来るのだ。萌、手を繋ぐぞ」
「えっ? う、うん」
「オレイニー殿、我と一緒にこれを握って、アルダインの帝都を思い浮かべてくれ」
「は? ……はい」
「…………よし、見えた。では行くぞ」
その瞬間、千尋と萌、それにオレイニー宮廷魔術師団長の姿が忽然と消えた。




