17 覚醒
銀色と青のまだら模様。同じ質感の太い手足。千尋と萌を庇うように現れたのは、千尋が試練(を無駄に延長した)時に戦った「ハーヴグーヴァ」。あの時と同じ個体かどうかは分からない。千尋にはサバを見分ける能力なんてないのである。
「お姉ちゃん! サバが立ってる!」
クララみたいに言うな、とツッコミを入れたいが黙っておく。
「うむ、あれはハーヴ……ハーグ……とにかくサバのモンスターだ」
「ねぇ、何で太刀魚持ってるの?」
「あれは太刀魚に見えるが……いや、実際太刀魚だが、剣として使うようだぞ?」
「そっかー」
突然の出来事にほのぼのし始める姉妹をよそに、ハーヴグーヴァと魔王軍幹部ペギストリギアンの激しい戦いの火蓋が切って落とされた。
「キッシャァァァアアアアア!」
「モンスターが生意気な!」
ハーヴグーヴァの前に青く光る八つの魔法陣が出現する。そこから普通サイズのサバが弾丸のような速さで、次々と射出された。
「ぐっ!?」
全身にサバアタックを受けたペギストリギアンが、体を丸めて後退する。サバはどんどん数を増し、まるで濁流のようにペギストリギアンを襲った。
(あれで腕を吹っ飛ばされたからな……)
たかがサバ、されどサバ。どんな仕組みか分からないが、恐ろしい速度で打ち出されるサバは正しく凶器と化すのだ。
「お姉ちゃん……ちょっと生臭い」
ペギストリギアンに当たって跳ね返ったサバが千尋と萌の方にも飛んで来るし、あれだけの数だ、多少、いやかなり魚臭くもなる。
千尋の斬撃でも浅くしか傷付けられなかったペギストリギアンが徐々に削られている。頭部は大斧を盾にして守っているが、それ以外の部分は血塗れになり、肉が少し抉れている所もあった。
(このまま押し切れれば!)
まさかサバを応援することがあるなんて夢にも思わなかったが、今、千尋は心からサバ(ハーヴグーヴァ)を応援していた。
「舐めるなぁぁあああっ!」
このままではジリ貧だと悟ったペギストリギアンが捨て身の突進を開始。被弾は増えたがハーヴグーヴァに肉薄し、大上段から大斧を振り下ろした。
ガギン!
両手に持った太刀魚を頭上で交差し、大斧を受け止めるハーヴグーヴァ。しかしその腹にペギストリギアンが前蹴りを放つ。その衝撃でサバアタックの魔法陣が消失する。
たたらを踏んで後ろによろめくハーヴグーヴァに、ペギストリギアンは大斧を叩きつける。それはエラの辺りに深々と突き刺さり、ハーヴグーヴァは横倒しになった。
「キシャァァァ……」
「ふんっ!」
そこに真上から振り下ろされる大斧。ハーヴグーヴァの頭部が切断され、明るい青の靄になって消えた。
「うぉぉおおおおおー!」
ペギストリギアンが勝鬨をあげる。元々鬼のような形相だったが、激闘を経てそこに狂気が加わった。
氏神の操作によって強化され、隠し部屋から解放されたハーヴグーヴァ。氏神の目的はハーヴグーヴァと異物が戦っている間に千尋と萌を逃がすことだったのだが、姉妹にその思いは伝わらなかった。
戦闘でアドレナリンが放出され、目の前で現実感のない光景が繰り広げられたことで姉妹はこの場からの逃走に考えが及ばなかったのだ。「排除シークエンス」についても知らないのだから仕方のないことである。
そもそも千尋は、ペギストリギアンを地上に出してはいけないと強く感じていた。
「萌、奴はかなりのダメージを負っている。だから我がもう一度攻めてみる。だが無理そうなら逃げて助けを呼んでくれ。良いな?」
「うっ、分かった」
満身創痍のペギストリギアンに向かって、千尋は駆けた。自分が持つ最大の速さ、最大の力をぶつける。両目に灯る赤い光が残光となり、流星のように迸った。
「はぁぁあああああっ!」
限界を超える一閃。刀の動きはもちろん、千尋自体の動きさえ常人には目で捉えることが出来なかっただろう。
しかし、ペギストリギアンは大斧の柄でその渾身の一撃を受け止めた。だが千尋もそれは想定済み。弾かれる勢いを利用して回転し、逆方向から二撃目を放った。その攻撃が3本のうち1本の腕を斬り落とす。
「うがあああああっ!?」
叫びをあげながら、ペギストリギアンは刀を振り抜いた千尋に裏拳を放った。辛うじて腕を上げてガードするが、ガード越しに痛烈な打撃が側頭部に届く。千尋は側転を失敗したかのように回転しながら吹き飛ばされた。
姉の攻撃と直後の被弾を見た萌は、逃げろと言われていたにも関わらず目の前が怒りで真っ赤になった。
ドゥッ!
体から真っ赤なオーラを噴出させた萌は、桟橋を踏み抜く勢いで飛び出し、僅か一歩でペギストリギアンの懐に入り込んだ。
「んっ」
全体重を左足に移動したと同時に、体の捻りを加えた全力の右ストレートを、ペギストリギアンの鳩尾に叩き込む。インパクトの瞬間、籠手の拳部分の突起が鋭く伸び、萌の拳は深々と腹にめり込んだ。
「ごふっ」
裏拳を受けて一瞬意識を飛ばした千尋が体を起こしたのは、萌のパンチを喰らってペギストリギアンが後ろによろめいた時だった。限界を超えた速さと力を出し切った萌はその場で動けないでいる。後ろによろめきながら、ペギストリギアンが大斧を振りかぶるのが見えた。
(萌)
その瞬間、千尋の右の瞳が金色に輝き、激しい痛みに襲われた。それと同時に、大斧を持つペギストリギアンの右腕があり得ない角度で捩れた。
「がぁぁあああっ!?」
どすん、と音を立てて大斧が桟橋に落ちる。ペギストリギアンは何が起きたか分からずキョロキョロと辺りを見回し、その目が千尋を捉える。
「き、貴様っ! その目はっ」
千尋はよろよろと立ち上がった。
「ほ、ほほう。わ、我の目が気になるのか」
刀を杖代わりにしてやっと立っている状態だが、今こそ魔王ムーブが求められていると感じた。萌がようやく動けるようになり、千尋を心配そうに見ている。
(これはEXスキルの効果だな。さしづめ空間か物体に捩れを生じさせる能力といったところか)
まだ右目の奥がズキズキと痛むが、EXスキルの発動条件を考える。一瞬で答えが出た。萌を守りたいと強く思ったことだ。
「お前に良い事を教えてやろう」
「な、何だと?」
「お前が今居るのは、お前の世界とは異なる世界だ」
「……」
「そして、我こそがこの世界の魔王だ」
「!」
(何があっても萌を絶対に守る!)
千尋の右目から目が眩む程の金色光が溢れ、頭が割れそうな激痛に襲われた。それと同時に、ペギストリギアンの首、胴体、両足があらぬ方向に捩れる。
「へぎゅっ」
間の抜けた声を上げ、ペギストリギアンは幼い子が粘土遊びをしたような、酷く醜い人形のような姿に変わり果てていた。その赤い目からは命の灯が消え去っていた。
「うぅっ!」
「お姉ちゃん!」
右目を押さえて蹲った千尋に萌が駆け寄って来る。千尋の右目からは血が流れていた。
「ふぐぅ、ふぐっ……お姉ちゃん! ぐすっ……お姉ちゃん!」
萌が泣きながら何度も叫ぶ。
「萌、大丈夫だ。少し痛みが治まってきた」
「ほ、ほんと? 目、開けられる?」
千尋は萌に心配させまいと、閉じていた右目を半分ほど開ける。瞳の色は戻っているが、白目の部分が内出血を起こして真っ赤に染まっていた。
「お姉ちゃん!? 大変だ、すぐ病院行こう」
萌は千尋の左腕を自分の首に回して立ち上がらせた。そのまま2層へ上る階段へ向かう。
「ふぐっ……お姉ちゃん、大丈夫だからね。ぐすっ……私が……病院に連れて、ぐずっ、行くからね」
「……萌、心配かけて済まん」
姉妹はお互いの体重を支え合うようにしながら、外を目指して歩を進めるのだった。
魔王って言っちゃった。