第97話 助っ人です!
「ぎゃああああああああ!!!」
ボロアポートに金髪メイドロボの叫び声が炸裂した。
「ぎゅわわわわわ! なんだなんだ!?」
朝食が済み床に寝転んでうとうとしていた黒乃は慌てて飛び起きた。見るとメル子がシンクの前の床に四つん這いになってプルプルと震えていた。
「メル子、どしたの!?」
黒乃はメル子に駆け寄ると腰に触れようとした。
「絶対に触らないでください!!!」
「うわっ、声がでかいよ。どうしたのさ」
メル子は地面を向いたまま汗をダラダラと流している。
「またやってしまいました……」
「またって何を?」
メル子は真っ青な顔をあげて黒乃を見た。目には涙が溜まっている。
「ギックリ腰です……」
「またかい!」
黒乃は生まれたての子鹿のように震えているメル子を抱き上げようとした。
「触らないでって言っているでしょ!!!!」
「うわ、びっくりした。布団に寝かせようとしただけだよ」
「このやりとりは前もやったのですよ! イタタタタタ!」
メル子は首を横に振った。その勢いでIカップのお乳がプルプルと揺れた。
「ハァハァ、それより大事な事があります」
「あ、おう。どうしたの」
メル子は床に置いてある寸胴鍋に視線を向けた。メル子がいつも仲見世通りの出店で使っているものだ。どうやらこの寸胴を持ち上げた事が原因でギックリ腰が再発してしまったようだ。
「誰かが『メル・コモ・エスタス』でそのお料理を提供しなくてはなりません」
「まあ、折角作ったんだもんね」
「ハァハァ、頼めますか?」
メル子は黒乃をじっと見つめた。黒乃はきょとんとした表情で後ろを振り返った。
「ご主人様に言っているのですよ!」
「え!? 私!?」
「他に誰がいるのですか!」
黒乃はブンブンと首を振った。「無理無理」
「ご主人様なら出来ます」
「無理無理。アン子にやってもらおう」
黒乃は名案だとばかりに拳で手のひらを叩いた。
「ライバル店の人に頼めるわけがないでしょう。それにアン子さんは今日は自分のお店があります」
「じゃあもう今日は休業しようよ。無理はよくないって」
メル子は目を瞑りしばらく考えた。そして黒乃の目を見て言った。
「……待っててくださるお客様もいますので。どうしてもお料理を届けたいのです」
黒乃も一瞬黙った。そしてメル子のお乳を指で突っつきプルンと震わせると言った。
「そこまでの思いがあるならやらないわけにもいくまい。ご主人様に任せておきなさい!」
「ご主人様……! 今おっぱいを触りましたよね!?」
黒乃は早速寸胴を二階の窓からキャリアーに乗せた。キャリアーは朝メル子が店からボロアパートまで持ってきていたのだ。用心深く昇降機を降ろした。原付免許があれば公道を運転できる。
ぎゃあぎゃあ喚くメル子を布団に無理矢理寝かせ部屋を出発した。
仲見世通りにたどり着くと店の準備を始めた。何回か店の営業を手伝った事があるので勝手はなんとなく理解している。頭巾を被り、エプロンを巻いた。黒乃が手作りした『メル・コモ・エスタス』の看板を掲げ、メニューの立板を店の前に立てる。店の横のベンチに布をかけ、カウンターに謎の人形を並べた。
ズシリとくる鍋をコンロに置いた。メル子が腰を痛めるのも納得の重さである。
本日のメニューはペルーの煮込み料理『セコ・デ・カルネ』である。牛肉をコリアンダー、玉ねぎ、ニンニクで煮込んだシンプルな料理である。コンロに火をかけ温めていく。調理については予めメル子が説明をしてくれた。
作業をしていると冬だというのにダラダラと汗が流れだしてきた。とりあえず一通りの準備は終えた。正直もうくたくたといった感じだ。
ふと店の前を見るとアンテロッテのフランス料理店『アン・ココット』が目に入った。黒乃は挨拶をしようとカウンターから店の中を覗いてみた。そこにはエプロンをつけたマリーが忙しそうに作業をしていた。
「やあ、マリー。今日もお手伝いかい? えらいね〜」
マリーは汗だくの顔をあげた。何やら少しもじもじした様子を見せたが、すぐにいつものような強気な態度が現れた。
「あら、黒乃さんじゃございませんこと。ご機嫌麗しゅうでございますわー! オーホホホホ!」
黒乃は店の中を見渡した。アンテロッテがいない。どうしたのだろうか。
「ねえ、マリー。アン子はどうしたの? うんこ中?」
マリーは目を逸らしてもじもじしている。
「んん? どしたの?」
「実は……」
「うん」
「実はアンテロッテは……ギックリ腰になってしまいましたのよー!」
黒乃はポカンと口を開けて呆然とした。マリーは目に涙を溜めている。
「いやはや驚いた。まさかギックリ腰まで被せてくるとは」
「え? どういう事ですの?」
お互い詳しい事情を説明した。アンテロッテは既に店に来て準備をしており、その最中にギックリ腰になってしまったようだ。アンテロッテは休業しようとしたがマリーが一人で営業をすると言い張ったようだ。結局根負けしたアンテロッテはなんとかキャリアーに乗ってボロアパートまで帰っていった。
「図らずもご主人様対決になってしまったね」
「そのようですわね」
マリーの表情に活力が戻ってきたようだ。
気がつくと既に両者の店には行列ができ始めている。まもなく開店の時刻だ。黒乃は厨房に戻った。
「『メル・コモ・エスタス』開店でーい!」
「『アン・ココット』開店ですわー!」
いよいよ営業が始まった。本日のメニューは一種類だけだ。やる事は単純。寸胴から小さい鍋に料理を移し、生のコリアンダー(パクチー)を加えて軽く煮込むだけだ。鮮烈なコリアンダーの香りが周囲に漂う。これを皿によそいフォークを添えて提供する。カウンターにはカイエンペッパー、チリペッパーなどの調味料があるので自由にかけてもらう。
「いらっしゃいませ、どうぞ〜」
早速一人目の客に料理を提供した。お札を貰いお釣りを返す。すぐに二人目の調理に取り掛かる。メル子は複数の鍋を同時に扱うが黒乃は一つで精一杯だ。
「はい! どうぞ!」黒乃は皿を手渡した。
「あれ〜? 金髪巨乳メイドロボがいるって聞いたんですけど」
「あ、今日はお休みなんです。えへえへ」
明らかに列が進むのが遅い。列が長すぎて他の店の前まで伸びていってしまっている。スピードを上げるしかない。黒乃は慌てて皿を客に出そうとした。しかし手元が狂いカウンターにある卓上調味料を全部倒してしまいました。
「うわわわわ、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。落ち着いてくださいね」
そう声をかけたのはクラシックなメイド服に身を包んだメイドロボであった。
「え? ルベールさん!?」
ルベールは調味料のボトルを綺麗に並べ直すと布巾でカウンターを綺麗に整えた。
「黒乃様、お手伝い致します」
するとルベールはカウンターの前に立って料金の支払いと皿の提供を担当してくれた。
「お待たせ致しました。ごゆっくりお召し上がりください」
優雅にお辞儀をして客をもてなす。
「ルベールさんありがとう!」黒乃は涙を流して喜んだ。
「メル子さんから連絡をいただきました。黒乃様を助けてあげて欲しいと」
「あいつゥ!」
その時向かいの店で大きな声があがった。
「アニーお姉様ー! マリエットー! 来てくださいましたのねー!」
「大事な妹の危機を見捨ててはおけませんのよー!」
「マリーお嬢様を助けてほしいとアンテロッテから連絡がありましたのよー!」
「「オーホホホホ!」」
金髪の美少女が三人も揃ったので行列客もテンションが上がっているようだ。
「おお、向こうは大丈夫そうだな。でもこっちは……」
後ろを見ると皿が大量に積まれている。洗い物をしながら調理をこなさなければならない。
「先輩。洗い物はまかせてください」
「ぎゅわわわわ!」
いきなり背後から耳元で囁かれたので黒乃は度肝を抜かれた。
現れたのは黒乃の会社の後輩桃ノ木桃智だ。
「桃ノ木さん!? なんでここに?」
「先輩の危機ですから現れました」
「メル子に呼ばれたの?」
「いえ、勝手に来ました」
「どういう原理!? あと顔が近い!」
桃ノ木とルベール、二人の協力を得て列がぐんぐんと進みだした。
「ねえ、この人黒乃山じゃない?」
「え?」
「ほんとだ! 黒乃山ですよね?」
二人組の女子高生が黒乃にキャピキャピと声をかけてきた。
「この前の浅草場所見ました! 黒乃山かっこよかったですぅ」
「ん? あ、そう? ごっちゃんです」
二人がきゃっきゃ言いながら去ると次に現れたのは着物を着た恰幅の良い初老のロボットだった。
「あれ? あなたは有名な美食ロボの……」
「店主、ここはちゃんこ屋か?」
「いや、南米料理屋だけど」
「ではここで一番美味いと思うちゃんこを出してみろ」
「まあ今日は一種類しかないけどね」
黒乃は皿を手渡した。美食ロボはその皿をまじまじと見つめて言った。
「店主、このちゃんこは本物か」
「南米料理だって言ってるだろ!」
「ほほう、では教えてくれ。本物のちゃんことはなんなのだ」
「南米料理だっつーの! 本物食いたいなら浅草部屋いけ!」
「ふうむ、相撲部屋か……そもそも相撲とはなんなのだ? 相撲部屋で作られているからちゃんこなのか? 南米にもちゃんこはあるのか? この店のちゃんこが本物と言ったからには答えてもらおう。まず第一に相撲とは何か?」
「いいからさっさと食え!」
「いただこう」
美食ロボはセコ・デ・カルネをバクバクと食べ始めた。一瞬で完食するとクワッと目を見開いた。
「うまい! この何かのお肉が、何かわからないけど柔らかくてうまい! あの、この葉っぱが臭くて、でも癖になる香りでうまい! 味が濃くてうまい! 店主! 腕をあげたな! フハハハハハハ!」
豪快に笑うと美食ロボは店を立ち去ろうとした。黒乃は店を出て美食ロボを追いかけると腰に手を回して力一杯締め上げた。
「支払いがまだじゃろがい! フンフンフン!」
「きゃー! 黒乃山の必殺技の鯖折りよ!」
二人組の女子高生はそれを見て大喜びをした。締め上げられた美食ロボの手から小銭が転がり落ち、それを拾いあげると厨房に戻った。
こうして列がどんどんと進み寸胴の中は底を尽きかけた。黒乃はクタクタになりながらもう少しだと気力を奮い起こした。
その時一台のキャリアーが仲見世通りをゆっくりと進んできた。
「ご主人様ー!」
「お嬢様ー!」
メル子とアンテロッテだ。プルプルと震えながらアンテロッテがキャリアーを運転している。荷台にはプルプルと震えているメル子が乗っている。
「メル子!? 腰は大丈夫なの?」黒乃はメル子に駆け寄った。
「ご主人様、今はそれどころではありません。お料理を出さないと、ハァハァ」
メル子とアンテロッテは手伝う気まんまんで無理してやってきたようだ。しかしこの様子では作業をするのは無理であろう。
「メル子、大丈夫だよ。ほら、ルベールさんと桃ノ木さんが助けてくれたから……あれ?」
しかし厨房を見ると桃ノ木は消えていた。
「あれ? どこいった」
「ハァハァ、ルベールさん。ご主人様を助けていただいてありがとうございます」
「いえいえ。メル子さんの頼みですもの」
程なくして寸胴の中身と行列が同時に尽きた。黒乃はフラフラと店の横のベンチに座った。
「あーもうクタクタだあ〜」
「お疲れ様です、ご主人様」メル子はキャリアーの荷台の上から声をかけた。
「いつもメル子はこんな大変な事やってるんだね」
「お仕事ですので」
黒乃は冬の澄んだ青空を丸メガネのレンズ越しに眺めた。この空はどこまで続いているのだろう。ふとそんな事を考えた。
「ギックリ腰になったのって日頃の疲れが溜まっているせいなのかな」
「うーん、どうでしょう」
「しばらく休暇を取るのもいいかもね。旅行とか」
「旅行ですか!」
メル子は目を輝かせた。
「まあでも仕事が忙しいしお金もないから無理なんだけどね」
「じゃあ言わないでくださいよ! イタタタタタ!」
「でも……いつか絶対連れて行くからさ」
「本当ですか?」
「本当だよ」
「約束ですからね」
「うん」
黒乃はメル子の頭をそっと撫でた。




