第94話 焼肉食べます!
「黒乃山、準優勝、おめでとうございます(おめでとうございます)」
メル子、マリー、アンテロッテの三人が拍手で称えた。
ボロアパートの駐車場に夕方の日差しが差し込んでいる。そこではパーティが開催されていた。
「ぎゅぷぷ、ありがとう。ぶひっ、ありがとう」
黒乃山は手を叩いて喜んだ。浅草場所の決勝戦の後、ハッキングの疑いにより即ロボマッポによって確保されてしまった。幸いノエノエ達がロボマッポに事情を説明してくれた為、説教だけで済んだのだ。ノエノエ自身はあの戦いに勝ったとは思っていないようで、黒乃山を貶めたくはなかったのだ。
しかし結局解放されたのは夕方でクタクタになりながらボロアパートまで帰ってきた。
「ぎゅぽぽ、まさかみんながパーティの準備をしてくれているとは思わなかったでしゅ」
駐車場には机と椅子が並べられ、その中央には火の起こった七輪が設置されている。七輪の周りには大量の肉が輝いている。
「大相撲ロボがお肉を差し入れに持ってきてくれたのですよ」
「にょふふ、アイツ気が利くなあ」
七輪も大相撲ロボの差し入れである。器用に炭に火をつけ帰っていった。
「わたくし達、お焼肉は初めてですわー!」
「どうやって食べるんですのー!?」
お嬢様たちは試合を終えた後だというのに元気いっぱいである。
「マリー達は日本に来て間もないから焼肉は初めてでしゅか、むひょ」
「マリーちゃん、私が焼いて差し上げます」
メル子がトングを使いタン塩を網の上に乗せた。ジューという小気味良い音と香ばしい香りが漂った。
「ぼふぅ、メル子はマリーに甘すぎるにょき。じゃあアン子のお肉は私が焼いてあげるふぉ」
「お願いしますわー!」
黒乃山は箸でカルビをつまみ網に乗せた。サシが入った肉の脂が溶けバチバチと派手な音を立てた。煙がモクモクとあがった。
「何をしているのですか!?」
「ふぉい!?」
メル子が突然立ち上がり黒乃山から箸を奪い取った。
「生肉を触る時は必ずトングを使ってください! 焼けたお肉を取る時は箸で取ります! お肉の表面には腸管出血性大腸菌、サルモネラ菌、リステリア・モノサイトゲネス、カンピロバクターなどの菌が付着しています。75℃で一分加熱をすれば滅菌できますが、七輪の場合は両面をしっかりと炙って赤い部分が見えなくなれば問題ありません。それといきなりカルビから焼き始めるとは何事ですか! そのカルビは三角バラというサシがたっぷり入った言わばメインお肉! いきなりメインから食べ始める人がいますか! 最初にカルビは味が濃すぎますし煙が多く網も汚れてしまうのです! まずはさっぱりとしたタン塩からが常道です!」
三人はポカンとメル子を見つめた。メル子は黒乃山の箸を水道でジャブジャブと洗いアルコールで消毒をすると黒乃山に返した。
「さあマリーちゃん、焼けましたよ」メル子は箸でタン塩を挟むとレモンダレにつけてからマリーの口元へ差し出した。マリーはそれをパクッと頬張った。
「めちゃうまですのー!」マリーはほっぺに手を当てて目を輝かせた。「噛むたびにプツンプツンとお肉が裂けて中から肉汁がじゅわりと溢れてきますの! レモンダレが油こさを中和して純粋なお肉の味を楽しめますわー!」
黒乃山も箸でカルビを挟んだ。タレにつけてアンテロッテの口元に差し出した。アンテロッテはそれをパクッと頬張ろうとしたが黒乃山の手元が狂って口の横に引っ付いた。
「めちゃ熱ですのー!」アンテロッテは口元を押さえて悶絶した。
「ぎゅぶー! 戦いの後だから手が震えてしゅまった。ごめんにょ」
改めてカルビを頬張った。「お肉がとろけますわー! しっかりと炙られたお肉が舌の上でほろほろと崩れて香ばしさが口の中に広がっていきますの! タレが熱された脂の旨みを優しく包み込んでゆっくりと胃に染み込んでいきますわー!」
「食レポもなんか被ってるんでしゅなぁ……」
メル子は駐車場のプランターからナス、ニンジン、キュウリを収穫して切り分け網の上に置いた。
「お野菜もどうぞ!」
「もぎたての野菜を焼いて食べられるなんて贅沢できゅ、もひゅー」
四人はバリバリと野菜を齧った。口の中の脂が分解されて綺麗さっぱりリフレッシュされた。
「ぐびゅー! さあ肉をモリモリたべりゅぞおー!」
「ご主人様、今日だけですからね。明日からまたダイエットを始めてくださいよ」
メル子はじっとりとした視線で黒乃山を睨んだ。
「ぽっちゃりとした黒乃さんもとてもよろしくてよー!」
「ずっとそのままでいてくだしゃんせー!」
「「オーホホホホ!」」
「ぐっぽ、それもいいかもしゅれない」黒乃山は手を叩いて大喜びした。
メル子は黒乃山の白ティーを捲り上げてその丸々としたお腹をベチンと叩いた。
「ギャース!」
「良いわけないです!」
メル子はホルモンを網の上にどさりと乗せた。ミノ、センマイ、ギアラ、肺、ハツ、チレ、ハチノスをまとめて一気に焼き上げる。
「こんなにいっぺんに焼いて大丈夫なんでしゅか?」
「ミックスホルモンは一気に焼いた方がいいのです。火が通るのに時間がかかる部位なので一枚一枚焼いていたら日が暮れます。異なる部位をまとめて焼く事でそれぞれの脂が混じり合い複雑な味わいを生み出します。また重ねて焼く事で網の上で蒸し焼き状態になりふっくらと仕上がるのです! 老舗の小さい焼肉屋に行くと何故か店主がやってきてこの方法で勝手に焼き始めるのです!」
メル子は網の上の山盛りホルモンをトングを使いシャカシャカと混ぜ合わせながら火を通していく。ホルモンの脂が炭に滴り大きな炎が立ち上がった。
「熱いですのー!」
「火事ですわー!」
「焼肉は炎との格闘技! ビビったら負けです!」
火柱に真っ赤に照らされながらメル子はホルモンを網の上で踊らせた。
「焼けました。さあ召し上がれ!」
「みょー! こりゃたまらんしゅ」黒乃山はセンマイ(第三胃袋)を口に入れた。
「コリコリとした食感と独特の香り。それにミックスによる脂の追加でリッチな味わいに進化しているぽょ!」
「このハツ(心臓)というのはなんですのー? トロリと滑らかな口当たり、サクッとした歯切れ。淡白なのに濃厚なお味ですわー!」
「わたくしはハチノス(第二胃袋)をいただきますわー! ヒダが格子状に生えていて不思議な見た目ですの。食感は軽く、噛み締める度に旨みが滲み出てきますわー!」
ホルモンを食べ終えるとメル子は網を洗って綺麗にした。神妙な顔つきで肉の塊を網の上に乗せた。
「もきょー! なんでしゅかそのステーキは!」
「大きいですのー!」
「これは肩ロースです。今から三十分かけてじっくりと火を入れていきます」
厚さが五センチもある巨大な肉塊が網の上を占拠してしまった。メル子はその塊を転がしながら焼いていく。外側は焼き固められ香ばしい衣を纏った。
「ここからは低温で熱を通していきます」
メル子は網の上に更に網を乗せて一段高くした。上の段で肩ロースに熱を入れ、下の段で別の肉を焼く仕組みだ。
「しょういえばなんでマリー達は浅草場所に出場しゅたんだっけ?」黒乃山はカルビを焼きながら聞いた。
「お相撲をやってみたかったからですわ」
「おフランスでも大相撲見れますのよ」
マリー達も好きな肉を自由に焼いて食べている。
「ぽきゅきゅ。おしっこしーしーはどうだったでしゅか」
「なんであんな事したんですのー!」
「屈辱ですわー!」
マリーとアンテロッテはぎゃあぎゃあ騒いで抗議をした。
「マリーちゃんのおしっこしーしー可愛かったですよ」メル子はご満悦のようだ。
「赤ちゃんじゃないんですのよー!」
「マリーは赤ちゃんみたいなもんでしょ。アン子のおっぱいしゃぶりながら寝てるんでしょ。ぎょぷっ」
マリーは顔を真っ赤にして反論した。
「しゃぶっていませんわー!」
「時々しかしゃぶりませんのよー!」
「ぎゅぽぽ! ぶひー、やっぱり」
そうこうしているうちに肩ロースが焼き上がった。メル子はそれを二センチ幅にカットしていく。すると綺麗な桜色の断面が現れた。
「ふひょふひょ! 中はレアでしゅ!」
「綺麗な断面ですわー!」
「熱がしっかりと入っているのでこのままでも食べられますし、更に網で焼いてもいいです。お好きな焼き加減で召し上がれ!」
黒乃山は即箸で摘んで口の中に放り込んだ。モグモグと肉を噛み締めた。
「にょーん! 何という高級な味わい。程よい食感ときめ細かい肉質。カルビ程多くない脂が濃厚な風味と完璧なバランスを保っている。七輪と炭がこれ程お肉を美味しくしてくれるとは。伝統に感謝です」
黒乃山は手を合わせて祈った。
「わたくしはもう少し焼いてミディアムレアでいきますわよー!」マリーは断面を網でさっと炙った。
「おフランスのグランメゾンで食べたステーキとは全く違う味ですわー! 高級感とジャンク感が口の中で暴れ回ってますのよー!」
「わたくしはよく焼きのウェルダンでいきますわー!」アンテロッテは肉を両面しっかりと焼き完全に火を通した。
「やわらかーですわー! このもちもちとした柔らかさは何故なんですのー!? この香りも癖になりますわー!」
「全ては炭と七輪の効果なのです」メル子は語り出した。
「炭は遠赤外線をガスの四倍も放射しているのです。炭だけでなく七輪も熱される事により遠赤外線を出します。つまり焼肉は遠赤外線祭りなのです!」
「ぎゅっぽ? どうして遠赤外線だと美味しくなるぽり?」
「それは輻射熱によるものです。直接食材が熱されるので旨みを他に持っていかれずに全て食材の中に閉じ込める事ができるのです。また遠赤外線は食材を内部から温めます。表面を焼き固めつつ内部まで熱が入るので全体が均一に仕上がるのです。更にここに燻煙効果が重なります。炭に脂が落ちて煙が発生し燻されるのです。さらに炭には……」
もはや誰も説明を聞いていなかった。皆思い思いに肉を焼いて食べている。戦いの後の宴に言葉はいらないのだとメル子は理解した。
「全くあれほど暴れ回った後にこの食べっぷり。呆れてしまいますね」
メル子もトングを起き箸に持ち替えた。