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第86話 同衾です!

「いってらっしゃいませ、ご主人様」

 

 朝、メル子は黒乃の出社を見送った。しかしその直後、玄関のドアが開いた。


「あれ、どうかしましたか? 忘れ物ですか?」

「外出た途端、急に寒気が襲ってきた」


 メル子は慌てて、ガクガクと震えている黒乃を布団に寝かせた。掛け布団をかけているが、上からでも震えているのがわかった。


「ささささささ、寒い! メル子〜、温度上げて〜」

「強めに設定していますけど、それでも寒いですか」


 以前行ったように、メル子は症状の検査を始めた。メイドロボはAI高校メイド科を卒業することにより、医療補助の資格を取得することができるのだ。


「お熱は39度ですね」

「うそお」

「はい、指を咥えてください」


 黒乃はメル子の指をチュパチュパと咥えた。メル子のナノマシンにより、ウイルスなどの分析を行うためである。


「ではまたブラックジャッ栗太郎先生に診察をお願いしますので、しばしお待ちを」

「うん」

「診察が終わりました」

「相変わらず早い。さすが浅草一の名医」


 診察によると、普通の風邪であった。二十二世紀現在、医療の発展により多くの病気が過去のものとなってきたが、風邪は未だに特効薬が存在しない。


「よかったですね、ご主人様。変な病気ではなくて」

「うん。でもかなり辛い」


 黒乃はブルブルと震えている。上からメル子の布団もかけて暖かくした。ミネラルウォーターのペットボトルを枕元に置いた。


「処方箋が出ましたので、薬局でお薬をもらって参りますね。水分を摂って暖かくしておいてください」

「うん。早く帰ってきてね」


 メル子は勢いよく部屋を飛び出ていった。黒乃はそれを震えながら見送った。


 

 二時間経った。遅い。メル子はまだ帰らない。近くの薬局までいって帰ってくるのには、三十分で済むはずである。黒乃は朦朧とした意識の中でメル子を心配した。

 その時、扉が開きメル子が部屋に戻ってきた。


「メル子、お帰り〜。遅かったね、どうしたの」


 メル子はガクガクと震えている。顔が真っ青である。


「ご主人様……私も風邪をひきました」

「ロボットなのに!?」


 メル子は体を引きずりながら押し入れから布団を取り出し、黒乃の横に敷いた。大急ぎで赤ジャージに着替えた。そして、黒乃の上に二枚かかっている掛け布団を一枚剥ぎ取り、布団に潜り込んだ。


「ううううう、寒いです!」布団の上からでもわかるくらいメル子は震えている。

「メル子〜大丈夫〜? ロボットが風邪なんてひくのかい?」

「ロボットは風邪をひきます! 寒い!」


 ロボットの体内には体の補修を行うナノマシンが住んでいる。このナノマシンが誤動作を起こしてしまうことで、体に様々な不調を呼び起こす。ロボット達はこの現象を風邪と呼んでいる。


「ご主人様のお薬を薬局に取りにいく途中で、急にボディに異変が起きまして。急遽、ブラックジャッ栗太郎先生の病院まで足を伸ばしました」


 ブラックジャッ栗太郎の診察の結果、悪性ナノマシンに感染していたことが原因と判明した。悪性ナノマシンとは、誤動作を起こしたナノマシン、もしくは悪意を持って作られたナノマシンが自己複製機能を持った状態をいう。


「えええ、メル子〜。その悪いナノマシンに感染しちゃったの〜? 大丈夫〜?」

「ご心配なく。先生に血清ナノマシンを処方してもらいました。寒い!」


 血清ナノマシンとは、悪性ナノマシンを無力化するナノマシンのことである。

 また新ロボット法では、ロボットはマスターの扶養家族として扱われる。そのため、マスターの健康保険によりロボットに保険給付が行われる。つまり診察料や、お薬代は格安である!


「寒いいいい!」

「寒いですすすす!」


 二人とも、並べた布団の中でガタガタと震えた。


「ああああ悪性ナノマシンに感染すると、なんで寒くなるのさ」

「カロリー(熱量)を奪われるからですすすすす。悪性ナノマシンが自己複製をするにもカロリーが必要ですし、血清ナノマシンが動作するにもカロリーが必要ですすすす」


 ナノマシン達によってカロリーを奪われているので、人工筋肉や人工心臓が冷え冷えになっているのだ。


「メル子〜」

「なんでしょう。寒い!」

「ご主人様のお薬は?」

「忘れていました。これです!」


 メル子は薬の入った袋を布団の中から取り出して床に置いた。


「メル子〜」

「なんでしょう」

「届かないよ〜」


 黒乃は布団から手を伸ばしたが、袋に届かない。


「ご自分で布団から出て取ってください! 寒い!」

「ううう」


 黒乃は布団を被ったままモゾモゾと芋虫のように這って薬の袋を手に入れた。自分の布団まで戻り、枕元の水で薬を流し込んだ。


「メル子〜」

「なんでしょう」

「お昼どうするの〜?」

「わかりません!」


 二人は布団の中から青い顔を見合わせた。確かにこのままでは、二人ともエネルギーの補充ができない。病気を治すにはエネルギーが必要だ。


「メル子、作って〜」

「無理です! ごめんなさい!」

「ご主人様に作戦がある」

「教えてください」

「アン子に作ってもらおう」

「名案です。寒い!」


 黒乃はプルプルと震える手を布団から出し、人差し指で玄関をさした。


「じゃあメル子、いってきて」

「無理です!」

「じゃあどうするのさ」

「メル子に作戦があります」

「教えて。寒い!」

「モールス信号をアン子さんに送ります」


 するとメル子は、床を指でコンコンと叩き始めた。


『--・-- ・-・-・ ---- -・-・- ・-・-・ ---- ・・ -・・・ ・-・-・ ・--・ ・・・- ・-・-- ・・・- -・ ・・ -・-・- ・-』


 しばらくすると、コンコンという音が床から伝わってきた。


『・-・ ・-・-・ ・-・-- ・・ ・-・-- ・・ ---・- ・・--』


 メル子はコンコンと打ち返した。


『--・・- ・・ -- ・・- -・-・・ ・-・-- ・・ ・・- ---- ・・ -・-- -・・- ・---・ ・-・-・』


 また音が返ってきた。


『-・- ・-・・ --・ -・・- --・-・ -・ ・・--』


「ご主人様、作ってくれるそうです」

「よくわからないけどすごい〜」


 一時間もすると、アンテロッテが部屋の前に現れた。玄関の外から声が聞こえた。


「デジュネをここに置いておきますわよー! お早めにお食べくださいな。それではお大事に。オーホホホホ!」


 そう言い残すと、アンテロッテは去っていった。黒乃達は朦朧とした意識の中でその声を聞いた。


「なんで部屋の中まで届けてくれないの〜?」

「私の悪性ナノマシンに感染する危険があるからです。ご主人様、ご飯を取ってきてください」

「嫌だよ〜、メル子取ってきて〜」

「私だって嫌です。寒いいいい!」

「自分が嫌なことを、なんで人にやらせるの!」


 黒乃は意を決して布団を被ったまま玄関まで這いずった。扉を開けると、目の前に蔓で編まれたお洒落なバスケットが置いてあった。上にはナプキンがかけられている。黒乃はそれをつかみ布団に戻った。


「ややややややったぞ、ハァハァ」

「ご主人様やりました。食料です!」


 黒乃はナプキンをめくった。分厚い陶器製の皿に、こんがりと焼けたホワイトソースが詰まっている。


「おおお、グラタンだぁ」

「カボチャのスープもあります。ありがたいです」


 二人は布団を被りながら、グラタンとスープを床に並べ食事を始めた。


「グラタンいい焼き目だ。エビ、ほうれん草、リーキ。どれも風邪の時に最適だよ」

「ハフハフ。このグラタン、体がとても温まります。あれ? これはリゾット! お皿の底にトロトロに煮込まれたリゾットが敷き詰められています! そしてリゾットの中には、サイコロ状のリンゴが入っています!」


 米にホワイトソースをかけてオーブンで焼く料理はドリアというが、これは日本で生まれた料理である。リゾットを使うのはドリアの原型となった『オマール海老のトゥールヴィル風』というフランスの古典料理に近い。


「カボチャのスープも濃厚でおいしいです!」

「ああ、カボチャの甘さで喉が潤う。待てよ? この濃厚だけどさっぱりとした味わい……これはヨーグルト! 隠し味としてヨーグルトが入っている! 風邪にはヨーグルト! アン子、ありがとう」


 黒乃とメル子は料理を完食した。たっぷりと食べて胃が落ち着いたからか、二人はそのままウトウトとし始めた。


「メル子〜眠い」

「私も眠いです」


 しかし熱が出ているせいか、震えが止まらない。眠気と寒気で意識が途切れ途切れになる。


「ささささ寒い!」

「寒いです!」


 黒乃は布団から頭だけ出してメル子を見つめた。


「ご主人様に名案がある」

「教えてください!」

「抱き合って寝よう」

「セクハラですか! 寒い!」


 黒乃は布団を被ったまま、芋虫のように床を這ってメル子の布団に近づいてきた。


「ぎゃあ! こないでください!」

「人間とロボットだから、お互いの病気はうつらないはず。抱き合って体温を逃がさないようにしよう」

「ううう、わかりました。命には代えられません」


 黒乃はスポンとメル子の布団の中に潜り込んだ。横を向いたメル子の背中に自分の胸をくっつける。腕を胸の前に回し、足を上から絡ませた。


「ぎゃあ! 汗をかいているから、ネチョっとします!」

「あああああったかーい」


 黒乃はメル子のボディを強く抱きしめた。お互いの震えが伝わってきたが、抱きしめているうちにそれが柔らぎ、代わりに温もりが染み込んできた。


「ふわー、やわらけー」

「今、おっぱいを触りましたよね!」

「触ってませんが」

「どうしていつも嘘をつくのですか……あたたかーい」


 二人はしばらくお互いの温もりを堪能した。メル子は体を反転させて黒乃の胸に顔を埋めた。腕を背中に回して密着する。

 しばらくそうしていると、睡魔に勝てなくなってきた。スースーという呼吸音が子守唄だ。温かさと安心感の中で二人は眠りに落ちた。



 窓から差し込んだ夕日が目に入り、メル子は目を覚ました。仰向けになった黒乃の上に覆い被さるようにうつ伏せで寝ていたようだ。寒気はすっかりおさまり、べっとりと汗をかいていた。

 目の前の黒乃は落ち着いた寝顔で呼吸をしていた。おでこに手を当てる。平熱。胸に耳を当て心拍数を測る。正常。薬が効いたようだ。

 その安らかな寝顔になぜか腹が立ったので、おでこをピシャリとはたいた。


「フゴッ!? フガフガ! メル子!?」黒乃は目を覚ました。

「おはようございます、ご主人様。お加減はいかがですか?」

「フガフガ、ぐっすり寝たせいか気分がスッキリした。おっぱいに襲われる夢見た」

「さいですか」


 メル子を抱きしめている腕からスルリと抜け出して、メイド服に着替え始めた。


「メル子〜、もう大丈夫なの〜?」

「もちろんです。分析の結果、体内の悪性ナノマシンはすべて活動を停止しました」

「よかった〜」


 いつもの緑のメイド服に着替えたメル子は、さっそく夕飯の準備に取り掛かった。


「今日くらい、もっとゆっくりしてもいいんじゃないの?」

「ダメです」


 冷蔵庫から食材を取り出し、包丁を入れていく。トントンというまな板を叩く音が、ぎこちないリズムを刻んだ。


「アン子の料理、おいしかったね」

「……」

「夕飯もアン子に作ってもらおうか?」

「絶対にダメです!」


 黒乃はテキパキと夕飯を作るメル子の後ろ姿を飽きずに眺めた。


「嘘だよ、メル子」

「……」

「メル子のご飯が一番だからね」

「……当然です」


 小さなメイドさんのいつもの鼻歌が、ボロアパートの小汚い部屋に響いた。


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