第79話 動物園です!
休日前の夜。黒乃とメル子は紅茶を飲みながら秋の夜を楽しんでいた。メル子はなにやら、金属の物体を弄くり回していた。
「メル子、またそれ秋葉原で買ってきたやつ?」
「はい、ギアです!」
メル子は二つのギアを組み合わせて回転させている。その人差し指には、絆創膏が貼られていた。
「ロボット用のギアなの?」
「まさかです! 今のロボットに、ギアなんてほとんど入っていませんよ」
「じゃあ、どうやって体動かすのさ」
「人工筋肉ですよ。関節を動かす仕組みは人間と同じです」
「ふーん」
黒乃は紅茶を飲みながら、メル子がギアで遊ぶのを眺めた。
「そうです、ご主人様。これを」
メル子はメイド服の内側から封筒を取り出した。
「んー? なにこれ?」
黒乃は封筒を開けて中を確かめた。中には四枚のチケットが入っていた。
「これ、浅草動物園のチケットじゃん! どうしたのこれ?」チケットの裏表をくるくるさせた。
「ゴリラロボが持ってきてくれました」
「ゴリラロボが!?」
以前ゴリラロボが黒乃達のボロアパートの前で倒れていたのを助けたお礼とのことだった。
「へー、ゴリラロボのくせして気が利くな」
「仁義に厚いですね」
「前回といい今回といい、ゴリラロボは動物園の出入り自由なのか……まあ有り難く使わせてもらおうか。明日は休みだし、さっそく遊びにいこう!」
「はい!」
——浅草動物園。
浅草寺の東、隅田川を挟んだ向かいに建てられた、ロボット専門の動物園である。敷地はさほど広くはないが、多種多様な動物ロボ達が飼育されている。
動物園の入り口は多くの人で賑わっていた。子連れが多いだろうか。
「うげ、やっぱり休みの日だから人が多いな」
「ご主人様! 楽しみですね!」
「ええ? ああ、うん」
その時、動物園にこの世のものとは思えぬ声が響き渡った。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! 出ました!」
「オーホホホホ! お招きいただきまして、感謝いたしますわー!」
金髪縦ロールのお嬢様、マリー・マリーが現れた。
「オーホホホホ! お嬢様は楽しみすぎて、昨日の夜は眠れなかったのですわよー!」
金髪縦ロールのメイドロボ、アンテロッテが現れた。
「やあ二人とも、もうきてたのか」チケットは四枚あったので、お嬢様たちを招待していたのだった。
四人は入り口のゲートを潜り抜けた。まず中央広場があり、その周囲には森林エリア、岩山エリア、流氷エリアが並んでいる。
「最初は森林エリアにいきますわー!」マリーは走りだした。
「マリーちゃん、待ってください! 走ったら危ないです!」メル子もマリーを追って走りだした。
「ふふ、二人とも子供だなあ。私達はのんびりいこうか。えへえへ」
「はいですわー!」
黒乃とアンテロッテも続けてあとを追う。
「見てほしいですわー! リスザルロボですのよー!」
マリーは小さな猿を手に抱えていた。体長三十センチ、尻尾はそれよりも遥かに長い。
「え!? マリー、それ触って大丈夫なの!?」
「ご主人様! リスザルロボ、可愛いですよ!」メル子もリスザルロボを抱っこしている。
「てかこの動物園って、檻とか柵とかなくない?」
黒乃は周囲を見渡した。多種多様な動物ロボがおり、皆来園者と自由に触れ合っている。
その時、木の影から真っ黒な豹が黒乃の目の前に現れた。体長百五十センチ。しなやかな体に、目が爛々と光り輝いている。クロヒョウロボだ。
「うわわわわわ! クロヒョウだ! 食べられる!」黒乃はアンテロッテにしがみついた。
「落ち着いてくださいまし。ロボ動物園の動物ロボは、とても安全ですのよ」
「ホントに?」
新ロボット法により、AIに安全機構を組み込むことは違法となっている。ロボットの特定の行動を機械的に抑制することは、そのロボットの自由意志を奪うことと同義であり、人権の侵害にあたる。
AIの行動は機械的な制御ではなく、教育や法律によって制御されるべきであるとするのが、新ロボット法の考えである。
よって『ロボットは人間に危害を加えてはならない』という原則は存在しない。
しかし、これは人権を有する人型のロボットの話であり、動物ロボットはまた別の扱いとなる。
「じゃあ、安全なのね!? 人間に危害を加えてはならないって、AIに組み込まれているのね!?」
「組み込まれておりませんわ」
黒乃はずっこけた。「じゃあ、今の話はなんだったの!?」
動物ロボは、法律上意図的にAIを制御することが可能になってはいる。しかし、昨今の動物ロボ愛護精神の高まりに配慮し、浅草動物園ではその制御を撤廃し、教育によって安全を担保している画期的な動物園なのだ。
「なるほど、だから檻も柵もないのか。どおりで、ゴリラロボが出入り自由なはずだわ……」
クロヒョウロボは、黒乃達の真横を通り抜けて去っていった。
「ほら、ご主人様もリスザルロボを抱っこしてください!」
「ああ、はいはい。ずいぶんおとなしいな」
メル子はリスザルロボを持ち上げると黒乃に抱かせた。するとリスザルロボは、急にジタバタと暴れだした。
「うわ、こら、暴れるな」
「なにか嫌がっていますね」
リスザルロボは、ピーピー鳴きながら木の上に逃げていった。
「あれ……手にうんこされたわ……」
四人は岩山エリアにきた。ゴツゴツとした岩場にいるのはライオンロボ、キリンロボ、ゾウロボなどの大型の動物だ。
「いやいやいや、さすがにライオンは無理でしょ」
「ライオンさんですわー!」マリーは岩山に駆け出した。ライオンロボの群れの中に入っていき、一匹のライオンの背中に跨った。
「怖いもの知らずすぎる……」
メル子が動物の餌を買ってきた。バケツにギッシリと肉や野菜が詰まっている。
「ご主人様! キリンさんに餌をあげましょう!」
「いいね! このロボニンジンをあげればいいのかな」
黒乃とメル子はロボニンジンを頭上に掲げた。すると、それを見たキリンロボがのっしのっしと近づいてきた。
「うわわわわ! デカい! 怖い!」
「さあ、お食べなさい」
四メートルの高さから首を下げて、メル子のロボニンジンを一口で頬張った。ボリボリと音をたてて噛み砕いている。
「すごい! 食べた! ほれ! 私のも食え!」黒乃は頭上に掲げたロボニンジンを大きく振った。
すると、キリンロボは黒乃の頭に齧り付いた。
「イダダダダ! こら! やめろ!」
それを見たメル子は大笑いした。しばらく齧り付いたあと、またのっしのっしと歩いて去っていった。
「痛ったー、なんやねん。あれ……靴にうんこされたな……」
次にきたのは流氷エリアだ。水の上に氷が浮いており、その上を歩くことができる。ここにいるのはペンギンロボ、アザラシロボ、イルカロボだ。
四人はスケート靴をレンタルして、氷上を滑走した。
「お嬢様ー! 餌のロボ魚を買ってまいりましたわー!」
「ペンギンさんにお魚あげますわよー!」二人はスイスイ滑って、ペンギンの群れに突っ込んでいった。
「あわわわわ! すっ、滑るッ!」黒乃は膝をガクガクさせながら氷を滑っている。
「ごごご、ご主人様! 危ないです! どいてください!」メル子は腕をぐるぐると回転させて、バランスを保とうとしている。
黒乃は突っ込んでくるメル子を避けようとして方向を変えた。しかし、その先は水だった。
「うわわわわー! 落ちるー!」黒乃が勢い余って水に落ちたと思った瞬間、奇跡が起きた。
「ご主人様!? なぜ水面に立っているのですか!?」
「あれ?」
黒乃の下にいたのは、シャチロボであった。八メートルもの巨体が、黒乃を上に乗せて泳いでいる。
「うおおおお! なんじゃこりゃ! おーい、マリー! アン子! ここだよー!」黒乃はペンギンの群れの中にいる二人に手を振った。
「なにしてますのー!」
「ずるいですわー!」
「フハハハハ!」
シャチロボが水面から飛び上がった。白と黒の流線型の体が、キラキラと光を反射した。その勢いで黒乃は宙に放り出され、アザラシの群れの中に落ちた。
「イテテテ」
「ご主人様、大丈夫ですか!?」メル子がフラフラしながら氷を滑ってきた。
「ああ、うん、大丈夫。でもアザラシのうんこの上に落ちたわ……」
四人は再び中央広場に戻ってきた。くたくたになってベンチに座り込んだ。
「あ〜疲れた〜」
「わたくしもシャチさんに乗りたかったですわー!」
「お嬢様、次はどこにいくでありんすえー?」
「みなさん、その前に紅茶を一杯どうぞ」メル子は水筒の紅茶を皆に振る舞った。
ピンポンパンポーン。
『只今より中央ステージにて、ゴリラロボによるゴリラ芸を開催します。皆様、奮ってご参加ください』
「お? ゴリラロボが芸するみたいだぞ」
「ご主人様! 見にいきましょう!」
中央ステージ。円形のステージがあり、その周りを取り囲むようにして、階段状の客席が設置されている。大勢の客が集まり、ゴリラロボの登場を心待ちにしていた。
「ゴリラさんはすごく頭がいいから、どんなお芸を見せてくれるのか楽しみですわー!」
「まあ、はっ倒してバナナ取る芸なんだけどね……」
その時、歓声が湧き上がった。ゴリラロボと飼育員がステージに登場した。
「きましたよ! ゴリラロボ、がんばってください!」
「ウホ」ゴリラロボはメル子に手を振った。
最初の芸は自転車を使った曲乗りだ。自転車のサドルの上に片手で逆立ちをする。もう片方の手で器用にペダルを回して、ステージをぐるぐると駆け回った。さらに足を使って、三つのボールをジャグリングした。
観客から大きな歓声が上がった。
「すごいです! ゴリラロボ!」
「すごいですわー!」
「ゴリラの限界突破してるだろ……」
次の芸は算数だ。飼育員がパネルに書かれた問題を掲げた。
『x^n+y^n=z^nとなる自然数の組みが存在する最大のnはいくつでしょう?』
「ウホ」
「わかるか!」
ゴリラロボは、数字が書かれたパネルの上をうろうろと彷徨っている。
「ゴリラロボ! よく計算して! がんばれば証明できるはずです!」
「ウホ」ゴリラロボは『2』のパネルを掲げた。
『正解です!』
大きな歓声が上がった。
「やりました、ゴリラロボ! フェルマーも真っ青ですよ!」
「ま、まあ。AI搭載してるからね」
いよいよ、最後の芸だ。もちろん、頭上にあるバナナを取る芸である。客席が静まり返った。緊張感で満たされていく。先端にバナナをつけた竿を掲げる飼育員。それを地面から見上げるゴリラロボ。
「なんでこの芸が一番難しいみたいな雰囲気になってるの?」
ゴリラロボは動けない。明らかに動揺しているようだ。
「がんばってください、ゴリラロボ! あなたならできます!」
「がんばれですわー!」
「応援してますわよー!」
客席からも応援の声が溢れてきた。しかし、ゴリラロボは動けない。ダラダラと汗をかいて震え、飼育員をじっと見ている。
「なんだ? どうした? 様子がおかしいぞ」
「どうしました、ゴリラロボ!? はっ倒してください!」
黒乃はあることに気がついた。ゴリラロボは、飼育員の人差し指をチラチラと見ているのだ。
「あれは……そうか!」黒乃は立ち上がった。そしてステージに向かって駆け出した。
「ご主人様!?」
黒乃はステージに乱入すると、飼育員からバナナ竿を奪い取った。そしてゴリラロボに向けて構えた。
「さあ! ゴリラロボ、こい!」
「ウホ!」
ゴリラロボは黒乃の胸に張り手をかました。黒乃はその勢いで吹っ飛ばされ、餌箱に頭から突っ込んだ。
ゴリラロボは落ちた竿からバナナをもぎ取ると、器用に皮を剥いてムシャムシャと食べた。
観客から今日一番の大歓声が上がった。割れんばかりの拍手がステージにこだました。ゴリラロボと飼育員は一礼をしてステージを降りていった。
「イテテテ、あー、ひどい目にあった」黒乃達は浅草動物園をあとにした。
「楽しかったですわー!」
「またきたいですわー!」
お嬢様たちは大満足だったようだ。マリーはアンテロッテにしがみついて、キャッキャと騒いでいる。
「大丈夫ですか、ご主人様」メル子は黒乃の背中に手を回し心配している。
「ああ、まあ平気平気」
「でもなぜゴリラロボは、飼育員さんをはっ倒せなかったのでしょうか」
「ああ、あれね。飼育員さん、人差し指を怪我してたんだよ。絆創膏貼ってあった」
「……怪我を気遣って、はっ倒すのを躊躇したのですね」メル子は黒乃をじっと見つめた。
メル子は少しむくれている。
「ん? メル子、どした? ご機嫌斜め?」
メル子は人差し指を黒乃に見せた。その指には絆創膏が貼られていた。
「あれ? その指どしたの? 怪我した?」
「昨日包丁で指を切ったのですよ。気がつかなかったのですか?」
「まったく」
「もう!」
メル子は黒乃の前を腕を組んで歩き始めた。
「ごめんごめん、怒らないでよ」
「なんですの? 夫婦喧嘩ですの?」
「夫婦喧嘩はゴリラロボも食いませんわ」
「「オーホホホホ!」」
お嬢様の高笑いが浅草の町に響き渡った。




