第78話 ステーキもりもり!
夕方の団欒。黒乃とメル子は紅茶を飲みながら、まったりとした時間を楽しんでいた。
「フンフンフーン」メル子は鼻歌を歌いながら、テーブルの上でなにかを転がして遊んでいる。
「メル子、それなに?」
「ネジです!」
メル子の手には、ゴツいネジが何本か握られていた。
「それ、なにに使うの?」
「ご主人様、お忘れかと思いますが、こう見えてメル子はロボットなのですよ」
ネジを指で弄りながら答えた。
「いや、まったく忘れてないけど」
「実はこう見えて、美少女ロボットなのですよ!」
「別に疑ってないよ」紅茶をクピクピと口に含んだ。
ネジに嵌められている六角形のナットを、指で弾いてクルクルと回転させた。
「え? じゃあそのネジは、メル子の部品なの?」
「ご冗談を! こんなデカいネジが嵌っていたら、重くて仕方がないですよ。これは秋葉原で買ってきた、百年前の骨董品です」
イマイチ要領を得ない。メル子はうっとりしながらネジを弄り回している。
「で、けっきょく、そのネジはなんなの?」
「ネジを嗜んでいるのですよ! ロボットの嗜みです」
「わかんねー」
人間がクラシックな器や時計を嗜むようなものであろうか。古きよきロボットの時代に、想いを馳せているのかもしれない。
黒乃は紅茶をグイッと飲み干した。「じゃあ、そろそろいこうか」
「はい!」メル子は立ち上がった。
——秋葉原。
家電の町、オタクの町、メイド喫茶の町。時代とともに激しく移り変わる町。二十二世紀現在は、なんの町になっているのであろうか。
「うふふ、あはは」メル子は緑が鮮やかなメイド服の袖をバサバサと翻しながら、秋葉原の町を歩いた。
「そのメイド服、気に入ったのかな?」
「もちろんですよ。見てくださいここ! 三つ葉のクローバーの中に、四葉が隠れているのですよ!」袖の先を指さし、自慢げに言った。
「ほえー、気がつかなかった。んで、今日はなにを食べに秋葉原まできたんだい?」
「おやおや、ご主人様ともあろうお方が、秋葉原がなんの町なのかをご存知ないと?」
「どういうこと!?」
メル子はピョコリと飛び跳ねて、通りに向けて手を広げた。
「秋葉原は、ステーキの町なのですよ!」
「ステーキ!?」
秋葉原は二十一世紀初頭からグルメ街へと変貌し始めたが、その中でも特に勢力を伸ばしたのがステーキハウスだ。
肉のロボ世をはじめ、ローボーズ、ミートロボナリー、1ポンドステーキハンバーグロボルなど、有名店がひしめく。
「ステーキかあ。なんでメル子はそんなん知ってるのさ」
「私はロボットですから。パーツを探しに秋葉原にはよくくるのです」
「そんでネジを買ってきたんかい」
「ロボオ会館で格安で売っています」
二人は秋葉原駅を潜り抜け、電気街へとやってきた。メインの通りを抜ければ、秋葉原と言えど閑散としたものだ。その路地に店はあった。
「ここです。その名も『ロボぱりステーキ』です!」
「ほえー、ここが『ロボなりステーキ』か〜。聞いたことあるな」
「ご主人様!!!」
「声でかッ、なによ」
黒乃はビクンと震えた。
「ロボなりステーキではありません。ロボぱりステーキです! ぜんぜん違うお店ですよ!」
「なにが違うのさ」
「色々と言いにくいので、ロボぱりステーキは沖縄発祥とだけ覚えておいてください」
「沖縄かあ! 沖縄はステーキハウス多いもんね。にしても、ネーミングが限界突破してるだろ……」
二人は店に入った。ハイテク、タッチパネルの食券制である。
「ほーほー、ミスジにロースにイチボにヒレ? サーロインもあるのね」
「どれも美味しいのですが、やっぱり初心者はミスジをオススメします」
「ほうほう、いいね。それでいこう」
黒乃はミスジ150グラムを選択した。ミスジは肩甲骨付近の肉で、柔らかい肉質だ。
「なにをやっているのですか!」
「え!?」
「小娘ではないのですから、300グラムいってください!」
メル子はかってに300グラムのボタンを押した。
「ええ? 多すぎない? そんなに食べられないよ」
「ロボぱりステーキのミスジは、ほぼ赤身です。300でもペロリですので、ご心配なく」
メル子も同様に、ミスジ300グラムの食券を購入した。
「こちらのテーブル席へどうぞ」笑顔の店員が二人を席に案内してくれた。二人は座席に着き、紙エプロンを装着した。
「あれ、メル子。ステーキしか買ってないよ。ライスはないの?」
「ご主人様、このお店はバイキング方式なのです。ライスもスープもサラダも、食べ放題なのですよ」
「マジで!? この値段で? 嘘でしょ。じゃあさっそく、バイキングコーナーから取ってこよっと」
しかし、メル子はそれを制した。
「お待ちください。バイキングは私がいってまいります」
「ああ、そう。さすがメイドさん」
メル子は速やかにバイキングコーナーへと向かい、ライス二皿と空の皿を二枚持って席に戻ってきた。
「あれ? ライスだけ? スープとサラダは?」
「そんな暇はありません……」
「どゆこと?」
「ご主人様……ロボぱりステーキは戦場なのです」
すると、メル子はライスに刻みニンニクを乗せ始めた。
「なにしてるの!?」
「ガーリックライスの準備をしているのですよ! ご主人様も真似をしてください!」
「ガーリックライス!?」
メル子はライスに醤油をぶっかけた。その上から、黒胡椒の雨をガリガリと降らせていく。
「なにこれ!?」
「ライスをよくかき混ぜてください! 急いで!」
そこへ店員が、ジュージューと派手に音をたてているステーキを運んできた。「お待たせいたしました〜」
鉄板の上には、巨大な肉の塊がゴロンと転がっていた。バチバチと油が跳ね、モクモクと湯気をたてている。
「ウヒョー! デカい! こんな塊でくるんだ!」
「ふふふ、すごい迫力でしょう? ちなみにこれは、鉄板ではなく溶岩プレートです。さあ、ここからが勝負ですよ!」
メル子は肉の塊にナイフを入れた。二センチメートルの厚さにカットしていく。肉汁が溢れ出し、溶岩プレートの上で祭りが始まったかのように騒ぎ出した。
「うおお! 中はまだ真っ赤だ! これを溶岩プレートで焼きながら食べるのね」
「そうです。大急ぎでカットをして、しっかりと両面を焼いてください」
「オーケーオーケー」
黒乃もメル子の真似をして、カットされた肉を焼いていく。するとメル子は、焼いた肉を空の皿にすべて移した。
「いやメル子、まだ焼けてないでしょ。早いよ」
「これでいいのです。とりあえず、外側をきっちり焼けば中は赤くても食べられます」
そしてメル子は、空になった溶岩プレートの上にライスを全部乗せた。
「なにしてるのそれ!?」
「ガーリックライスを焼いているのです!」
「いいの? そんなことして!」
「これはお店が推奨している食べ方です! さあ、ご主人様も早くライスを!」
黒乃も慌ててライスを溶岩プレートに乗せた。ニンニクと醤油と米が焼ける香りが、二人を包み込んだ。
「ウヒョー! いい香り!」
「これは溶岩プレートだからこそ成せる技です。鉄板に比べて保温性能が高いので、ライスと肉の両方を焼くことができるのです」
メル子は焼けたガーリックライスの上に、カットしたステーキを乗せた。
「こうすることで、中が赤い肉にゆっくりと熱が入っていきます」
「なんだこのビジュアルは!? 溶岩プレートの上にガーリックライス、その上にステーキ! これはもう溶岩ステーキ丼だ!」
「そのネーミング、いただきました」メル子は黒乃を指さして小悪魔的に笑った。
「こら! ご主人様を指さすな!」
「さあ、ここまでくればもう安心です。焼き上がるまで、バイキングを楽しみましょう」
二人はバイキングコーナーにいき、スープとサラダを持ち帰った。スープは玉子スープ、サラダはキャベツの千切りにマカロニだ。
「うわっ、なんだこの玉子スープ。食べたことない味だ。優しい味わいでうめー」
「これは沖縄っぽい玉子スープです。沖縄の味がします。心が南国になります」
続いてサラダを掻き込む。山盛りのキャベツにドレッシングがかけられ、脇にはマカロニが添えられている。
「この島唐辛子ドレッシングうまっ。そして辛っ! 辛いサラダって珍しいな。そしてこのマカロニ! ……マカロニだ」
「私はシークヮーサードレッシングです。さっぱりとした風味がたまりません! そしてマカロニは! ……マカロニです」
黒乃は卓上を見渡した。「今気がついたけど、卓上調味料多すぎない?」
テーブルの上には、十五種類もの調味料がズラリと並べられている。
塩、胡椒、醤油、刻みニンニク、ワサビ、ニンニク醤油、A1ソース、和風醤油ダレ、オニオンソース、ハバネロソース、ポン酢、タバスコ、フルーツソース、謎のスパイス二種。
「これだけあれば、一口ごとに味変しながら楽しめますね。さあご主人様、お肉を食べましょう!」
「よし! じゃあまずは、塩からいこうかな」
黒乃は塩のミルをガリガリと回し、肉に振りかけた。そして口に運ぶ。
「んん!? 柔らかい! ミスジいうから筋張った肉質かと思いきや、歯でスッと噛み切れる。しかし肉ならではの噛みごたえもしっかりある。噛むごとに肉汁がジュワジュワと溢れ出す! 塩のシンプルな味付けで、肉本来の旨みが歯を通して脳に伝わってくるよ!」
メル子はガッツリとニンニク醤油で攻めた。
「このお肉の柔らかさの秘密は、溶岩プレートにあります! 溶岩プレートで焼くと、ふっくらジューシーに焼き上がるのです! そして、やっぱり日本人はニンニク醤油! これに勝るソースは世界中探してもございません! ニンニクの鮮烈な香りと、醤油の旨みが肉の味を引き立てます!」
黒乃は溶岩プレートの上に敷かれているガーリックライスを掬った。
「おお! おこげができてる。ハフハフ、うまい! ニンニクの香りと醤油の香ばしさが、米の中に閉じ込められている。これはもう単なる主食ではなく、おかず兼主食だ!」
「溶岩プレートで作るガーリックライス。こんな贅沢があるでしょうか! お米さんありがとう!」
二人は次々に味変をしながら、ステーキを胃袋に収めていった。
「ぐあー! ハバネロソース激辛だ! でもうまい! それにしても、溶岩プレートすごいな。まだ肉が焼けるよ」
「A1ソースの酸味がたまりません! 沖縄の方は、このソースが大好きらしいです」
バクバクと肉とガーリックライスを口に詰め込み、とうとう溶岩プレートの上は空になった。
「ふー、うまかった。やっぱり肉は満足度が高いわ」
「ご主人様、今満足と仰いましたか?」
「ええ? ああ、うん」
「満足するにはまだ早いのですよ」
メル子は指に挟んだ二枚の食券を見せた。
「なにその食券は?」
「これは『替えバーグ』です」
「そんな日本語ないじゃろ……」
食券を店員に渡すと、間もなくして新しいプレートがやってきた。その上には小さなハンバーグがちょこんと乗っており、ジュージューと音をたてていた。
「なにこれ、可愛い」
「これは、ハンバーグ100グラムです」
ロボぱりステーキには、あとから肉を追加オーダーできる『替え肉』システムがあるのだ。
黒乃は箸でハンバーグを割いて口に入れた。
「ハフハフ、熱い! あー、とろけるように柔らかい。ステーキをガシガシと噛んだあとだから、なおさらだな」
「心が落ち着く柔らかさです。締めにピッタリです」
「締め? そうだ!」
黒乃は立ち上がると、バイキングコーナーからスープとライスを持ってきた。
「ご主人様、それはなにをしているのですか?」
黒乃は玉子スープの中にハバネロソースを数滴、刻みニンニクをひと匙、そしてライスを投入した。
「なんですか、それは!?」
「ムフフ、締めの激辛おじやだよ。ちょっとお下品だけどね」
黒乃はたっぷりとスープの旨みを吸い込んだライスを、ズズズとすすった。
「うまっ! 玉子スープの優しさが米に染み込んでる……辛ッ!!」黒乃は辛さのあまりむせた。
「大丈夫ですか。まったく、ご主人様にはかないませんね。そんな技を編み出すとは」
「ゲホゲホ。あー、辛いけどうまい」
二人は店を出た。秋葉原の夜は早い。電気街はとっくに店を閉め、人もまばらだ。暗く冷たい空気が、二人のほてった体を心地よく冷ましてくれた。
「やっぱりステーキはいいね」
「ご馳走といえば、やっぱりステーキですよね」
「うん」
トボトボと並んで歩き出す。
「でもね」
「はい?」
「一番のご馳走は、やっぱりメル子の手料理かな」
「いきなりなんですかもう」
二人は腕を組んで、浅草の我が家へ向けて歩き出した。




