第77話 かくれんぼです!
「フンフフーン。今日のご飯はアヒアコでーす。アヒアヒアヒアヒ、アヒアコでーす。鶏肉、じゃがいも煮込みますー。アボカド、ケッパー添えましてー、ご主人様もアヒアヒでーす。フンフフーン」
夕方、メル子は黒乃が仕事から戻るのを料理をしながら待っていた。アヒアコはコロンビアの伝統的なスープだ。
「フンフフーン、よし。これで完成です!」
メル子は鍋に蓋をして火を落とした。その時、ちょうど黒乃が仕事から帰宅した。
「ふー、ただいまー、メル子」
「お帰りなさいませ、ご主人様」メル子はペコリとお辞儀をした。「今日はお早いお帰りですね」
黒乃は紙袋を床に投げ出すと、ドカっと床に寝転んだ。
「ふいー、疲れた」
「お疲れですか」
「うん」黒乃は床にゴロゴロと転がり、ケツをポリポリとかいた。
「メル子〜、膝枕して〜」
メル子はカチャカチャとティーセットの準備をしながら適当にあしらった。「メイドポイントがゼロなので、膝枕はできません」
「貯まるそばから使っちゃうから、永遠に貯まらないんだよな、このポイント」
「残念です」
「メル子〜、膝枕〜」
「ダメなものはダメです」
「そんなこと言うとご主人様、別のメイドロボのところにいっちゃうぞ」
「ご自由にどうぞ」
黒乃は不貞腐れて屁をこいた。
「そうだメル子、ちょっとこっちおいでよ」黒乃が手招きをする。
「なんですか。今、お茶を淹れているのですよ?」
「いいからいいから」
「なんですかもう」
メル子は仕方なく黒乃の前に座った。メイド服の袴を器用に折り畳み正座をする。
「ふふふ」
「なんですか?」
「目を瞑ってごらん」
「え!?」
すごい笑顔でメル子を見つめる黒乃。なにかを企んでいる顔だ。
「イヤですよ。エロいことをするつもりでしょう」
「しないよ。いいから目を瞑って」
メル子は渋々まぶたを閉じた。「これでいいですか?」
なにやら、ゴソゴソとした音が聞こえた。黒乃が紙袋を漁っているようだ。
「え? なんですかそれ」
「ダメだよ目を開けたら。いいと言うまで閉じてて」
「なんですなんです」
メル子も興味が湧いてきたようだ。紙袋のゴソゴソ音が消えた。
「ご主人様、なんですかそれ。ひょっとして私への……えへへ」
メル子はソワソワとしている。足の指をモジモジと動かした。
「もうご主人様、そういうのはあらかじめ言っておいてくださいよ、うふふ。いきなりはダメですって、えへへ。そろそろ目を開けてもいいですか? まったく、どこからその紙袋を持ってきたのですか。だから今日はお仕事を早めに終わらせたのですか、ふふふ。ご主人様? そろそろいいですか? まあ私も普段からお仕事をがんばっていますからね。ご褒美というかなんというか、そういうのもあってもおかしくはないというか、へへへ。そういうふうに思ってはいますけど、自分から言うのは違うと思っていましたよ。ご主人様? 言っておいてくだされば、私の方でもなにか用意とかしたのですよ。そろそろいいですか? まあこういうサプライズ的なのも嫌いではないですよ。いくつになってもこういうのは楽しいですからね。なんだろうな、楽しみだな。ご主人様? ケーキとか作った方がよろしいですか? なにかパーティ的なというか。ご主人様? ご主人様!? 目を開けますよ!? ご主人様!!」
メル子は目を開けた。そこには誰もいなかった。
「って、いないし!!!!」
メル子はキョロキョロと部屋を見渡した。誰もいない。紙袋を確かめたが、中は空だ。しかし、床に一枚の紙切れが落ちているのに気がついた。それを拾い上げる。コピー用紙にボールペンで文字が書かれていた。
『ご主人様を見つけられたら、ご褒美があるよ』
メル子は紙切れを床に叩きつけた。「なにをしているのですか!」
ハァハァと息を切らして部屋を見回した。部屋の中はしんと静まりかえっている。
「そういうことですか、わかりました。なかなか面白そうです。その挑戦、受けて立ちますよ!」
メル子は勢いよく立ち上がった。青いメイド服の袖がバサバサと音を立てた。
「分析をしましょう。この小汚い部屋で隠れられる場所は、たったの二箇所しかありません」
一つ目はバスルーム兼トイレ。
二つ目は押し入れだ。
「バスルームは人が入ると、自動的にライトが付く仕組みです。今は消灯しています。つまりバスルームには誰もいません。となると押し入れですが、今押し入れの前にはご主人様の上着が落ちています。一見すると、上着を脱いで押し入れに入ったように見えますが、これは罠です! こんなあからさまな罠に、私が引っかかると思いましたか? ちゃんちゃらおかしいですよ!!」
メル子は玄関に向かった。
「ふふふ、抜かりましたね、ご主人様。靴が変わっています。いつも履いていく靴ではなく、別の靴が玄関に揃えられています。つまり、ご主人様はいつも履いていく靴の代わりに、偽装として別の靴を置いたのです。ご主人様はすでに、いつもの靴で外に出ていったのです!」
メル子は玄関から飛び出た。夕日がメル子の青いメイド服を照らした。
「私の超高性能AIを騙そうとしてもそうはいきません! すべてお見通しなのですよ!」
メル子は階段を下り、一階のマリーの部屋の前まできた。
「ふふふ、さあて追い詰めましたよ。ご主人様は、上着を部屋に置いたままにしてあります。つまりこの寒い中、そう遠くへはいけないのです。このボロアパートのどこかに隠れていると考えるのが妥当でしょう」
ドアベルを鳴らした。
「どなたですのー?」部屋の中からアンテロッテの声が聞こえた。少しすると扉が開いた。
「あらメル子さん、どうかしましたの?」全裸にシーツを巻きつけたアンテロッテが現れた。
「なぜ全裸なのですか!?」メル子は部屋に押し入った。
「なんで勝手に入るんですのー!?」
部屋の中は、巨大な天蓋付きのベッドでぎゅうぎゅうになっている。そのベッドの上には、全裸のマリーが寝ていた。
「なぜ全裸なのですか!?」
「わたくし達、お昼寝する時はいつもこの格好ですのよ」
「風邪をひきますよ。ご主人様! どこですか!」
メル子は勝手にマリーの部屋の中を探し始めた。バスルーム、押し入れ、ベッドの下、どこにもいない。布団をまくり上げる。いない。
「寒いですの!」
「ハァハァ、おかしいです。いません……こんなはずでは。待てよ、ご主人様は言いました。別のメイドロボのところにいっちゃうぞと。そうです! あれがヒントだったのです! それではお二人とも、ごきげんよう!」
メル子はマリーの部屋を飛び出しバタンと扉を閉めると、どこかへ向かって走り出した。
「なんだったんですの、今のは……」
メル子はメイドロボルベールの紅茶店『みどるずぶら』までやってきた。もうだいぶ陽が落ちてきている。いつもなら、店から煌々と溢れ出す灯りが心を落ち着かせてくれるが、今日はそれどころではない。
「ルベールさん! ご主人様いますか!?」メル子が店内に突入した。
「あらメル子さん、いらっしゃいませ」ルベールはカップを磨きながら出迎えてくれた。
「ハァハァ、ご主人様いますか?」
「黒乃様なら、ずいぶん前にお帰りになられましたよ?」
「やはり、きていたのですね!?」
メル子は店を飛び出した。
「きていたのは数時間前ですが……いってしまいましたね」
メル子は走っていた。
「そんなバカな。ご主人様は移動している!? それでは見つかるわけがないではないですか! ずるいです! 反則です!」
メル子は走った。
「でも諦めません。絶対にご主人様を見つけます!」
今度は隅田公園にやってきた。陽が落ちた公園はカップルの聖地だ。川を走る水上バスの光が今は恨めしい。
「ご主人様ー! どこですかー! 出てきてくださいー! メル子ですよー! どこですかー!」
メル子は、大声で黒乃を呼びながら公園を探し回った。周囲のカップルが、メル子を珍しそうに眺めた。
「ハァハァ、いません。もう隠れられそうな場所なんて……」
メル子はトボトボと歩き出した。そうとう走ったので、息は乱れ足は重い。目には涙が溜まっていた。
「ご主人様……どこですか……」
ロボットの眼球には、冷却液兼保護液兼洗浄液の膜が張られている。感情が昂り加熱した電子頭脳を冷却するために、冷却液が大量に生成される。余った冷却液は、眼孔や鼻腔から排出されるのだ。
路地を歩いた。この時代、光害の観点から街灯は薄暗くされている。
暗い道を歩いていると、急に怖くなってきた。今まで一人で夜道を歩いたことなどなかったのだ。いつもは黒乃が一緒だ。
メル子は再び走り出した。その勢いで涙がこぼれた。
「もう! ご主人様! どこですか!」
走った先はボロアパートだ。帰る家はここしかない。ギィギィと音がする階段を上り、部屋にたどり着いた。扉を開けて中に入る。出る時に電灯を消し忘れていたのに気がついた。
床にへたり込むと、また涙が溢れてきた。
「ご主人様……ひょっとして、膝枕をしてあげなかったから、怒って出ていってしまったのでしょうか……」
メイド服の袖で涙を拭った。
「本当に別のメイドロボのところへいってしまったのでしょうか……」
床に突っ伏して震えた。
「メル子はひとりぼっちになってしまったのでしょうか……」
涙が頬を伝って床を濡らした。
「ご主人様……帰ってきてください……」
その時、押し入れから物音がした。メル子はビクンと体を震わせると、勢いよく起き上がった。
「まさか!?」メル子は押し入れを開けた。
すると、そこには申し訳なさそうな顔をした黒乃が、布団の上に寝転んでいた。
「やあ、メル子。まさか外に探しにいくとは思わなかったよ」
「……」
「メル子? ごめんごめん」黒乃は押し入れから這い出てきた。「ホントごめんて」
「……」メル子はプルプルと震えている。そして黒乃の胸の中へダイブした。
「どるえほどえしやがちてぃやとおぼっででゅんでぇずぎゃ!」
涙と鼻水を垂らしながら叫ぶので、なにを言っているのかわからない。
「ぼぅにどぉどあべあいぎゃどおぼびばびだぁ!」
黒乃の平たい胸に顔を擦り付けながら喚いている。黒乃はメル子の背中をポンポン叩いた。優しくさすっていると、そのうち落ち着いてきた。
「ごめんよ、メル子。でも、ご主人様がどっかにいくわけないでしょ」
「本当でじゅか……」
「本当だよ。そうだ、ご主人様を見つけられたらご褒美あるって書いてあったでしょ。あれも本当だから」
黒乃は押し入れの布団の上から包みを取った。
「さあ、開けてごらん」
メル子は紙の包みを開けた。すると中から出てきたのはメイド服であった。
「これは……」
緑色の生地が鮮やかな和風メイド服だ。三つ葉のクローバーの模様が艶やかな気持ちを呼び起こす。
「会社の帰りに、ルベールさんのところに寄って受け取ってきたんだよ。ほら、これで赤、青、緑のメイド服が揃ったでしょ? 三原色だよ!」
メル子は緑色のメイド服を受け取るとそれを抱きしめ、また黒乃の胸に顔を擦り付けた。
「なんだなんだ、急に甘えんぼさんになったな」
「……」
その晩、メル子は新しい香りのするメイド服を抱きしめたまま眠りについた。




