第70話 お好み焼きです!
『まもなく〜、たまプラーザ〜、たまプラーザ〜』
夕方の日差しの中を列車がひた走る。田園都市線ののどかな街並みが背後に過ぎ去り、駅のホームを目指す。
「ご主人様! 私、横浜は初めてです!」
「ほとんど東京から出ないからね」
黒乃はミニメル子を抱っこして、外の景色を見せていた。浅草から地下鉄で表参道へ。そこから一回の乗り換えで、たまプラーザまで一直線だ。
小さくなっても、メイド服を着たメル子はものすごく目立つ。駅で何回も親子と間違われた。ちなみに、ミニメル子は幼児扱いで無料で電車に乗れた。
「横浜って、けっこう山の中なのですね」メル子は景色を眺めながらつぶやいた。
「人口日本二位の巨大都市だけど、その町はほぼ山に広がっていると言っていいのだ」
窓から見える景色はほぼ斜面。山の斜面に張り付くようにして、住宅地が形成されている。平らな地面は港付近にしかない。
横浜の人口は370万人。そのほとんどの人々は、山の中に生息しているのだ。
たまプラーザ。横浜市最北端の駅。住宅地の中にある、落ち着いた雰囲気を持つ大人の町だ。
「綺麗な町ですね」メル子は黒乃のジーンズをつまみながら、ピコピコと歩いている。
「比較的新しいところだからね」
駅を出ると、即坂道だ。
「いい景色ですね! 遠くまで一望できます!」
たまプラーザ駅の標高は五十メートル。遥か川崎方面まで見渡すことができる。二人は坂道を下り始めた。
「ご主人様、今日はお好み焼きを食べるのですよね?」
「そうだよ。お好み焼きの名店がこのたまプラにあるんだよ」
「ご主人様は兵庫県の尼崎出身ですので、やはりお好み焼きはよく食べていたのですか?」
黒乃は懐かしそうに子供のころを思い出した。
「もちろん、しょっちゅう食べていたよ。家族で鉄板を囲んでね」
「へー」メル子は黒乃を見上げた。黒乃は遠くを見ているような目をしている。
坂を下り、商店街を少し進むと、もう目的の店に到着だ。目立たない、さりげない店構えである。
「ここですか。『ロボくま』ですね」
「そう、ここが大阪人をも唸らせる、新感覚のお好み焼き屋だ。大人気で、予約なしには入れないのだ」
黒乃は扉を開け中に入った。テーブル席がいくつかの、こぢんまりとした店構えだ。とても清潔で柔らかい雰囲気がする。
「あ、女将さんども」女将さんロボが出迎えて二人は席に通された。テーブルには大きな鉄板が据え付けられている。鉄板はピカピカに磨き上げられており、顔が映りそうだ。
「ほえー……アットホームなお店ですね」
「ふふふ、そう感じるかい。お好み焼きは関西では家庭料理だからね」
女将さんロボが、水とおしぼりを持ってきた。
「女将さん、チーズ焼きお願いします。あと牡蠣を」
「ありがとうございます」女将さんロボはニコニコしながら注文を受けた。鉄板に火をつける。
「お好み焼きを食べにきたのですよね!?」
「ふふふ、この店はお好み焼きはデザートなのだ。注文はまだ早い」
「お好み焼きがデザートとは……?」
まもなくすると、チーズ焼きと牡蠣が運ばれてきた。チーズ焼きを鉄板の上に広げてくれた。
「これはなんですか? 綺麗ですごく美味しそうです!」
「これがロボくま名物、チーズ焼き」
鉄板の上では、ホワイトソースとチーズがグツグツと煮立っている。その中にはマカロニ、アスパラ、トマトなどの具材が潜んでいる。
「見てよ、このビジュアルを。グラタンが鉄板で焼かれているようだろ」
「白、赤、緑の色合いがたまりませんね! いただきます!」
黒乃とメル子は手に小さなヘラを構えた。ヘラでチーズを鉄板から掬い上げて、口に運ぶ。
「ハフハフ、熱い! 熱いけど……美味しいです!」
「このトロトロがたまらんよな。言うなれば、イタリア風のもんじゃ焼きだ」
メル子はバクバクと口にチーズ焼きを運んでいく。止まらないようだ。
「待て待て、メル子。チーズ焼きはいったん放置して、牡蠣を食べよう」
「はい!」
黒乃は牡蠣を鉄板の上に乗せた。大ぶりの牡蠣が、鉄板の上でじゅうじゅう音をたてながら踊っている。
「ずいぶん大きい牡蠣ですね」
「広島産の牡蠣ね。広島産は焼いても身が縮まらないのが特徴だ」
「うわー、身が膨らんできていますよ」
「さあ、もう食べていいよ」
メル子は鉄板から牡蠣を取り、小皿のポン酢につけて口に運んだ。熱々の牡蠣を噛み締めると、中からジュワリと汁が溢れ出す。
「んん! 中から美味しいお汁がピュピュッと飛び出してきます!」
「うーん、この濃厚さ、クリーミーさ、ポン酢の酸味。海を食べてるって感じだ〜」
「あ、ご主人様! チーズ焼きが焦げてしまいますよ。早く食べないと」
牡蠣を食べている間に、チーズ焼きに火が入りすぎてしまったようだ。焦げができている。
「ふふふ、それでいいのだ」黒乃は小さなヘラを使って、チーズの焦げを剥がしていく。
「この焦げた部分が美味いのだよ」
メル子も同じように、焦げを剥がして食べてみた。
「パリパリしていて、香ばしくて、美味しいです! さっきまでのトロトロとはまるで違う食感です!」
「この変化が楽しめるのが、鉄板のいいところだよね。女将さん、チーズ焼きおかわり、あとブタ玉、納豆玉、牛すじ玉お願いします」
「チーズ焼きおかわり!?」
「チーズ焼きだけ無限に食べていたい気分になってしまう美味さだぁ」
女将さんロボが、追加のチーズ焼きを鉄板に乗せた。さらに山盛りの千切りキャベツが入った金属カップが、三つテーブルに置かれた。
「ご主人様、サラダが三つもきましたよ? 注文しましたっけ?」メル子はチーズ焼きをヘラで掬いながら不思議に思った。
「これはサラダでなくて、お好み焼きだよ」
「これが!?」
キャベツの上には、トロリとした白い液体がかけられている。
「このトロッとしたのは、ドレッシングではないのですか!?」
「それが生地だよ」
「いや、生地が少なすぎですよ! これでは固まらないではないですか」
「ロボくまのお好み焼きは、固まらないのだ。『液体』なのだ」
「ちょっと、なにを言っているのかわかりません……」
メル子は呆然とカップを眺めた。
「では、お好み焼きを焼きましょうか」あらかたチーズ焼きを食べ終えたメル子は、お好み焼きのカップに手を伸ばした。
「こら、メル子! めっ!」黒乃はメル子の手をヘラでパシッとはたいた。
「ミァー! 痛い! なにをするのですか!」
「いくらメル子といえど、ロボくまのお好み焼きを焼くことは、不可能なのだ。焼けるのは、女将さんロボしかいないのだ」
すると、女将さんロボがニコニコしながらテーブルへやってきた。
「それではお焼きしますね」
「お願いします」
女将さんロボはカップを手に取ると、スプーンを使いキャベツをかき混ぜ始めた。コッコッコッとスプーンが小気味良い音をたてる。みるみるうちにキャベツが生地を纏い、キラキラと美しく輝いた。
それを鉄板に乗せ、丸く広げた。キャベツの上に、ブタや納豆の具材を乗せていく。
「すごい鮮やかな手際です! 見ているだけで楽しくなります!」
「そうだろう。女将さんロボの焼きは、世界一だからね」
すると女将さんロボは、厨房の方へ戻っていった。
「お好み焼きを焼いているというより、キャベツのサラダを焼いているという感じですね」
「そう。実際サラダ感覚で食べてほしいというコンセプトの一品なのだ」
二人はお好み焼きが焼ける様を無言で見つめた。
「ご主人様、そろそろ裏返しましょうよ」メル子がヘラに手を伸ばそうとした瞬間、またも黒乃に手をはたかれた。
「ミァー! 痛い!」
「慌てなさんな。全部、女将さんロボがやってくれるから」
丁度いいタイミングで女将さんロボがやってきて、お好み焼きを次々と返していく。ほとんど固まっていないお好み焼きを、形を崩さずにひっくり返すのは至難の業だ。
そして、両面が充分焼けたところで仕上げに入った。残りの具材をトッピングし、たっぷりとソースを塗る。ジュワーというけたたましい音とともに、ソースの香りが二人を貫通する。さらにマヨネーズをかけて完成だ。
「うわわわわ! とんでもないビジュアルです! えげつないです!」
「白と黒が鉄板の上で煮えたぎっている。これはもう、お好み焼きの噴火口だ!」
「さあ、お召し上がりください」
黒乃はヘラでお好み焼きを切り分けた。とろりとした生地は、なんの抵抗も示さずに分割されていった。それをヘラで掬い口に流し入れる。
「ハフハフ! 熱い! ハフハフ! 柔らかいです! 口の中でとろけます!」
「まさに飲む焼きサラダ。しかしこんな濃厚なサラダがあるだろうか。シャキシャキとしたキャベツの食感と甘さ、ソースとマヨネーズの辛味と酸味、具材から溢れ出す旨味。ああ、これはお好み焼きだ。お好み焼きの旨さを凝縮したお好み焼きだ」
二人は三枚のお好み焼きを、一瞬で完食した。鉄板の上にはなにも残っていない。
黒乃とメル子は食べすぎて、ヨロヨロとしながら店を出た。日は完全に落ち、街灯がついている。たまプラーザの町は、夜の準備へと入っていた。
「ごちそうさまでした。ご主人様、美味しかったですね!」
「うう、苦しい。でも美味しかった」
二人は商店街を抜けて、坂道を登り始めた。坂を吹き抜ける秋の冷たい風は、ほてった体には心地よい。
「なるほど、大阪人も納得のお店でしたね。それに、家庭的で楽しいお店でした」
「そうだね……子供のころ、家族で食べたお好み焼きを思い出したよ。家族で鉄板を囲んでさ。楽しかったな」
メル子は黒乃のジーンズをつまみながら下を向いた。
「そうですか……私にはそういう家族の思い出はないです。子供時代もないですし、家族もいなかったので」
黒乃はミニメル子を抱き上げると、肩に乗せた。
「なに言ってるのさ」
「え?」
「その思い出を、今日作ったんじゃないのさ」
黒乃はメル子を担いだまま坂道を登っていく。すれ違う人は、その二人を見ると自然と笑顔になった。
「何十年かあとに、小さいころに家族と食べたお好み焼きの味を思い出すんだよ」
「……」
メル子は黒乃の頭にしっかりとしがみついた。
「その時は、母親と一緒に食べたという記憶になっていると思います」
「今日の私は、かーちゃん役かい」
「そうです」
トボトボと歩く親子のような二人を、まだ早いクリスマスのイルミネーションが迎えた。その光は二人を包み込み、二人はその陰となり消えた。