第69話 謎の幼女です! その二
日も沈みかけている夕方。白ティー丸メガネのお姉さんは、夕陽を背に歩いていた。手には買い物袋。そして肩には小さなメイドさんを担いでいる。
「ハイヨー!」メル子が黒乃の肩に跨って掛け声をかけている。
「進めー! 黒乃号ー!」
「こらこら、暴れると落ちるから」
黒乃に肩車されているのは、体長八十センチメートルのミニメル子である。浅草工場へ定期メンテナンスに向かったところ、修理に数日かかることが判明した。そのため、代替ボディのミニメル子で帰宅したのだった。
「この戦車ポンコツです! 遅いです! パンツァーフォー!」
「そんなに早く帰りたいんだ」
「当たり前です! 今日はご主人様の得意料理のトンカツ鍋ですから!」
「どうもミニボディに引っ張られて、AIが幼児化してるんだよなぁ……」
ミニボディとはいえ、ロボットなのでかなり重い。黒乃はフラフラとした足取りで我が家を目指していた。
その時、何者かが黒乃の背後に忍び寄った。
「ぎゃあ!」メル子が悲鳴をあげた。
「ぐえええ!」黒乃もうめき声をあげた。
何者かが、メル子のメイド服を引っ張っていたのだ。引っ張られて落ちそうになったメル子は、両足を黒乃の首にしっかりとホールドした。その結果、黒乃の首がグイグイと締まっているのだ。
「誰ですか、離してください!」
「ぐえええ、死ぬ〜」
「メル子〜、うちくる〜」
黒乃は膝をついて地面に転がった。メル子もメイド服を引っ張られたまま地面に降りる。
「やめてください! 誰ですか!」
メル子は後ろを振り返った。そこにいたのは、クルクルの癖っ毛が派手に跳ねまくった幼女だった。白いシャツに赤いサロペットスカートが、幼女っぽさを演出している。
「メル子〜、アタシだよ。紅だよ」幼女はまだメイド服を引っ張っている。
「紅子ちゃん!?」
「ゴホッゴホッ、また出たな、紅子〜」
紅子に引っ張られ、ズリズリと引きずられていくメル子。五歳児と三歳児相当のミニメル子では、勝負にならない。
「待て待て、落ち着け、紅子」黒乃は紅子のサロペットスカートの紐を持って宙吊りにした。
「メル子はうちのメイドロボだから、紅子のところにはいけないって言ったでしょ」
「メル子は紅のメイドロボだもん〜。モンゲッタが言ったもん〜」
そういえば、今日は熊のぬいぐるみのモンゲッタがいない。
「そうです! モンゲッタはどこにいったのですか? 前にモンゲッタに貧乳ロボにされそうになったのですよ!?」
メル子は宙吊りになっている紅子に、地上から抗議をした。
「モンゲッタはどこ? ぶっ潰してやる!」
「モンゲッタ、おうちにいる〜」
紅子は指をさした。指の先には、黒乃達のボロアパートがある。
「いや……もう二度とあの部屋には入りたくない」
「ですね……」
紅子は宙吊りになったまま、手足をバタバタと動かしている。
「紅子、いくつか質問をする。答えてくれるかい?」
「うん」紅子はうなずいた。
「ママはどこ?」
「おしごとにいってる」
「パパは?」
「おしごと中」
「どこまで本当かわからんな……」
「私からも質問です!」メル子は紅子を見上げて言った。
「うん」
「紅子ちゃんはお化けですか?」
「ううん」紅子は首を横に振った。
「モンゲッタはお化けですか?」
「ううん」紅子は首を横に振った。
「あのボロアパートの一階に住んでいるのですか?」
「ううん」紅子は首を横に振った。
「でも、あそこが紅子の家なんだよね?」
「うん」
「じゃあ、今日はおうちにお帰り?」
「うん」
紅子はすっかりおとなしくなった。黒乃はそっと紅子を地面に下ろした。
「じゃあ、今日は紅、もうかえるね」
「うんうん、そうしな」
すると、紅子はミニメル子をガシッと抱きかかえると、そのまま一階の部屋に向かって走り出した。
「ぎゃああああああ!」
「メル子、うちくる〜」
「メル子ォォォォオ!」黒乃は追いかけようとして、手に持っていた買い物袋を盛大にぶちまけた。
紅子とメル子は一瞬で部屋の中へ消えた。扉がバタンと閉まる。黒乃は慌てて追いかけ、ドアノブに手をかけたが回らない。鍵がかかっているようだ。
「おーい! メル子!? 大丈夫!? 開けて!」扉をドンドンと叩き、ドアノブをガチャガチャと回すが開かない。
「そうだ! 大家さんに頼んで……」
黒乃が扉から離れた瞬間、再び扉が「バン!」と勢いよく開いた。黒乃は呆然として、部屋の前で動けなくなっていた。
「ハァハァ、メル子を助けないと」ヨロヨロと扉に近づく。
薄暗い部屋を覗き込んだ。部屋の真ん中にはテーブルが一つ、椅子が二つ。カーテンは閉じていて光は入ってこない。玄関には女性の靴が一足だけ。
「メル子、メル子いる? いたら返事して」
黒乃が玄関から顔を覗かせると、テーブルの上にミニメル子が寝かせられているのが見えた。白目を剥いてピクリとも動かない。
紅子の姿はどこにもない。
「ハァハァ、怖い。ちょっとちびった……」黒乃は恐る恐る部屋の中へ入った。電灯のスイッチをカチカチと押すが、灯りはつかない。
「お邪魔します……」仕方なく、玄関で靴を脱ぎ部屋にあがる。
周囲を窺いながら、ゆっくりと机の上のメル子に近寄った。メル子を抱き上げると、一直線に部屋の外へ走った。
しかし次の瞬間、黒乃の目の前で扉がひとりでにバタンと閉まった。ドアノブをガチャガチャと回すが開かない。
「開かない! 開けて!」
「はっ!? ご主人様!? ここは?」メル子が黒乃の腕の中で目を覚ました。
「メル子! よかった。生きてた……」
『ふふふふふ』
突然、部屋の中に謎の声がこだました。腹に響くような恐ろしい声だ。後ろを振り向くと、テーブルの上にモンゲッタが座っていた。
『さあメル子〜、貧乳ロボになる時がきたよ〜』
「ぎゃあああああああ! 出ました! お化けロボです! 助けて!」
「メル子、落ち着いて」
「助けて! 貧乳ロボだけは嫌です! 助けて!」
メル子は恐怖のあまり、黒乃の白ティーの中に潜り込み、襟から顔を出した。
「こら! 白ティーが伸びる!」
「助けて! わかりました! 取り引きです!」
『取り引き? なんだい? 言ってごらん?』
「私は貧乳ロボになるのは、絶対に嫌です! だから、ご主人様を貧乳ロボにしてください!」
「メル子!?」
『そっちの丸メガネはもう貧乳じゃないか〜。取り引きにならないよ〜』
「いやああああ!」
「待て!」黒乃が叫んだ。「喋っているのは誰だ!? モンゲッタじゃないな? どっかのスピーカーだろこれ」
『……』モンゲッタはピクリとも動かない。
『……よく気がついたね』
「いったい、なんでこんなことをするんだ? あんた誰なの?」
『ふふふふふ』
「ワロてる!」
『私はずっと君たちを見ていたのだよ』
スピーカーの声の主はゆっくりと語り始めた。
「見ていた? どういうこと?」
『私はずっと君たちのロボチューブを見ていたのだよ』
「視聴者かい」
『ずっとメル子を、貧乳ロボにしたくてたまらなかったのだよ!』
「なんで!?」
スピーカーの声に熱がこもり始めた。
『それが私の真実であり、原罪だからなのだよ! 私はこの世界の摂理を追い求め、やがて世界の源流に辿り着くのだ!』
「リビドーリビドー、うっさいな」
突然、部屋の真ん中にある机が真っ二つに割れた。上に乗っていたモンゲッタが床に落ちた。割れた机はそのまま左右にスライドし、部屋の隅まで移動する。
すると今度は、モンゲッタが転がっている床が左右に割れた。その割れ目の中にモンゲッタが落ちてった。
「なになに!?」
「なにが起きていますか!?」
そして床の割れ目の中から、なにかが迫り上がってくる音が聞こえた。バチバチという放電の音と光が、下から迫ってくる。
割れ目から現れたのは、椅子に座った中年の男だった。掘りが深い端正な顔立ち。しっかりと整えられた口髭。撫で付けられた黒髪。高級そうなスーツを完璧に着こなしている。
凄まじい放電が部屋の中に炸裂した。
「誰なの!?」
「ぎゃああああ! ご主人様、助けて!」
「誰だって!? 私こそがニコラ・テス乱太郎である! フハハハハ!」
「なんだってーーー!?」
ドーン!
ド派手な登場を決めたのは、マッドサイエンティストロボとして恐れられた『ニコラ・テス乱太郎』その人であった。何十年も前、新ロボット法ができる以前に、ロボット反乱軍の科学者として、数々の兵器を開発した恐ろしいロボットである。一度政府によって捕獲されたが脱走。その後は行方知れずになっていた。
「なんでそんな人がボロアパートの地下に住んでるのよ」
「そんなことはどうでもいい。さあ、メル子。貧乳ロボになろう」
ニコラ・テス乱太郎はメル子を見た。怯える黒乃とメル子。二人は強く抱きしめあった。
「あれ? 貧乳ロボに……もうなってるな」
すると、ニコラ・テス乱太郎の座っている椅子が下がり始めた。床が元通りに閉じ、テーブルがスライドして部屋の真ん中でくっつく。
部屋の灯りがついた。扉が開く。
二人は部屋の外に出た。散らばった食料品を買い物袋に詰め直すと、マリーの部屋の前までいってドアベルを押した。
「あら、お二人ともどうしましたの? すごい顔色ですわよ。トンカツ鍋パーティ? 楽しそうですわー! アンテロッテと一緒にお邪魔させてもらいますわー! え? お泊まりもするんですの? なんでですの? なにかこのオチ被ってますわね? ちょっと! 離してほしいですわ! 掴まないでくださいまし! わかりましたわ! 泊まりますわ! 二人で泊まりにいきますわー!」




