第68話 ミニメル子です!
「それではご主人様。いってまいりますね」
メル子はボロアパートの小汚い部屋の玄関に立つと、黒乃にペコリと頭を下げた。
「え? どこへ?」
黒乃は床に寝そべりながら、メル子の方へ顔を向けた。
「昨日言ったではないですか。定期メンテナンスですよ」
「ああ……」
昨日の夕飯の時に、メル子が言っていたのを思い出した。チャルキカン(チリの牛肉のシチュー)が美味しすぎたため、食べるのに夢中で話を聞いていなかったのだ。
新ロボット法により、ロボットは毎月の工場でのメンテナンスが義務付けられている。
「押し入れのメンテナンスキットじゃダメなんだっけ?」
「それでもいいのですけど、ご主人様のところにきてから、いろいろありすぎたので。念には念を入れて、ということです」
「いろいろ……ありすぎたね」
確かに思い返してみると、運動会に参加したり富士山に登ったり、過酷な経験を山程した気がする。
「そういうことなら、工場いった方がいいね。気をつけていってきてよ」
「わかりました! 夕飯には戻りますので!」
メル子は元気よく部屋を飛び出していった。
——夕暮れ時。
車がボロアパートの前に止まり、走り去る音が聞こえた。
「ご主人様、戻りました! 開けてください!」
扉の向こうからメル子の声がした。黒乃はケツをかきながらゆっくりと起き上がった。
「んん? 鍵開けて入ってくればいいのに……」
黒乃は扉を開けてみたが、そこには誰もいなかった。
「あれ? メル子?」
「ご主人様! ご主人様! ここです!」
下から声が聞こえた。視界の端になにかが飛び跳ねているのが見えた。視線を下げると、そこには小さなメイドさんがいた。
「え? 嘘でしょ……」
「ご主人様! 私ですよ! メル子ですよ!」
そこにいたのは、三頭身の小さなメル子であった。金髪ショートにクリクリとした大きな目、青い和風メイド服で身を包んでいる。体長八十センチメートルほどだろうか。
「うわああああああ! メル子が小さくなってるぅぅぅぅ!!!」
黒乃は腰を抜かして、後ろにひっくり返った。
黒乃は床にあぐらをかいて座っている。目の前には、小さなメル子が正座をしている。小さいが、どこからどう見てもメル子だ。最愛のメイドロボを間違えるわけがない。
「……というわけで、ボディが長期メンテナンスにいってしまったので、仮のボディで戻ってきたというわけです」
「なんともはや」
メル子のボディは、黒乃達が思っていた以上に傷んでいたらしい。数日間の整備が必要とのことであった。
その間の代替ボディが、このミニメル子というわけだ。
「それはわかったんだけど、なんで代わりのボディがちっこいメル子なの?」
「メイドロボを購入する時に、ご主人様がミニボディを選択したからですよ」
「え? 私が?」
メイドロボの購入ページには、緊急用の代替ボディを選択する項目がある。最もグレードが高いのは、本ボディと同じ代替ボディであるが、もちろん購入金額は倍になる。ミニボディはかなり下のグレードだ。
「そうだった……! 確かボールに手足が生えたような無料の代替ボディと、ミニボディと、どちらにしようか迷ってこっちにしたんだった」
「ボールタイプではなくて、本当によかったです……」
黒乃はまじまじとミニメル子を見つめた。幼いころのメル子はこんな感じだったのかという出来栄えだ。顔は全体的に丸みを帯び、頬は肉厚だ。目玉の比率が大きくなっているせいか、アニメチックな顔立ちになっている。
体は三頭身で可愛らしい。しかし首や関節などの接合部に、メカっぽさを感じる。
「あれ? そのメイド服はどうしたのよ。それは『そりふる堂』の特注じゃん」
ミニメル子が着ているメイド服は、洋装店『そりふる堂』のメイドロボ、ルベールが仕立ててくれたものだ。
「実はルベールさんにお願いして、ミニボディ用のメイド服を作ってもらっていたのでした」
「いつのまに……」
その時、黒乃の目から一筋涙がこぼれ落ちた。
「あれ? どうしました、ご主人様? メル子は元気ですよ、ホラホラ!」
メル子は慌てて手足をパタパタさせてみる。
「……おっぱいが小さい……」
「そこですか!?」
黒乃はメル子を抱え上げると、自分の膝の上に座らせた。
「ちょっと、ご主人様!?」
「ほーらほらほら、メル子ちゃん〜、ヨシヨシ」膝の上のメル子の頭を撫でまくる。
「やめてください! 赤ちゃんではないのですよ!? ボディは小さくても、立派な大人なのです!」
黒乃はメル子を抱いたまま立ち上がり、両脇を掴むと頭上に抱え上げた。
「ほーら、たかいたかい!」
「ぎゃあ! 高いです! やめてください!」メル子は手足をバタバタさせて降りようとする。
「たかいたか〜い」
——しばらくあと。
「たかいたかい〜」
「きゃっきゃっ! 高いです!」
「ほーら、メル子、飛行機だぞ〜」
「ブイーン、飛んでいます! きゃっきゃっ! はっ!?」
メル子は再び手足をバタバタさせ、地上に着陸した。
「赤ちゃん扱いはやめてください!」
「ちぇ〜、いいじゃんべつに」
「よくありません。そろそろ夕飯の支度をしますので、邪魔をしないでくださいよ」
メル子はメイド服の袖をまくり上げると、キッチンに向き合った。そのまましばらく立ち尽くしたあと、テーブルの椅子を一つ引きずってキッチンの前に設置した。その上によじ登ろうとした。しかし、椅子が思ったよりも高く、苦戦している。
「ほら、よいしょっと」黒乃がメル子を持ち上げて椅子の上に置いた。
「自分でできますから! 手を出さないでください!」メル子は抗議した。
その後も、メル子は小さな体で悪戦苦闘しながら料理を作ろうとしたが、やはり厳しかったようだ。椅子の上でうなだれ、しくしくと泣き出してしまった。
黒乃は近寄って、ミニメル子の頭を撫でた。
「ううう、グスン……料理一つ作れないなんて情けないです。メイドロボ失格です……」
黒乃はタオルでメル子の顔を拭くと、シンクで手を洗い始めた。
「メル子が諦めるなんてらしくないな」
「だって、しょうがないではないですか。このボディでは……」
「体は子供でも、頭脳は大人なんだから。私がメル子の体の代わりになるよ」
黒乃は包丁を握った。
「ご主人様……」
その後、黒乃はメル子の指示のもと調理を行った。食材を切り、鍋で火を通し、調味料で味付けする。いい香りが部屋に漂い始めた。
黒乃は生まれて初めて、南米料理を作った。
「さあ、できたよ! えーと『カスエラ』完成です!」
鍋をテーブルにゴトリと乗せ、皿に取り分ける。二人はそのスープを一口すすった。
「美味い!」
「美味しいです!」
カスエラとはチリのスープで肉、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、カボチャ、米をオレガノ、クミンで煮込んだものだ。
二人は夢中でスープを胃袋に収めていく。具材の形は悪く、火の通りもまばらだが上出来だ。
鍋はすっかりと空になった。
「ご主人様、ありがとうございます。お料理、美味しかったです」
「メル子の指示がよかったからね」
「はい! 明日もまた……いっしょに……むにゃむにゃ」
メル子は満腹になって落ち着いたのか、それとも小さいボディで燃料が少ないのか、テーブルの上で寝息を立て始めた。
「やっぱり、赤ちゃんみたいだな」黒乃はタオルでメル子の口元を拭うと、布団を押し入れから一組引っ張り出した。
「今日くらいは、一つの布団で寝てもバチは当たるまい」
メル子を抱え上げ、布団に寝かせた。その幸せそうな寝顔を存分に頭に刻み込んだあと、黒乃も寝る準備を始めた。