第64話 マッサージします!
ご主人様とメイドロボは気だるい時間を過ごしていた。夕食の後始末はメイドロボが手早くし終え、部屋からは物音が消えた。
「はい、どうぞ。セイロンのオレンジペコです」
「ありがとう」
黒乃はメル子が差し出した鮮やかな色のアンティークのティーカップをつまむと、顔に近づけ香りを楽しんだ。
「うーん、いい香り。爽やかなオレンジのフレーバーが、イギリスの田舎の景色を思い起こさせるね」
黒乃は目を瞑ってその情景に浸った。
「セイロンはインド洋の島ですし、オレンジは入っていませんよ。オレンジペコというのは茶葉の大きさのことです」
「ふふふ」
「なにを笑っているのですか」
「知ってた」カップをくゆらせながら黒乃はほざいた。
「はい?」
「メル子を試しただけだよ」
「相変わらず負けず嫌いですね」メル子は呆れ顔で言った。
「敗北を知りたい」
再び静けさが部屋を満たした。二人でなにも話さず過ごす時間も悪くない。紅茶の香りと微かな陶器の音がBGMだ。
いつの間にか、黒乃はうとうととし始めていた。どうも体がだるい。
「うーん、なんか疲れたのかもしれない。歩いて帰ってくる時、何回か立ち止まったよ」
「ここ最近、帰るのが遅いですものね」
黒乃はフワーっと欠伸をしながら腕を上に伸ばした。肩が重く感じる。
「そうだ。メル子、マッサージしてよ」
「マッサージですか」
「そうそう。メイドさんって、リフレとかしてくれるじゃん」
メル子は腕を組み、右手の人差し指を額に当てた。下を向いて目を瞑る。
「メイドさんのリフレは、法的にグレーなことがあるのですよ」
「え!? そうなの?」
「未成年のリフレはもちろん違法ですが、普通のリフレも違法になり得ます」
「どういうこと?」
黒乃は机に身を乗り出して尋ねた。
「そもそも、マッサージを業として行うには『あん摩マッサージ指圧師』の国家資格が必要なのです。リフレと名乗っている店は、その資格なしに施術をしていることがあるのです」
「なんで摘発されないの?」
「マッサージではなくリラクゼーションだから、という理由で言い逃れをしていたりします。マッサージはそもそも『医療行為』ですので、素人が行うのはオススメできません」
黒乃は椅子の背にもたれかかった。
「なんだぁ、じゃあマッサージはできないのか。ガッカリ……」
「ふふふふふ」メル子は腕を組んだまま笑っている。
「どしたの?」
「私ができない言い訳をするために、こんな話をしたと思っているのですか!?」
「ええ?」
メル子は椅子から立ち上がり、両手を腰に当てた。
「AI高校メイド科を卒業することで、あん摩マッサージ指圧師の資格を取得することができるのです!」
「うおお、やったぜ! メイド科万能すぎない!?」
「ただし、メイドポイントをすべて消費しますので、あしからず」
黒乃は椅子からひっくり返った。
メル子は押し入れから、ウレタン製のマットを取り出した。それを床に敷く。以前の耳かきに使ったオイルや乳液、運動会で手に入れたロボローションを用意する。
「いつの間にこんなん揃えていたのよ」
「メイドとして、業務に備えるのは当然です」
黒乃はブラとパンツいっちょに着替えた。それぞれブルーの無地素材だ。かなりキツキツで肉に食い込んでいる。
メル子も赤ジャージに着替えたようだ。
「マッサージ用の服もあるのか。でもこんな面積少ないんだったら、もう全裸でいいでしょ。家だし」
「全裸でマッサージは、違うお店になりますよ!」
黒乃はマッサージマットの上にうつ伏せになった。メル子がその横に膝をつき、袖をまくる。
「まずは、ロボローションマッサージで体をリラックスさせましょう」
「出たー! ロボローション!」
ロボローションをケロリン桶にあけ、少しのお湯で割る。桶の中に手を入れ、トトトトトと素早く回し撹拌する。温まったローションを手に取ると、黒乃の背中に広げた。
「ふぁ〜、あったけ〜」
メル子は手のひらでローションを黒乃の全身に伸ばしていく。女性にしては広い背中から始まり、肩、脇、ケツ、足へと手を這わせる。
「メル子の手、温かくて柔らかいな〜。赤ちゃんの手みたいだ」
「それはどうも」
メル子は黒乃の足の指一本一本に、ロボローションを念入りに刷り込んでいく。
「あー、足の指気持ちいい」
メル子は黒乃の足の指一本一本に、ロボローションを念入りに刷り込んでいく。
「……ねぇ、足の指やるの長くない?」
「はっ! つい夢中になってしまいました」
次にメル子は肩のあたりに手を置いた。
「ご主人様、いきますよ?」
「え〜、なにが〜?」黒乃は夢うつつで答えた。
「えいっ!」
ブイーンと音がしたかと思うと、黒乃の体に振動が走り始めた。
「あわわわわわわ、なにこれなにこれ。あわわわわわわ」
メル子が手を這わせた部分に振動が伝わっている。
「これが八又産業製のロボットに伝わる、尾震掌です」
「あああああああ、きもちええええあえあああああ」
「上位モデルのロボットの尾震掌は、巨大な岩をも砂に変えるそうです」
「それ、死ぬじゃろろろららろおあお」
心地よい振動が黒乃の体をほぐしていく。温かいロボローションとバイブレーションの相乗効果により、体が内側からポカポカと温まってきた。
メル子は手のひらをケツに移動させた。
「最近、ご主人様のお尻がたるんできていますので、念入りにお尻をマッサージします」
「ケツううううう、やばいいいい、屁が出そうおおお」
「絶対にやめてください」パーンと黒乃のケツを叩いた。
バイブレーションによる全身マッサージで、黒乃は昇天してしまっているようだ。
「ああ、極楽……」
「ご主人様、まだ終わっていませんよ」メル子はタオルでロボローションを拭き取りながら言った。
メル子は黒乃を横に寝かせた。上半身と下半身を雑巾のように逆に捻らせる。
「さあ、整体ストレッチにいきます」
「うぎっ! イデデデデデ」
「体が固いですねー」
これにより腰、腿を丁寧に伸ばしていく。
次に黒乃の上半身を起こし、その背中にメル子が密着した。
「あああああああIカップが背中にいいいい!」
「モゾモゾしないでください!」
脇の下から腕を差し込み、黒乃の腕を万歳させる。その腕にメル子の腕を絡めて肩を伸ばした。
「やはり、肩がだいぶ疲れていますね。ぜんぜん回りません」
「ああああああ、おっぱいいいいいい」
両肩をホールドしたまま、黒乃の後頭部に手を添える。そのままゆっくりと背中を後ろに反らせた。すると、背骨がバキバキと音を立てた。
「いやあああああ! 背骨が折れるうう!」
「折れませんから、大人しくしていてください」
その後仰向けになり、足のストレッチを行った。全身を伸ばされ、黒乃は完全に脱力状態になった。仕上げにオイルと乳液でお肌のケアをして終了だ。
「お肌がだいぶ荒れていますよ」
黒乃の頭を膝に乗せ、乳液を顔に塗り込みながら言った。
「うん〜。ていうか、お肌のケアなんてしたことないから……」
「なぜですか? 女の子ですのに」
「メイドロボのことばっかり考えてて、自分のことは考えてこなかったよ……」
メル子は少し寂しそうに黒乃の顔を撫でた。
「もったいないですよ。それなりに綺麗な顔立ちですのに」
「ええ、よくわからん。鏡を見た記憶もあんまない……」
黒乃はうとうととしている。
「どれだけメイドロボ一筋だったのですか」
「うん〜、むにゃむにゃ」
「これからは、私のために綺麗になってくださいね」
「わかった〜。えへへ……」
二人はしばらくの間、まどろみの中で会話を楽しんだ。