第59話 ラーメン大好きメル子さんです! その四
浅草から隅田川を渡ったスカイツリーの大樹の根元にメル子はいた。百年前の遺物とも呼ぶべき、六百メートルを超えるこの巨大な電波塔は、現在では二千メートルを超えるさらに巨大な電波塔によって、その役目を奪われていた。
その悲しき威容も、金髪巨乳メイドロボには及ばない。スカイツリーの商業施設には昼夜問わず人が溢れ、仕事帰りの会社員達がそれに拍車をかける。誰もが場にそぐわないメイドさんに注目していた。
「やあやあ、メル子、待たせたかな?」
「いえいえ、私も今きたところです。49分59秒しか待っていません」
「はっはっは、じゃあいこうか」
黒乃とメル子は南に向かって歩き始めた。交通量が多い大通りをひたすら真っ直ぐに進む。空はまだ青いが、地上はもう薄暗い。車のヘッドライトがひっきりなしに二人を照らした。
ほんの十分も歩けば目的地だ。ここは『錦糸町』。都内有数の歓楽街である。
「ご主人様は飲まないのに錦糸町なんてくるのですね」
「ええ? ああ、うん。正直苦手な町だよね。居酒屋が多くてさ」
黒乃はとある店の前で足を止めた。メル子はその店を見上げた。黒い外観に、大きな木製の看板が頭上に掲げられている。
「ここが今日のお店ですか。『博多ロボ龍』」
「そう。今日は博多ラーメンを食べよう!」
「はい!」
店内は比較的新しく、清潔感があるが狭い。カウンターだけの店のようだ。威勢のいい店員達が元気よく動いている。二人は狭い店内の壁に背中を擦り付けるように動き、L字カウンターの曲がり角手前に座った。
「ご主人様。私、博多ラーメンを食べるのは初めてです。どのようなラーメンなのですか?」
「むふふ、博多ラーメンは九州は福岡で生まれたラーメンなのだ」
豚骨を徹底的に煮出して作る濃厚豚骨スープに、極細麺が特徴だ。
カウンター越しに店員がオーダーを取りにきた。
「しゃいませーい! ご注文うかがいまー!」
「ラーメン二つ。両方とも『かた』で」
「りゃーす!」
「ずいぶんシンプルな注文ですね。あと、かたとはなんですか?」
「麺の硬さだよ。『やわ』、『ふつう』、『かた』、『バリカタ』とある」
「バリカタとはなんですか!?」
その時、二人の席のカウンターの上に丼が二つ置かれた。
「たせいたしやしたいー!」「「えりゃれーい!」」
「はやっ! もうラーメンがきましたよ!?」
「ふふふ、極細麺だから、一瞬で茹で上がるのだ」
丼にはクリーム色のスープがなみなみと注がれていた。純白の極細麺がスープの中に慎ましく佇んでいる。薄切りのチャーシュー、ネギ、キクラゲが丼に色彩を与えている。
「うわー、白くて綺麗ですね! ラーメンって普通は茶系のビジュアルなのに!」
「ふふふ、ここのスープは白い。濃い色の豚骨スープはケモノ臭がする場合がある。ここは徹底的に臭みを取ってあるから白い。私は臭いのも好きだけどね」
「なるほど。ではいただきましょう!」
メル子は割り箸をパキンと二つに割り、レンゲを左手に構えた。
「待ちたまえ。スープを飲んではいかん」
「スープを飲んだらダメ!? ラーメンなのにですか!?」
「そのとおり。まずは、麺だけを食べるのだ」
黒乃は左手で丼を掴むと、麺を勢いよくすすり始めた。メル子もそれに習い、レンゲを置いて麺を口にする。
「美味しい! クリーミーなスープが麺によく絡んで、ズルズルと入ってきます。細麺ならではの、プツプツとした歯応えも堪りません!」
「細麺は表面積が大きいから、太麺よりもよくスープが絡むのだ。さらにストレート麺は、毛細管現象によりちぢれ麺よりもスープを持ち上げやすい」
「麺学者なのですか?」
二人は勢いよく麺をすすり、あっという間に麺がなくなった。
「美味しかったのですけれど、麺が少なかった気がしますね。スープも余っています。ちょっと物足りないかも……」
「クククク」
「どうしました、ご主人様?」
「博多ラーメンはここからが本番なのだ。替え玉『バリカタ』二つお願いします」
「バリカタ二丁、ありゃらい!」「「りゃーい!」」
「替え玉!? 替え玉とはなんですか?」
「バリカタ、お待たしゃい!」「「またしゃいー!」」
カウンターの上に皿が二枚置かれた。
「はやっ! まだ二十秒しか経っていませんが?」
「バリカタは十五秒しか茹でないからね」
メル子は皿を手に取った。茹でたての極細麺が、皿の上に盛られ湯気を立てている。
「これをスープに入れて食べるのだ。これが博多ラーメンの醍醐味。ちなみに、この店は替え玉二回まで無料」
「太っ腹!」
博多ラーメンは大盛りでは注文しない。極細麺のため、すぐに麺が伸びてしまうからだ。替え玉方式であれば、たくさんの麺を茹でたての状態で食べられるという、画期的なシステムなのだ。
「さあここで、味変アイテムの登場だよ」
「そういえば、テーブルに色々と置いてありますね。胡椒、ニンニク、醤油ダレ、辛子高菜、ゴマ、紅ショウガ」
「ご主人様は辛子高菜でいこうかな」
「私はゴマと紅ショウガでいきます!」
二玉目にも関わらず、味変のおかげで麺がスルスルと胃に落ちていく。
「バリカタ、最初は不安でしたけど、癖になる硬さですね。紅ショウガもさっぱりしていい具合です」
「そうだろうそうだろう。ほい、ニンニク」
「勝手にニンニクを入れないでください!」
二人は替え玉も完食した。
「ふー、美味しかったです。替え玉って楽しいシステムですね」
「でしょ? もう一玉無料で食べられるけど、今日はやめておこうかな」
「そうですね」
しかしその時、ラーメン屋に恐ろしい声が響き渡った。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! なんですかこの声は!?」
「オーホホホホ! たった二玉でギブアップですのー!?」
「オーホホホホ! わたくしあと十玉はいけますわよー!」
「げえ! お嬢様!」
マリーとアンテロッテであった。二人はL字カウンターの曲がり角の奥にいたのだった。金髪縦ロールのお嬢様と、ラーメン屋はあまりにも似合わない。
「こんなところでなにしてるの!?」
「もちろん、おラーメンを食べにきたのですわー!」
「まさかラーメン屋被りとはなぁ……」
「あら? もうお帰りですの? 蚤の胃袋ですのねー?」
「お嬢様の胃袋は無限大ですのよー!」
テーブルを見ると、マリーの前には空の皿が一枚置かれていた。
「なにをー。マリーだって二玉しか食べてないだろー」
「わたくしはこれから、十玉いく予定ですのよ」
「ちびっ子のマリーじゃ無理でしょー」
「余裕ですのよ」
「じゃあ、どっちがたくさん替え玉できるか勝負じゃい!!!」
「ご主人様!? 中学生相手ですよ!?」
唐突に、マリーと黒乃の替え玉勝負が始まった。負けた方が代金をすべて支払う取り決めだ(食事などの一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまる時は賭博罪は適用されない!)。
二人は三玉目を注文した。バリカタで注文した黒乃の麺が即提供される。
「たくさん食べるなら、麺は『バリカタ』だぜ。『やわ』だとスープを吸ってしまうからな」
博多ラーメンで気をつけなければならないのは、替え玉をしてもスープは足してくれないということだ。スープをゴクゴク飲んでしまうと、麺に対してスープが足りなくなる。
しかし、マリーはやわで麺を注文したようだ。
「フハハハハ、しょせんは中学生の浅知恵よ! 大人を舐めるなよ! ズルズル、うぐっ! バリカタだと食うのが結構辛いな。スルスルと入っていかない……」
二人とも三玉目を食べ切って四玉目を注文した。ここからは有料替え玉である。
「よし! バリカタ! 味変しよう。香ばしくゴマで、ハァハァ。麺が硬い……」
「ご主人様、頑張ってください!」
「わたくしはプレーンのスープでいきますわ。余計なものを入れると、スープが持っていかれますのよ」
五玉目。
「よし……やわきた。ハァハァ、あかん、もうスープがない」
「ここは胡椒で味変ですわ。麺に直接振りかけますのよ」
「お嬢様、ナイスアイディアですわー!」
六玉目。
「ハァハァ、スープが空になった。もうラーメンではなくメンだこれ。水に浸して食うか……」
「邪道喰いはよしてください!」
「まだまだ余裕ですわー! ズルズル」
マリーのみ七玉目。
「……」
「ご主人様!? 生きていますか!? ご主人様!?」
「うまうまですわー! ズルズル」
マリーのみ八玉目。
「……」
「もうダメみたいですね」
「ズルズル。勝負ありましたかしらー?」
マリーはまだ余裕がありそうだ。
「ちょっとお待ちください、おかしいです! これだけ替え玉をして、スープが足りるはずがありません!」
メル子は立ち上がり、マリーの席へ駆け寄った。テーブルには麺が乗った皿があり、マリーは皿から一口ずつ麺を取り、スープに浸して食べていたのだ。
「これは! そうです、これはつけ麺です! スープを全部麺の中に入れれば、麺はどんどん汁を吸ってしまいます。しかしこのつけ麺方式なら、麺は汁を吸わないのです!」
「オーホホホホ! バレてしまいましたのね。これは土山しげる先生の『喰いしん坊!』という漫画に登場したテクニックですのよー!」
「さすがハンター錠二と互角に戦えるフードファイター、鳥飼飛男ですわー!」
「「オーホホホホ!」」
黒乃の完敗であった。
「さ、ご主人様。いつものいきますか?」
黒乃はプルプルと震えながら、財布から代金を取り出した。
「マリーさん、アンテロッテさん」
「この度は調子こいてしまって」
「本当に申し訳ございませんでした!(ございませんでした)」
ぺこぉ〜。
「ありあとりゃしゃしゃーい!」「「りゃしゃしゃーい!」」




