第56話 最終回ではないです!
いわし雲が秋の空を覆い、太陽の光を隠しては現し、隠しては現ししている。やや強い風が隅田川の水面を揺らし、雲の隙間から差し込む光をさらに複雑に反射させた。
白ティー丸メガネのご主人様と、青い生地の和風メイド服のロボットは、隅田公園を歩いていた。
「だいぶ涼しくなってきたなあ」
「秋も深まってきましたしね。そろそろ白ティーだけでは無理ですよ」
「これしか持ってないんだよね。冬はこの上にコートを羽織る」
平日に休暇をとったので、昼過ぎまでメル子の仲見世通りの南米料理屋『メル・コモ・エスタス』の手伝いをしていた。主に皿洗いだが。相変わらずの盛況で、黒乃は目を回した。
午後はその足で隅田公園にピクニックにきたというわけだ。
「部屋でお仕事して、お店でお仕事して、ほんとメル子はすごいね」
「なんですか急に」
「私なんてちょっと手伝っただけなのに、もうフラフラだよ」
「ご主人様だって会社で働いているのですから、立派ですよ」
二人は公園の隅田川沿いをゆっくりと歩いた。いつものように、水上バスの乗客がメル子に手を振り、メル子が手を振りかえす。
「ちえー、いいよな、メル子は人気者で」
「ご主人様は人気なさそうですものね」
「なにを〜。これでもご主人様は学生時代けっこうモテたからね!」
「またまたご冗談を」
実際、学生時代の黒乃は結構モテた。後輩の女子から告白されたこともあるし、ファンレターをもらったこともある。その理由は『背が高いから』である。
得てして、この年頃の女子は中身なぞまったく問題にせず、わかりやすい見た目だけで相手を選ぶことがままある。
当然、黒乃は人間の女子などはまったく相手にせず、ひたすらメイドロボを追い求める日々であった。
「ふうん、まあいいさ。私は大勢からの愛なんて必要ないからね」
「あらら」
「たった一人からの愛があれば、それで充分だからね」
「はあ、左様ですか」
「左様って……」
黒乃が疲れたと言うので、二人は川沿いの歩道のベンチに腰掛けた。座った状態でも隅田川の水面が揺らぐのがよく見える。
「そういえば、どうしてメル子はうちにきたんだっけ?」
「どうしてって、ご主人様がメイドロボを購入したからきたのですよ」
「でもさ、メイドロボのカスタマイズページだと、ボディのデザインしか選択できないじゃん」
メイドロボのカスタマイズページには顔の造形や体型、髪型などのカスタム項目が数百あるが、AIについての項目は一つも存在しない。新ロボット法によって、AIを意図的に改変することは禁じられているからだ。
「どうやってそのボディに、メル子のAIがインストールされたのさ? 適当に選ばれたの?」
「適当ではないですよ。オーディションです」
「オーディション!?」
AIが住む仮想空間では、日々オーディションが開催され、どのAIがどのボディにインストールされるかを競っている。皆よりよいボディ、よりよいマスター、よりよい勤務地にいくことを望んでいる。
「てことは、メル子は他のAI達との熾烈なバトルを勝ち抜いて、私のところにきたんだね?」
「いえ、ご主人様のオーディションの参加者は、私一人だけでした」
「どうして!?」
黒乃はベンチから後ろにひっくり返った。母親と歩道を歩いていた幼女に指をさされて笑われた。
「人気がなかったのでしょうね……」
「なんでよ!? てかメル子がオーディションきてくれなかったら、私メイドロボ購入できなかったってこと!?」
「そうなりますね」
日が傾き、風が冷たくなってきた。白ティーの隙間から風が入り込み、黒乃の体を冷やした。
「さ、さむっ」
「しょうがないですね」
メル子はベンチを横にスライドして黒乃の横にピタリとくっついた。十秒ほどするとメル子の体から熱が伝わってきた。
「あったけー、なにこれ」
「ヒーター機能です。燃料を多めに燃焼させて体温を上げます」
幼女が指をさして言った。
「ママー。あの人達、ロボマッポに通報しなくていいのー?」
「あれはギリギリセーフよ。指をさしたらいけません」
母親は慌てて幼女の手を握った。
「オーディション一人だけって、うちってそんなに人気ない職場だったのか……」
「まあ、ボロアパートですしね」
とはいえ、勤務先の環境がそこまで詳細にAIに伝えられることはない。マスターの具体的な住所、氏名、生年月日、容姿は伏せられる。
明かされる情報としては、マスターの性別、年代、職業、勤務地方、住宅の種類などが大雑把な形で提示される。
「ちなみに、審査はマスター側にもありますからね」
「どゆこと?」
「ロボットのマスターに相応しいかどうかの身辺調査が入ります」
いかがわしい目的でロボットを購入することは人権侵害にあたる。事前に聞き取り調査などが行われる。
「わわわわわ、私はマスターに相応しいからね。いかがわしいことなんて、一度も考えたことないし〜?」
メル子はじとりとした目で黒乃を見つめた。
「購入する時に、やたら長いアンケートを書いたのがそれだったのか。ロボ区役所に持っていった時も、二時間じっくり話聞かれたな」
「どのような話ですか?」
「覚えてないけど、メイドロボに対する愛をたっぷり語ったよ」
メル子の体からやんわりと熱が伝わってきた。もっと温まりたい黒乃は、メル子の肩に手を回して強く密着した。
「ご主人様! またロボマッポに捕まりますよ!」
「いいからいいから」
ふと歩道を歩く人々の列が途切れ、二人だけの空間となった。川を流れる水の音が周囲を支配する。
「どうしてメル子はうちのオーディションに参加したの? 他にももっといい職場あったんでしょ?」
「それは……ありましたけど」
「ひょっとして、他のオーディション全部落ちたから、うちのを受けたとか?」
「違います! 受けたのは一つだけです」
「うちだけ?」
「はい」
それきり二人は黙ってしまった。二人のベンチの前を、大勢の人が通り過ぎていく。
「不思議だなあ」
「え?」
「うちにどんなAIがくるのかわからないのに、メル子以外の子がきた場合がまったく想像できないよ」
メル子は少し空を見上げてから言った。
「私もご主人様以外の職場が想像できませんよ」
メル子は黒乃の肩に頭を預けた。黒乃もメル子の頭に頬を乗せた。
「うそこけー、この前マリーのところにいったじゃん」
「あれはもう忘れてください」
「ふふふ、あったけーあったけー」
「うふふ、次からはちゃんと上着を着てきてください」
いわし雲が傾いた日に照らされ、赤い模様を地上に見せた。空の雲から見ればちっぽけな二人だ。片方は人間で、片方は機械。しかし雲にはその見分けはまったくつかなかった。
「ママー、そろそろロボマッポに通報していいー?」